第7話

「踊らないの?」

 不思議そうに問いかけられ、リジーナは「そうですね」と力なく微笑んだ。

「女性の私から『踊りませんか』と言うのは恥ずかしいですから」

「ふうん。踊りたくないわけじゃないんだ」

「……私、こういうパーティって初めてで、少し緊張してるのかもしれません」

「まあ緊張は悪いことじゃないし。そんな恥ずかしそうにすることないと思うよ」

 あっけらかんと笑うアリウムに、リジーナもつい頬が緩む。

「そういえばさ」内緒話でもするように声を潜めた彼が、リジーナの耳元で続けた。「気づいてる?」

「え?」

 言われている意味が分からず、きょとんとしてしまう。アリウムは視線で部屋の中央を示し、

「王子様、さっきから君を見ているようだけど?」

 悪戯っぽく笑った。

 どういう事だろう。何となくダンスを踊る姉たちに目を向けると、フォセカと目があった。何度かそれが繰り返されるうちに、気のせいではなかったことに気付く。

 確かにアリウムの言う通り、彼は何度もリジーナを見ているようだった。

 いや、でも、やっぱり気のせいじゃないかな。踊ってるんだし、たまたま目があったとかそういう事なんじゃ。

 ぐるぐると考えるリジーナを見ていたアリウムは小さく微笑み、話題を変えるようにパチンと指を鳴らした。

「ねえお嬢さん。踊らないんならさ、少しだけ僕とお話ししない?」

「え?」

「この国の歴史とか、そういう話なんだけど」

「歴史、ですか」

 どうだろう、と首をひねる。隣国ではあるし、多少なら聞いたことはある。

 ――でも前王が亡くなったことも知らなかったし、本当の事は何も分かっていないのかもしれない。

 躊躇うリジーナに、アリウムはにっと嬉しそうに白い歯を見せた。

「じゃあ折角だし教えてあげようかな。歴史って言っても、そんな昔の事じゃないよ。それでも良ければ」

「ええ、是非」

 パーティに退屈していたわけではないが、何だか味気ないと思っていたのも事実だ。自分の興味を惹かれることを話してくれるのならば、ありがたく聞こう。

「二十数年前だけどね、この国と東の国との間で大きな戦争があったんだ。それに勝利したわけだけど、その時に活躍したのが若かりし女王陛下の夫、つまり亡くなった前王だね。そしてもう一人」

 ぴっと人差し指を立て、

「聖剣を操ることが出来た王の弟。本当の意味で国を護ったのはこっちだった」

「聖剣?」

 どんな代物だろう。首を傾げると、アリウムは自分の目を指さした。

「君も見たはずだよ。玉座の間に飾られた王の象徴である純白の大剣さ。王の弟はあの大剣を操り、一人で何千人もの敵を倒したと言われてる」

 言葉と共に、リジーナは大剣を思い出す。

 あれが聖剣だったのか。

「で、話の続きね。やがて兄弟の父である王が亡くなって、後を継いだのは兄だった」

「え、でも」

 王の象徴である聖剣を操っていたのは、弟ではなかったか。

 疑問が顔に浮かんでいたらしく、アリウムは渋い顔で首を振った。

「単純に生まれた順番の問題だよ。深い意味はなくてね。当然弟は王の地位を羨んださ。『兄さんは聖剣を操れないのに』ってね。けどね、あくまで『王の象徴』であって『聖剣を操れるかどうか』は王位継承の条件じゃない。そもそも、この国で王を務めた大半の人物は聖剣を操れなかったそうだよ」

 言われてみれば、確かにその通りかもしれない。象徴であればいいのだから、携えてさえいれば、あるいは玉座の間でもそうであったように他人の目に入りさえすればそれでいいのだろう。

 なるほど、と納得しているうちにも、彼は話を続けていた。

「弟だって最初は『仕方がない』って思い込もうとした。でも、そんな無理やり抑えた感情はいつか爆発する。ちょっとした感情の行き違いは、深刻な対立へと変わっていった。そして数年後、弟は傭兵とか、自分に従う民族や騎士を伴って反乱を起こしたんだ。当然国王である兄も応戦したよ。国王には妻と息子――今のエリアナ妃とフォセカ王子がいたからね、弟はそれを狙ったんだ。家族を守りながらじゃあ、向こうは戦いにくいだろうって」

「でも、兵の方が王をお守りしたんでしょう?」

「聖剣を操って何千人もの敵兵を倒した男に、普通の兵が勝てると思う?」

 うーん、と考え込んで、難しいだろうと首を振った。

「最終的に兄弟の一騎打ちになった。国王は妻と息子を逃がそうとしたけど、弟が王子を人質に取ったんだ」

 その光景を何となく思い浮かべてみる。

 泣き叫ぶ幼い王子、息子の名を呼ぶ愛しい妻、血走った眼で自分を狙う弟。

 果たして王は、どんな思いで戦ったのか。

「結論から言うと、兄が勝利した。聖剣の操り手で絶対的な自信を持っていた弟は油断したところを……ね。彼は敗走して、国には平和が戻った。けれど、兄はその時に受けた傷が原因で二年後に亡くなってしまってね。まだまだ幼い王子に国を背負わせるわけにはいかない。結果、王妃が摂政となった」

「そう、だったんですか」

 思いもよらなかったこの国の歴史に驚きを隠せなかった。

 まさか、王の弟による反乱があったなど。

 フォルティス国で反乱が起こったことなど一度もない。小さな国ではあるが、平和ではあったのだ。

「その弟君は、どこへ」

 王に反旗を翻したのだ。いくら王族で王の弟と言えど、処刑は免れないだろうに。

「それがさー、行方不明なんだよね。また国を奪うべく力をつける為に身を潜めているともされるし、逃げている最中に殺されたっていう説もある」

「捜しだしたりは、しないんでしょうか」

「もちろん捜してるみたいだよ。だけど、まだ見つかってないみたい。僕もあんまり詳しくないから何とも言えないや」

 ごめんね、と謝ったアリウムは悲しそうに目を伏せた。それを見たリジーナは努めて明るく微笑んだ。

「いえ、教えてくださってありがとうございます」

「楽しんでくれた? っていうのもおかしいな。なんだろう、面白かった?」

「ええ、とても」

 音楽はまだ終わらない。緊張も解れてきたし、せっかくなのだから会話を続けようとリジーナは話題を振った。

「アリウムさんはこの国の方なんですか?」

「うん、そうだよ。生まれも育ちも、ね」

 そこまで言い、彼は何か思い出したように上着のポケットから折りたたまれた小さな紙を取り出した。

 それを差し出されるが、受け取っていいのか分からず「え、あの」と口籠ってしまう。

「これを渡しておいてくれないかな」リジーナの耳に口を寄せ、指先をフォセカに向けた。「あそこで踊り続けてる王子に」

「えぇ、構いませんけれど……でも、なぜ自分でお渡しにならないんですか?」

「ちょっと事情があってね」

 しー、と唇に人差し指を当てる茶目っ気を見せるアリウムにそれ以上何も聞けず、おずおずとそれを受け取った。

 と、それまで流れていた長い曲が終わり、拍手が上がった。

 リジーナもそれに倣うように手を叩き、向かい合って笑いあう姉と王子を見遣った。

 折角だし、自分もそろそろ踊ろうかな。そうだ、アリウムさんなら。

「あの、よろしければ」

 一緒に踊っていただけませんか、と言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 いつの間にか、隣にいたはずのアリウムがいなくなっていた。まるで初めからいなかったかのように錯覚したが、手元には彼が残した手紙と思しき紙が残っている。

