三章七話 「恋とか愛とか、そういうもので生きてきた」


 推しの熱愛報道から始まった朝、あたしの──横山よこやま琳愛乃りあのの高校入学式は、人生で一番苦い日になってしまった。

 顔の良さやダンスのキレの良さ、甘くてとろけるような演技が好きで推していた男性アイドルが、急に「熱愛発覚!」とか「同棲!」とか、目を引きたいだけのバカデカい文字に埋め尽くされていた。


 別に、あたしは推しが誰かを好きでも気にしない。推しだって一人の人間だし、あたしも推しとどうこうなりたいわけじゃないんだから。でもそういう、人体を解剖する勢いの報道に見舞われた推しを見てしまったのは、精神衛生上良くなかった。


 そんな気分のせいで、ルンルンなスキップを踏めなくなった足取りで親と高校へ向かった。華の女子高生のスタートとしてはかなり最悪で、入学式中の記憶はほとんどない。

 流石に報道を見てから数時間も経てば気持ちも少しは落ち着き始めていて、朝食べたパンの味と一緒に感情もどっかにいってしまう。昼からは良い日にしようと思って、同じ中学出身の友達に声を掛けようとした時だった。


「……何、やってんの?」

「あ──りあの。いや、これはだな」


 当時、あたしには一つ歳上の彼氏がいた。今となっては思い出したくもない記憶だけど、あたしはそいつと中学二年の終わりから付き合っていた。高校も一緒がいいと、先に高校生になった彼氏を追い掛けるように梯田高校に入学した。


 だから、入学式の帰りに彼氏が知らない女と肩を寄せ合っているのを見て、声を掛けずにはいられなくて。あたしの声に反応した友達も置き去りにして校舎内に飛び込んで、緑色のリボンをつけた女と仲良さそうに歩く彼氏に声を掛けた。


「これはだな、じゃないでしょ。何? そいつ」

「……いや、なんというか……」


 昇降口前を行き来する生徒の視線が身体中に突き刺さる。そんなことはお構い無しに、あたしは彼を睨みつけた。


 隣の女が妙に色っぽい猫撫で声を掛けながら、彼に触れた。


「あれれぇ、もしかして……しゅーくんの彼女ちゃん?」


 腕を絡ませるくらいの距離感、べたべたと腕や顔を触る態度、甘くてムカつく声。挑発されているとすぐに分かったけど、奥歯で感情を噛み殺した。


「……ぁは、そうですよ。彼女です。中学からの!」

「えぇー、じゃあわたしは〜?」

「……えっと、りあの……その、な?」


 察してくれと言わんばかりに目配せしてくるけど、あたしが意図を汲んでやる理由もないので強く睨みつける。彼は一瞬たじろいで目を逸らし、バツが悪そうにあたしの目を見た。


「……中学とは違うんだよ、分かるだろ」

「は──? 何が……何が違うの?」

「しばらく会ってなかったんでしょ〜。しゅーくんはその間に、自分なりの高校生活を送ってたってコト〜」


 何を言っているのかさっぱりだ。怒りばっかり込み上げてきて、奥歯がギリギリと悲鳴を上げている。でもそれも何に対しての怒りなのか分からなくて、喉の奥から感情が込み上げてきて吐きそうだった。


 中学とは違う?

 自分なりの高校生活?


 何言ってるんだ、その男は去年のクリスマスも大晦日もあたしと過ごしているのに。バレンタインだって家にお邪魔して手作りのオランジェットをプレゼントしたし、3月中にも何度か遊んでいる。


 そこから変わったことといえば、あたしが高校生になったことくらいだ。それまでは順調に付き合っていたはずなのに。


「タメでも学校が違ったらちょっと遊びたくなっちゃう人っているからさぁ、そういうコト。歳の差を恨むしかないね〜」

「……ぁ、たしが……一個下だから、学年が違ったからダメって言いたいワケ……?」

「うん」


 薄い茶髪の女があっけらかんとして頷く。今、この世の何よりも憎い存在だけど──同時に羨ましくもあった。だって彼の隣にいるのはあたしじゃなくて、その女だったから。

 綺麗な顔。あたしみたいに色々つけなくてもハッキリとした存在感があって、いかにも男から人気のありそうな幼い女だった。容姿をしっかり視界に収めたことで、それに負けたと自覚してしまう。


