いい感じだったのに結局締まらない男

 謹慎が明け、俺はいそいそと教室に向かう。

 さて、みんなからなんて言われるかなぁ。

 どんな罵詈雑言が飛んでくるか、少し楽しみである。


 あ、いや、別に俺はMじゃないからな?

 ただちょっと悪口を言われるのも懐かしいなぁ〜って。


 俺は前世の小学校でも虐められていた。

 と言っても不登校にはならず、いじめっ子たちを『ふっ、ガキどもが何か喚いてら』と斜に構えて見ていただけだ。


 あれからだろうな。

 俺が逆張りオタクになったのは。

 彼らのせいで歪んだのは事実だ。


 ともかくそう言うわけで、俺は悪口に対する耐性はあるし、久々に子供たちが精一杯考えて口にする悪口を楽しむ余裕もあるんだな、これが。


 ガラガラと教室の扉を開け、中に入る。

 すると思った通り、ヒソヒソと陰口大会が開かれる。


『よくものうのうと教室に来れたわね』

『マジ、あの顔見るだけでムカついてくるわ』


 語彙センスに乏しく、つまらない陰口だらけだった。

 なんだか拍子抜けだ。

 もっとこう、心にくるようなセンスのいい悪口はないのだろうか?


 グルリと教室を見渡して、イリーナの姿を確認する。

 彼女の席の周辺には二人の女の子がいた。

 名前は……知らん。

 彼女たちは別にヒロインではなかったし、ただのクラスメイトその1とその2みたいだった。


 俺もといルイよりもよっぽど影の薄い少女たちだ。

 そう考えると、ルイは設定や名前があるだけマシか……?


 赤茶色の髪を無造作に束ねているそばかすの少女と、眼鏡をかけてオドオドしている気の弱そうな少女の二人だ。

 多分、彼女たちは俺が謹慎している間に、イリーナと友達になってくれたらしい。

 楽しそうにイリーナと会話をしているな——と思っていたのだが。


 イリーナはいきなり周囲を睨みつけ、バンッと机を強く叩こうとして——二人の少女に止められていた。


 おおっ!

 危ない、彼女が感情に任せて俺を庇えば間違いなく、イリーナの立場は逆戻りだ。

 そのことに気がついて、二人の少女たちが止めてくれたのだろう。

 二人には心の中で感謝しながらも、俺は涼しい顔で教室に入り自分の席に向かった。


『よくも平然としていられるな』

『一緒の空気を吸ってるだけで腹が立つわ』


 う〜ん、五十点。

 まだまだ悪口のセンスが足りてないぞ。

 もっと磨いてから出直してくるように。


 それから、休憩時間を挟みながら四限分の授業をこなしていく。

 その間、ずっとイリーナが俺の方をチラチラ見て、話しかけたそうにしていたが、話しかけてくることはなかった。

 おそらくあの二人が何か言ってくれたんだろうけど、イリーナは二人にどこまで話したんだろうな?


 昼休み、このままじゃあイリーナが爆発しそうだったので、俺はカフェテリアまで昼食を食べにいくふりをして校舎裏までやってきた。


 しばらく待っていると、イリーナが顔を出した。

 しかも物凄く仏頂面だ。


「……私は、ルイがあんなふうに言われているのが耐えられないわ」


 開口一番そう言われた。

 挨拶とかもないらしい。


「まあまあ、言いたい奴には言わせておけばいいんだよ。あんなんで俺を傷つけることはできないしな」

「でも……」


 まだ何か言いたそうにしているイリーナに俺は被せるように言った。


「それにさ、俺はイリーナが幸せにしていてくれて、笑顔でいてくれればいいんだよ。それ以上は望まねぇ」


 俺の言葉にイリーナは目を見開き、照れたように視線を逸らした。


「そ、そう。そう言ってくれるのはありがたいけど……」

「イリーナだってクラスに立場ができて、友達もできたみたいじゃないか。それじゃあダメなのか?」


 そう言うと、イリーナは困ったように視線を泳がせる。


「確かに今の状況は私が望んでいた世界だわ。でも……だからって、貴方が犠牲になるのは……」

「イリーナにとって俺も結局はただのだしな。イリーナは俺を踏み台にして幸せになればいいのさ」


 ふっ……なんかかっこいいこと言ってしまったぜ。

 そう自分のセリフに酔いしれていると、イリーナは何かに気がついたようにハッと俺の方を見た。


「そう、そうね。確かにルイは私にとってただの他人ね」

「そうだろう、そうだr——」

「でも——貴方はさっき言ったわよね。私が幸せで笑顔でいてくれればそれでいいって」


 俺は腕を組み頷こうとした状態で固まる。

 ……ん?

 なにを言おうとしてるんだ、彼女は?


 そう首を傾げていると、イリーナはとんでもないことを言い出した。


「それじゃあ、ルイ、貴方も幸せになりなさい。貴方が幸せになることが、私が幸せになることの条件よ」


 ……ホワイ?

 なにをおっしゃっているのかしら、彼女は。


「いやいや、イリーナにとって俺なんて取るに足らない存在だろ?」

「そんなことないわ。私がルイのことを、す、す、好きになった可能性だって少なからずあるのだから」


 そんなことあるのか?

 微粒子レベルの可能性だぞ、それ。


 何故か照れたように視線を逸らして言うイリーナに俺は思わず頭を振る。


 確かにイリーナは謹慎中の俺の部屋に侵入してきたりしたが、あれは恩を返すためだったはず。

 実はイリーナは俺のことが好きで、俺と会うための口実として恩を返すって言っていただけなんて、そんなラブコメみたいなシチュエーション、あるわけない……よな?


「本当に……俺のことが好きなのか?」

「……ッ! そ、その可能性もあるかもしれない、って話よ」


 ああ、可能性、可能性ね。


「でも、貴方への悪口が無くならない限り、私が幸せになって心から笑えることはないわ」

「なんで……」

「だって私を救ってくれた貴方を周囲の人が悪く言っていたら、そりゃあ心にしこりが残るってものでしょう?」


 そう言うものなのか。

 そこら辺の感覚は俺には分からない。


 ただイリーナは優しく微笑んで、俺に手を差し伸べてきながらこう言った。


「ルイ。私と一緒に幸せになりましょう? 貴方だけが不幸になるなんて、私が許さないわ」


 そう言ったイリーナは、不遜でプライドが高くて、かつ自信に溢れている、最高に可愛いヒロインなのだった。




「あっ、そういえばイリーナ」

「なにかしら?」

「いや、決め台詞を言った後に凄く申し訳ないんだけどな……」


 俺が言いにくそうにしていると、イリーナは不思議そうに首を傾げながら先を促してくる。


「どうしたの? 早くしないと予鈴が鳴るわよ」

「そう、そうだよな……。いやね、前にお前が部屋に侵入してきた時、着ていた下着の装飾が取れたみたいでな……流石に返したほうがいいかなぁって」


 そう言って俺はポケットから布でできた花びらを取り出す。

 それはおそらく下着についていた装飾用の花びらだろう。

 前に俺がイリーナの部屋に侵入した時に、これがついている下着を確認している。


 それを見たイリーナは徐々に顔が赤くなっていき——。


「バカっ! 変態! 死ね!」


 そう言って俺の手に乗っていた花びらを引ったくると、物凄い勢いでその場を去っていった。

 俺には彼女の顔の赤さが、羞恥によるものなのか怒りによるものなのか、いまいち判断できないのだった。

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