プロローグ3/3『魔法少女隊プリティ☆ブルーム』第二十九話「さよならブルームサクラ」

「まずい……本当にまずいぞこれは……」

 ウィーザードットコム業務推進部課長、ネコソギ翔は焦っていた。

 前任のネグサレ係長から引き継いだ業務、咲矛町の住人のハートフラワーを刈り取ってハートエナジーを集めるという基本中の基本的な仕事を全く進められていないのだ。

 原因はもちろん、あの五人組の魔法少女、プリティブルームである。毎週色々と策を練ってみるのだが、惜しいところまでは行くものの結局カリトールを浄化され、ハートエナジーも取り返されてしまう。

 そして遂に先日、次回の幹部会議に出席するように言われたのだ。

 部長の中でも取締役に近い者以上しか出席を許されない会議に課長の自分が呼ばれたという事はつまり、責任追及という名の吊し上げにされるということだ。実力、成果至上主義のウィーザードットコムにおいて役立たずのレッテルを貼られたらクビだけでは済まない。

 ネコソギの身体に悪寒が走る。だが、このまま終わる気はない。経理に無理を言って特別予算を承認してもらい、最強のカリトールを用意した。理論上これ以上の戦力はない。さすがの魔法少女どもも敵わないはずだ。

「やってやる……今度こそは!」

 町のシンボルであるサキホコタワーの頂上。作業員も入れない塔のてっぺんでネコソギは眼下にひろがる町並みを見下ろし、手に力をこめる。

 その手にはダークハートエナジーを高濃度圧縮して詰め込んだ物体が握られていた。黒いハート型のボディには『MAX』と白抜きで書かれている。

「ダークハートエナジー、マキシマムサプライ! カムヒア、モットモカリトール!」

 決めポーズとともにタワーに黒い物体をぶち込む。

「モットモ、カリトーーーール!!」

 サキホコタワーが巨大な怪人に変化し、両腕を振り上げて空に向けて吠える。その雄たけびは遠く離れた咲矛中学校まで届いた。

 授業中の教室で、生徒たちの半数以上がその声に気づき窓の外、海の方向を見た。

 いつも港付近に見えるタワーが、ずうんずうんと重い足音を立てて移動している姿を見た生徒たちが騒ぎ出し、それを制止する立場の教師も窓の向こうの光景に言葉を失ってしまった。

 ぺたるのスマホにメッセージ。

『カリトールが出たサシ』

『すぐに向かうサシ』

 その下に「LETS GO!」と走る犬のイラストのスタンプ。ムササシもすっかりこの世界に馴染んだようだ。

 萌音とひまわりにも同様のメッセが届いているらしく、三人は頷きあって教室を出る。

 廊下に出ると港に現れた巨大な怪物に気づいてパニックに近い状態になっていた。

「そりゃそうだよね……」

 今までとはスケールが違う大きさ、まるで怪獣映画だ。警戒しなくては、と萌音は心中思う。

 騒がしい廊下を走り階段を降りて二階へ着くと、ノエルとりあむの二人が待っていた。

「急ごう。変身した方が早い」

 五人は踊り場で横一列になり、魔法少女プリティブルームに変身する。いつもの名乗りからの五人並んでポーズを決める。

「よし、行こう!」

 ブルームサクラの言葉に力強く頷く四人。

「さあ、シリーズ中盤の盛りあがりなんだもん!」

 キーホルダーの擬態を解いたモモンが言う。

 窓から飛び出していく魔法少女。驚異的な跳躍力で家の屋根や店舗の屋上などを跳び、あっという間にカリトールのところへ到着する。

「こらあ! なんてことするの、サキホコタワーは町の大事なシンボルなのよ!」

 ブルームサクラが腰に手を当てて怒ったように言う。

 既に到着していたムササシと合流して全員集合。

「来たな! 今日はいつもと違うぞ覚悟しろ!」

 モットモカリトールの展望フロア部分でネコソギが言う。ちょうど運転席のようだ。

「やれ!」

「モットモ、カリトーーーーーール!」

 両腕を振り上げ、空に向かって吠える巨大な怪物。

「ねえ、気づいた?」

 ブルームアネモネが小声で言うのにうなずくサンフラワー。

「うん……展望レストランの日替わりランチ、カツカレーセットだね」

「いやそこ?! てか視力いいわね!」

 アネモネのするどいツッコミ。ブルームシルバーが口を開く。

「まだ、誰も襲っていないわね」

 そうですとアネモネがうなずく。

「まるで、私たちだけを標的にしているようだ。どうやら本気で勝負に来ているね」

 ゴールドの言葉に緊張感が増す。

「それでも」

 サクラが言う。

「それでも、絶対に負けるわけには行かない!」

 魔法少女が一人ずつアップになり、力強く頷く。最後にモモンとムササシも並んで頷く。

「みんな、行くよ!」

 ブルームサクラの声で五人は一斉に巨大な怪物に飛びかかる。

「はあああああっ!」


(中略)


