Ⅸ
オーガストがエマニュエルとふたりきりになれたのは、夜明け前になってからだった。久々に蒼ヶ浜に帰還した見目麗しい長老を、人々が放っておかなかったからだ。
「久しいですね、オーガスト」
黄金ヤシの下、オーガストと向かい合って腰掛け、エマニュエルが口を開く。
「入植者たちは、蒼ヶ浜の東端に居付くことになりました。海からはかなり離れた場所なので、蒼ヶ浜以外の呼び名が必要になりそうですね」
乙女のように美しい、澄ました顔は、大した問題もなく務めが果たされたことを表していた。
「そちらはどうでしたか? 皆から烙印が消えていましたが……」
「あぁ。烙印を押した悪魔を見つけ出したんだ」セイヴィヤについて、あえて詳しくは言わなかった。
「よかった」エマニュエルが顔を輝かせる。
「それで、悪魔は祓ったのですか?」
「いいや」オーガストは首を横に振った。
「烙印が消えて、均衡を崩す危険は回避されたから、放っておいたよ。もう悪さはしないはずだ」
「そうですか。それならよかった」
エマニュエルはそう言って、微笑んだ。特に問題無いことが判るや、早々に興味を失ったようで、白んだ空を見上げて物思いに耽っている。
「そういえば」しばらくして、エマニュエルが口火を切った。
「今日、浜の方で光り輝く魂の持ち主を見つけましたよ」
魂が凍りつくような感覚——ノアが見つかってしまった。オーガストが動揺しているのに気付かぬまま、エマニュエルが続ける。
「あれほど美しい魂を見るのは初めてです。あの輝きに勝るのは、夜空の星くらいでしょうね。見惚れてしまいました……」
あれは、僕が見つけたんだ——叫びたいが、言葉に出来ない。もし口にしてしまえば、余計にエマニュエルはノアに関心を示すようになる。その恐れが、オーガストの口を閉ざした。
「なんたる恵み……あんな稀有な、尊い魂が、私たちの治める地に現れるなんて。父上さまは、本当に私たちを祝福してくださっているのですね……そうは思いませんか? オーガスト?」
向けられた、心からの笑み——屈託のない、どこまでも純粋な薄翠色の瞳に覗き込まれる。自分でも気付かないうちに、オーガストは駆け出していた。
見出した自分だけの宝を、奪われてなるものか。一心不乱に駆ける。風を切り、砂が舞い上がった。ノアを何処か遠くへ、エマニュエルの目の届かない場所に隠さなくては。
水平線から、太陽が顔を出す——血のような紅い太陽が、オーガストの横顔を照らした。
ノアが漁に出る前に、なんとか会えるといいが。
突然、空に雲のひとつもないのに、日が陰った。水平線に目をやると、先程まで顔を覗かせていた太陽が、水に埋まっている。何が起きているか、少し遅れて理解した——津波だ。朝陽を覆うほどの高波が立っているのだ。
「おやめください……父上!」
祈るように繰り返し口にしながら、ノアの小屋を目指す。オーガストは、ほとんど飛ぶように走っていた。
視線の先に、小屋が見えてくる。小屋の隣に置かれた小舟の傍に、立ち尽くすノアの姿があった。灰がかった、癖のある金髪が、風に揺られている。その視線は、迫り来る大波に釘付けになっていた。
「ノア! ノアぁ! 早く逃げるんだ!」
走りながら、声を張り上げる。声に気付いたノアと目が合った。
困惑と恐怖、そして予兆の無い災害の到来に対する疑問が、その目に宿っていた。ノアを抱えようと、腕を伸ばす。あと少し——。
瞬く間に、辺りが暗くなる。壁のような大波が容赦無く迫り、オーガストを、ノアを、蒼ヶ浜のすべてを、丸呑みにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます