イリーナと付き合いますか? YES or YES

——イリーナ・フォン・ルーカリア視点——


「いやぁあああああああああ!」


 私は汗だくの状況で目を覚ました。

 体が小刻みに震えている。

 とても、とても嫌な夢を見たのだ。


 ここ最近、毎日のように嫌な夢を見る。

 どんな夢かは覚えていない。

 でも、不快で、心の奥底を抉ってくるような恐ろしい夢だ。


 この夢を見続けたら間違いなく私は私でなくなる。

 そんな気がした。


 それが怖い。

 自分のことを自分で制御できなくなったら……。

 私はどうなってしまうのだろう?


 そんな想像をして私はゾッとした。

 震える体を抱きしめるように、私はベッドの上で弱々しく呟くのだった。


「助けて……ルイ……」



+++



——ルイ・フォン・アームストロング視点——


「おーい、おーい! イリーナ!」

「……えっ? な、なにかしら?」


 あのイリーナの大告白から三日後。

 俺たちは毎日、昼休みに空き教室で弁当を食べながら作戦会議をしていた。


 でもここ最近、なにやらイリーナの様子が変だった。

 どこか上の空というか、ずっと調子悪そうにボンヤリとしている。


 もしかして……。


 俺はふと、とある予想を立てていた。

 夏休みが明けて三週間ほど。

 確かにそろそろが接触してきてもおかしくない頃合いだ。


「どうしたんだ、調子悪そうだけど」

「いえ……最近寝つきが悪くて」

「もしかして悪い夢でも見てるんじゃないか? 怖い夢とか?」


 俺が尋ねると、イリーナは胡乱げな表情を向けてくる。


「なんで分かるのかしら? もしかしてストーカーしてる?」

「いやいや、違うって! ただ寝つきが悪いって言ってたからさ」

「ふふっ、冗談よ。……まあ嫌な夢を見てるのは当たっているわ」


 ……やっぱり。

 ということはイリーナに邪神が接触しているのだろう。


 この世界において、人の心の中には『光因子』と『闇因子』というものが存在する。

 そしてそれぞれ対立し合っているものだが、大抵の人はその二人がバランスよく心の中に存在する。


 しかしたまにそのバランスを崩してしまう人もいる。

 例えば『光因子』に傾けば他人を疑うことができなくなるし、逆に『闇因子』に傾けば他人を信用できなくなる。

 それが行き過ぎると、誰彼構わず助けようとするとか、誰彼構わず攻撃し始めるとかになってくる。


 だからバランスがとても大事なのだが、悩みを持っているヒロインたちはどちらかといえば『闇因子』に傾いていることが多い。


 そこを邪神に突かれて『闇因子』を増幅させられ、最終的に自分の復活のための依代にしようとしているのだ。


 父が参加した第一次邪神戦争において、邪神の肉体はほぼ消滅しかかっている。

 つまり以前ほどの能力を発揮できない状況になっているのだ。

 邪神はそれを解決すべく、できるだけ『闇因子』に傾いていて、才能を持っている人間を探し回っているわけだ。


 ちなみに主人公アレンくんは『光因子』の権化みたいな人間なので、それにより邪神と対抗することができる。


 そして、イリーナに邪神が接触してきたということは、やっぱりまだ彼女は『闇因子』のほうが大きいらしい。

 おそらく俺の悪評を取り除かないと、これは解決できないのだろう。


 というわけで、できるだけ早く俺の悪評を取り除かないといけないのだが——。


「う、うぐっ!」


 突然、イリーナが頭を抱えるようにして蹲った。

 マズイ!

 邪神のやっている『闇因子』の増幅は、いわば過去のトラウマや古傷を抉るような行為だ。

 もちろん、そんなことをされたら痛みや苦しみを伴う。


 つまりイリーナが目の前で苦しんでいるということは、現在進行形で『闇因子』が増幅しているのだろう。


 増幅した『闇因子』を取り除く方法は一つだけある。

 ゲームでもアレンくんが毎度使っていた方法だ。

 それは——キス、接吻とも言う。

 もっと言うと、体液の接触によって、『闇因子』を譲渡することができる。


 何故キスなのかと問いただしたいところだが、まあゲーム世界なのでそこら辺は仕方がない。


 ともかく、現状苦しんでいるイリーナを助けなければならないのだが。

 そのためにはキスをしなければならないわけで。


 俺は咄嗟に、蹲る彼女の肩を触ろうとしたんだけど——。


 

 


 そんな考えが頭をよぎった。

 今、俺がイリーナを助けてしまえば主人公アレンがイリーナと仲良くなる機会を完全に失う。

 そうなった場合、邪神に対抗するのが難しくなるはずだ。

 何故なら邪神に対抗できるほどの『光因子』を持っているのがアレンしかいないから。


 しかし苦しんでいるイリーナを放っておくこともできない。


 ……俺はただのモブだ。

 無能でスライムに殺されるモブだ。

 もちろん、邪神に対抗できるほどの力なんてない。


 でも——。

 俺は彼女の笑顔が見たいんじゃないのか?

 苦しんでる姿は見たくないだろう?


