第9話

「ペンダントが光るとき、それは精霊が宿主を選んだときだ」

 エリアナの声色を真似しながら告げられた一言を飲み込むには時間がかかった。

「昨日、リジーナがペンダントに触れた時に一瞬だけ光っただろ。それはつまり、精霊がリジーナを宿主にするって決めたってこと」

「えら、んだ?」

「ああ」

「精霊が、私を?」

 うんうん、とフォセカが頷くたび、リジーナの頭上に疑問符が浮かぶ。

 選ばれるなんて、理由が思いつかない。それに自分はこの国の人間ではないし、生まれも育ちもフォルティス国だ。ガニアン国に来たのもつい昨日の事だし、精霊の事だって今日知ったばかりなのに。

 とりあえず頭の中を整理しよう、と目を閉じて、「あっ」と、直接関係のないことを思い出した。

 突然どうしたのだろうと首を傾げたフォセカに、リジーナは折りたたまれた紙を差し出した。

「これを、あなたに渡しておいてほしいって言われて」

 それはアリウムに渡された紙だった。フォセカは「俺に?」と不思議そうな顔をしながら受け取り、紙を開いた。

「誰からだ?」

「祝宴の時に会ったアリウムって人。黒い髪で、瑠璃色の目をしてて……年齢はあなたと同じか、少し下かってくらい」

 何度も名前を口にしながら、フォセカは暖炉を見つめて唸った。

「知らない名前だな……外見にも心当たりはないし。でも向こうは俺を知ってる、と。まあ王子だし当然か。とりあえず読んでみる」

 立ち上がったフォセカは暖炉のそばに行き、じっくりと文面を見つめる。その目が徐々に見開いていき、紙をくしゃくしゃに丸めて暖炉へと放り込んだ。それほど腹を立てたのか、あるいは知られたくない重要なことでも書いてあったのだろうか。

