第12話

「それじゃあ、私は朝食を摂ってくるから」

 身支度を終え、部屋の掃除をするというアルネを残しリジーナは廊下に出た。

 左側にスリットが入ったスカートは、紺碧色の裾から天色の胸元にかけてグラデーションが施されている。昨日来ていたドレスに比べると、やや大人びた雰囲気の服装である。

 朝食を摂ってくる、とは言ったものの、腹は空いていない。折角だし城の中をぶらぶらしてみようかと思っていると、背後から「変わってないわねえ」と懐かしむ声が聞こえた。

「廊下とか壁とか、全然変わってないわ。ちょっと嬉しくなっちゃう」

 そう言いながら、リジーナの後ろで宙に浮いていた精霊が壁に触れる。

 精霊の首から伸びる薄紫色の光は、リジーナが首に下げたペンダントから伸びたままだ。

「あの……えっと、精霊さん?」

「ライラックでいいわよ」

「じゃあ、ライラック。いくつか聞きたいことがあるんだけれど」

 部屋を出て十メートルほど歩き、右に曲がった先にある階段を下に降り、踊り場で立ち止まった。

 ライラックと名乗った精霊はふわふわと浮き、リジーナを見下ろしている。

「何かしら? 何でも答えてあげるわよ、アタシが分かる範囲でなら」

「さっき私の部屋にいた時、あなたの姿は侍女に見えていなかったわ。どうして?」

「ああ、それね。アタシの姿って、そのペンダントを持ってる子にしか見ることが出来ないのよ。あなたが誰かに触れれば、その子もアタシを見ることが出来るけど」

 ということはつまり、今この現場を誰かに見られたとしたら、リジーナが一人で宙に向かって声をかけているということになるのだろう。我ながら怪しいことこの上ない。

 周囲に誰もいないことを改めて確認し、質問を続けた。

「ライラックは……男だよね?」

「難しいところねえ、どっちとも言えるから」

 それは体と口調が一致していないからという解釈でいいのだろうか。リジーナが首をひねっていると、ライラックは何か思いついたように手を叩いた。

「ちょっと見ててね」

 そう笑ったライラックはくるりと空中で後ろに回り、ふるふると首を振った。

 その姿は、

「えっ、え?」

 短かった髪は腰のあたりまで伸び、髪色も艶やかな黒色へと変わっていた。胸も大きく膨らみ、腰は細くくびれている。

 一瞬のうちに、青年の姿をしていたライラックは麗しい美女へと変貌していた。

 長い睫の目を瞬き、うふ、と腰をくねらせる。

「ほら、こうすれば女にしか見えないでしょ?」

 発された声は先ほどのものとは全く違い、高く澄んでいた。

 変わらないのは、来ていた服と目の色、そして右側で結われた一束の髪だけだ。

 驚いて声も出せないリジーナの顔を、ライラックは心配そうに覗き込む。

「ちょっと、大丈夫? あらやだ、刺激が強すぎたかしら」

「と、とりあえず、あの、胸を隠して!」

 真っ赤な顔を俯けながら、手を伸ばしてライラックの上着を引っ掴み、強引に胸を隠す。

 男の姿からそのまま女の姿へと変わったため、豊かな乳房が露わになったままだったのだ。

「どうしてあなたが恥ずかしがるのよ」

「むしろどうしてあなたは恥ずかしいと思わないの!」

「だって、今はあなたと同性じゃない」

 そうだけど、そうだけど! 思わず声を荒げてしまいそうになるが、自分が今どこにいるか、そして精霊の姿は自分以外には見えないことを思い出して口を噤む。

 リジーナがどうして狼狽えているのか理解できないらしく、ライラックはこてんと首を倒す。はあ、とため息をついたかと思うと、リジーナの手をそっと外し、自分の手で胸を隠した。

「じゃあちょっと待ってね」

 そういうと、ライラックは再び空中で回転した。

 さっきまで美女がいた場所には、まだ年端もいかない愛らしい少年がいた。相変わらず結われた髪と他二ヵ所は変わらない。

「さっきほど刺激は強くないと思うわよ?」

 ふふん、と胸を張った少年は床に立ち、リジーナを見上げる。くりくりとした瞳が実に可愛らしいが、口調のせいでちぐはぐな印象を受ける。

「あの、分かったから、最初の姿に……」

「我が儘ねえ。別にいいけど」

 あからまさに面倒くさそうな顔をしたライラックだが、素直に初めの男の姿へ変わってくれた。

「結局のところ、どちらでもないってことで良いの?」

「あなたが男であれというなら男でいるし、女であれというなら女になるけど」

「……そのままで結構」

 これ以上この事について話していると疲れてしまいそうだ。リジーナが踊り場から動き始めると、ライラックはペンダントに引っ張られるようにしてついてくる。

 階段を下りて向かった先は、先日ビアナとフォセカが楽しげに会話をしていた庭園だ。庭師が水を撒いたのだろう、咲き誇る花々は朝日を受けて輝いている。

「そういえば、お姫様。アタシ、まだあなたの名前知らないわ」

 良い香りに誘われた蝶のようにしゃがみ込んで薔薇に顔を近づけ、ライラックは目だけをリジーナに向ける。確かに名乗っていなかった気がする、と思い、リジーナもその隣で庭園を眺めながら「リジーナ・フォルティス」と名乗った。

「可愛らしい名前ね、いいじゃない」

「なんだか馬鹿にされている気分だわ」

「素直に誉めてるじゃないの」

「それはそうと」

 頬を膨らませかけたライラックを遮り、リジーナは少しだけ声のトーンを下げた。

「どうして私を選んだの?」

 ずっと聞こうと思っていたことをようやく口にし、花を見つめ続けるライラックを見下ろす。先ほどまで微笑を浮かべていた彼は、問いかけた途端に真面目な顔に切り替わった。

「聞かれるだろうとは思ったけど」と立ち上がったライラックは自分の腹を撫でた。朝食は大丈夫なのかと聞いているらしい。

 腹はまだ空いていないし、どちらかと言えば先に話を聞いてしまいたい。リジーナは静かに首を振り、周囲を見回した。フォセカやビアナもいないし、聞くなら今のうちだ。

「アタシの事、どこまで知ってる?」

「聖剣の精霊で、ペンダントに封じられているとか、それくらい」

「王子様とか話してくれなかったのね、それとも彼も詳しくは知らないのかしら」

 アタシの存在もどんどん空想化してきてるのねえ、と嘆かわしげな口ぶりだが、目は大して悲しそうではない。

「どうしてあなたを選んだのかって事よね。それを説明する前に、少し昔話をしてもいい?」

「そういうの大好きよ」

 なんだかこの国に来てから昔話をよく聞いている気がする。苦ではないし、むしろもっと聞きたいと思っている。

 ライラックは嬉しそうに微笑むと、空に浮かぶ雲を眺めつつ口を開いた。

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