「みんなの心をひとつにするんだもん!」

 モモンから発せられた赤い光とムササシの白い光が交差してピンク色の花の形になる。それがブルームフラワーロッドを掲げるプリティブルームの上で更に強く輝く。

「プリブル!」

 五人の揃った声にはキツめにエコーがかかっている。

「ハートフラワーシャイニーヒーリング!」

 光の花は力強くモットモカリトールに飛び、そして包みこんだ。

「光……合……成……」

 振り向いて決めポーズをとる五人。浄化され、元のサキホコタワーに戻り、そこから発せられた謎の光が破壊された諸々を元に戻していく。

「う……ウソだろ……こ、こんな……もうおしまいだ……」

 ああああと地面に這いつくばって叫ぶネコソギ。あまりの落胆ぶりにちょっと気の毒になってサクラが声をかける。

「そこまで落ち込まなくても……また次のチャンスにがんばれば」

 いや何言ってんの、とアネモネ。他のみなも同じ気持ちだった。

 だが、思わずそう言ってしまうほどの落ち込みようなのだ。しかも、あれほど力を入れていたのにバトルシーン全カットでやられてしまっては……

「次だと……?」

 地面を見つめたままネコソギは言う。

「次なんかねえよ……はは、お前ら覚悟しろよ?」

 ゆるゆると力なく顔を上げる。

「これで俺はおしまいだ。こうなれば幹部クラスが直々にこのエリアの担当になるだろうさ。俺なんかとは比べ物にならねえぞ、お前らだって敵うはずない。これまでにいくつもの世界を滅ぼしてきた本当のプロフェッショナルだ。それに」

 言いかけたネコソギの姿が消える。それはいつもの去り方ではなく、本人の意志に関係なく強制的に帰還させられたように見えた。

 彼が言い残した言葉と、明らかに普段とは違う去り際に危機感を高める魔法少女と妖精たち。だがとりあえずバレないうちに学校に戻ろうと移動する。

「どんなヤツが来ても、負けるわけにはいかないんだもん」

 モモンの言葉は高速移動の風切り音で皆の耳には届かなかったが、想いは同じだった。


「さて、今日の最初の議題だが」

 装飾のない機能性一辺倒の殺風景な部屋にいくつか机と椅子が並べられ、その上座に当たる席に座る男が口を開く。机には『CEOイーロン・ミトメーヌ』と名札が置かれている。

