第2話

 山の麓にあった検問所を通り過ぎ、馬車はしばらく土の道を進む。

 馬車の窓を覆っていたカーテンをそっと捲りあげると、道の向こうに広がる草原で幼い子供が犬を相手に楽しそうに遊んでいた。なんてのどかな風景なのかとつい頬が緩む。

「あ、リジーナ様。あちらをご覧ください!」

 何かを見つけたのか、向かい側に座っていた侍女のアルネが反対側の窓を指し示す。そちらを見たリジーナも思わず目を丸くした。

「お城ですよ、お城!」

 ずいぶんと興奮しているらしいアルネだったが、自分でも恥ずかしくなったのか顔を赤くして俯いてしまった。

 思わず吹き出しそうになり、「私しか見ていないから」とアルネの手を取る。

 しかし、彼女の興奮も分からないでもない。小高い丘の上に見えた城は、フォルティス国の城とは比べ物にならないほど大きかったからだ。

 見るからに頑丈そうな灰色の石が積み上げられた城壁は、四角形に城を囲んでいる。四方向に物見の塔が見え、城壁の奥からは高く堅牢な主塔が覗いていた。城壁が高いため全貌は分からないが、それでも立派であることが窺える。

 もっと見ていたかったが、馬車が右折したためにそれは見えなくなってしまった。

 いつの間にか馬首は石畳の道を走っており、その両隣に立ち並ぶ家や店の数が増えていく。道も広くなり、人通りも多くなっていった。

「色んなものが売られているのね」

「そうですねえ。食べ物だけじゃなくて服や民芸品とかもあるようですし」

 何もかもが新鮮に映る二人の目に、行きかう人々が飛び込んでくる。彼らは物珍しそうに馬車を見ては、どこの国の馬車だろうかと話し合っているようだった。

「ああ、いけない。リジーナ様、カーテンを閉めますわ」

 本当はもう少し周囲を見ていたかったが、仕方がない。リジーナは素直に頷いた。

 そういえば、今は何時頃なのだろう。ついさっき道をゆく人々の影がのびる向きを見たが、太陽は天頂よりやや西に傾いだところにいるようだった。ということは、城を発っておよそ五、六時間が経過したということになる。

「馬車なんかに乗らないで、馬に乗って来ればもっと早く着いたのに」

「リジーナ様は乗馬が得意ですものね」

 アルネの言葉に、「そうでもないけれど」と一応首を振る。

 薬草が多く生える北の山の一角に行く際、リジーナは毎度馬に乗って出掛けている。それを繰り返しているうち、いつの間にか城の兵より巧みに馬を乗りこなせるようになった。

 長時間馬車に揺られるのが苦手なリジーナとしては正直、馬に乗って来たかった。だが、ビアナは乗馬が苦手だし、荷物も多い。

 仕方がない、とリジーナは脇に置いていた小ぶりな鞄を開け、二日前に手渡された封筒を取り出し、改めて差出人と内容を確認する。

 手紙の差出人は、国境を接するガニアン国の国王だった。

 ガニアン国は東西に広く伸びる大国で、海に面した首都マルヴェンにある王城は、最北端の小高い丘の上に建てられている。そこに住まうのは国王エドガーと王族一家、そして家臣たちと聞いていた。