「あとね、しゅーくん……重い女、イヤなんだって〜」


 悪意の塊みたいな笑顔を向けられて、あたしはそれ以上何か言われる前に走り出していた。その場を離れて、込み上げてくる吐き気と涙が全力疾走の間に散っていくことを願った。


 けどいくら走っても息が荒くなるばっかりで、校舎の裏側に着いた頃には涙が溢れ出してくる。

 ボロボロ、ボロボロ。気持ち悪さが全部目から零れていくみたいなのに、地面に涙が落ちてもお腹の底に溜まったいろんな気持ちがなくなってくれない。


「う……ぅう……っしゅ……くん……なんで……っ!」


 人気のない校舎裏なのをいいことにあたしはみっともなく泣き散らした。彼との楽しかった思い出が灰色を纏って頭の中に溢れだしてくる。泣いて泣いて、吐きそうなのに吐けなくて、一人で彼の名前を呼び続けた。

 今日のためのメイクも髪型も、たった少しの出来事で崩れまくっている。


「…………泣くね。随分」


 独りで泣いていた、という認識が勘違いだと分かったのは、そよ風みたいな透き通った声を掛けられた時だった。膝をついて泣きじゃくっていたあたしの横にはいつの間にか、知らない女子生徒がいた。


「……っ、だれ……」

「彼方閑流でーす。この春より一年生。あだ名、友達、募集、中。好きに呼んでおくれ」


 真顔でダブルピースを作る女子生徒、彼方はなんというか変なヤツだった。真っ白な髪と青い目は、簡単には真似出来ないくらいすごく綺麗。変化のない表情も怖さとかはなくて、涼しそうで静かで、かっこよかった。


「……。ほっといてよ、りあの……今、誰とも話したくないから」

「泣いてるもんね、そりゃそーだ」

「……」

「……」

「いや、どっか行ってくんない?」


 あたしのメンタルがまともな状態じゃないことは目で見て理解するくせに、彼方は全然その場から動いてくれない。八つ当たりっぽく投げやりな声を出すと、彼方は首をかくんと傾げた。


「わたしがどっかいったら、きみはまた泣きそうだから」

「そりゃ、そうじゃん。今そういう気分なの……もういいでしょ、早くどっか行って」

「えー。ちょっと話そうぜ。港の見える場所で何か飲みたい気分です」

「イミわかんないっての! うっざいから、そういうの!」


 やり場のない怒りが抑えきれなくて、自分でもちょっとビビるくらい大きな声になる。息はまだ荒いままで、もう何をしても体力を奪われるくらい気持ちは疲れていた。

 それでも彼方は、その場から動こうとしない。


「まあまあまあ。まずは名前から聞かせてよ、キラキラハートちゃん」

「バカにしてんでしょさっきから、その呼び方もなんなんだよ……!」

「ハートが輝いてる。そう見える」


 本当に意味がわからなかった。中学にも思春期こじらせて意味不明なことばっか言うヤツがいたけど、高校でも結局そんなもんなんだろう。あまりにもバカバカしくなってあたしは無言でその場を立ち去って、できるだけ泣き腫らした顔を見られないように俯いて帰った。

 親は何も言ってこなかったけど、「またか」と少し呆れたような顔をしていた。


(またじゃないし、一年ぶりだもん……)


 心の中で精一杯、強がるのが限界だった。

 あたしの高校生活は、推しの熱愛報道と大好きだった彼氏の浮気発覚と失恋とのダブルパンチによってスタートした。今思うと可哀想すぎて泣けてくる。




 ◇




「りあちー、部活決めたー?」

「決めてね〜。ダルそーだし入らないかなあ」

「うそ、じゃあ一緒に男バレのマネやらん? かっこいい先輩いるし!」


 放課後のガヤガヤした教室の中で友人たちと喋るのも、放課後の恒例になってきていた。

 部活動の勧誘は色々受けたけど、中学のバレーを続けるかどうかは悩ましいところだ。絶対何かしらに入らないといけない中学と違って、高校では遊びまくるつもりだったのだ。

 それに。


「……先輩は……いーや」

「あ……そっか、そーだった。ごめんってりあちー! 泣くな!」

「ぁは、泣いてないし。もう吹っ切れたから」


 嘘。

 全然吹っ切れてなんかいなくて、頭の中は元彼のことでいっぱいだ。でもウジウジしてらんない、だって高校生活は始まったばっかりなんだから。

 これからたくさんの新しい出会いがあって、思い出も増えていって、卒業する時にこの高校を選んで良かったって言えるくらい楽しまないと。


 そのくらいの心持ちじゃないと、既に入学したことを後悔しそうだった。


「ねーちゃん、彼氏家に呼ばなくなったよなー」

「あっおいバカ……羅衣斗! やめな! 浮気されて振られてんの!」

「そんな大声で言わなくてよくない?」


 家で無知な弟が聞いてきて、慌てて母さんがフォローを入れていた。何人目かパッと浮かばない彼氏だったけど、今回の失恋は長いこと引きずっているから親としても心配らしい。