 短く刈り込まれた金髪に縁無しの丸メガネ。薄い眉の下の目は冷たく感情を感じさせない。

「目に余る業務の停滞についてだ」

 ビクッと肩を震わせたネコゾギ課長。前任のネグサレから業務を引き継いで以来まったく成果をあげていない彼は社内規定で最低のEランクに判定された。

「あ、あの……」

 おずおずと口を開くネコゾギに鋭い視線を送ると、

「誰が発言を許可した?」

 一切の反論を許さない口調。

「も、申し訳ありません……ですが」

 意を決して顔をあげるネコゾギの姿がかき消えた。

「……これだから困る。言い訳よりも成果を出せといつも言っているだろうに」

 謎のパワーで問答無用に課長の存在を消したCEOはため息をつく。

「さて後任だが」

 まるで当たり前のように言い、会議室の中の面々を見回す。ほとんどが視線を落としている中で背筋を正して顔を上げている一人の人物が、イーロンと目が合う。

「ネダヤシ本部長、任せたぞ」

 ネダヤシと呼ばれたその人物は美しく手入れされたストレートの赤髪をサッと払って立ち上がる。

「お任せを。これまでの停滞分も併せて、確実に成果を出してご覧にいれます」

 ダークレッドのスカートスーツの上にパッションピンクのマントを羽織った彼女はそう言って微笑んだ。紅いルージュで縁どられた唇には不敵な笑みが浮かんでいる。

「期待しているぞ」

 軽く頷いてイーロンは椅子の背もたれに体重を預ける。

「さて次の議題だ」


「じゃーねー」「達者でのー」「またねー」

 学校からの帰り道、萌音とひまわりの二人と別れて自転車を漕ぐぺたる。家まではあと数分もあれば着く。特に急ぐ用もないのでのんびりと進む。

「ゆっくりとペダルを漕ぐぺたる……なんてね」

 小声で呟くダジャレにキーホルダーのふりをしているモモンが内心うまいと思っていると、前方にキョロキョロあたりを見回して手元の地図を見ている人が居た。

「あれ〜? どっちかなあ? チョーマジわけワカメなんですけどー」

 地図を片手にひとりごとを言っている、ブレザーとチェックスカートの制服姿の女性。プリーツスカートの丈が短く、パンツが見えそうでぺたるはハラハラした。

 声、かけた方がいいのかな? けど……

 女性は真っ赤なロングヘアーでピアスやアクセサリーを大量につけてルーズソックスのギャル風の制服姿なのだが、どう見ても二十代、下手すると三十代くらいに見える。派手なつけまつげと濃いメイクが年齢と合っていないが顔立ちは綺麗だしスタイルもいいとぺたるは思った。

(そっか! そういうお店で働いてる人かな)

 よく知らないがコスプレして接客する仕事なのかもしれない。メイドカフェ的な。それで出勤途中で道に迷っている、とか?

「あの、どうしましたか?」

 若干の不審点はあっても、ぺたるは困っている人を見過ごせないのである。

 すると女子高生コスの女性はぺたるの近くまでズンズンと歩いてくると、

「あーね、ガチで道に迷っちゃってー。マジ卍なんだけどー」

 まんじってなんだと思いつつ、どこに行くんですかとスマホで地図アプリを立ち上げるぺたるに、ここなんだけどー、とアナログな紙の地図を見せる。

「どこですか」

 女性の地図に目を向ける。目的地らしきところにバツ印がある。あれ、これって……

「あの、この地図この辺のじゃないんじゃ」

 言いかけたぺたるの脇腹に何か固いものが当たった。ふふっとコスプレの女性が小さく笑いカチッとスイッチが入る。

「やらせないんだもん!」

 擬態を解いたモモンが機械をたたき落とす。ガツンと地面に落ちたそれはスタンガンのように見えた。

「くっ、妖精がついてたのか! このアタシの完璧な変装で油断させたのに!」

 女はどこからか取り出したマントをバサーと羽織る。変装を解いた彼女は真っ赤なスカートスーツの本来の姿に戻った。

「だ、誰……?」

 真っ赤なロングヘアーの女性はふふと再び笑い、

「アタシはウィーザードットコム業務推進本部長、ネダヤシ綾子。よろしくね、桜川ぺたるさん……いいえ、ブルームサクラ!」

「ウィーザードットコムの……」

 明らかに一人になったところを狙われた。それも変身前を。これまでとはまるで違う。人々を襲うよりも先にこちらを潰しにきている。

「気をつけるんだもん! 今みんなに」

 モモンがバッグから取り出したぺたるのスマホをネダヤシの振るったムチがたたき落とす。

「そんな事させる訳ないでしょう?」

 ニヤリと冷たい笑顔を浮かべた彼女はヒュンヒュンとムチをうならせる。

「きゃっ、あぶな……」

 急いで距離を取る。

「とにかく変身するんだもん!」

 モモンの言葉に頷き、ポーリンジュエリーを手に持つぺたる。

「だからさせないっての!」

 再びムチがうなり、ぺたるの手元を狙う。

「それは」

 モモンの手に赤い光の剣が握られる。

「こっちのセリフなんだもん!」

 剣を振り下ろし、火花を散らしてムチを弾く。

「これでもフラワーランドの騎士なんだもん……見習いだけど。さあ、変身だもん!」

 うん、と力強く頷くぺたる。

「ポーリンジュエリーセット! ハートスプリンクラーグルーミングアップ!」

 目に見えないほどの一瞬で変身が完了する。

「みんなの心にサクラサク! 希望に咲く花、ブルームサクラ!」

 いつものポーズと名乗りだが、一人でやった事がなかったので違和感がすごいなとサクラは思った。

 チッ、と小さく舌打ち。

「変身させちゃったか……できればその前に殺しちゃいたかったんだけど」

 いかにも嫌そうな表情でスーツの内ポケットから黒い物体を二つ取り出すネダヤシ。両手に一つずつ持ったそれは真っ黒の球体。手のひらに乗るくらいの大きさのそれを、一息に飲み込んだ。

