三章八話 黒かったあの頃
「おっすせんぱ――えっなんか……顔色悪くね?」
「ぁは、やほ~みたらし~」
一階の階段裏には予備の掃除用具を入れるスペースがある。ほとんど人の寄り付かない穴場的なスポットらしく、慎之介は水脈に「琳愛乃先輩が待ってるから」と伝えられて足を運んだ。
水脈が琳愛乃に向き合うべく呼び出した翌日。時間の流れは早く、気づけばもう放課後になっている。水脈たちは昼休みに少しだけ顔を合わせて、会話をする関係から始めることにしたらしかった。
よって、
「うへへ……うれしくて、かなしくて……おいしいパスタ作ったお前……」
「すげえ顔暗いのにめちゃくちゃニヤニヤしてんの怖いっすよ」
壁に背を預けて陰鬱な表情を浮かべる琳愛乃だが、頬を朱に染めて虚空を見つめながら微笑んでいる。感情が渋滞しているようだが、喜色の理由は水脈との関係が進展(?)したことだろう。
「……ミオくんとさ、おしゃべりできるようになってちょー嬉しいの」
琳愛乃が若干の作り笑いを向けてくる。今日は赤いメッシュをかけた黒髪を結ばずに下ろしていて、いつもより静かな印象を受けた。
「みたらしがミオくん説得してくれたんでしょ? 聞いたよ。ありがとね」
「いや……俺も俺で事情があったんで。感謝されるようなことじゃないですよ」
「謙遜~。素直に受け取っとけよ。りあのはマジでありがてーと思ってんだぜ」
「ま、友達からのスタートだけど」と言って彼女は立ち上がった。それからゆるく着こなしたカーディガンの袖を捲り上げ、身だしなみを整える。
「んでさ、ミオくんに頼まれたから、おシズに言ったわけよ。みたらしが話したいんだってー、って」
「え、マジですか……アイツ、変な気を利かせてくれたな」
慎之介は目を丸くした。どうやら事情を何も知らないはずの水脈が、わざわざ話を通しやすくなるようにしておいてくれたらしい。展開的には願ったり叶ったりだ。
しかし好転し始めた状況に反して、琳愛乃の顔は暗いままだった。
「……おシズ、全然なんにも答えてくれなくって。“ごめんけど今度にして”なんて言われちゃったー……言われちゃった……」
「それでそんな落ち込んでるんですね、先輩は」
「だって~! 一年の時からずーっと仲良しだった子にさ!? 具体的に何も教えてもらえないまま変なお願いされて、聞いてみたらはぐらかされるんだよ!? それもうあた……りあのを信用してないって言ってるよーなもんじゃね!? ねえ!」
「ちょっ落ち着いてくださいって、マジで! 意外と力強いなこの人!」
胸ぐらを掴まれて前後に揺すられ、なんとか宥めて鎮静化させる。伊吹とは違った明るさをもっている琳愛乃だったが、今は面影もないほど取り乱していた。
それほど、閑流との関係に信頼を寄せていたのだろう。
「……落ち着きました?」
「うん、はい……しゃーなしで落ち着いてやった」
「なんで上からなんだよ」
その場に座り込んではいるが、態度は先輩である。
「まずは状況を把握しましょう。先輩がはぐらかされたってことは……多分俺や朱島が彼方先輩のとこに行っても」
「ダメだろね。つーか避けるために、りあのに追い払うようお願いしてきたわけだし」
「……にしたって、先輩にまで余所余所しくなる理由はないと思うけど……」
慎之介は、彼方閑流についてそこまで詳しいわけではない。
話した回数もたかが知れているし、今回もなんとか伊吹の代わりに行動できないかと接触を図っているだけだ。彼女が何を考え、何に悩んでいるのか見当もつかない。
しかしそれは琳愛乃も同じのようで、現状を受け止めきれていない様子だった。
「なんか、最近ありました? 先輩たちの間で……喧嘩するとか」
「あるわけないじゃん! JK舐めんなよ、喧嘩なんかしたらどっちかが一か月くらい引きずりまくるっつの」
「いや知らんけど怖いな」
「……でも、最近おシズと一緒にいる時間、ちょっと少なかったかも」
思い当たる節があったようだ。琳愛乃は細い腰に手を当てて、落としていた視線を上げた。
「ミオくんに夢中で、休み時間とかりあのが離れてること多かったから♡」
「まあ、それは、はい」
「んん? なんだみたらし、言いたいことありそーだな?」
「ないですないです。けど離れている時間か……」
そんなつもりはなかったが、気付けば慎之介も同じように腰に手を当てて考えていた。二人そろって身体の重心を右足に傾けながら話している様は、傍から見れば少し面白可笑しく映るのだろう。
その姿勢のまま考えて、慎之介は今導き出せる結論を出した。
「……なんか、先輩が見てないところで、悩みに進展? があったとか。でもそれが人に言えないことで」
「人に言えないことってナニ? ハッキリしてくんない?」
「睨む相手間違ってんすよ、俺が分かるわけないでしょ」
お門違いな睨みを向けたあと、琳愛乃は大きく溜め息を吐いた。
「はー、調査が必要ってことね。やるぞみたらし」
「まあ手伝いますけど……俺も彼方先輩と話したいし」
「狙ってんのか? やっぱ今潰しとくか。右の玉と左の玉どっちがいい?」
「俺、明地が心配になってきました」
かくして、情緒不安定な先輩が一人仲間に加わった。
彼女に好かれている水脈の身を案じると同時に、彼にもメッセージが届いていたという事実を今更ながらに思い出す――ひとまずそれは、この件が片付いてから言及しようと思った。