 俺はイリーナが好きだ。

 彼女には幸せになってもらいたいし、心から笑っていて欲しい。

 もう今まで十分苦しんできているはずだ。

 そんな彼女には報われて欲しいし、俺がなんとかしてあげたいと思っている。


 だったら……俺が全てを救うしかない。

 ゲームにおいて、主人公は中途半端だった。

 ヒロインも完全に救えず、邪神も完全に倒しきれない。


 だったら、俺がなんとかして全てを救い出し、トゥルーエンドを迎えさせる。

 本当に救えるかは分からないし、できるなんて確証はない。

 でも、それでも、俺はやるしかない、彼女たちの本当の笑顔を見るためにも——。


 俺は覚悟を決めてイリーナの肩を抱くと、優しい声で言った。


「イリーナ、大丈夫か?」

「……ええ、なんとか」

「そうか。こんな状況で言うのもなんだけどな、前に俺のもう一度聞かせて欲しいって言ってただろ?」


 俺が言うと、彼女は目を見開きこちらを見てきた。

 そこには戸惑いの表情が浮かんでいる。

 俺はすうっと思い切り息を吸い込むと、ゆっくりと、ちゃんと伝わるように言葉を紡いだ。


「俺にとってイリーナは好きな人だ。俺はイリーナのことが好きだ。大好きなんだよ。とても、とても好きなんだ」


 するとかあっとイリーナの顔が赤くなっていく。

 もう頭の痛みは落ちつてきているのか、頭を抱えていた手は今度は顔を隠すように移動した。


 しばらくしてイリーナは細々とした声で聞いてきた。


「……本当?」


 その問いに、俺ははっきりと堂々と答える。

 俺はもう迷ったり悩んだりしない。

 彼女たちのために、俺は全てを出し尽くし、全てを救い出す。


「ああ、本当だよ。俺は、イリーナのことが好きだぞ」


 すると彼女は俺に寄りかかり、体重を預けてきながら幸せそうに言った。


「嬉しい……嬉しいわ、凄く」


 ここで断られていたら一貫の終わりだったが、なんとか受け入れてもらえたようだ。

 イリーナは噛み締めるように、言葉をポツリポツリと紡いでいった。


「最近、色々と考えていたの。自分の感情について。そして貴方のことについて」


 俺は彼女の言葉をただ黙って聞いていた。


「でも何度考えても答えは同じだったわ。私は貴方が好き。好きになっちゃったんだって、そう思うの」


 それから彼女は身を捩り、向かい合うように俺の目を見た。

 その表情はとても真剣で、かつとても幸せそうだった。


「ねえ、ルイ。私は貴方が好きになっちゃったわ。だから——責任取ってよね」


 そう言って自然とイリーナは目を閉じた。

 俺は彼女の淡い桃色の唇に、自分の唇を重ね合わせる。


 同時に俺は彼女の中にある増幅した『闇因子』を取り除くように、自分の中に流れ込むイメージをした。

 するとドンドンとどす黒いものが俺の中に物凄い勢いで流れてくるのを感じる。


 苦しい。

 頭が割れるように痛い。

 心が悲鳴を上げている。


 流れ込んでくる大量の『闇因子』によって、俺の心は徐々に暗く沈んでいき閉ざそうとしてくる。


 アア、イッソノコト、スベテ、ハカイシテ、シマオウカ。

 ダレモ、オレノコトヲ、ココロカラ、アイシテクレナイ。

 ドウセ、コイツダッテ、オレノコトヲ……。


 深く、深く、心が落ちていく——。

 闇の底へと沈んでいくのを感じる。


 しかし。


 俺が闇堕ちしてしまえば、間違いなくイリーナは悲しむ。

 それだけは避けたかった。

 なんとか、心を保とうと踏みとどまる。


 でも、今の状況で唇を離されれば、俺は間違いなく……。


 そう思っていたその時、イリーナは逆に俺の体を抱き、伺うように舌で唇を叩いた。


 …………ああ、イリーナ、やっぱり君は素晴らしいよ。

 それにより、俺はなんとか心を持ち直すことに成功した。


 もう大丈夫。

 心は晴れ渡っている。


 唇を離し、俺は一歩下がった。


「あっ……」


 どこか寂しそうな声が聞こえてきて、俺は少し茶化すようにイリーナに言った。


「ははっ、続きはまた今度な」

「……もう、分かったわよ」


 照れたように視線を逸らし、彼女は言う。


 イリーナは自分の『闇因子』を抜かれたことに気が付いていないみたいだ。

 まあ『光因子』とか『闇因子』の概念はこの世界には浸透していないからな。


 まだ俺の頭は割れるように痛いし、気を抜けば心が沈んでいきそうだ。

 でも、それを見せれば間違いなくイリーナはまた俺を助けようとするだろう。


 しかしこれには解決方法なんてない。

 だから俺は絶対に彼女には隠し通すと決めた。


 それにほら、『俺の左腕が疼くぜ……』みたいな感じがしてかっこいいだろ?


「それじゃあ……改めて、よろしくな、イリーナ」

「ええ、こちらこそ、よろしくね、ルイ」


 俺たちは目を合わせ、照れたようにはにかんでそう言い合うのだった。

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