天使たちが到着する頃には、ローラは既に死の淵にあった。友人や家族が床を囲み、命の灯火が消えかかった乙女を見守っている。

「死なないでくれよぉ。死なないでくれよぉ……」

 娘の手を握りながら、ローラの父バートは祈るように、そう繰り返している。

「ご家族の方以外はご退室を」

 オーガストが静かに言い、近親者以外を部屋から追い出した。魂が天に還るのは、人間からすればほんの一瞬の出来事だ。その最期の、僅かな時間を共にするのは、故人に最も近しい者であるべきなのだと、長い月日の中でオーガストは学んでいる。それが、人間たちの慰めになるのだと。

 ローラの家族、そしてエマニュエル以外が部屋を出たことを確かめると、オーガストも部屋を出て、後ろ手に扉を閉めた。

 部屋に残されたのはバート、そしてローラの祖母だけだった。バートは娘の手を握り続け、祖母は目を固く閉じ、跪いて創造主に祈りを捧げている。エマニュエルはローラの枕元で膝をつき、額に手を当てた。

「ローラさま。あなたの魂は、もうすぐ創造主さまの御許へと還ります……最期の懺悔をするなら、今ですよ」

 そう言うと、隣にいたバートがエマニュエルに掴みかかる。

「おい長老! 俺の娘は純真な子だ! 悪さはしねえ!」

 唾を飛ばしながら捲し立てる父親に、ローラが弱々しく触れた。

「……パパ。やめて……」

 嗜められた父親はエマニュエルを放し、泣きながら娘の手に縋り付く。空いた方の手で父の頭を撫でながら、ローラはエマニュエルの方に目を向けた。

「……長老さま……あたし、パパに黙って……家のお金を盗みました……山に住む、綺麗な女の人に……言いくるめられて……」

 そこまで言って、ローラの言葉が掠れる。残された命は、あと僅かだ。

「あなたの懺悔は、創造主さまに届きました。あなたの罪は許され、天国へ続く道が開かれます」

 エマニュエルがそう告げるのを聞いたローラは、目に涙を浮かべたあと、父親に小さく「ごめんなさい」と囁いて、息絶えた。

 その魂が骸となった身体を去る寸前、エマニュエルはローラに刻まれた烙印を消してやる。赤黒い、穢れた焔の輪は散り、清められた魂が、創造主の待つ天へと昇っていった。

「よかったですね。最期に懺悔ができて」

 娘の骸にしがみいて泣くバートに向き直り、エマニュエルが言う。

「魂が天に還るのは、とても美しいことです。ローラさまもきっと——」

 そこまで言ったところで、バートの拳が炸裂した。思い切り顔面を殴りつけられ、エマニュエルの華奢な身体が吹っ飛ばされる。

「……出てけ」怒りに全身を震わせながら、バートは言葉を絞り出した。エマニュエルは黙って立ち上がると、礼儀正しく一礼してから、部屋を後にする。扉が閉じられるや、吠えるような泣き声が、部屋の外に漏れて聞こえた。

 

「——そんなことを言えば、怒って当然だろう?」

 ローラの家を後にし、長老に充てがわれた屋敷に戻ってから、ことの顛末を聞かされたオーガストは呆れて言った。

「何故です? わたしは真実を告げたまでですよ?」

 殴られた頬をさすりながら、エマニュエルは首を傾げる。傷も、痛みも無いが、何故バートに殴られたのか解らず、困惑しているようだ。

「烙印も消えて、魂は天に還ったのです。良いことではありませんか?」

「……人間たちから無神経と思われても仕方ないな、君は」

 オーガストが呆れ果てて笑う。

「前々から気になってたんだが、故人の家族の心も判らないのに、君は何故、毎回誰かの死に立ち合おうとするんだい?」

 訊ねられ、エマニュエルはどこか遠くを見ながら答えた。

「魂を、父上さまの居る天に還すのが好きなんです。あの瞬間に感じる、調和のようなものが……わたしの生き甲斐です」

 言葉端に、喜びと誇りが滲んでいる。これだから、自然とエマニュエルが人間を看取る役を任されるのだろうか。創造主の見えない手がここでも働いてる気がして、オーガストは心に靄がかかるのを感じた。

「それにしても、驚きました。ローラさまに烙印が刻まれているなんて……」

 エマニュエルが呟く。オーガストも同意し、頷いた。

「やはり悪魔は近くに居る……懺悔で、彼女は何か言ってなかったかい?」

「えぇ。『山に住む綺麗な女の人に言いくるめられた』と——」

「ほぉ。山か」

 蒼ヶ浜から出て、内陸へ北に半日ほど歩いたところに、山がある。植物のろくに生えない、岩だらけの禿山で、人々はほとんど近寄らないが、身を隠す者にとって、これ以上の場所はない。

「十中八九、その女が悪魔だろうね……他の烙印を押されている誰かに、話を聞いてみよう。少し浜を散歩してから、ね」

 オーガストは立ち上がり、屋敷を出て行こうとする。

 ひとりで行って大丈夫ですか——そう言いかけて、エマニュエルは思い直した。父である創造主に愛されていることを実感するためにも、この件はオーガストが解決するべきだ。蒼ヶ浜の民を惑わし、均衡を崩さんとする悪魔に打ち勝つ——祝福された父の子、双子の兄であるオーガストならば、成せるはず。自身と同じく、オーガストは創造主の子なのだから。

「分かりました。わたしは東へ向かい、新たな入植者たちをしばらく見守ることにします」

 エマニュエルはそう言って、出掛ける兄の背を見送った。

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