「ダークハートエナジーオーバードーズ! メタモルフォーゼ、カラシキル!」

 黒い球を飲み込んだネダヤシの体がグングンと大きく、真っ黒な怪物へと変化していく。ツノと翼を持ち、手足に鋭い爪を伸ばしたそれは、物語に登場する悪魔のようであった。

「ウフフ……さあ、どう料理してあげようかしら」

 舌なめずりするように言うその怪物は静かな凶暴さを漂わせていた。

「サクラ、気をつけるんだもん! これだけダークハートエナジーが出ていればムササシが感じ取ってくれるはずだから、みんなが来るまで油断せずに」

 モモンの言葉が終わる前に、サクラの肩が後ろからポンと叩かれる。

「お待たせ」

 振り返るとアネモネ、サンフラワー、シルバー、ゴールドとムササシが揃っていた。

「少し前から気配を隠せてなかったサシ。サクラ、モモン待たせたサシ!」

 ちょっと得意げに白いムササビの妖精は言う。

「よし、じゃあ行くんだもん!」

 モモンの声に頷く一同。

「はあああああっ!」

 サクラをカラシキルの悪魔のしっぽが唸り、ムチのようにして襲う。慌てて後ろへ避ける。そこをアネモネとサンフラワーが左右から同時に攻撃。カラシキルは悪魔の羽を大きく羽ばたかせ、風圧で二人を吹き飛ばす。

「くっ、強い……!」

「シルバーブルーム……マシンガンショット!」

 かなり距離を取っていたブルームシルバーが銀色に輝く弓から光の矢を放つ。それは空中でいくつもの光に別れ、雨のようにカラシキルの頭上に降り注いだ。思わず両腕でかばうカラシキル。そこに

「ゴールドブルームインパクト!」

 光の球をボレーシュートの要領で間髪入れずに蹴り込むブルームゴールド。それは両手をあげてガラ空きになったカラシキルの胴体に叩き込まれる……はずだった。

「なっ……!」

 カラシキルの背中の悪魔の翼が前に回り込んで光の球を受け止め、そして弾き返した。

「うわぁぁっ!」

 自分の攻撃を至近距離で喰らったゴールドは吹っ飛ぶ。まったく防御もできていなかった彼女は倒れ、そのまま動かない。

「ゴールド!」

 ブルームシルバーが駆け寄る。

「ちょっとぉ? 何よそ見してんの。人のこと心配してんじゃないわよ」

 カラシキルが頭上にあげた右手に黒く邪悪な力の塊が出来上がっていく。歪んだ球体のそれは周囲に不快な空気を放ちながら大きくなっていく。恐ろしい力がこもっているのが理屈ではなく本能でわかる、危険なドス黒い不穏なモノ。

「下がって! サクラ、サンフラワー、ブルームシールドよ!」

 アネモネの言葉に従い、三人は並んで花の形の光の盾を顕現させる。

「モモン、僕らも!」

 ムササシとモモンも妖精パワーでシールドを出す。

「ダークハートエナジー、オーバードライブ!」

 カラシキルが作る、黒い球体の周りの闇が更に強く周囲の光を吸い込んでいく。ギュン ギュンと実際には鳴っていない音が聴こえる。

「消えな……アルティメイトフローズンスター!」

 カラシキルの放った黒い邪悪が五人の魔法少女と妖精たちを襲う。必死の防御も押し流し、周辺の全てを根絶やしにした。

「ふう……ふう……さて、この辺にしておかないとね」

 元の姿に戻ったネダヤシは満足そうに言う。その目の前には彼女の攻撃で重大なダメージを受け、変身を解かれて横たわる五人の魔法少女……いや、プリティブルームだった少女たちが倒れていた。

「さて。ここで満足して業務終了するような甘い女じゃないのよアタシは」

 言いつつ、スーツの内ポケットからムチを取り出す。そしてそれを頭上でヒュンヒュンと回す。それは回転とともに禍々しい力を蓄えていった。

「ダークハートエナジー、セントリフュガルディスペア!」

 迷いなく放った、力のみを込めたその攻撃はまっすぐに五人の魔法少女と二人の妖精を襲う。

「ダメ……やらせない」

 フラフラと立ち上がるぺたる。ほぼ意識のない状態のまま、ただ四人を、大切な友達を守りたいという気持ちだけでネダヤシの攻撃の前に身を晒し、両手を広げたのだ。

「だ……ダメだもん!」

「ぺたる! 変身が解けているのよ!」

 萌音とモモンの言葉は彼女の耳に届いていたのかどうか。

 その攻撃を生身で受けたぺたるの体は一瞬で消し飛ぶ。髪の毛一歩残さずに。

「ぺたるーーーーーっ!!」

 薄れていく意識の中、こういう時って謎の光が攻撃から身を守ってくれて、新たな力が芽生えて……とかそういうシーンなんじゃないのとぺたるは思っていた。


(暗転)


