第1話

 麗らかな日差しが心地いい。開け放たれた窓からは穏やかな風が入り込み、背中まで伸びた黒紫色の髪を撫でていく。

 思わずうとうととしつつ中庭をぼんやりと見つめていたリジーナは、喚き散らすような甲高い声にハッと我に返った。

「ちょっと! ここはもっとフリルを足してって言ったじゃない! それに、なによこの後ろのリボン! 全然可愛くないわ。作り直してちょうだい!」

「も、申し訳ございません!」

「全く、言った事はちゃんと覚えておきなさい! 覚えられないなら辞めてしまえばいいのよ!」

 一方的に怒鳴りつけられた仕立て屋の男は、目の前で腕を組んで睨みつけてくる女の形相に泣きそうになりながら「申し訳ございません」とひたすら頭を下げていた。

 しかし、彼女が怒るのも仕方がない事なのだ。先週の同じ時間にも「フリルが足りないから付け足して頂戴」と何度も言われたのに、この仕立て屋はほんの少し加えただけだったのだから。

 けれど、

 ――あまりにも怒りすぎじゃないかしら。

 中庭を眺めていたリジーナは、女に向けた薔薇色の瞳をわずかに伏せた。

 仮にも王家の長女で、自分より年上なのだから、もっと寛大になってもいいだろう。呆れてため息が出てしまいそうだが、そんな事をしようものなら今度は自分が怒鳴られる。

 なるべく表情を顔に出さないようにしていると、「ねえ」と声をかけられた。

「あなたもそう思うでしょう? 辞めてしまえって」

 それとも、私の意見とは違うのかしら?

 責めるような視線に、手が震える。しかし、ここで大人しく彼女の意見に賛成すれば、仕立て屋は王城への出入りを禁じられるだろう。

「でもお姉様、腰の後ろに付いているリボンが大きいですし、フリルはこれくらいの方が控えめで良いと思います。けれど、そうですね、前にもう少しだけフリルを足せば可愛らしくなるのでは」

 目に涙をためた男に近寄り、中紅色のドレスを指さして微笑む。その提案に男は救われたような目を向け、怒鳴り散らしていた姉は「そうかしら」と不貞腐れたように眉を顰めた。

 ひとまず場を収めることは出来たかな。リジーナは安堵の笑みを浮かべ、そっとため息をついた。


 東西を草原に、南北を山に囲まれたフォルティス国は、小国ながらも牧畜と林業、そしてこの国でしか採れない薬草を輸出することによって栄えていた。

 その首都であるフェルトロは北の山の麓にあり、王族が住まう城を中心に五本の大通りが放射状に延びている。それに沿って夕陽のような茜色の屋根が特徴的な民家が立ち並んでいた。

 王城に住まう第二王女のリジーナは緊張で凝り固まった肩をぐるりと回し、眉間を軽く揉みながら書庫の扉を開けた。

 普段は閉め切られているため、この部屋は埃っぽい。初めて入る者はむせ返ってしまうほどだ。だが、リジーナにとっては自室と同程度に落ち着ける空間だ。誰もいないか確認してからそっと部屋に入り込み、静かに鍵をかけた。

 昼間でも薄暗い部屋には、人がすれ違うのも難しいほどの間隔でいくつもの本棚が並べられている。そのどれもが天井についてしまいそうなほど背が高い。

「え、と。どこにしまったんだっけ」

 同じような背表紙が並んでいる為に、つい入れた場所を忘れてしまう。探しているのはフォルティス国で採れる薬草をまとめた図鑑だ。

 国の北部にある山からは、その地域にしか生えない薬草が多く採れる。また、そういった薬学や医学に関する書物はこの部屋に置かれ、幼い頃からそこに入り浸っていたリジーナは、自然と知識が身についていた。

 本棚にはそれらの書物の他、神話や歴史書、教養本がぎっしりと詰め込まれている。入りきらなかったものは床からリジーナの胸のあたりまで積み上げられ、少し当たれば崩れてしまいかねない。

 ようやく見つけた、と紺色の分厚い本を抱きしめる。そのまま窓際に置かれている丸机まで移動し、ふう、と息をついて色褪せたページを開く。そこには薬の精製方法などが事細かに記されていた。

 どれとどれを合わせればどんな病に効くのか。また、誤って使用した場合の対処法なども書かれているため、リジーナは時間さえ見つければこれを読んでいる。今日もそのつもりだったのだが、姉である第一王女ビアナに「仕立て屋が来るから付き合いなさい」と呼び出されたのだ。

