第3話

 三人はエントランスを通り抜け、広いホールに出ていた。見上げれば首を痛めてしまいそうなほど高いアーチを描く天井には愛らしい天使たちが描かれ、その中心からはシャンデリアが下がっている。

 その輝きを反射するかのような大理石の床に敷かれた茜色の絨毯は、目の前の広く大きな階段まで続いている。階段は踊り場を境に左右に分かれ、フォセカは二人を左側の階段に導いた。

 踊り場の壁には、立派な金色の額に入れられた若い男女の肖像画が飾られていた。椅子に座った女も、その傍らに寄り添う男も、幸せそうな頬笑みを浮かべていた。

「素敵な肖像画ですわね」

 階段を昇りながら絵を見上げ、感嘆の吐息とともに「国王陛下御夫妻ですの?」とビアナが問いかける。

「男性の髪色がフォセカ様と同じ色ですもの」

「若い頃の父と母です。私が生まれる前に描かれたと聞いております」

 ――あれ?

 行きましょうか、と左側の階段を上っていくフォセカの横顔を見て、リジーナは首を傾げた。

 気のせいかしら。一瞬だけ、彼がとても悲しそうな顔をしていたような気がするのだけど。

 こんな場所で「どうかしましたか」と聞くわけにもいかず、リジーナは二人から引き離されない様に歩きながら、考えていたことを胸の奥に押し込めた。

 その先にあった廊下には、一定間隔で黄金の燭台が据え付けられていた。その一つ一つには花開く前の蕾のような装飾が施されている。毎日召使いたちが丁寧に磨いているのだろう、まるで据え付けられたばかりのように美しく輝いていた。

 突き当りを右に曲がると、そこにも同じような燭台が並んでいた。よく見ると、ついさっきまでは蕾であった部分が、ここでは少し膨らんでいる。

 さらに進み、上階へと続く螺旋階段の前を右に曲がった。そこから続く廊下の中央には別の螺旋階段があり、躓いてしまわないよう気を付けながら上がっていく。

 ここにも並ぶ燭台は、見事に花開いていた。

「ぶっ」

 装飾に見とれてしまい、二人が立ち止まった事に気がつかなかった。リジーナはビアナの背にぶつかり、じわじわと痛む鼻を抑えた。

「はしたないわよ、よそ見するんじゃないの」

 ビアナに小声で叱られ、

「す、すみません」

 リジーナも同じように小さな声で謝る。

 二人のやり取りを不思議そうに見るフォセカだったが、僅かに首を傾げただけで特に何も言わなかった。

 それにしても、なぜ急に立ち止まったのか。それは顔を上げればすぐに分かった。

 すぐ目の前に、金で縁取りを施した黒檀の地に、花開く植物や羽を広げるグリフォンを浮き彫りにした両開きの扉があったのだ。

 その銀色の取っ手には王家の紋章が刻まれている。

「ここが玉座の間です」

 言葉とともに、フォセカが扉を三回軽く叩く。

 この部屋に国王がいる。そう考えた途端に膝が震えた。そっと横目で見た姉の顔も、自分ほどではないにせよ緊張していることが分かった。

 やがて、重い音を立てて扉が内側に向かってゆっくりと開かれた。

 フォセカは立ち尽くす二人を落ち着かせようとしてくれたのか、優しく微笑むと「どうぞ中へ」と誘う。入り口の両端にはずらりと召使いたちが控え、恭しく三人を招き入れていた。

 背筋を伸ばして進んでいくビアナから一歩遅れ、リジーナは奥歯をかみしめながら部屋に足を踏み入れた。それと入れ替わる様に、召使いたちは静かに退室していく。

「ようこそいらっしゃいました。フォルティス国王女ビアナ様、リジーナ様」

 凛とした声が、二人の耳に届いた。

 入り口から奥に向かって伸びる留紺色の絨毯。その先に、二、三段の短く低い階段があり、その上の黄金の玉座に腰かける女性がいた。

 蒲公英のような色合いの髪はさらりと伸び、珊瑚色のドレスによく映えている。その顔には、あの肖像画と同じ微笑みが浮かんでいた。

 その美しさに見とれ足を止めてしまったリジーナだったが、姉に肘を小突かれ、我に返って歩き出す。

 フォセカは段上の玉座に並んで立ち、二人を迎える姿勢をとる。リジーナとビアナは段の下で膝をかがめて一礼した。

「私はこの国の摂政、エリアナ・ガニアンと申します。本日はようこそいらっしゃいました」

 どうぞ顔を上げてくださいな、と声がかけられる。

 おずおずと顔を上げたリジーナは、玉座の背後に目を奪われた。

 玉座の背後の壁に、鞘のない一本の大剣が二人の王女を迎えるように掲げられていた。

 柄から剣先まで純白のそれは、光の当たり方によって時折白藍色の輝きを帯びる。柄頭には拳ほどの大きさの水晶が埋め込まれ、精巧な細工を施された鍔にも宝石が埋め込まれているようだった。

 あまりの神々しさに目を奪われる。

 あれに触れてみたい。招かれているような、引き寄せられているような不思議な感覚が、体の奥底から湧き上がってくる。

 まるで視線を縫い付けられたように大剣を見つめていたリジーナは、訝しがるような姉の声で我に返った。

「エリアナ様、私共はエドガー国王がこの国をお治めになっていると聞いておりましたし、父や母もそう信じております。でも、エリアナ王妃様が摂政でいらっしゃるということは」

 フォルティス国がいくら小国と言えど、招待した隣国の王女が訪れたのだ。国王が謁見するのが常識だろう。その国王がこの場に現れず、しかも王妃が摂政ということは、彼女がこの国の実権を握っているという事だ。何か事情があるのだろう。

 頭の回転が速いだけあって、ビアナはこの国に何か事情があることに気が付いたのである。

 一方のリジーナは、肖像画を見たフォセカの様子から、何となくではあるが察していた。だが、それがどれほど重要なことであるかはまだ実感しきれていない。

 彼女たちを見比べていたエリアナは、微笑みを崩すことなく口を開いた。

「王女様が仰ったエドガー、つまり前王である私の夫は十四年前に亡くなったのです」

「えっ……」

 あまりにも重大な事実をさらりと打ち明けられ、二人は言葉を失くした。

 が、エリアナは静かに言葉を継ぐ。

「夫はその人柄ゆえ、国民に慕われておりました。彼が亡くなったと知られれば、国が分裂する恐れすらあるほどです。そこで夫は病のために療養していると発表し、私が政務を司ってきました。そして、王子であるフォセカが王位に就けるだけの年齢に至ったら、夫の死を発表することになっています。とはいえ、国民の多くはこの事実に薄々気が付いているでしょう」

 外国の方にこのお話をするのは、あなた方が初めてです。どこか意味ありげな眼差しで王女たちを見比べたエリアナは、

「秘密は守っていただけますよね」

 それに対し、ビアナもリジーナも「はい」と頷くしかなかった。

 本来なら悔やみの言葉を言うべきところだが、亡くなったのが十四年前だというのなら、それもおかしいような気がする。二人ともどうしていいか分からなかったのだ。

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