「だいじょーぶだって、恋はトライアンドエラーだかんね!」


 心配させないように、羅衣斗の頭を叩きながら笑ってみせた。実際、人と話している時はそれほど気にならない。問題なのは寝る前とか、お風呂の時とかそういう、どうしても一人にならないといけない時だった。


“あとね、しゅーくん……重い女、イヤなんだって〜”


「……何がだよ」


 湯船に浸かりながら吐くように呟く。めちゃくちゃムカつく女の顔が毎日のように浮かんで、自分の何がダメだったのか反省会を繰り返す。答えなんて出ないんだけど。


“……中学とは違うんだよ、分かるだろ”


 元彼の言葉も何度も頭で繰り返されていた。

 バスケ部で活躍している姿がかっこよくて、卒業前に思い切って告白してみた憧れの先輩。ちょっと照れながらあたしの手を取ってくれたあの笑顔は、もうあたしに向くことはない。

 一年間。毎日電話して、休日はデートして、学校で会えないの寂しいねなんて言ってみて、「もう少しだろ」って優しく説得されて、会えない時間も嬉しくて。


「重いって……違うって、なに」


 意味わかんない。

 だって電話は毎日したいし、学校で会えても会えなくても休みの日は二人で出掛けたいし、特別な日は絶対一緒にいたいし、毎日好きって言いたい。他の女と喋るのは嫌だけど我慢できるし、どうしても嫌だったらちゃんと伝えるようにしている。


 それが、嫌だったのかな。

 そんな彼女が嫌だったから、見えないところで違う女作ってたのかな。


「……ばか……ばかぁ……っ」


 一ヶ月経っても傷は癒えなかった。こんなに辛かったのは初めてで、そのくらい本気だったんだろうって実感する。

 恋人と別れるのはこれで十二回目。初めてが小学三年生の時で、一年以上続いたのは今回が初めてだった。元からあたしは恋に恋するみたいなところがあったから、雰囲気に流されて付き合って、振られてを繰り返している。


 だから軽い女だと思われてるんだろうし、あの元彼もそれが分かってたからあんな軽率な行動ができたんだと、思いたくないけど、思う。




 ◇




「ま、結果がどうであれウチらはりあちーと一緒にいられて嬉しいんだけどねー」


 ある日、友達の一人がそう言ってくれた。表面上は明るく振舞っているあたしに気を遣ってくれたのだろう。良い友達をもったものだ。


 友達といえば、あたしのクラスには一人謎の生徒がいた。誰ともつるまなくて常にひとりぼっちで、ほとんど喋らない謎の──入学式の日にダル絡みしてきた彼方閑流だ。

 なんでぼっちなのって聞いてみたいけどできない。顔はめちゃくちゃ良いくせに、彼方は自分から誰かに話し掛けようとはしなかったからだ。顔の良さと無口な感じと、彼女を覆った独特な空気が他人を遠ざけていた。