「お姉様も、ことあるごとに私を呼ばないでほしいなあ」

 つい先ほどの光景を思い出し、深いため息を吐く。

 あれはただ怒鳴り散らしていたわけではない。あえて大声で喚くことで自分の権力を主張しているのだ。そうすれば、王女の機嫌を損ねるわけにはいかない、と家臣たちは頷かずにはいられない。

 自分が言えば全て思い通りになる。あなたには出来ないでしょう? それをただ言葉で示すだけでなく、実際にやってみせているのだ。

「それくらい、言われなくたって知ってるわ」

 ビアナと違って自分は第二王女だ。我が儘がそう簡単に通らないことは子供の頃から分かっている。

 そういう環境で、育てられた。

 その時、軽やかな笑い声が聞こえた。誰だろう、とそっとカーテンを捲ると、美しい薔薇が咲き誇る広大な庭園の東屋で、ビアナとその侍女が会話を交わしていた。

 鮮やかな薔薇が咲き誇るその向こうには薬草園が広がっている。薬学についてもっと学びたい、と父である国王に頼んで作ってもらったものだ。

 それにしても、

「また適当に理由をつけて休んでいるのね」

 高らかに笑うビアナの姿に、ついため息が漏れる。

 ビアナは運動神経はあまりないが、頭の回転が非常に速い。そのこともあって父の意向で幼い頃から難しい勉強をこなしてきた。その反動か、最近では何かと理由をつけて勉強を避けている。社交界でのマナーや礼儀に関する話は熱心に聞いているようだが。

 自分が勉強をさぼったりしたら、烈火のごとく怒られるのに。どうして姉は許されるのだろう。

 気分が沈みかけ、いけない、とかぶりを振った。暗い気持ちになっていては本の内容も頭に入ってこない。切り替えなければ。

 机の上に置いてあるキャンドルランタンの向きを調節し、開いたページの文章を追い始めようとした直後、書庫の扉が乱暴に叩かれた。

 今度は誰なの、と唇を尖らせて本を閉じると同時に、鍵が開けられる。その瞬間、リジーナの顔がビアナの部屋にいた時以上に引きつった。

 この部屋の鍵を開けてまで入ってくるのは、一人しかいない。

 ぎぎぎ、と重い音を立てて、扉が開かれる。そこに立っていたのは、歩き辛いのではないかと思ってしまうほど豪華なドレスを纏った中年の女性だった。

「またこんなところにいたのですか。相変わらず埃っぽい部屋ね」

 呆れたように顔を顰めつつ毒づいたのは、リジーナの母親でありフォルティス国王妃、カルラである。まるで蛇の様な目に睨まれ、その視線から逃れることは出来ないと悟ったリジーナは気力を奮い起こして応えた。

「私をお捜しでしたか? お手間をおかけしてしまい申し訳ありません」

「全くです。これを渡すためだけにどれだけ城を動き回ったと思っているの」

 だったら初めから女官に任せればいいじゃないですか、と言ってしまいそうになるが、ぐっとこらえる。

 昔からこうだ。母は姉には甘いのに、自分には厳しい。理由は分かっている。ビアナほど頭が良くないからだ。

 別に頭が悪くたっていいじゃない、私は私なんだから、と言い返したくなるが、カルラの目はそれを許さない。言葉を飲み込むように小さく唇を噛むと、その目の前に一枚の封筒が差し出された。

 自分に手紙が届くなんて、初めてではないだろうか。

 胸が高鳴る。おずおずとそれを受け取り、封蝋に押された紋章を見ると、翼を広げ前足をあげたグリフォンを中心として、その両端に横を向いた鳥が二羽描かれていた。三体を囲むように草の模様もあったが、グリフォンはそこから突き出すようなデザインをされている。

 この紋章、どこの国のだっけ。考えながら封を開けようとして、それが既に開けられている事に気が付いた。どうやら母が自分より早く中を確認したらしい。

 せめて自分が最初に中を見たかった。悔しい思いを堪え、入っていた四角い上質な紙を取り出す。ふわりと花のような香りが漂い、思わずうっとりと目を細めてしまう。

 ああ、いけない。ぼうっとしていては何を言われる事やら。リジーナは慌てて書かれている内容に目を通した。

 ――ちょっと、これって。

「読み終えたなら、二日後にここを発てるよう準備なさい」

 威圧的に指示したカルラは二度ほど手を叩き、書庫の入口に振り返った。すると、待機していた女官が一人、随分と大きなカバンを持って現れた。それと入れ替わりに、もう用は済んだと言いたげなカルラは何度か咳き込み、足早に書庫を出て行く。

 その背を見送り、入り口付近で立ったままの女官に微笑みかけ「少し待って頂戴」とリジーナはもう一度便箋に目を通す。

「……夢じゃ、ないよね」

 流れるような文字で書かれていたのは、祝宴への招待文だった。

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