悪役に徹する覚悟ができました
さて、生徒会長直々に女子寮に忍び込む許可を得た俺は、早朝、さながら清掃員の姿で女子寮の窓を必死に拭いていた。
対外的には『ルイくんは不真面目なので、男子寮と女子寮の清掃をさせ、心身ともに鍛え直す』という発表になっている。
女子寮だけではなく、男子寮の掃除もしなければならなくなったのだが、ここは必要経費だと思って割り切ろう。
ちなみに早朝に掃除をしているのは、この時間、イリーナは朝の鍛錬のために部屋にいないからだ。
努力を見られたくない彼女からすれば、みんなが寝静まっている早朝に鍛錬するのが都合いいのだろう。
今回の作戦の詳細を簡単に説明すると、『不真面目な生徒が女子寮の掃除を任されたことをいいことに女子の部屋に無断で入り、そこでふと少女の努力の証である予習復習ノートを見つけ出してしまう。その不真面目な生徒は努力を馬鹿にしているので、努力の結晶であるそれを周囲に見せつけながら、心底馬鹿にし出す。しかし周囲の人間はその少女の努力を知り、同時にヘイトが不真面目な生徒に向く』という筋書きだ。
この一芝居で第三フェーズへの準備が整うことになる。
俺が悪役で、イリーナは努力を馬鹿にされた可哀想な人、という認識が周囲に広まっていく。
努力を馬鹿にするクズな男VS努力を馬鹿にされた頑張り屋の少女、という構図の出来上がりだ。
まあここで、アレンくんが俺を糾弾し、イリーナを慰めてくれれば御の字だな。
やっぱり推しと対立するのは心苦しいが、俺の目標はヒロインたちを笑顔にすることと死亡フラグの回避だ。
そもそも俺はモブであり、無能貴族だからな。
彼女たちを実際に救うのは結局、主人公くんでなければならないのだ。
と言うわけで、俺は清掃をしながら女子寮の様子と逃走経路を確認すると、作戦決行に移った。
——のだが。
俺は肝心なところで失敗してしまうらしい。
イリーナの予習復習ノートの一部をカバンに詰めていると、あろうことかイリーナが帰ってきてしまったのだ。
目と目が合う瞬間、好きだと気づくことはなく、と言うより今すぐにでも殺せそうな殺意を向けられていた。
これは明確な殺意だ。
必殺と書いて必ず殺すと読むようなあり得ないくらいの殺意だ。
思わずタマキンが縮み上がる。
運が良かったのは、すでに予習復習ノートはカバンに詰め終わっていたことだ。
しかし同時に運が悪かったこともある。
予習復習ノートはもちろん隠されていて、その隠し場所が何故かタンスの下着入れの奥だったのだ。
何でそんなところに隠すんだよ! もっと隠し場所あっただろ!
つまり、俺の手にはイリーナの下着が。
そして床にも大量の散らばった下着が。
うん、言い逃れできませんね、こりゃあ。
俺は引き攣った口を無理やり開けるととりあえず世間話に挑戦してみた。
「や、やあ。こんなところで会うなんて奇遇だね。今日も天気がいいし、はは、美人なイリーナさんと出会えるなんて運がいいな俺は」
そう言う俺を絶対零度の視線で見つめながら、底冷えするような声で淡々と告げる。
「当たり前じゃないかしら。だってここは私の部屋だもの。当然よ」
「そ、そうなんですか〜。いやぁ、気がつかなかったなぁ。失敬失敬」
ジリジリと詰めてくるイリーナ。
ジリジリと窓際に追い詰められていく俺。
「はは、ええと……許してくれたりは、しないですよね?」
「当たり前でしょう? 逆に許されると思っているなんて相当頭の中がお花畑みたいね」
うん、終わりです。
俺は部屋の窓を思い切り開けると、そこから身を放り投げるように飛び降りた。
「さ、さらばだ!」
「あっ! このっ! 待ちなさい!」
ふぅ、ここが二階の部屋で助かったぜ。
これが四階とかだったら確実に死んでいた。
全力で明後日の方向に逃げる。
何とか逃げ切れたみたいだ。
「……ハハッ。いくら悪役に徹すると覚悟を決めていても、好きなヒロインからあんな目を向けられるのは堪えるなぁ」
思い出されるのは心底侮蔑したような表情、視線。
ゲーム内のことではあったが、一度は好きだと思った相手なのだ。
流石に人として軽蔑されるような視線を向けられるのはしんどい。
でもこれは俺が決めた道。
彼女が幸せになるには、おそらくこれが一番いい。
ゲーム内でもイリーナは特に不幸を引きずっていた。
しかもエンディングを迎えても、悪評は解消していなかったからな。
トゥルーエンドを見たいと思ってしまっても仕方がないだろ。
基本的に、この【やみきゅう】はハッピーエンドでもヒロインたちの心に影を残したまま迎えることが多い。
トゥルーエンドを切実に求められていたが、そういう方針なのか開発陣はそれを出すことはしなかった。
だから俺はみんなの心から笑う姿を見たことがない。
一度でもいい、一度でもいいから俺はそれを見てみたかった。
一人のオタクとして、一人のファンとして。
——もう後戻りはできないだろう。
全ての憎悪や憎しみを受けても、俺はヒロインみんなを幸せにする。
今までは何となくそう思っていただけだったけど、今回ようやくその覚悟を実感できた。
「俺の人生なんてクソ喰らえだ。ここまできたら死亡フラグも知ったことか。俺は彼女たちの幸せな笑顔を、心からの笑顔を見れればそれでいい」
自分の決意を口にする。
俺はもうブレない。
そうと決まれば、早速行動開始だ。
彼女が邪神に闇落ちさせられるまで、もうあまり時間は残されていないのだから——。
+++
——イリーナ・フォン・ルーカリア視点——
私は夏休み明けの初日、とある少年と話をした。
