第13話

「もうずーっと昔よ。いつから聖剣の精霊だったのかもわからないくらい。当時のアタシと聖剣は、暗い洞窟の奥で持ち主に相応しい人を待っていた。どうしてそこにいたのかは忘れちゃったわ、少なくとも五百年以上前の事だもの」

「五百……」

 そんな途方もない時間を、この精霊は生きてきたのか。

「それでね、ある日洞窟に人がやってきたのよ。そうね、あなたと同じ目をした人だった」

 懐かしげにリジーナの目を覗き込み、何か感じることでもあったのかライラックは優しく頭を撫でてきた。どこか胸の奥がくすぐったい。

「その時、アタシの中に一筋の光が差したようだったわ。暗い洞窟にいたけれど、世界が輝いたみたいだった。ああ、アタシこの人についていくって思えた。そのあと、幾つもの戦争を乗り越えて、この国を作り上げて、その人が死んでしまうまでアタシは相棒としてそばに寄り添ってたの」

 きっとその人こそ、先日エリアナに聞いた「英雄」なのだろう。

「その人が亡くなった後、ライラックはどうなったの?」

「話したでしょ、アタシの姿は普通の人には見えないのよ。今じゃあペンダントを持っていることがアタシを見る術みたいなものだけど、その時はまだ封じられてなかったからね。アタシが誰かを選ばない限り、誰にも姿が見えないのよ。それじゃあアタシも寂しいし、次の主人を捜そうと思って世界中を旅したの」

 その時の事を思い浮かべたのか、ふわりと浮いたライラックは空中で目を閉じた。

 鳥の様に海を渡ったりしていたのだろうか。自分にもそんな力があればなあ、と思わなくもないが、自分の立場を理解してすぐに無理だと悟る。

「人間には見えなくても、鳥とかそういう動物には見えたみたいでね、会話も出来たわ。けれど、彼らはすぐに死んでしまう。最初は寂しかったりしたけど、段々と慣れちゃった」

「そういうものなの?」

「自然の摂理だって考えたらね。誰かと別れるってことは、また次に誰かとの出会いが待ち受けてるってことだもの」

 そう考えてないとやってられなかったわ。深いため息をついたライラックの顔には、諦観のようなものが浮かんでいた。

「この国に戻ってきたのは二十五年位前だったかしら。主人を捜さなきゃって言いながら、肝心の聖剣は置いたままだったからね。ちょっと様子を見に戻っただけだったんだけど」

「そうだったの?」

「ええ。けど、聖剣のところに行ったら一人の男の子がそこにいてね。長い間人と話してなかったアタシは何となく、その男の子を聖剣の持ち主に選んだ。当然最初は驚かれたけどね、なんだかんだアタシはその子を主人として、聖剣の扱い主として共に過ごした。けど、成長したその子は突然アタシをペンダントに封じ込めたわ」

「その人って、フォセカのお父上の弟君?」

「ご名答」そう言ったライラックは眉を顰め、「ペンダントの中は狭いし暗いし寒くて最悪なのよ。でも誰かの手にペンダントが渡らない限りアタシは外に出れないし、セシルから引き離されてからずーっと真っ暗な場所に閉じ込められてたの」

 セシル、というのはその弟君の名前か。

 そういえば、今朝見ていた夢にそんな名前の人物が出てきていた。

 ひょっとして、自分が見ていた夢はライラックが見聞きした出来事だったのだろうか。

「けどね、かつてのあの人と出会った時と同じ一筋の光が突然差し込んできたの。アタシビックリしちゃってね、夢でも見てるのかと思ったわ」

 心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべるライラックは、リジーナの隣に降りてその頭を優しく撫でる。

「とっても懐かしくてね、気が付いたらその光に触れてたわ。その瞬間、真っ暗だった世界が明るくなったの」

 全部あなたのおかげよ、と微笑まれ、リジーナもほんのりと嬉しくなった。

 けれど、

「でも結局、私を選んだ理由は分からないままだわ」

 昔話の方に気を取られてしまったが、自分が聞きたいのはそこなのだ。質問をはぐらかしているわけではなさそうだが、ライラックは「うーん」と小さく唸った。

「ホントの事を言うとね、アタシもどうしてあなたがペンダントに触れた時、光を感じたのか分からないの。けれど、あの人と似た人がいいなあって思ってるのは事実よ」

「似た人?」

「清らかな心を持っていて、強い力を持った人、かしら」

「じゃあ、なおさら私を選んだ理由が分からないわ」

 首を振ったリジーナはライラックに背を向け、城に向かって歩き始めた。ライラックはそれを慌てて追いながら、「どうしてよ」と問いかけてくる。

「私は清らかな心の持ち主じゃないし、強い力なんてない! お姉様やお母様に腹を立てても、口答え一つ出来ないくらいなのよ。それなのに、この国の英雄と同じ力なんて持っているわけないじゃない」

