オーガストがエマニュエルとふたりきりになれたのは、夜明け前になってからだった。久々に蒼ヶ浜に帰還した見目麗しい長老を、人々が放っておかなかったからだ。

「久しいですね、オーガスト」

 黄金ヤシの下、オーガストと向かい合って腰掛け、エマニュエルが口を開く。

「入植者たちは、蒼ヶ浜の東端に居付くことになりました。海からはかなり離れた場所なので、蒼ヶ浜以外の呼び名が必要になりそうですね」

 乙女のように美しい、澄ました顔は、大した問題もなく務めが果たされたことを表していた。

「そちらはどうでしたか? 皆から烙印が消えていましたが……」

「あぁ。烙印を押した悪魔を見つけ出したんだ」セイヴィヤについて、あえて詳しくは言わなかった。

「よかった」エマニュエルが顔を輝かせる。

「それで、悪魔は祓ったのですか?」

「いいや」オーガストは首を横に振った。

「烙印が消えて、均衡を崩す危険は回避されたから、放っておいたよ。もう悪さはしないはずだ」

「そうですか。それならよかった」

 エマニュエルはそう言って、微笑んだ。特に問題無いことが判るや、早々に興味を失ったようで、白んだ空を見上げて物思いに耽っている。

「そういえば」しばらくして、エマニュエルが口火を切った。

「今日、浜の方で光り輝く魂の持ち主を見つけましたよ」

 魂が凍りつくような感覚——ノアが見つかってしまった。オーガストが動揺しているのに気付かぬまま、エマニュエルが続ける。

「あれほど美しい魂を見るのは初めてです。あの輝きに勝るのは、夜空の星くらいでしょうね。見惚れてしまいました……」

 あれは、僕が見つけたんだ——叫びたいが、言葉に出来ない。もし口にしてしまえば、余計にエマニュエルはノアに関心を示すようになる。その恐れが、オーガストの口を閉ざした。

「なんたる恵み……あんな稀有な、尊い魂が、私たちの治める地に現れるなんて。父上さまは、本当に私たちを祝福してくださっているのですね……そうは思いませんか? オーガスト?」

 向けられた、心からの笑み——屈託のない、どこまでも純粋な薄翠色の瞳に覗き込まれる。自分でも気付かないうちに、オーガストは駆け出していた。

 

 見出した自分だけの宝を、奪われてなるものか。一心不乱に駆ける。風を切り、砂が舞い上がった。ノアを何処か遠くへ、エマニュエルの目の届かない場所に隠さなくては。

 

 水平線から、太陽が顔を出す——血のような紅い太陽が、オーガストの横顔を照らした。

 

 ノアが漁に出る前に、なんとか会えるといいが。

 

 突然、空に雲のひとつもないのに、日が陰った。水平線に目をやると、先程まで顔を覗かせていた太陽が、水に埋まっている。何が起きているか、少し遅れて理解した——津波だ。朝陽を覆うほどの高波が立っているのだ。

「おやめください……父上!」

 祈るように繰り返し口にしながら、ノアの小屋を目指す。オーガストは、ほとんど飛ぶように走っていた。

 視線の先に、小屋が見えてくる。小屋の隣に置かれた小舟の傍に、立ち尽くすノアの姿があった。灰がかった、癖のある金髪が、風に揺られている。その視線は、迫り来る大波に釘付けになっていた。

「ノア! ノアぁ! 早く逃げるんだ!」

 走りながら、声を張り上げる。声に気付いたノアと目が合った。

 

 困惑と恐怖、そして予兆の無い災害の到来に対する疑問が、その目に宿っていた。ノアを抱えようと、腕を伸ばす。あと少し——。

 

 瞬く間に、辺りが暗くなる。壁のような大波が容赦無く迫り、オーガストを、ノアを、蒼ヶ浜のすべてを、丸呑みにした。

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