第5話
あまりの驚きに開いた口が塞がらない。しかし、ペンダントの光はすぐに消え、気のせいだったのかと思いながら恐る恐る顔を上げる。
「あの、えっと……」
戸惑いがちに向けた視線の先では、エリアナとフォセカが驚いたように顔を見合わせていた。隣のビアナは自分のネックレスに目を奪われ、こちらに気が付いていなかったらしい。
やはり気のせいではなかった。つい癖で「すみません」と何度も口にしながら、ペンダントを元の場所に戻そうとする。
「待ってください」
ぱし、とリジーナの手首がフォセカに掴まれる。
何か良くないことをしてしまった。そう思い込んだリジーナは頭を下げそうになるが、覗き見たフォセカの目は、決して怒ってはいなかった。
「あ、あの」
「是非、是非ともこれを受け取ってください」
言うなりフォセカは押し付けるようにしてリジーナの手にペンダントを握らせた。
「えっ、でも、どうして」
「あなたに受け取ってほしいのです」
彼の真摯な目に心が揺らぐが、しかし。
「う……受け取れません」
リジーナはそっと宝石台にペンダントを戻し、消え入りそうな声で続けた。
「私には勿体ない代物です。お気持ちだけでもありがたく頂戴します」
彼女自身、それを受け取りたくなかったわけではない。拒んでしまった理由も分からない。理屈ではなく、今の自分が受け取ってはいけないものだと感じたのだ。
一方のフォセカも無理強いはできない、と思ったのだろう。
「もし気が変わりましたらお声をかけてください。お持ちいたしますから」
そう言い残し、エリアナの隣に戻っていった。
せっかくの贈り物を断るだなんて失礼な。そう言いたげに、ビアナは責めるような視線を向けてくる。
私だって、失礼なことをしてしまったと思ってるわ。けど、どうして拒んだのか自分でも分からないの。その思いを胸の奥に秘め、ドレスをきゅっと握った時だった。
「ケホッ、ケホケホ」
はっと顔を上げると、王妃が屈みこむようにして咳き込んでいた。
ひょっとして、あまり体調がよくないのだろうか。摂政としてそんな素振りを見せないように努めていたのかも知れない。
リジーナの心配げな視線に気づいたエリアナは、大丈夫です、と口だけ動かした。そうは言っても、顔色が良くないのが見て取れる。
フォセカもずっと気にかけていたのだろう。甲斐甲斐しくエリアナの背を撫でながら、こちらには聞こえないほど小さな声で何か喋っている。落ち着いたのか、「見苦しいところをお見せしてしまいましたね」と詫びを入れた。
「それでは、これからお二人をそれぞれのお部屋にご案内いたします。荷物は全て部屋に運ばせてありますのでご安心を。フォセカ、案内して差し上げて」
「分かりました」
お大事になさってください、と声をかけるべきか悩んでいるうちに、横を通り抜けたフォセカに「どうぞこちらへ」と手招きされてしまった。リジーナとビアナはスカートをつまんで膝を折り、フォセカの案内に従って与えられた部屋に向かった。
三人と入れ替わるようにして、薬箱を携えた侍医と侍従が王妃のもとへ駆けて行った。
案内された部屋で迎えた朝は、自国で目覚めるよりも遥かに清々しいものだった。天蓋付のベッドから降りたリジーナは大きく伸びをし、日差しを遮っていたカーテンを開けた。
目の前に広がるのは、色鮮やかな花が咲き誇る美しい庭園だ。使用人が撒く水を浴び、朝日を受けて輝く様は何とも言えぬ美しさがある。
東屋もあるようだし、あそこで本を読んだら素敵な気分に浸れるかもしれない。そう考えるだけで楽しくなってくる。
「失礼します」
こんこん、と扉をノックする音に、リジーナは「どうぞ」と短く答える。入ってきたのは侍女のアルネだった。
「おはようございます、リジーナ様」
「んん……おはよう」
アルネは一礼して「眠れましたか?」と問いかけた。
「ええ。自国にいるとお姉さまが大声で起こしに来るけれど、それもなかったし。ベッドもふかふかだったわ。そういえば、昨日お姉さまの侍女は私たちと一緒にいたけれど、アルネはどこに?」
「リジーナ様とビアナ様のお部屋に荷物を運んでおりました。衛兵の方も手伝ってくださったので、それほど大変ではありませんでしたよ」
ということは、昨日フォセカが衛兵に耳打ちしていたのはこの事だったのだろう。