 ……あれ、わたしどうしたんだっけ。

 ゆるゆると目を開けたぺたるはまずそう思った。何かあって、何か大変なことがあって。それで……

 とにかく全てが曖昧だった。まず、自分は目を覚ましたのか? 全身の感覚がよくわからなくなっていた。自分の体がまだあるのか自信が持てないくらい、曖昧。

 あ……。今、自分が瞬きをしたのを自覚する。

 てことは目があって、今見えている真っ白なものも自分の目が見ているのか。そう思った途端、自分に顔があって頭があって、そこで物を考えているという実感ができあがる。

 そして自分はどこか、真っ白な空間で横たわっているのだとわかる。少しずつ自分の体の感覚が戻ってくる。固まっていた右手をゆるゆると握ってみる。腕を持ち上げ、自分の目の前に持ってくる。

 ……なんだ、ちゃんとあるじゃん。よしこの調子だ。

 ゆっくりと身を起こす。自分が仰向けに寝ていた場所は真っ白な地面。何もない、どこまでもフラットな床だ。そして周りも真っ白で何もない空間。

 ……なに、ここ? わたし、どうしたんだっけ?

 わたしは……桜川ぺたる。埼矛中学校の二年生で、プリティブルームとして平和を守るために……

 そこまで思い出したものの、それから先の記憶に靄がかかったようになっている。

「えっと、わたしどうしたんだっけ……今日は? 昨日は? その前は」

『自我を取り戻したか。これで話ができるな』

 急に女性の声がした。見ると真っ白な空間に真っ白なローブのような服を着た女性が浮かんでいた。透き通るような白い肌に美しい金髪、片方だけ開いた目は濃い藍色で長い金色のまつ毛に縁取られている。

 綺麗な人、というのが第一印象だった。

『褒められて悪い気はしないな。さて本題だが』

 結跏趺坐のポーズで宙に浮かんでいる女性はそう言った。

「え、ちょっと待って。わたしの心が読めちゃうとか、そういう感じ?!」

 ぺたるのテンションがあがる。

『あ? ああ、まあそうだ。それはいいとして』

「なんて言うんだっけ、テレパシー? ねえ、ここどこなの? ていうかあなたは? わたし何でこんな所に居るんだろ。なんか記憶があいまいっていうか」

 白い空間でキョロキョロと周りを見回しているぺたるに、女性は軽くため息をつき、

『まあ、そういう反応も自然と言えば自然か。ではまず状況を説明するとだな、ぺたる。お前はもう死んでいる。まずここまではいいか』

 ごく自然にそう言った言葉を聞いた瞬間、ぺたるの頭の中に嵐のように記憶が湧き上がってきた。そうだ、わたしはあの時あのおばさんにやられて……

『ショックか? まあ済んだことだ受け入れろ。それでだな』

 話を進める女性。

「じゃあ、ここは天国? 地獄には見えないよね……あなたは神様ってわけ?」

 ふむ、と女性は鼻を鳴らす。

『現状を受け入れるのにもう少し時間がかかるか。我はそうだな……人間からすれば神という存在と言ってもいいだろう。特に齟齬はないはずだ。そしてここは人間が言うところの天国や地獄という死後の世界ではない。その手前、といったところだ』

 女性はゆっくりとした動作で両手を胸の前に持ってきて色々な形に組み合わせている。

『ぺたる。お前は死んだが、別の世界からその魂を強く欲している者が居るのだ。転生というべきか。肉体は元の物を再構築して利用するから存在としての連続性は保たれるが」

 さて、と白い女神は言葉を切った。

「お前はもう元の世界に戻ることはできぬ。もうあちらでの一生は終わっているからな。だが、これから別の世界で生きていくことができる。もし、それを受け入れるならば再び戦わなければならない。魂を喚ぶ者がその為にお前を欲しているからだ。その使命を受け入れるのであれば、何か一つ、何でもお前の望みを叶えてやろう』

