第8話 始まりの追憶 5
精霊――それはこの世界でも、とりわけ不思議な存在です。
小さくても人型の肉体を持ち、言葉を話しあらゆる魔法を使い、翼も無しに空を自由に泳ぐ。
高密度のマナの塊と言ってもいい生き物。
魔力を持つ以上は魔物と敵対しているし、それ故か人を助ける事はあるものの基本的に気まぐれで。
滅多に人前に姿を見せず……見せたとしてもイタズラをしたり、子供と遊んだりする程度。
楽しい事だけを好奇心のまま求め、好き勝手に動く自由な人達です。
とある山中、小さく綺麗な湖の近くで呑気してる精霊が1人。
最近魔物がやたらと多くて不機嫌だったけれど、それがパタリと居なくなって清々した様にのんびりしていました。
でもさっきからなんだか山の向こうが騒がしい気がするなぁ、なんて。
ふわふわ空へ昇って様子を見ると、遠目に見えた街は魔物に襲われ酷い状態です。
「あっちゃぁ~、あれは酷いね……なんで結界が……」
まるで他人事の様に――事実関係無いのだけれど、若干の同情交じりに呟きました。
だって今更彼女が行ったところで、どうしようも無いのですから。
「あそこまでやられてたら、あたしが行っても大した助けにはならないなぁ……」
「ていうかなにあれ……ドラゴンの姿の魔物って……」
「あたしじゃどうしようも無さそうだけど……でもこのまま見なかった振りするのもなぁ……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、ふよふよと迷う様に飛び続けます。
他人事ではあるけれど、見なかった事には出来ず……かと言って何も出来ず。
どうしようどうしようと悩んでいる様子。
そうしてしばらく飛んでいるうちに見つけたのは、逃げてきたであろうボロボロの魔動車。
気になって降りようとした瞬間、車は止まり魔物に襲われます。
これは流石に助けなければと飛んで急降下。
しかし距離があったので間に合わず――車は弾き飛ばされ斜面へ。
そして真っ先に放り出された、小さな女の子の下へ助けに飛び込みました。
しかしまだまだ襲い来る魔物の対処だけで精一杯。
落ちる車を追って、更に他の人達まで助けるのは難しく……
ならばせめてこの子だけでも、と護りながら安全な所へ。
結局助けられたのは1人だけ。
そう落ち込みながら、酷い傷を癒してあげていると……
ふと、その女の子の魂が他とは違う事に気づきます。
治療の為に集中して触れたからか、マナの塊たる精霊には分かったのです。
これは一体どうした事かと。
魂に違和感を覚えるなんてそんな事があるのかと。
上手く言葉に出来ない微かな違和感だけれど……興味深く、そして面白そうな予感。
好奇心旺盛な精霊の心を擽る何か。
その心のままに、彼女が無事に目覚める事を祈って待つ事にしました。
その子が目を覚ましたのは数日後。
ちょっとした洞穴の奥で、精霊は優しく語り掛けます。
なにせ彼女は生気の無い酷い顔をしていたから。
自分を庇い死んでしまった母に抱かれたまま意識を失い……目が覚めたら謎の洞穴。
そんな状況に困惑する事さえ出来ずに、ただ呆然とするだけ。
反応は無く困り果て、とりあえずそっとしておこうと傍で見守ります。
起きているのに、死んでいる様な少女。
なんにせよ心身共に弱りきっているのは確実で、ひとまず療養が必要です。
水を飲ませ果物を食べさせ、トイレや体の汚れはどうしようと適当に脱がして無理矢理にでも洗い流し……
やった事も無いお世話に、その都度わたわたとしながらどうにかこうにか頑張ります。
精霊はてっきり、助けられなかった人達の中に家族が居たのだと考えていたのです。
だから、もっと早く助けに行けていれば……と、申し訳なくて。
生き残ったのは君だけだと伝える事が心苦しくて。
どんな言葉を掛けてあげればいいのか分からなくて。
慣れない慰めの言葉を考えながら、何も思いつかず纏まらないのを誤魔化す様に傍に寄り添います。
当の女の子は、そもそも車に乗って逃げていた事すら知らなかったのですが。
そんなこんなで日が経つにつれ、少しずつ生気が戻り元気になっていきます。
最初こそ精霊という未知の生き物に驚きと困惑はあったものの、お世話をされる合間に女の子はポツポツと語ります。
幸せだった日常を唐突に全て失った彼女に対し、精霊は思いました。
この子にしてあげられる事が分からない。
だけどなんとか生きようとしているのだし、少しの間でも傍で支えてあげなくちゃ。
ていうかこんなに小さな子供なのに……なんか立ち直り早くない?
後に聞いて理解する事ですが……
女の子の中身は大人の男――しかも既に家族どころか、自分の死すら経験している訳で。
だから子供らしくなく、どうにか悲劇を受け入れる事が出来たのです。
そして理由はもう1つ。
すぐ傍に寄り添い、不器用ながらも慰めようと、付きっきりでお世話をしてくれる人が居たというのは――大きな意味があったのです。
救われ、生かされ、立ち上がるきっかけを与えた精霊が居たからこそ。
彼女は絶望を押し込めて前を向く事が出来たのでした。
そうして弱った心と体が回復するまでお世話をする事、更に数週間後。
殆ど眠ってばかりでも、自然と会話は増えていきました。
どこかお互いに親愛の情が芽生えている2人は、この先どうするのかを話します。
悲劇の生き残りで幼い子供。
確実に保護されるのだから、街道沿いに進めばそれで解決です。
精霊が一緒なら問題無く送り届けられるのですが、ここで提案。
魂に違和感があり興味が湧いた。
人と精霊が一緒に居るというのも面白そう。
せっかく仲良くなったんだし。
そんな理由を並べて、傍に居ていいか訊ねます。
何故かギクリとした女の子も、献身的に支えてくれていた精霊ならばと受け入れました。
そうして、あまり人と関わらないだろう精霊と悲劇の少女は共に行く事にして……ふと思い至ります。
これだけの時間一緒に居て、未だに自己紹介すらしていません。
むしろお互いの名前すら知らずとも親密になれる時間だったと言えますが。
「そういえば自己紹介をしていなかったね。でもあたしたち精霊は基本的に名前は無いからどうしよう?」
「無いの? 不便だね……」
「その辺で自然と生まれる存在だからねぇ……自分で名乗る奴も居るけど、あたしは必要無かったから――そうだ、あんたが付けてよ!」
「えぇ……そんな事急に言われても……」
「いいじゃん、なんか良い感じの名前ちょーだい!」
「お願いしといてワガママ……えーと、んー……」
「早く早く!」
「全くもう……じゃあ――『ルナ』」
「ルナ……言いやすいしなんか可愛いね、気に入った!」
「えへへ……良かった。私はエリンシア……シアで良いよ」
「シアね。じゃあ、これであたしたちは友達だね!」
「ん……友達……」
ルナ――エリンシアの前世で言う月。
淡く光りふわふわ飛んで、傍に寄り添ってくれた不思議な友達。
月と言うには、イメージと違って元気でうるさいけれど。
絶望のどん底まで落ちた心を引っ張り上げる様に立ち上がらせてくれた、こんな友達と一緒なら。
あんな悲しい事は乗り越えて、その先にはきっと楽しい事が待っている筈だと。
心の奥底にしまった悲しみか、素敵な友達が出来た嬉しさか。
少しだけ顔を濡らして、隣の小さな友達と一緒に眠るのでした。
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