Ⅶ
エマニュエルの助言を受けた翌朝、リアムは朝早くから執務室で過ごしていた。理由はもちろん、助けを求める者に応対する為だ。
「ご主人さま。お客様がいらしておりますが……」
執務室の扉を僅かに開け、バーナードが掠れ声で告げる。
「来たか……いいぞ。入らせろ」
深呼吸をし、胸を張って指示すると、バーナードは姿を消し、入れ替わりで来客が部屋に足を踏み入れた。
「ランヴィッツ様。はじめまして。平民区で孤児院を運営しております、サーラと申します」
丁寧に挨拶をしながら現れたのは、浅黒い肌の若い修道女だった。鈴を張ったような目の、素朴だが美しい女だ。
「へぇ。シャマジーク人の修道女か。珍しいなぁ」感嘆の声とともに、リアムは思ったままを口にする。
西の果て、砂漠の真中にあるシャマジーク国は浅黒い肌の民が暮らす小国で、国民の大半がシャムズ教と呼ばれる多神教を信仰しており、一神教であるセレス教の中心地、聖都を住処に選ぶ者は稀だ。その数少ないシャマジーク人のうちで、セレス教の聖職者となる者に巡り合う確率は、殆ど無いと言っていい。
「えぇ。よく言われます」
物珍しそうにするリアムの様子に、サーラは愛想笑いで応えた。
「今日はなんの用? いや待て、当ててやる。金が要るんだろ?」
リアムの言葉に、サーラはばつの悪そうな表情で頷く。
「はい……嘆かわしいことですが、貧民街では子供を棄てる親が多く、孤児が増える一方で……とても教会から支給される予算では足りないのです」
悲しいかな、苦境を訴えるサーラの言葉は、リアムの耳を右から左へと、素通りしていた。今まで遊び人だった男の価値観が、そう簡単に変わるはずもない。リアムの意識は質素な修道服の下に隠れた、豊満な褐色の肢体を思い描くので忙しかった。
「……貴重なお時間を無駄にしてしまったようですね、申し訳ありませんでした」
冷ややかなサーラの声で、リアムは我に返る。サーラは無表情だったが、一文字に結んだ唇と、軽蔑の眼差しから、気分を害しているのは明らかだ。
「ま、待てよ。少し寝不足でボーッとしてて……」
「朦朧とするあまり、私をいやらしい目で眺めていたと仰るのですか?」
「い、いや違うんだ——」
リアムは慌てて取り繕おうとするが、サーラは相手にしない。
「いえ。もう結構です。下衆な男だという噂は聞いておりましたが、きっとそんな方も、奥底には善意を秘めていると信じ、ここに……」
口惜しそうに唇を噛み、サーラがかぶりを振る。
「私が馬鹿でした。失礼致します」
「お、おい!」
リアムの制止を振り切り、サーラは一度も振り返ることなく、ランヴィッツ邸を後にした。
「司祭さまよぉ……しくじっちまったよぉ」
数時間後、ワインをしこたま飲んだリアムは、エマニュエルを屋敷に呼び出し、泣きついていた。ことの顛末を聞き、エマニュエルはリアムの酔いを覚ますように、その頬をぴしゃりと叩いた。平手打ちが思いのほか強く、痛みと驚きからリアムは瞬く間に素面になる。一見すると乙女のような顔立ちの、華奢な司祭の一体どこからこんな力が出るのだろうかと、疑問に思わずにはいられない。
「ここで諦め、酒に溺れてどうするのですか。悪いと思っているのなら、サーラさまに詫びるべきです。過ちと向き合うこと——それが誠意なのでは?」
涼しげな声で発せられる言葉のひとつひとつは、信心を持ち合わせていないリアムに、まるで天啓のように響く。
「……俺、あの人に謝ってくる」
力強く立ち上がり、部屋を飛び出そうとするリアムを、エマニュエルが止めた。
「リアムさま。こういったことは、衝動的に成すべきことではありません。まずは数日、時間を置くのです。それと……」
「それと、なんだよ?」
「……お風呂に入ることをお勧めします。少しは身だしなみを整えないと」
エマニュエルはそう言うと、手振りで鏡を見るよう促す。鏡には、服装が乱れ、髪と髭が伸び放題の、汚らしい若者が映り込んでいた。
「……こりゃひでえ」
その乱れ切った姿に、リアムは恥ずかしくなって笑った。
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