Ⅵ
貯蔵庫に侵入するのは、簡単だった。建物の構造は知り尽くしていたので、真夜中の闇の中を松明無しで移動出来たし、衛兵たちの巡回経路はそもそも父の存命中にエリクが立案したものだったので、簡単に裏をかくことができた。問題が起きたのは貯蔵庫に火を付けたあと、樽を壊したときだ。樽に開けた穴から溢れ出すワインを見て、思案に耽ってしまった。ランヴィッツ家の財産、いわば家の命であるワインが、まるで傷口から出血するように、止めどなく流れている。自分は、かつて自分のすべてだったランヴィッツ家を、傷つけているのだ。自らの行いの意味に直面し、エリクは揺さぶられた。その後、復讐心が再び首をもたげるまでにそれほど時間は掛からなかったが、火を見た衛兵が侵入者の存在に気付くには十分だった。警鐘が鳴らされ、瞬く間に取り囲まれる。反射的に剣を抜いたが、目の前に立つ衛兵は皆、少し前まで部下だった男たちだ。真っ先に斧槍を振り下ろしてきた若い衛兵ザッカリーは、ひと月前に結婚したばかりだった。彼等に恨みは無い。どうしても傷付けることはできなかった。
「——それで、怪我をして帰ってきたというのかい?」
エリクの背に刻まれた傷を縫い合わせながら、オーガストが呆れたように言う。
「……復讐の相手は弟と継母だけだ。あの者らに罪は無い」
「君は優しいな。少し優しすぎる」
ぽつりと呟くオーガストの声色から、失望しているのがありありと感じられた。
「まぁいい。良い報せだ。君の継母に近付く為の準備が整ったよ」
傷を縫い終え、エリクの肩をぽんと叩きながら、オーガストが告げる。
「本当か⁉︎」
詰め寄るエリクに、オーガストは懐から純白の小さな包みを取り出して渡す。包みを開いてみると、それは白いシルクのハンカチで包まれた、純銀の鍵だった。
「これは……?」
「君の継母の寝室の鍵だ」
「盗んだのか?」
「心外だな。僕はこれでも創造主のしもべだよ? イヴリン本人から貰ったんだ」
一体どうやって——と、訊ねようとしたところで、エリクは思い直した。女が男に寝室の鍵を渡す理由など、ひとつしかない。聞くだけ野暮だ。
「次の聖日、真夜中になったら修道僧のローブを着て屋敷に行くといい。衛兵たちは止めないはずだ。フードで顔を隠すのを忘れずに……」
オーガストがにやりと笑う。
「君の継母だが、正直言って殺すには惜しい女だよ。実に美しく、ふしだらで、たまらない声で鳴くんだ……一緒に過ごした時間は、とても有意義だった。初めて会った夜なんて——」
聞くに堪えず、エリクは急いで服を着ると、逃げるように地下室を出た。
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