第8話
パーティの余韻が残る城内を王子の部屋まで案内してくれた女官は、「リジーナ王女をお連れしました」と声をかけながら三度ノックをした。
王子が返事をするのを待って、女官は頭を下げて去っていく。
ふう、と深呼吸をしていると、内側から扉が開かれた。そこに立っていたのは、パーティの時よりもいくらか動きやすそうな服を着たフォセカだった。
「どうぞ、お入りください」
玉座の間でもそうしたように、フォセカはリジーナを室内に招き入れる。部屋には蝋燭のほのかな明かりと、暖炉で燃える炎で暖かな光が満ちていた。リジーナは恐る恐る足を踏み入れ、きょろりと室内を見回す。
暖炉の前に置かれた二人掛けのソファは向かい合う形になっており、間には低いテーブルが置いてある。
「どちらでもお好きな方へお掛けください。冷えるでしょう、何か温かいものを淹れますよ」
リジーナが窓に背を向けたソファに腰かけると、フォセカは柔らかい笑みを浮かべ、ポットとティーカップを自ら用意し始めた。
「ご自分で用意されるんですか?」
王族自らが茶を淹れる光景にリジーナは首を傾げた。フォルティスのような小国でも、王族自ら給仕をすることは無い。
暖炉で温めていたらしい湯をカップに注ぎ、彼は「趣味なんです」と小さく笑う。
「昔、母が自ら茶を用意してくれましてね。その時に飲んだものが非常に美味しくて、自分でも色々ブレンドを試しているうちに楽しくなってきたんですよ」
そんなフォセカを好ましく思いながらも、おずおずと声をかけた。
「あ、あの。一つ、伺いたいことがあるんです」
「? なんでしょう?」
「先ほど一緒に踊ってくださいましたが、直前に仰いましたよね。『国の関係にひびが入るぞ』と」
「ああ、あれですか。冗談ですよ、本気ではありません」
「そうではなく」
私が言いたいのはそのことじゃない、と首を振る。
「どちらが本当のあなたなのかと」
「……ほう?」
とぽぽ、と白い液体をカップに注いでいたフォセカが、にやりと笑った気がした。
「私の気のせいだとしたら、申し訳ありません。でもどうしても不思議で」
初めから気になっていたのだ。
この国に来て最初に挨拶を受けてから今日まで、少ないながらも会話をして、何となく王子の口調がぎこちない気がしたのだ。それに比べ、踊る直前の口調に驚いたものの、すとんと素直に受け入れることが出来た。
じっと彼の様子をうかがうと、その肩が微かに震えていた。怒りを堪えているのだろうか。声をかけるのを躊躇っていると、
「なんだ、俺が思っていたより好奇心旺盛みたいだな」
軽快な笑い声と共に、彼が振り向いた。その顔はまるで、窮屈な仮面を取り払ったかのようだった。
口調ががらりと変わったフォセカは「ミルクティーだけど」と花の模様があしらわれたカップを差し出した。どうやら怒ってはいないらしい。それを受け取り一口飲んでから、向かい側に座った彼に話しかけた。
「……なんだか、訓練された笑顔と話し方、というか。私に囁いた言葉は、王族という衣装を取り払ったかのような口調でしたので」
「仮にも王族だからな。領主やら他国の王族の前でこんな話し方するわけにはいかないし」
そう言われると、自分にはなぜ素を見せるのか気になってしまう。それが顔に出ていたのだろう、フォセカが苦笑した。
「見抜かれてんのにわざわざ畏まった喋り方しなくてもいいだろう」
「……ふふっ」
どこか子供っぽい雰囲気に、思わず笑いがこぼれた。
あなたもそうしたらどうだ? と持ち掛けられ、少し迷う。そういえば、彼の言う「王族の仮面」を被らない会話というものをアルネ以外とはしばらくしていない気がする。
相手がそうしてくれているのに、自分だけ仮面をかぶり続けるのは失礼だろう。リジーナは「そうするわ」と一つ頷いた。
「誰かとこういう風に話すのって久しぶり。侍女とはよく話すけれど……お姉様やお母様とは気軽に話せないから」
「ああ、何となく分かるぞ。あなたとビアナ王女じゃ会話も成り立たな、」
「ちょっと待って」
遮るのは悪いとは思ったが、堪え切れなかった。
「? なに」
「普通にリジーナって呼んでくれればいいの。あなた、とか言われるとなんだかむずむずする」
滅多に呼ばれないからというのもあるが、なんだか恥ずかしくて仕方がないのだ。そう訴えると、フォセカも「俺の事も普通に呼んでくれればいいや」と笑ってくれた。
しかし、
「でもあなたのが年上なんだし、呼び捨てっていうのは」
「年上って言っても一つ違いだろ? 俺がいいって言ってんだし、構わない。さすがにビアナ王女とか母さんの前だとまずいけど」
「しないよ、そんなの」
ビアナの前で親しげにフォセカと話したりしたら、あとで何を言われるか分からない。想像するだけでも面倒くさい。
表情でそれを察したのか、彼はおかしそうに笑う。
「何となく思ってたけど、リジーナとビアナ王女はあまり仲がよろしくないんだな」
「もうずっと昔だけど、私もお姉様も小さかった頃は結構一緒に遊んでいたような気もする。けど、いつの間にかこんな風になってたの」