「なんだったの?」

 考え込むように唸った彼は「……誰にも話さないと約束できるか」とリジーナの目を見つめて問いかける。

「ええ。約束する」

 それを見つめ返しながら即答し、やがて天井を仰いだフォセカは、いくらか深刻そうな顔をして椅子に座った。

「……長い間なりを潜めていた亡き国王の弟が、最近動き始めている。そろそろ二度目の反乱が起こるだろうっていう警告だった」

「それは信じられる話なの?」

「単なる噂かも知れないし、どこまで信用していいのか分からないけどな。火のないところに煙は立たないっていうだろ」

 かつて起こった反乱では多くの人が亡くなったはずだ。もしまたそれが起これば、少なからず犠牲になる人々がいるだろう。

 やがて自分の中で結論が出たのか、黙りこくっていた彼は真剣な顔をしてリジーナを見つめた。

「リジーナはこの国の人間じゃない、ましてや王族だっていうのをしっかり理解した上で頼みごとがある」

「な、なにを」

 何か嫌な予感がする。

「もし反乱が起こったら、力になってくれないか」

 頼む、と深く頭を下げたフォセカに、リジーナは「そんなの無理だよ!」と立ち上がっていた。

「力になるって、どうやって!」

 自分でも予想していなかったほどの大きな声が喉から溢れる。

 フォセカは冷静な目でリジーナを見つめ、

「戦ってくれとは言わない。ただ、精霊に選ばれたのは事実なんだ。精霊が叔父の手に渡らないように力になってほしい」

「そ、んなこと、いきなり言われても」

 私にできることなんて、何もない。知らぬうちにリジーナの肩は震え、言葉も小さくなっていった。

 そう簡単に頼みを聞き入れてもらえるとは思ってはいなかっただろう。しかし、面と向かって拒否されるとやはり落ち込むのか、ため息をついたフォセカは悲しげに目を伏せた。

「今すぐに結論を出せとは言わない。けど、ペンダントだけは持っていてくれ」

 立ち上がったフォセカは、リジーナの手に収まるペンダントの表面を人差し指で撫でた。

 ペンダントの中にいるという精霊が反応するのではないかと思ったが、何も起こらない。

 この国の人間であるフォセカやエリアナは、精霊に選ばれなかった。どうして部外者である自分が選ばれたのか。

 どれだけ考えても、答えは出そうにない。

 すっとリジーナの髪に手を伸ばしたフォセカは、

「今日はもう遅いし、部屋に戻ったほうがいい。返事が決まったら、また聞かせてくれ」

 首筋にかかっていた髪をそっと指で払い、悲しそうな顔で囁くように言った。

「……期待はしないでね」

 弱々しい声で返すと、フォセカは僅かに頷いた。リジーナはペンダントを首にかけ、小さく礼をし、彼の顔を見ないようにしながら廊下へ出た。

 重い音を立てて閉まる扉の向こうで、彼はどんな顔をしているのだろう。そう考えると、胸が苦しくなった。

 けれど、自分は非力だ。例え精霊に好かれたとしても、剣を持ち上げることさえ出来ないだろう。彼の言うような力にはなれるはずがない。

 ぼう、と揺れる蝋燭の炎が並ぶ仄明るい廊下を一歩ずつ歩きながら、リジーナは鎖骨の下で揺れるペンダントを小さく握った。

 ――ねえ、もし本当にあなたが存在していて、私を選んだというなら教えて。私はいったいどうすればいいの?

 自分を選んだというのなら、精霊が何か答えてくれるのではないか。そう淡い期待を抱くが、どれだけ待っても何も起こらない。

 精霊なんて、本当にいるのだろうか。彼もエリアナもその姿を見たことはないようだし、それこそ思い込みなのかもしれない。

 いや、フォセカたちがあそこまで言うからには本当なのだろう。リジーナは何度か首を振り、ため息をつきながら自分に与えられた部屋の扉を開けた。


 一方、フォセカの部屋の扉、その近くで腕を組む女がいた。

「どういう事なのかしら」

 夜闇に溶け込むような低い声は、廊下に一切響かない。女は声量に気を付けながら、つい先ほど部屋から聞こえていた会話をぶつぶつと整理する。

「精霊? リジーナが選ばれた? 反乱が起こる? 理解しがたいわね」

 数分前に王子の部屋を出て行ったリジーナの背を思い浮かべながら、女――ビアナは壁にもたれた。

 パーティの最中、自分が小休憩をとっている間にリジーナは王子と踊っていた。悔しいが、妹の踊りは自分のそれよりも数倍まともだった。周りからの拍手も大きく、どこか負けた気分だった。

 二人が踊り終えたところでフォセカに話しかけようと思っていたが、彼は領主たちのもとへ行ってしまった。その去り際に彼は妹に何かを囁いていた。

 その時は大して気にしていなかったのだが、なんだかもやもやとして城内を歩き回っていた際、王子の部屋に入って行く妹を見つけてしまったのだ。

 二人きりなんて許さない。彼は私のものよ。私の方が魅力的じゃない。

 不貞腐れて部屋に帰ろうかとも思った。それでもこの場に残ったのは、二人の会話が気になったからだ。

 漏れ聞こえた話はいまだに信じがたい。けれど、彼が嘘をついているようには思えなかった。

「……難しい話だわ」

 はあ、とため息をつき、背筋を正す。

 彼はビアナではなく、リジーナに協力を頼んだ。しかし妹はそれを拒否し、部屋を出て行った。

「私なら協力してあげられる」

 でも、その為にはどうすれば。

 確かペンダントには精霊が宿っているだとか何とか言っていたはずだ。あれがあるから、フォセカは彼女に頼んだのだ。

 それなら……。

 ビアナは唇をぎゅっと引き結び、リジーナとは反対方向に歩いて行く。

 その後ろ姿を、瑠璃色の瞳が見つめていた。

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