◇
放課後がやってきた。背筋と羽を伸ばして今飛び立とう。
そんな心持ちとは裏腹に、空模様は変わらず雨天曇天のエンドレス天丼。飽き飽きするほど鬱陶しくて、太陽の見えない夕方は寂しくて、反骨精神を体外へ押し出すように閑流は大きく伸びをした。
『――』
「んー……うん。もうちょっと」
どこからともなくする声に、いつものトーンで返事をする。喧騒と雑踏に塗れた校舎内で彼女の独り言めいた返事が目立つことはない。
伸びを継続しつつ、ちらと横目でクラスメイトの様子を確認。教室の隅の方、男子生徒数人が談笑している。
「おい今日ナック新作だって! ドカ食い気絶部すっぞ」
「バカこの、お前の気絶部は洒落になんねーんだよ」
「見ててください、俺のドカ食い」
よくわからない会話だが、なんとなく波長が合いそうだと感じた。性別関係なく好きに喋ることができたらと思うけれど、閑流は男子生徒から距離を置かれがちなためそれは難しい。
高校に上がるまで友人が一人しかいなかった彼女は、琳愛乃という存在からつながった女子生徒とばかりつるんでいる。ゆえに女子の間では人気が高いが、男子からすると「ガードの堅い美人」的存在に映るのだ。
勿論、本人に自覚はないが。
「あー、おれパス。用事ある」
「はあ? お前最近付き合い悪いぞ、ちょっと男子~」
「しょーがねえだろ! まあまた今度ってことで」
男子複数人の輪から一人、そそくさと教室を去る姿を見た。それまで着席したままだった閑流はゆっくりと立ち上がり、
「……しゃあ、行くか」
覇気のない掛け声と共に、校舎の外へ出た。
◇
「ごめーん、待った~?」
「すげえ待ったよ。なんで30分も掛かってんの?」
「迷った。ウェイに」
「……? ……! 道な」
傘を差しながらのんびりと歩き、閑流は学校から少し離れた通りに到着する。ここに来るのは今日で3度目――雨の中閑流を待っていたのは、クラスメイトの白藤太輝だ。数日前に声を掛けられて以来、二人は放課後に人気のないところで待ち合わせするようになっていた。
互いに帰宅部。予定はない。先ほど男子生徒を観察していたのは、白藤が去るタイミングを見計らっていたのだ。
「今日はどこ行くの?」
「ちょっと歩く……って言っても割とすぐ着く、と思う」
「そーかそーか」
会話も程々に出発。白藤が行き先を決め、閑流はただそれに従うだけ。昨日と一昨日も同じように歩いて目的地まで向かい、白藤の指定した店に入って軽くスイーツを食べていた。
同い年の男女二人が放課後にする“これ”はおそらくデートというのだろう。だが閑流の頭にその概念は浮かんでこなかった。なぜなら、この道のりは。
「……今日は、いるといいな」
「……そうだな」
十分程度歩くと、やや年季の入った喫茶店に辿り着いた。白藤は「ここだな」と言い、傘を畳みながら閑流に手招きする。店先には青や紫の鮮やかな色合いで咲き誇る紫陽花が、美しい配置で並んでいた。
「おしゃんだ」
扉を開けるとベルが鳴り、背筋の伸びた店員が出迎えてくれる。適当な席に腰掛けてメニューを開きながら、閑流は店内を見渡した。
向かいに座る白藤は肩に力が入っている。彼の背後には黒と白の混じった靄が渦巻いていて、中に少しだけ赤色が混じっているのが見えた。
個人経営の喫茶店は、一つ一つ柄の異なる食器や観葉植物が落ち着きのある景観を演出している。客は自分たちを含めて三組。知らない人と、知らない人。あとは店員だ。
「……ここ?」
「ここ。おれこういうとこ好きでさ、たまに来るんだけど……ちょっと前に居たんだよ」
「へー、イメージ無さすぎてウケる。……あ、ふじしらくんに言ってるんじゃなくて」
「白藤だ」
前髪を何度も整える白藤は、名前を間違われるたびに訂正してくる。
それはさておき、彼の言葉が本当なら――待ち続けていると、この店に閑流の探す人物が来る。かもしれない。
可能性が少しでもあるのなら、と心が震えて脇の後ろあたりにむずかゆい感覚が走った。
「来ると、いいな」
「とりあえずなんか頼もう。奢るよ」
「え、いーよそんな。昨日も確か奢ってもらったし……あれ、奢ってもらったよね」
「気にすんなって」
手のひらを前に突き出され、確固たる意志を見せつけられる。「そこまで言うなら」と言葉に甘えるが、閑流は彼の意図がよくわからなかった。
(……ま、いーか)
『よくねーだろ。他人に借り作るのやめとけ』
声がする。
店内を流れるクラシックの音ではない。白藤や店員、ほかの客の声でもない。これは彼方閑流にだけ聞こえる、彼方閑流にだけ聞くことを許された声だ。
ショートボブの白い髪を揺らす閑流の隣、一人の少女が立っていた。
真っ黒な短い髪と青い瞳、ちょっと怖いけどしっかり優しい顔。梯田高校の制服を着たその少女は足先がなく、常に閑流の隣に佇んでいる――ひどく鮮やかに、精密に姿を映す幽霊だ。
「――桔花」
『なんだよ。いるだろ、ここに』
名前を呼ぶ。幻影が反応する。
閑流の隣に居るのは、いつかの友人に似た何か。
そして、閑流が探すのはその友人――黒川桔花だった。
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