 ぺたるはよく理解ができなかったが、とにかくこれから他の世界で生き返れるってことらしい。アニメとかでよくある異世界転生っていうものだろうか。

『そうそれだ、最近はそういうものが物語として語られているらしいな。まったく違う世界で生き、しかも戦いの使命を持つというのは過酷だからな。向こうでお前を喚ぶ者が居るからには最低限の生活はできるだろうが……要はもう一回別の人生で戦ってくれるなら、我が何か一つ願いを叶えてやろうという話だ』

 ゲームの最初に無料でガチャができたり、仲間にするモンスターを貰えたりするようなものか。ぺたるはあまりゲームに詳しくないが、やっぱりそういうのはあるんだなと思った。

「あの……女神様」

 ぺたるはおずおずと手をあげる。

『なんだ』

「わたしが死んだあとって、どうなったんですか? みんなあの後、あのオバサンに勝てたんですよね? 魔法少女が負けるわけないですよね」

 負けてしまった自分は魔法少女失格なんだろうな、と思いながらぺたるは訊く。

『言葉で説明するのも面倒だな』

 と指を空間に伸ばして四角く切り取るようにすると、そこに映像が映し出された。

「ぺたるーーーっ!」

 萌音の叫び声。何もない、ついさっきまでは桜川ぺたるの身体があった空間に視線をさまよわせている。

「そんな……ぺたるん……いやあああああっ!」

 ひまわりが絶叫する。

「なんで……? 変身もしていないただの人間一人がアタシの攻撃を受け止めた? どういう事……? チッ、まあいい。あと四人、きっちりと処分するわ」

 ネダヤシが再びムチを頭上で回転させる。

「……っざけんなああああ!」

 ひまわりが後先も考えずに走る。

「ひゅ……っ」

 その胴体をネダヤシのムチが貫いた。口から鮮血が漏れ、続いて腹の傷口から出血。

「ひまわり!」

 萌音が駆け寄る。その首が一瞬で飛ぶ。

「ちょっ……!」

 ぺたるが咄嗟に神の手をつかんで止めた。

「こ……これが、そうなの? わたしがやられたせいで、こんな……そうなの? こうなったの?」

 ぺたるは白い床に膝から崩れた。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息が乱れる。体中が熱い。頭がグラグラする。

『まあ戦いだからな。そういうこともあるだろう』

 神は当然のように言う。

「あの、みんなは……みんなもわたしのように別の世界に転生したりする、とか?」

 そうであってほしいとぺたるは訊く。

『さあな。死んだ時に他の世界から喚ぶ者とうまく合致しないと魂の召喚は起こらぬ。可能性はあるが非常に低いだろうな』

 そんな……ぺたるはがくりと頭を垂れる。

「ねえ、神様……みんなを生き返らせてもらうっていうお願いはできますか」

 顔を上げたぺたるは白い女性を見て言った。神は少し表情を動かして、

『それは難しいな。時間の巻き戻しはできるが、その場合お前が死んだという事実も取り消すことになる』

 そっか、それじゃおかしなことになるよね。わたしが死んでここに居るからお願いできているのに。

『お前の存在自体を過去に遡って消してしまうならできるが』

 神の提案は、その時のぺたるにとってそれほど悪いことではないように思えた。自分は死んだが、これからどこか知らないところでまた生きていくのだ。自分のせいで友達や親が悲しむこともなくなるし、自分がやられたせいで友達二人がやられてしまうのもなくなるのなら。

「お願いします。わたしは元居た世界で生きていなかったことにしてください。それでみんなが助かるなら」

 わかった、と女性は組んでいた足をほどき、両手両足を伸ばして宙に浮かんだ。それはまるで十字架にはりつけられたような姿勢であった。

『では、お前がこれまで生きてきた全てを消し去る。そしてぺたる、お前はこれから自分を喚ぶ者の世界で生き、再び戦うのだ。だがいいな? ここでお前は自分の為に願いを使わなかった。本来であれば新たな世界で生き抜くための力を得られたはずを、それを無しに生きていかねばならないのだ。それは辛く厳しいものである。わかっているな?』

 聞きながら若干後悔しはじめたぺたるだったが、それでも取り消す気にはなれなかったので頷く。だんだんと目の前がぼやけ、神の言葉が遠くに聞こえてきた。ああ、これで新しい世界に行くんだな、と直感する。

 だが我は、という神の声はもうずいぶん遠くになった。

『そういうのは嫌いじゃないぞ』

 そしてぺたるの意識と存在が完全に消えた。


 

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