彼は怠惰で気怠げで、努力なんて馬鹿にしたような人間だった。
しかしそんな彼は私のことをよく見ていて、私の努力を何故かよく知っていた。
おそらく観察眼に優れているのだろう。
少年は私の苦しみを理解したように、それを癒すような言葉をかけてくれた。
その時はいきなり優しい言葉をかけられて、混乱して心が大きく乱れてしまったが。
後々ゆっくりと考えてみると、彼のその怠惰な姿も何かしら理由があってしているのでは、と考えるようになった。
彼に苗字はない。
ルイ——名前はそれだけで、暗に彼が平民であることを示していた。
つまり、彼はあのほぼ不可能とされる平民からの合格をもぎ取った天才に他ならないのだ。
そのことに気がついた時、彼の見方が変わった。
おそらく陰で死ぬほど努力を重ねていて、しかし私と同様、それを表に出さずに悪評を受けている。
何故、彼がそれを表に出さないのかは分からない。
でも何かしらの理由がある……最近はそう思うようになっていたのに。
彼が女子寮の清掃員を任され、私の部屋に忍び込んでいた。
私が早朝に鍛錬している間に、彼は私の部屋で下着を盗もうとしていた。
ただのストーカーだったのだ。
今まで期待していた分、その反動で侮蔑に変わった。
裏切られた、そう思ってしまった。
……やっぱり他人は信用しないほうがいい。
他人とは関わらないほうがいい。
そう思いながら、私はどの下着を盗まれたのか確認すると——。
「……あれ、どうして? 何で下着が一枚も盗まれてないの?」
何故か下着は一枚も盗まれていなかった。
その代わり、奥に隠してあった私の予習復習ノートの一部が盗まれていた。
…………何故?
混乱する。
彼は私の下着目当てで忍び込んだんじゃないの?
どうして予習復習ノートが盗まれているの?
分からない。
何も理解できない。
もしかすると、下着を盗もうとしたところに、たまたまノートを見つけ、興味本位で盗んだって可能性もある。
しかしそうすると、何で下着が盗まれていない……?
何かしら、何かしら彼なりの考えがあるのが分かった。
でもその考えが何かがさっぱり読めない。
だが、その答え合わせの日はすぐにきた。
侵入されてから次の日、何故かルイが悪者になっていて、私が努力を馬鹿にされた可哀想な子になっていた。
そこでようやく気がつくことになる。
彼は私に危害を加えたいわけじゃなかった。
むしろその逆だ。
ルイは自分を悪者に仕立て上げ、私の悪評を払拭しようと動き回っているのだ。
彼に盗まれたはずのノートは彼自身によって公表された。
しかも——。
『なあ、見ろよ! イリーナの奴、こんなに努力してるみたいなんだぜ! ハハッ、馬鹿だろ!』
なんて言いふらしながら。
ルイも私と同じくらいの悪評がついている。
真摯に私の努力を周囲に説いたところで、影響を与えられないことを分かっていたのだろう。
だからこそ、自分を悪者に仕立てながら私の努力を周囲に知らしめようとした。
結局、人間は勧善懲悪が好きなのだ。
努力を馬鹿にする悪者を、努力しているヒーローが打ち倒す話が好きなのだ。
そして、しっかりとその通りになるように、周囲が扇動されている。
全て、ルイの手のひらで転がされるように——。
それに最近、周囲の見る目が変わりつつあることに違和感を覚えていた。
これらも全て、彼が仕組んだことなら……?
私は酷く後悔した。
彼が何故リスクを負ってまで私の部屋に潜り込んで、その時何を為そうとしていたのかを知らずに、知ろうともせずに糾弾してしまった。
侮蔑の視線を突きつけてしまった。
その時、彼はすごく悲しそうな顔をしていた。
そして……この流れも彼の思惑通りなのだろう。
学園内で、ルイを糾弾する声が急激に増えていき、それに反して私に同情し応援してくる声が増えてきた。
なんて身勝手な人達なんだろうと思うが、間違いなく彼はこの筋書きを思い描いていたはずだ。
その声は恐ろしい速度で広がっていき、それに収集をつけるように、唐突に生徒会がこんな発表をした。
『ルイという男子生徒が、つい先日、懲罰である清掃中にイリーナ・フォン・ルーカリア嬢の寝室に侵入した。これは許されざる出来事である。このまま退学にすることも可能だが、それだとみんなが、そして侵入されたイリーナ嬢本人が、納得できないと思う。そこで、ルイとイリーナ嬢の決闘を開催することに決定した。これは学園長も見に来られ、その戦いぶりで懲罰の重さを決定することとする』
そんな一文が書かれた紙が、学園内の掲示板に張り出された。
おそらく私に話を通さなかったのは、通せば反対されると分かっていたからだろう。
やっぱり全て、彼の手のひらの上だったのだ。
ここで私がルイをコテンパンにすれば、周囲の生徒たちは悪を討伐した正義として私を持ち上げ、もしコテンパンにできなくても、悪を許した慈悲に溢れる正義のヒーローとして持ち上げる。
どう転んでも、私が周囲に認められ、悪評が払拭されるようになっていた。
どうして彼が私にここまでしてくれるのかは分からない。
でも彼は人生を賭けて私に最高の舞台を作り上げてくれたのだ。
そのことが分かればそれで十分である。
——もし、彼が全世界を敵に回すようなことになっても、私だけは彼のことをずっと信じて慕い続けよう。
自分の心の中にそんな気持ちが芽生えるのを、私はしっかりと感じ取るのだった。
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