 周りを見回してみるが、あまりの人の多さに後姿さえも見つけることが出来ない。

 いなくなるならせめて何か一言残してくれたっていいのに。振り絞ろうとしていた勇気のやり場に困り、床に目を落とした。

「リジーナ王女」

 落ち込んだ矢先に突然名前を呼ばれ、

「あ、……え」

 目の前に立つ人物を認識すると同時に目を逸らしてしまった。

「一曲、踊っていただけませんか?」

 優しい瞳と共に問いかけてきたのは、ついさっきまで姉といたはずのフォセカだった。

「ずっと壁際にいらっしゃいましたが、ダンスは苦手ですか?」

「そんなことは、ないんですけれど」

「では、是非」

 白い手袋に包まれた手を差し出されるが、リジーナは「でも」と躊躇った。

 何気なくビアナを見ると、さすがに疲れたのかグラスを片手に休んでいた。

 しまった、これで「もう少し姉と踊ってはいかがでしょう」と言えなくなった。踊りたくないわけではないが、もし仮に彼と踊れば姉に何を言われるか分からない。

 フォセカには悪いが、どうにかして断らなければ。

「どうなさいました?」

「いえ、私などお気になさらず……」

 ダンスは苦手なんです、と言おうにもついさっき「苦手ではない」と言ってしまった。

 おろおろと胸元まで手を持ち上げると、ぱし、と手首を取られた。

 ひょっとして怒らせてしまったか。ぐいっと顔を近づけられ、つい身構えてしまう。

 と、

「国の関係にひびが入ってもいいのか?」

 周囲の誰にも聞こえない程度まで落とされたその声は、とても同じ人物から発せられたものだとは考えられなかった。驚きのあまり呆けてしまう。

 その一瞬の隙に、ぐいっと部屋の中央まで引き出されてしまった。それと共に音楽が流れ始める。

「ちょっと、あの」

「お気になさらず。これが最後の一曲ですから」

 先ほどの口調など嘘だったかのように微笑むフォセカは、心なしか嬉しそうに見える。

 バイオリンの旋律に乗り、二人でくるくると踊る。大勢の人に見られているという緊張感も次第に解れ、楽しくなってきた。

 やはり心の奥底では退屈していたのだろう。曲に乗って踊るのがとても爽快だった。

 それに。

 ――私を気にかけてくれる人なんて、アルネ以外に初めてじゃないかな。

 公務に追われる父と、姉ばかりを可愛がる母。そして愛情をたっぷり受けて育った姉に囲まれていた自国では、侍女以外にまともな話し相手などいなかった。自分自身も書庫に籠っている事が多く、他人と話す機会も少なかった。

 けれど彼は、謁見の時も今も、リジーナを気にかけてくれている。王子としての務めだからなのか定かではないが、嬉しいのは確かだ。

 しかし、楽しい時間ほど早く過ぎる。気が付けば旋律は止み、周囲からは拍手が沸き起こっていた。

「ありがとうございました。楽しんでいただけましたか?」

「少し疲れましたけれど、大変楽しめましたわ」

 どこかすっきりとした気分で周囲を見回し、はっとアリウムから渡された手紙の事を思い出した。

「フォセカ様、少しよろしいでしょうか?」

「?」

 これを、と渡そうとして、違和感に気が付いた。

 そういえば私、あの手紙をどこにしまったんだっけ。

 鞄も持ってきていないし、フォセカと踊る前は持っていたはずだが。慌てて自分が立っていた壁際に目を向ければ、そこに四角い紙が落ちていた。

 急いで取りに戻ろうとしたが、「リジーナ王女」と呼び止められてしまう。

「大変申し訳ないのですが、領主の方々とお話をしなければなりませんので」

「あぁ……すみません、引き留めてしまって」

「いえ、お気になさらず」

 もう一度だけ「ありがとうございました」と微笑んだフォセカは背を向け、去っていこうとする。

 どうしよう、渡せなかった。頼まれたのに、と思っていると、

「そうだ、お伝えしなければならないことがあるんです」

 立ち止まった彼は再びこちらに話しかけてきた。

「祝宴が終わった後、私の部屋に来ていただけませんか? 案内は女官にさせますのでご安心を。それでは」

 それだけ言い残すと、フォセカは近くにいた恰幅の良い男性のもとへ行ってしまった。

 王子の部屋に呼び出されるとは予想だにしていなかった。しかし、あれを渡すにはちょうどいい。リジーナは壁際まで戻り、手紙をそっと拾い上げる。

 幸い誰にも踏まれず、気付かれることもなかったようだ。

 手紙の事ばかり考えていたリジーナが、その背中を妬ましげに睨むビアナに気付くことはなかった。

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