Ⅲ
「——それで、君はどうしたんだい? 誰にその憎悪を向けた?」
オーガストが眼を爛々と輝かせながら訊ねる。
「弟に決まっている」
エリクはふん、と、自嘲げに鼻を鳴らした。
「しかし、私は誰も刺さなかった……いや、刺せなかった」
「というと?」
「邪魔が入ってね。執事のバーナードが割って入り、あろうことか杖で私の剣筋を逸らしたのだ」
萎びた老人が杖で応戦する様子を想像し、オーガストは心底愉快そうに笑った。
「それは傑作だね。この目で見てみたかったよ」
エリクも小さく、自嘲げに笑う。
「あの老ぼれめ。見かけによらずなかなか素早くてな……そのあと、弟が衛兵を呼んだ。私は屋敷を飛び出し、そして……」
エリクが口ごもった。ことの顛末をオーガストに語るうち、すべてを失ったという現実が、再び重くのしかかる。
「君が手にする筈だったものが、相応しくない者に奪われる——その痛み、僕にはよく分かる……よく分かるとも」
慰めるように言いながら、オーガストがエリクの肩に手を置いた。
「君はこれからどうするつもりかな? 己の運命を呪い、弟を呪い、創造主を呪いながら、この蛆の道で朽ちていくか——」
オーガストの声に熱がこもる。優しく、それでいて力強い言葉の抗い難い引力に、エリクはすっかり心を鷲掴みにされていた。
「——それとも、彼らに報いを受けさせるか。君を現在の苦境に追いやった、ランヴィッツ家の人々に……君にその気があるなら、協力は惜しまない。さぁ、どうする?」
心中で燻る火種に、優しく息を吹きかけるような囁きは、瞬く間にエリクの復讐心を燃え上がらせる。エリクはオーガストを見つめ、黙って頷いた。笑みを浮かべ、オーガストが手をぽんと叩く。
「そうと決まれば、早速始めよう」
オーガストは座り込んでいたエリクを軽々と抱え、立たせた。さらに落ちていたレイピアを拾い、エリクに握らせる。
「地上に出たら、平民区の貧民街にある宿屋『赤熊亭』を訪ね、店主にこう言うんだ——『悪徳もまた、創造主の造りし物なり』と。そうすれば、隠れ家を提供してもらえるだろう。そこに潜み、僕の到着を待つように……」
そう言い残すと、オーガストは振り返り、足音ひとつ立てずに歩き出した。その背中に、エリクは疑問を投げかける。
「何故、私を助ける?」
オーガストは足を止め、エリクの方に向き直った。
「僕は神父だ。創造主のしもべは、いつだって苦しむ者に手を差し伸べるものだろう?」
芝居がかった、わざとらしい答え方だ。
「貴公のような神父が居るものか」
エリクが呆れて言うと、オーガストは再び歩き出す。灯が遠ざかり、やがてトンネルは、再び闇に包まれた。
「そうとも。居るはずがない」
オーガストの声の、背筋の凍るような響きを残して。
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