第6話 始まりの追憶 3
最初にけたたましい鐘の音が響いた。
次いで結界が破られた……魔物を退ける最も重要な結界が。
つまりそれ程の、過去に無い強大な魔物の襲撃。
結界を破ったドラゴンらしき姿をした魔物は、結界の心臓たる発生装置ごと破壊の限りを尽くす。
再起動など出来る筈も無く、大した時間も置かずに大量の魔物が雪崩れ込んだ。
安全だった街は地獄に変わった。
動き回る大量の黒い影と、もう動かない転がったモノ。
全てに等しく絶望が降り掛かる。
周囲の被害を考える余裕は誰一人無い。
手負いの味方や建物ごと攻撃する。
ただ目の前の敵に向けた魔法も、近くで干渉し合い予想外の被害を齎す。
氷や石が生え地形が変わり、雷が辺りを感電させ、火は風に煽られ街が燃える。
勇み良く切り込めば、後ろから味方の攻撃に巻き込まれる。
全ての者がそうとは言わないが、意思疎通なんて恐怖と混乱の中ではまともに出来る事では無かった。
人が減る程に、多少なりとも危険も減るのは何の皮肉か。
それでも皆、必死に生き残ろうと動き続けた。
*
こんな事になるなんて思わなかった。
こんな悲劇なんて想像もしなかった。
不思議な事に溢れて、楽しくて、幸せで、皆笑ってたのに……
途中まで両親と一緒に居たけど、お父さんは他の人達と少し離れた所で。
お母さんは私を比較的安全な所――家の中へ押し込め、周囲で戦い守ってくれている。
今は動く方が危険だそうだ。
外よりマシなだけで、家の中だろうと安全じゃないと言うのに。
何をしていいのか、何をするべきなのか分からない。
震える体を抱きしめ、泣きそうになりながら蹲るだけ。
そしてゾクリ――と、言い様の無い感覚が背中を走る。
振り返った窓の外。最初に見た空の……轟音と共に黒い大きな物が見えた。
考える間も無く家が崩れた。
壊すだけ壊してまた飛んで行ったけど、今度は狼の様な魔物が入り込んでくる。
目の前の恐怖から少しでも逃げる為に這う。
瓦礫にやられたのか脚が動かない。体中傷だらけだ。
近いのか遠いのか……お母さんの呼ぶ声がする。
恐怖、混乱、痛み。
身を護る為の、こういう時こそ使うべき障壁すら忘れ……爪が私の背に突き立てられた。
漏れ出る悲鳴さえ飲み込む様な、絶望の口が開き迫る。
死にたくない。まだ生きたい。
せっかく生まれ変わったのに、こんな悲劇で終わりたくない。でも――
風。暗い暗い絶望が吹き飛んだ。
「シア!」
私の名前を叫びながら、必死な顔で走ってくる。
「……お母、さんっ……」
溢れる涙を抑える事も出来ず、抱かれてしがみつく。
「この街はもうダメ……厳しい事だけど、今動ける人だけで逃げるわよ」
私を温かい治癒の光に包み、血と泥に塗れた顔を歪ませながら言う。
「皆戦いながら北門の方へ向かってる。他の門は崩れて車も残って無いみたい」
治療は時間が掛かりそうで、ある程度で止めて私を抱えたまま走り出す。
じっとなんてしていられない。
さっきの魔物は吹き飛ばしただけだし、他にもまだまだ沢山居るんだ。
「外に出たところで安全にはならないけど……車なら結界があるし、少なくともここで戦い続けるよりは生き残れる可能性がある」
街を捨てて逃げるのはもう仕方ない。
それでも家族が居ればまだ……そうだ、お父さんが何処かで戦ってる筈。
北門を目指すにしてもまずは合流しないと……
「お父さん……は……?」
「っ――」
答えは無かった。
安否が分からないだけなら口を噤む必要は無い。
きっとそういう事だ。
私はまた親を……幸せで楽しくて満ち足りた2度目の人生だった筈なのに、どうして――
そんな思考は轟音と残骸と共に吹き飛ぶ。
真っ黒な絶望が戻ってきた。いや、更に熊の様な魔物が増えてる。
背後に追いすがるそれらは、あっという間に距離を詰めてくる。