「どう思う? 彼方さんのこと」

「話し掛けづらいよね〜、ちょっと話してみたさはあるんだけどさ」


 クラスメイトも、他クラスの生徒も、だいたいそんな見方をしていた。かといってあたしは何をするわけでもないし、入学式以降、彼方とは話していない。

 だから、なんとなく一人になりたくて人気の少ないところに立ち寄ったとき、また彼女と顔を合わせて──思わず「げっ」って声が出た。


「なんでいるのさ」

「あ、キラキラハートちゃん。今日も雨だね」

「いや思っきし晴れてるし。てか……りあのが言うのもなんだけど、なにやってんの?」


 学校の敷地内にぽつんと置かれたベンチに腰掛けて、彼方は小さめの手提げバッグを膝に乗せていた。なんだか妙に懐かしい形をしている。


「忘れちった、カバン。丸ごと」

「あそ……じゃ、その持ってるのはナニ?」

「習字バッグ。小学校のやーつ。とんでもない間違え方っしょ、ウケる」

「どんな間違え方してんの……?」


 そもそもうちの高校はスクールバッグがない。何と何を間違えてそうなったかは知らないけど、澄ました顔で墨汁と文鎮を取り出した彼方はちょっと面白かった。


「さて、キラキラハートちゃん。ちょっとお話しようぜ」

「だからしな……ぁー、今してるか。もう終わりにしまーす。これ以上はエンチョーリョーキンね」

「マジか。今お金なくて」

「そらそーでしょ。だからもう話さないよ」


 一人になりたかったから足を運んだ場所で、面倒くさいやつと鉢合わせてしまった。

 というか彼方はどうしてあたしと話したがるんだろうか。教室では一切話しかけてこないし、接点だってまるでないのに。友達になりたいのかな。


(……ま、どーでもいっか……)


 何にしろ、今は新しい関わりとかそういう気分にはなれない。失恋を引きずって一人で涙を流すあたしは、毎日を明るく過ごすことで精一杯だ。

 韓国ドラマのじっとりとしたキスシーンばっかり見てキュンキュンしたって、そこにあたしの恋はない。ちょっと今までで一番上手くいったつもりだった恋がダメになって、立ち直り方を忘れてしまったみたいだ。


「まって」

「……そろそろウザいんだけ──」


 ベンチの前から立ち去ろうとして、ストップが掛かって苛立ちを覚える。振り返ると既に彼方の姿はなくて、少し離れたところにまで移動していた。

 ジャージの男子生徒複数人の輪に入り込んで、彼方はうち一人の男と対峙している。その男はあたしがよく知る人だった。


「ん、誰? シューヤ知り合い?」

「いやー知らんけど。一年だな、なんか用?」

「てかめっちゃ可愛いじゃん、シューヤ狙い? 彼女持ちだからやめたほうがいいぞ〜」

「……」


 シューヤ、と呼ばれるのはあたしの高校生活のスタートを台無しにしたあいつだった。好き勝手に話す男たちを前に彼方は静かに、静かに視線を向けている。

 彼方は身長が女子の中でもかなり高い。170くらいの高さだから、先輩たちと向き合っても対等に感じられた。


 頼もしくてちょっとかっこよくて、彼方はそんなピシッとした態度で音もなく腕をあいつの顔に伸ばす。誰もがポカンとする中、女の子を骨抜きにする面構えには墨で「マル」と「バツ」が描かれていた。


「──は?」

「ちょちょちょちょちょ、ちょっと何やってんの!?」


 いきなり先輩の顔面に一筆したためる彼方の肩を、あたしは思い切り掴んでいた。同時にさっさと立ち去らなかったことを後悔する。元彼の鋭い目があたしを射抜いて、心臓がどくりと跳ねて痛んだ。


「……いや、何? りあの……友達引き連れて仕返し?」

「ちっ、違……そんなんじゃ」

「いーのか、キラキラハートちゃん」


 狼狽えるあたしに彼方は筆を渡してきて、囁くみたいに言う。星の海をまとめたような青い目が煌めいていた。


「ちゃーんす、だぜ」


 ──。


 ──チャンス、か。


 どういうつもりで言ったのかは知らないけど、その言葉を聞いてあたしはほぼ反射的に筆を振るっていた。マルとかバツとかそんな生易しいものじゃなくて、ジャージの上から下までバッサリと一本の線を引いてやった。

 袈裟斬り、っていうやつだろう。しらないけど、真っ二つにしてやる勢いでズバッとやってやったんだ。


「お──まえ、なにやって……っ!」

「……っふ……ぁはは……! バーカ! 死ね、クソ浮気ヤロー!」


 吐き捨てるように罵倒してやったあたしは、反論がとんでくる前に彼方の腕を掴んで走り出す。さすがに元彼もキレてはいたけど、追いかけるだけの理由も度胸もなかったみたいで簡単にまくことができた。


 もっと人が来なさそうなところに逃げて、あたしは息も絶え絶えになりながら座り込んだ。校舎裏のひんやりした空気が気持ちいい。


「は……はぁ……っ、ヤッバ、先輩にあんなコトやっちゃって、絶対変なウワサたっちゃうって……!」


 後悔はない。自然と口角が吊り上がっていて、あたしの中の気持ちが「ざまあみろ」って言っていた。乙女を蔑ろにした罰だ。墨汁まみれのジャージを持って帰って洗ってもらえばいい。