「あなたが自分の事をどう思ってるかは知らないわ。でも、アタシはそう感じたからあなたを主人にしようと思ったのよ」

 そんな事を言われても、自分にそんな力がないことは他でもない自分が一番理解している。だからこそ、信じられるわけがない。

 お伽噺の存在はライラックだけでいい。自分はあくまで現実世界の人間なのだ。

 リジーナはホールを通り、左側の階段を上っていく。ライラックはそれを遮ろうと大きく飛び、階段に降りたった。

「まあ別にいいじゃない。セシルみたいな輩と一緒にいたくはないし、力の有る無しに関係なくしばらく一緒にいましょうよ」

「それだったらお姉様でもいいんじゃないの」

「あなたのお姉様がどんな人かまだよく知らないけれど、アタシはあなたがいいの」

 ふん、と腕を組んで胸を張るライラックを見て、もしビアナの目の前に彼が突然現れたら、と想像してみる。

 ――ああ、なんとなく喧嘩が始まりそう。

 滅多に読書をしない姉は精霊の存在など信じないだろうし、もし仮に信じたとしてもライラックを小間使いの様に扱いそうだ。確実に彼も黙っていないだろうし、昼夜問わず場所も選ばず罵り合い、なんてこともあり得る。

 そう考えると、ライラックと会ったのが自分でよかったと思わなくもない。

「……そう言ってもらえて何よりだわ」

 とりあえず、選ばれてしまった以上は仕方がない。彼の言う通り、力の有る無しに関係なく一緒にいるのも悪くはないはずだ。

 それに、好かれるのが嫌なわけではない。昨晩フォセカに聞かれた「力になってくれないか」の答えも出せそうだ。

 リジーナは階段を上り切り、朝食でもいただきに行こうかと歩き始め、

「ねえ、そういえば」

 と隣に浮いていたライラックを見上げた。

「あの人、あの人って言ってるけど、その人の名前ってなんなの?」

 興味を持ってくれたことが嬉しかったのか、ライラックの顔が綻ぶ。

「ふふ、教えてあげましょうか。とても綺麗な人だったのよ。えっとね、」

「ああ、いたいた。リジーナ!」

 ばたばたと騒がしい足音と声が近づき、ライラックとリジーナは同時にそちらに目を向けた。廊下の奥からこちらに走ってきていたのは、白いシャツに真紅のズボンという軽装のフォセカだった。

 まだ髪を整えていないのか、あらゆる所が跳ねている。

「お、おはよう。どうしたの?」

 朝から自分を捜していたのだろうか。

「どうしたもこうしたも……朝食まだだろ」

 呆れたようなフォセカは「これ」と右手を掲げた。持っていたのは小さな籠だった。その上にかけられた白い布は所々がふっくらと膨らんでいる。

 なんだろう、と思いながらそれを受け取り、そっと布を捲る。

「わあ……」

 そこに入っていたのは、幾種類ものパンだった。

 焼きたてなのだろう、触れると温かい。ライラックもそれを覗き見て、あら、と目を細めた。

「どうしたの? これ」

「いつまでたっても食べに来ないし、心配になって部屋まで行ったら侍女しかいないし、捜し回ってたんだよ。外にいるんならそこで食べるのもいいかもな、と思って」

 そうだったのか。朝から迷惑をかけてしまった。リジーナは「ごめんなさい」と謝り、続けて「ありがとう」と微笑んだ。

 しかし、どこで食べようか。部屋で食べるのも味気ないような気がする。

 困った顔をしていたからか、フォセカは心配そうに顔を覗き込む。

「どうした? 食欲ないとか」

「そういうわけじゃ、ないんだけど。どこで食べようかなって」

 外で食べるのも良いかも知れないが、また戻るのは面倒くさい。

 パンの香りが気になるのだろう、ライラックは何度も籠に顔を近づけて目じりを下げていた。

 そうだ。

「このお城って書庫はある?」

 そう問いかけると、少しだけ考え込むように「うーん」と腕を組んだフォセカは、

「ああ、東側の塔にあるぞ」

「そこで食べても大丈夫?」

 自分の城では、母も姉も滅多に入ってこない書庫で軽い食事を済ませることが多々あった。本を汚さないように気を付けなければいけなかったが、物語や医学書を読みながら食事をするのは楽しかった。

 それが出来ればいいのだけれど、と思ったのだが、了承してくれるだろうか。不安になって見上げると、うん、と頷いてくれた。

「たぶん問題はないし、案内する」

 ついてきて、と背を向けて歩き出したフォセカの背後で、リジーナの顔がぱあっと輝く。

「ずいぶんと嬉しそうねえ」

 腰を折ってリジーナの顔を覗き込み、ライラックは不思議そうに瞬いた。

 自分の城ではそもそも書庫がそれほど大きくなかった。そのおかげで床に本を積み上げることになっていたのだ。ここは城自体が大きかったし、きっと書庫もそれなりの広さがあるだろう。

「きっと山ほど本があるに違いないわ!」

 期待を胸にフォセカの後をついて歩き、廊下の突当りにある螺旋階段を上っていく。所々に取り付けられた小窓からは海を見渡すことが出来、時折海鳥の鳴き声が聞こえた。

 最後の段を踏み、顔を上げる。目の前には玉座の間で目にしたのと似た重厚な扉が二人と精霊を待ち構えていた。

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