衝撃破を伴う突風で再度狼を退けるも……もう1匹は未だ迫り、人なんて簡単に引き裂くだろう爪を――
また風が吹いた。
恐ろしく鋭い風の刃で、振り被られた腕を切り落とす。
だけど痛みなんて無いのか、あってもお構いなしに殺意のままに動くのか。
ほんの一瞬怯んだだけで、残った片腕を振るった。
お母さんは反撃を諦め魔力障壁で防ぐ――いや防ぎきれない。
強烈な一撃で障壁を突破されてしまったけど、威力は和らげた。
それでも抱えた私を護る為に、お母さんの背中から血が溢れる。
勢いのまま地面に転がされながらも反撃。
今度は腕だけじゃなく、いくつにも別れ散っていった。
そうか……お母さんは長期間を空けて、急な全力での戦闘だ。
もうとっくに限界なんだ……最も大事な護りさえ弱まる程に……
そして吹き飛ばされた先の1体が追いつく。
何度もやられた事に怒ってるのか、今までに無い速さで地面に転がった私達を襲う。
お母さんの障壁はさっき打ち砕かれて消えた。
もう一度障壁を作り出すまではどうしても多少の間が出来てしまう。
間に合わない。
なら私が――やるしかない。
「私だって……護れるんだ!」
私が唯一出来る事。
身を護る為の防御。
さっきは愚かにも使えなかったそれは。
仄かに光る半透明の壁となって目の前に現れる。
物質として存在して見える程の障壁は、なんの苦も無く攻撃を防ぎ流した。
「シア!?」
お母さんは驚きながらも隙を逃さず、再三暴風を吹き荒らしズタズタに引き裂いた。
「これは……魔力で壁を? しかも見えるなんて、こんなのは聞いた事も……」
困惑しながらお母さんが呟く。
ダメだ。一気に大量の魔力を消費したからか、意識を保つのが精一杯だ。
障壁を維持する事も出来ず消えていく。
「……っ……はぁっ……はっ……」
「シア……! つらいだろうけど、このまま逃げるわよ」
普通じゃない障壁を気にする暇は無いんだろう。
私が衰弱した事を悟り、抱え直してまた走り出す。
「お母さんは……背中、大丈夫……?」
「これくらい大丈夫よ。でも……ごめんね、治療は待ってて……」
さっき受けた傷は出血が酷いのに……絶対大丈夫なんかじゃない。
でもこの先もまだまだ襲われる事を考えたら、これ以上魔力を使っていられない。
体力も魔力も、何もかもが限界だ。
「そんなこと……ごめんなさい、自分で治せれば良いのに……もう……」
「大丈夫、大丈夫だから……安心して……絶対護るから……」
お互い意識が朦朧としながら走る、走ってくれる。
「シアだけでも……あなただけは、絶対に……絶対に……護るからっ……」
聞きたくない。それはダメだ。
私だけじゃ……お母さんだって一緒に……
お父さんを失って、お母さんまで……そんなの生き延びたって……
気付けば少しずつ周りに生きている人が増えてきた。
戦いながら護りながら、声を掛け合いながら……力尽きながら。何人もの人が走る。
そうして、やっとの思いでようやく北門に集まる人達に合流出来た。
生き残った人達がギリギリの理性でなんとか統制されて、魔動車に次々と乗り込み街を出ていく。
残るはほんの数台……
乗り切れなかったら最後、どう足掻いても見捨てなきゃならない。
それを悟ってか、最期まで戦う為に残る人達も居る。
誰を乗せ、誰が残るのか。
非情な決断をする――よりも前に。
そいつは空に現れた。
巨大なドラゴンの姿をした魔物。
結界を突破し街を破壊し続けた、絶望の権化。
皆を見下ろし、一切の逡巡も無く当たり前の様に。
大きな口を開けて破壊的なエネルギーを放った。
着弾する直前、私はもう一度障壁を張った。
とうに限界だった筈なのに咄嗟に、一瞬で展開したそれは。
私とお母さんだけを包み――爆風の中で砕けた。
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