第17話

「一つ、聞きたいことがあるんだけれど」

 自室へ戻る廊下を歩きながら、リジーナは隣で天井近くを浮遊するライラックを見上げた。「何かしら?」と首を傾げ、彼はリジーナの隣に降りてくる。

 リジーナは姉にペンダントを握られていたことを思い出し、改めてライラックを見つめる。

 彼の表情がコロコロ変わるのは今日一日見ていて分かった。が、自分と接している時は剽軽と言ってもいいくらい明るいライラックが、あんな冷たい顔をするなんて思ってもみなかった。

「さっきの、お姉様がライラックのペンダントを握っていた時の事を聞きたくて」

 蝋燭がほのかに照らす階段を上りつつ問いかける。何のことかと考える様にライラックは首をひねったが、すぐに思い出したのか、ぽん、と手を叩いた。

「ああ、詳しくは話してなかったかしら。ごめんなさいね」

 あっけらかんと笑ったライラックに、あの時の冷たい空気は感じられない。

「アタシってね、なんだかその人の雰囲気とか感情とか反映しやすいのよ。今はほら、リジーナちゃんの清らかな感じを受けてるからこんなだけど」

「清らか……?」

 どのあたりが清らかなのかは定かではないが、これ以上口を挟むと別の方向に話が進んでしまいそうだ。

「それで、さっきはお姉様の感情を反映していた、とか?」

「そんな感じ。ほら、言ったでしょ。セシルの手には渡りたくないって。あれ、ペンダントを持ってる人の感情を受け取っちゃって、その人と似たような性質になっちゃうからなのよ。そういう時、自分が自分じゃなくなる! って感じがするからイヤなのよね。さっきは掴まれてるだけだったからあの程度で済んだけれど」

 自分でもコントロール出来ないから、と諦めたように彼は笑う。すると何か思いついたのか、おもむろにペンダントへ手を伸ばし「今から話すことは二人だけの秘密よ」といたずらっぽく微笑んだ。

「なに?」

「状況を考えて、ちょっと心配になってきたからね」

 やはり、彼も反乱が起こることを考えて不安になっているらしい。

「それで、もしよ、もしアタシがセシルの手に渡ってしまった時。確実に聖剣を手にして攻め込んでくると思うのよ。そうなれば、アタシにはどうすることも出来ない。ただペンダントの持ち主に従うしか」

 だけど、とリジーナの手を取ったライラックは、躊躇するように何度か瞬き、意を決したように口を開いた。

「一つだけ、それを止める方法があるにはあるの。でも、出来ればしないで済んでほしい」

「……そんなに危険な方法なの?」

「危険というより、リジーナちゃんが苦しむことになるから」

「え?」

 苦しむことになる、とはどういう事だろうか。

 話すのを躊躇うように、ライラックは何度も唇を噛む。

 その手にそっと自分の手を重ね、リジーナは彼の瞳を見つめた。

「話して。大丈夫よ、きっと」

「……分かった。いい? よく聞いて――――」

 ひそひそと耳元で語られたその方法は、思っていたよりも簡単なものだった。それ故に疑問も感じる。

「本当に、それで止めることが出来るの? だとしたら、今ここでやっても」

「ダメよ! 言ったでしょう、あなたが苦しむことになるって」

 がしっとリジーナの手を掴み、ライラックは何度も首を振る。その目には、微かに涙が浮かんでいた。

 これほどまでに案じてくれているのか。リジーナはふっと微笑み、「分かった」と頷いた。

「じゃあ言われた通り、どうしようもなくなった時に使うから。それでいい?」

「ええ」

 ようやく安心したのか、彼が胸を撫で下ろしたのが分かった。

 何気なく海に面した窓から外を見ると、東の空に満月が輝いていた。城壁の北方に広がる海面がその光を反射してゆらゆらと揺れ、なんとも言い難い幻想的な雰囲気が漂っている。

「……?」

 気のせいだろうか、今、その海面に炎のようなものがちらついた気がするのだが。

 じっと目を凝らしてみるが、それ以降は何も見えない。

「どうしたの?」

「……ううん、何でもない」

 何かを見間違えたか、気のせいだったか、どちらかだろう。そう自分に言い聞かせ、リジーナは部屋に向かった。

 しばらく他愛もない話を交わし、部屋の前まで来たリジーナは扉を開けようとして動きを止めた。誰かが中にいるような気配を感じたのだ。

 ノックをしてからドアを開ける。と、ベッドメイクをしていたらしいアルネがこちらに背を向け、クローゼットの前で立ち尽くしている事に気が付いた。

 何をしているのだろうか。いつもならリジーナが入ってくると同時に笑顔で出迎えてくれるのに。ライラックも違和感を覚えたのか、何度も首を傾げている。

「アルネ? どうしたの?」

 声をかけても反応が無い。近づいて肩を叩き、そこで気が付いたのか目を丸くして振り返った。

 その瞳には、涙が溜まっている。

「ちょっ、アルネ!」

 一体何事か。慌ててハンカチを取り出すのと、アルネの瞳から涙が溢れたのは同時だった。

「リジーナ、さまぁ……う、ううっ」

 ハンカチで頬を拭いながら頭を撫でてやる。ふと目を落とすと、彼女の両手には強く握られて皺の寄った便箋が握られていた。その足元には、フォルティス国の王家が使う萌葱色の封筒が落ちている。 

 何が書かれていたのか。リジーナはアルネの手をやんわりと開き、その便箋を抜き取った。ライラックも気になるのか、肩ごしに覗き込んでくる。

 宛名も差出人の名前も書かれていない。ただ、王家の玉璽ぎょくじが押された便箋には、衝撃を受けるには十分すぎる短い文章が書かれていた。

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