 封筒に同封されていた地図を見ると、城から一本の道が伸び、城下町に差し掛かるあたりで三本に分かれていた。リジーナたちの馬車が進んでいるのはその中央の道だ。

 左右の店と店の間には細い道があり、途中でいくつかさらに細い道と交じわっている。その先は別の大通りに繋がっているようだ。

「そういえば、祝宴って初めてだわ」

 なんとなく漏らした一言に、アルネが「そうでしたっけ」と応答した。

「いつもお姉様ばかりに招待状が来ていたから」

 くす、と笑い、姉の顔を想像する。

 リジーナと侍女が乗る馬車の前には、ビアナとその侍女が乗る馬車が進んでいる。招待状はリジーナだけでなく、当然のことながら姉にも届いていたのだ。

「到着したら、今日のうちに国王陛下にご挨拶なさいますか?」

「ええ。それが礼儀というものでしょう」

 だが、他国の国王に会うなど初めてだ。平常心を心掛けているが、応えた声は震えていた。

 馬車は城下町を進み、やがて四角い城壁の前にある跳ね橋に辿りついた。普段は下ろされていないようだが、今はそのまま止まることなく城門をくぐることが出来た。

 二台の馬車は城の前にある庭園で緩やかに停止し、リジーナは御者の手を借りて地面に降り立った。そのまま馬の所へ行き、鼻筋を撫でてやりながら周囲を見回す。

 てっきり警備の衛兵が大勢いるものだと思っていたのだが、片手で数えて足りるほどの人数しかいない。彩り豊かな花々の蜜を求めて飛び交う蝶やミツバチの方が多いくらいだ。

 ビアナは一足先に降りていたようで、「遅かったわね」と苛立ったように睨まれた。そんなに長い時間待たせたわけではないだろう、と思わなくもないが、仲違いをしたまま国王に会うわけにはいかない。

「ごめんなさいお姉様」リジーナは不器用に微笑みながら、腕を組んでこちらを睨みつける姉に小さく頭を下げた。「以後気を付けますね」

「ようこそいらっしゃいました。ビアナ様、リジーナ様」

 低いけれどよく通る声で名前を呼ばれた。姉妹そろって顔を向けると、城の入り口からこちらに向かって歩いてくる青年が目に入った。封蝋と同じ紋章が記された濃紅の衣装は王族しか着ることが許されていないと聞く。

 ひょっとしてこの人は。青年は二人の前で膝を折り、儀礼的にビアナの手を取って口づけし、続いてリジーナの手を取った。

「申し訳ありません。迎えに上がるのが遅れてしまいました」

 青年は膝をついたまま、白磁色の髪を輝かせ、リジーナの手に口づけをして柔和な笑みを浮かべた。

 整った顔立ちに思わず見惚れてしまいそうになる。ふと隣の姉を見ると、その頬が僅かに赤くなっている事に気が付いた。

 一方、ビアナは妹の視線で我に返ったのか、「んんっ」とわざとらしい咳払いをする。長女らしく、平静に戻るのは早かった。

「いえ、気にしていませんわ。美しい城に見とれていましたもの」

「そうでしたか」

 青年はゆるりと立ち上がると、

「私はこの国の第一王子、フォセカ・ガニアンと申します。玉座の間までご案内いたします、うしろに付いてきて下さい」

 若紫色の目で交互に二人を見、そばにいた衛兵に何か耳打ちすると庭園の中を城に向かってのびる石畳の道を歩き出した。後れを取るまいとビアナもすぐに歩きだし、リジーナも躓かないよう気をつけながらあとを追う。さらにその後ろには、ビアナに付き添っていた侍女が続いた。

 その最中、前を歩く二人の背中を見ながら、リジーナは右手を自分の額あたりまで上げ、すい、と前後に動かした。

 踵の高い靴を履いている自分とビアナの背丈は大して変わらない。それでも、フォセカは頭一つ分ほど高い。会話をするときに見上げなければいけなさそうだ。

「そういえばフォセカ様、祝宴というには人が随分と少なくありませんこと?」

 さも今気が付いたという風に、ビアナは上目遣いで問いかける。

「てっきり他国の方々もいらっしゃるものだと思っておりましたら、私たちの馬車しか見当たりませんでしたわ」

「ああ、すみません」

 フォセカは困ったように笑い、

「なんとお答えればすれば良いのやら」

「どういうことですの?」

「私の口から言っても良いものか」

 ぽり、と頬を掻き、申し訳なさそうに続けた。

「申し訳ありませんが、母が話すまでは秘密、ということで」

 フォセカの答えに、ビアナは「まあ」と驚いた風に口元を手で覆い隠した。

 その後ろを歩くリジーナは、二人が何の話をしているのか見当もつかず、自国では見たこともない花々が咲き誇る庭園に目を向けていた。

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