一人で納得していると、アルネがクローゼットの戸を開いた。そうだ、そういえばまだ着替えていなかった。
パーティが行われるのは今日の夜だ。それまでは動きやすい服でも構わないはずだ。それを察してくれたのか、彼女が用意したのは淡香色のドレスだった。
装飾も少なく地味なものだが、動きやすくて軽いし、お気に入りの一着でもある。
着替えを手伝ってもらい準備を終えたところで、さてこれからどうしようかとリジーナは窓に寄った。
――そうだ。
「ねえアルネ、私、ポーチを持ってきてたわよね?」
「ええ、ここに」
運び込んだ荷物の中から褐色のウェストポーチを持ち上げたアルネからそれを受け取り、腰に巻き付ける。
昨日は謁見があったために外していたが、普段はポーチを身に着けている。その中には、採取した薬草や医学に関するメモが詰め込んであるのだ。
「昨日の王妃様の様子を見て、ちょっと気になったの」
「お体の具合が悪いのではないか、ということですか」
「ええ。単なる風邪かも知れないけれど、念のため薬をお渡ししようと思って」
幸いなことに書物も持ち込んでいる。薬草もある程度は持ってきているし、何を処方するかは実際に様子を見てから考えればいい。
髪も整えてもらい、部屋から出ようとドアノブに手を伸ばすと、庭園の方から聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。
ひょっとして、と思いながら窓に駆け寄り外を見る。そこにいたのは、銀朱色のドレスを纏ったビアナと、私服と思しき動きやすそうな琥珀色の服を着たフォセカだった。
庭の案内をしてもらっているのか、フォセカは時折腕を上げて花を指し、何か喋っていた。そのたびにビアナは興味深そうに頷いているが、視線が彼から外れることはない。
「あからさますぎないかしら」
花の説明をされているときくらい、しっかりそれを見ればいいのに。
つくづく思うことではあるが、ビアナは演技が下手だ。昨日のネックレスを手にした時には、少々わざとらしいと思うほどの声を上げていた。
そんな事を考えていたせいだろうか、
「リジーナ様?」
アルネに声をかけられ「何でもないわ」と手を振り、庭園に背を向けた。
「それじゃあ、ちょっと行ってくる。そのついでに食事も済ませてくるから」
「お気をつけて」
部屋の整理をするという彼女を一人残し、リジーナは廊下に出た。
入り口のホールの床とは違い、廊下は薄鈍(うすにび)色の石が敷き詰められていた。所々には額に入れられた風景画が飾られており、つい足を止めて見入ってしまう。
そのうちの一つに、先ほど自分が見ていた庭園を描いたものがあった。春先の光景だろう、愛らしいチューリップが咲き誇っている。
それにしても、ビアナはいつの間に王子と親しくなったのか。
昨日玉座の間から退室した後、食事の時以外は彼に会っていない。姉の事だ、積極的にフォセカに会いに行っていたのだろう。それとも、朝食の時に案内を頼んだのか。
別に羨ましいとは思っていないが、どこかもやもやとする。
リジーナは小さくため息をつき、時折絵画に足を止めつつ、歩き出した。
「ちょっといいかな」
絵画に気を取られていると、突然背後から声をかけられた。驚きのあまり「えっ」と声を上げて振り返ると、
「これ、落ちてたよ」
フードの下で瑠璃色の瞳を細めて微笑む青年と目があった。
鉛色のローブを纏った青年は、差し出した手に乾燥した薬草を摘まんでいた。いくつも束ねられたそれには、効果を判別させるための黄色い紐が巻いてある。
「君のでしょ?」
「えっ、あ、すみません!」
慌ててそれを受け取り、ポーチの中にしまい込む。詰め込みすぎたあまり零れ落ちてしまったのか。
そうだ、早く王妃の部屋に行かないと。リジーナはハッと我に返り、「ありがとうございました」と青年に頭を下げ、少し駆け足で廊下を進んだ。
一方、廊下に立ち尽くした青年は、形のいい唇をにっと歪める。
視線の先では、異国の王女が躓きそうになりながら廊下を曲がるのが見えた。
「そそっかしいお嬢さんだねえ」
くす、と笑った青年の呟きは、誰の耳にも入らなかった。
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