主人公の重大フラグを堂々とへし折る男

 イリーナ・フォン・ルーカリア公爵令嬢。

 彼女はこの作品【闇落ちヒロインと救世の勇者】において随一の頑張り屋さんだった。


 ちなみに【闇落ちヒロインと救世の勇者】は【やみきゅう】と略されることが多い。

 これマメな。


 しかし彼女はその努力を才能だと決めつけられ、病んでしまう。

 そこを邪神に狙われて、闇落ちするのだ。


 俺は基本、推しは作らずヒロイン皆平等に愛するをモットーに生きている。

 だから彼女もまた、俺の愛したヒロインだった。

 しかし今回は彼女に構っている暇はない。

 なにせ自分の命がかかっているのだからな。

 流石に恋事情に現を抜かしている暇はない……そう思っていたのだが。


 きゃあ! なにあれ、可愛すぎるんですけどぉ!

 太陽の下で輝く真っ白な肌!

 燦々と辺りに神々しさを撒き散らす綺麗な銀髪!

 どこか気を張っているような釣り上がった碧い目!

 スタイルはお淑やかだが、ちゃんと女性らしさも兼ね備えてる!


 最高の美少女がそこにいた。


 彼女の名前はイリーナ・フォン・ルーカリア。

 将来的に主人公くんに救われる少女である。


 ちくしょう! 何でよりにもよって主人公ヘナチョコ野郎なんだよ!

 俺に才能があったら彼女のことを救っていたのに!

 颯爽と王子様の如く、彼女の心に蔓延る闇を払拭していたはずなのに!


 俺は教室の隅でイリーナを眺めながらムキーとハンカチを噛み締めていた。


 今日は夏休み明けの初めての授業だった。

 みんな気怠げに『だりー』とか『めんど』とか言い合っている。


 ちなみに俺には友達はいないみたいで、誰からも話しかけられなかった。

 うん、知ってた。

 だって授業中どころか休み時間もずっと机に突っ伏してるんだもん。

 そりゃ友達できないよね。


 しかしイリーナもまた、俺と同様友達がいないみたいで、俺の斜めの席で黙々と勉強していた。

 どうやら俺とイリーナの席はとても近いらしい。


 これはラッキーなのでは!?

 話しかけるチャンスなのでは!?


 そんなふうに、一瞬話しかけたい衝動に襲われたが、すぐに我に返る。

 彼女を救うのは俺ではなく、主人公くんなのだ。

 そしてそうである必要がある。

 邪神を倒せるのは、主人公くんしかいないのだから。


 俺が死亡フラグを回避するには、主人公が規定ルートを辿る必要がある。

 でなければバッドエンドに突入して世界が滅びるからな。

 しかしそうすると、俺の愛しのヒロインたちが全員主人公くんのものになってしまう。


 どうすればいいんだ……!


 だが命あっての物種だし、そもそも彼女たちと俺では釣り合わない。

 絶対に主人公くんの方がお似合いなのだ。


(はあ……そうだよな。無能貴族の俺じゃあ才能溢れる彼女たちと釣り合わないか……)


 その現実に気がついて、俺は泣く泣くヒロインたちを諦めることにした。

 だが!

 その可愛さはちゃんとこの目に焼き付けるぞ!


 ジーッ。

 ジーッ。


 無中になってイリーナのお姿を目に焼き付けていると、彼女はそれに気がついて俺の席に近づいてきた。


「……なにかしら?」


 ハッ!?

 しまった、見つめすぎた!


 イリーナは胡乱げにこちらを見てきている。

 マズぅい!

 今日は主人公くんがイリーナと初めてお話しするイベントがあったはず!

 しかも朝礼前に!

 つまり、今、今俺が彼女と話してしまっては、主人公くんがイリーナと話すきっかけがなくなってしまう!


 でも話したい!

 ちょっとくらい話してみたい!


 数秒の葛藤の後、俺は誘惑に負けイリーナと話すことにした。


「いや……勉強頑張ってるんだなって」


 俺が言うと、イリーナは何故か一瞬、目を瞠る。

 しかしすぐにスッと目を細めると冷たく言った。


「それは皮肉かしら?」


 おおっと、凄く怖いぞ!

 しかしこの視線もまた悪くないかも……。

 とと、危ない危ない。

 新しい扉を開けてしまうところだった。


「いんや、ただいつも頑張ってて偉いなって素直に思っただけだよ」


 俺は掲示板で【やみきゅう】のデータベースと呼ばれた男。

 イリーナがどれだけ頑張ってきて、どれだけ辛い思いをしてきたかなんて全部お見通しなのさ!

 もちろん皮肉なわけないし、俺はしっかりとヒロイン一人一人に敬意を持っている。


 だが何故かイリーナはさらに冷たい視線を向けてくると、絶対零度の声で尋ねてきた。


「確かにいつもダラダラしてるだけの貴方からすれば、私でも頑張って見えるのでしょうね」


 ああ、なるほど。

 彼女は俺が『勉強頑張ってるなんて意外だな。全部才能で済ませてきたはずなのによ』みたいな皮肉を言っているのだと勘違いしているみたいだ。


 それはマズイ!

 彼女が余計に闇落ちしてしまう!


 そんなことになったら、主人公くんでも救えなくなる可能性がある。


 考えろ俺!

 データベースと営業で培った会話術で何とか乗り越えるんだ!


「俺は……ほら、教室の一番後ろに座ってるだろ?」

「それがどうしたの?」


 いまだに絶対零度の視線を突きつけてくるイリーナ。

 正直怖い。

 しかし俺は彼女を愛したんじゃないか!

 ここで引き下がっては(ゲーム内で)結婚まで果たした俺の前世に恥じる!


 いけ、考えるな、感じるんだ——!


「一番後ろってさ、教室が全部見えるんだよ。誰が何をやっていて、どんなことをしているかってね」

「……そう。それで?」

「だから、イリーナさんが頑張ってノートを取って、夜遅くまで復習して、毎朝早くに起きて剣術の特訓をしてるのも、よく分かるんだ」


 ……って、あれ?

 少し言いすぎた?

 後ろの席だからって復習してることとか、剣術の特訓をしていることなんて分かるわけない。

 流石にそれにはイリーナも不審に思ったのか、自分の身を抱いてドン引きの声を出した。


「もしかして、ストーカー?」

「い、いや、もちろん違いますとも! 例えばほら……目の下に微かなクマがあったりさ、ほかにもペンを持つ手が筋肉痛で震えてたりするだろ? だからそうなんじゃないかな〜って」


 苦しいか……?

 しかしイリーナはもう一度目を瞠る。

 しかも今度はしっかりと驚いている様子だった。


「どうして……」


 イリーナは震える声でポツリと言った。

 ふっ、ここはいっちょ、格好良く決めてやるぜ——!


「意外と、頑張ってる姿ってのは見られてるってことさ。確かに大多数の人間は見てないかもしれない。そして表面的なところだけ見て、貶してくるかもしれない。でも中にはちゃんと頑張ってる姿を見て、応援している人だっているんだから、そこは覚えておいて欲しいかな」


 決まったな……。

 思わずキメ顔をしてしまったぜ。


 まあしかし……これは俺の本心だ。

 イリーナが頑張ってるのを俺はちゃんと知っているし、それが報われて欲しいと思っている。

 特に現実となった今はな。

 それを救い出すのが俺じゃないって点は少々残念だが、主人公くんが何とかしてくれるなら問題ない。

 第一に、彼女たちの笑顔が大事なのだから。


「そう……そっか……そうなんだぁ……。私、今まで頑張って……頑張ってきて……」


 あれ?

 なんか間違えた……?


 何故か俺の決め台詞の直撃を喰らったイリーナは、混乱したような、ショックを受けたような、複雑な表情でフラフラと自分の席に戻っていった。


 う〜ん、なんか様子が変だったな。

 後でちゃんとフォローしておいたほうが良さそうだ。


 しかし!

 間近で見るイリーナちゃんマジ天使!

 思わず胸がトキめいちゃったね!


 そんなふうにルンルンでもう一度イリーナの方を見ようとして——。


 ほかのクラスメイトが目に入る。

 そいつは黒髪マッシュの優しそうな顔立ちのナヨナヨしい少年で。

 現在、友人らしき男とダラダラとくっちゃべっていた。


 そう。

 彼こそが主人公くん——アレン・アルベルト。

 この国の国王の隠し子であり、いずれ勇者に覚醒する男。


 そして——今日、イリーナとの初会話という重大イベントをこなす必要がある男だった。

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