「そういうもんなのか。俺は兄弟とかいないからなー。そういう、喧嘩とか? どんなやり取りでも、少し羨ましいなって感じる」
もしいたとしたら、ということを考えたのか。フォセカは僅かに目を細めた。
そういえば、
「どうして私を部屋に呼んだの?」
楽しい会話をするためではないだろう。それくらい何となく察している。
フォセカはやがて真剣な顔をすると、立ち上がってクローゼットの引き出しを開けた。そこから小さな白い箱を取り出すと、リジーナに差し出した。
「これを渡そうと思ったんだ」
リジーナはそれを受け取り、そろそろと蓋を開けた。
そこにあったのは、
「これって、昨日の」
「そうだ、玉座の間で手に取ったペンダントだ」
フォセカは椅子に腰を下ろし、ティーカップを手にした。
箱の中で存在感を主張するペンダントの輝きは昨日と変わらない。リジーナが戸惑っていると、彼はゆっくりと数年前の内乱の事を教えてくれた。
その話を聞くのは二回目なのだが、とある青年にその話を聞きました、とは言えない。そのまま大人しく聞いていると、フォセカはペンダントを指さした。
「そのペンダントには精霊が宿ってるんだ」
「……は?」
思ってもいなかった話をされ、つい呆けた声を出してしまう。しかし彼はいたって真面目な顔をしていた。
「正確には、聖剣に宿っていた精霊をそこに閉じ込めてあるんだ」
「ちょ、ちょっと待って」
理解が追い付かず、つい掌を出して制止してしまった。
「精霊ってなに? そんなの本当に存在するの?」
「俺だって理解するのに時間がかかったし、疑う気持ちは分かる。でも事実なんだ」
とりあえず進めるぞ、とフォセカは小さく咳払いをする。
「父さんの弟……叔父が使っていたあの聖剣は、精霊に認められた人物じゃないと操れなかった。けど精霊が『こいつとはもうやっていけない』って見限ったら聖剣は使えなくなる。叔父はそんなことが起きないように、精霊が勝手に宿主を変えないようにペンダントに封じ込めた。そうすることで、精霊がペンダントを持った人物に宿ることしか出来ないようにしたんだ」
「でも、これを壊せばその、精霊とやらを解放出来るんじゃないの?」
「残念ながら」
どこか悔しげなフォセカはティーカップを取り、一口だけミルクティーを飲んだ。
「昔この国に高名な呪術師がいてさ。叔父はその人に頼んで、精霊をここに封じ込めたんだ。壊そうと思っても簡単に壊れないし、もし壊せばここに宿る精霊も死ぬらしい。どうにか出来ないかって呪術師を訪ねたけど、流行り病で数年前に亡くなってた。そのせいで、今じゃ精霊を解放する手段を知ってる人は誰もいない」
その苦労を思い出したのか、彼は長い溜息をついた。
リジーナはペンダントに目を落とす。こんな小さなものに精霊が閉じ込められているとは思えない。
「そういえば、弟君の力は強大だったのよね? でも、お父様は弟君に勝ったって」
「母さんが助けたからだ」
王妃が? 思わず声に出すと、フォセカは深く頷いた。
「このままじゃ小さなかった俺も危ないし、父さんも危ない。そう思った母さんは咄嗟に動いていたそうだ。気が付けば、母さんの手には弟の首から下がっていたペンダントがあったんだと」
「それって、奪い取ったってこと?」
「ああ、必死でな。その結果、弟からは精霊が離れ、力が落ちた。父さんはその隙を狙って深い傷を負わせ、弟を負かしたんだ」
結局、父さんも死んじまったけどな。そう締めくくったフォセカの顔には、悲しみが浮かんでいる。
「じゃあもし仮にね、私が今これを持っているわけだけど、玉座の間にあった聖剣を使おうと思えば使えるってことなの?」
「ああ、無理だ」
「え?」
言っていたことと矛盾していないか。リジーナは首を傾げ、疑問の意を伝えた。
「あそこにある聖剣は、本物じゃないんだよ」
「偽物ってことなの? 国王の象徴が?」
「弟が行方不明って言ったろ。聖剣は弟が持ってるんだ」
しかし、国王の象徴が行方不明ということが国民に知られたらまずいと考えたエリアナは本物そっくりの剣を作らせ、玉座の間に掲げたのだそうだ。
精霊が宿っていた聖剣は行方不明で、肝心の精霊はペンダントに閉じ込められたまま。まるで恋人同士が離れ離れになったようだと思った。
「ペンダントは盗まれないようにと母さんが保管していた。けど、体が弱くなってからは俺がその役目を負っていたんだ」
「どうしてそんな大事なペンダントを、私や姉の前に出したのよ」
「母さんが提案したんだ。もしかしたら、選ばれるんじゃないかって」
「選ばれる?」
どういうことか。眉を顰めて問いかけると、
「母さんに聞いたことがあるんだ」
フォセカはペンダントを指さし、至極真面目な表情で続けた。
「ペンダントが光るとき、それは精霊が宿主を選んだときだ」
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