「……満足、した?」


 ちょっと息が上がった彼方が、校舎の壁に寄りかかりながら首を傾げる。首筋を流れる汗が輝いていた。


「〜っ、した! サイコー! ちょー楽しかった!」

「良かった。満足だね」

「……彼方さあ、なんでりあのがあの男にムカついてるの知ってたの?」

「……うーん」


 不意に気になって尋ねてみると、彼方は口元に指を当てて考え始める。冷静になって考えてみるとおかしかった。あたしと元彼の関係を、接点のない彼女が知っているのは普通じゃない。

 ストーキングでもされてるかな、なんて思ったけど──彼方は澄んだ瞳をあたしに向けて答える。


「ちょっと、みえたから。キラキラハートちゃんがキラキラできなかったの……あの人の仕業だって」

「……ぁは、なんだそれ」


 意味わかんない。やっぱり頭おかしい。

 でも、嫌な奴じゃないことはわかった。


「じゃー、なに? りあのがその……キラキラ〜ってしてなかったのを慰めよーとしてくれてたってこと?」

「そういうこと、だね」

「マジで意味不すぎ。さっさと話しかけろよ、最初に喋った時から一ヶ月経ってんですけど」


 とりあえず話を合わせてみることにしたら、彼方はあたしの前に屈み込んできた。


「人を慰める方法、知らなくて。友達もいないから、話しかけ方もわかんなかった」


 いい顔ですごい寂しいこと言い出した。


「友達いないって……わかった、どっか遠くから来たんでしょ! 地元の奴らいないから寂しい的な」

「ノー、家は近いよ。ちょっと前にたった一人の友達を失ってしまって。完全孤独、おわりのだいち」

「……ぁは、何言ってんのかわかんねー」


 口では適当に流したけど、彼方にも何かあったんだろうなってことは分かる。たった一人の友達を失うって感覚は理解できないけど、あたしは彼方の頭を撫でながらにっと笑って答えた。


「じゃ、りあのが友達になったげる。仕返し手伝ってくれたお礼」

「……おお、高校初フレンド……」

「あんた変なヤツだけど面白いし、ちゃんと話したら絶対みんな興味持つよ。だから、今度はりあのが手伝ってあげるね」


 撫でられて彼方はちょっとだけ嬉しそうに微笑んだ。男がこの笑顔を見たらイチコロだろうな、なんて思いながら綺麗な髪の触り心地を楽しむ。


「あ、そーだ。友達とあだ名募集してるんだよね」

「うん。募集要項」

「おシズ、って呼ぶね?」

「おシズ……」


 瞬きを数回して、青い目が少し光った。


「かわいい、ね」

「だしょ〜。よろしくね、おシズ」


 胸の中でぐるぐるしていた嫌な感じが墨汁に乗って飛んでいったのが分かる。メソメソしてたけど、あたし本当は前を向きたくて、怒りたかったんだ。推しの笑顔や韓国ドラマ、コスメやフラペチーノじゃ打ち消しきれない怒り。彼方閑流はそれを発散する手伝いをしてくれた。


 どうやってとか、なんで知ってるの、とか。そういうことはそれ以上聞いていない。何か抱えているっぽいことがあるのも、ちょっと普通じゃない感覚があるのも、理解だけ示して深堀りはしなかった。


 だけど、一つだけ確かなことがある。


「りあののことは、りあのちゃんって呼んでね。かわいーから♡」


 あの日の恩を返すために、りあのはおシズのやりたいことを手伝う。それがどんなことでも、何を考えていても──全然話してくれなくても、おシズが本当にやりたいことならなんでも、全力で手助けする。


 だって、それが友達ってものだと思うから。




 ◇




「――そのはず、だったんだけどなぁ」


 久しぶりに、おシズ――閑流に出会ったときのことを思い出した。

 そういえば、そうだった。あの日からあたしは、彼方閑流とつるむようになったんだ。


「……琳愛乃先輩?」


 ミオくんが不思議そうに見つめてきて、心臓がトクンと跳ねた。今あたしが世界の誰よりも愛して止まない、王子様みたいな人だ。

 すごく丁寧に手入れしているのが分かる、目にかかるくらいの長さの茶髪。顔もそこら辺の男子とは比にならないくらい綺麗で、この人は美容に気を使っているんだな、って一目で分かった。

 切れ長のまつ毛、ちょっと吊り上がってる灰色の目。あたしより背が少し高くて、並ぶだけで見下ろされる感じがもうどうしようもなく堪らない。


「……そーだよね、ぁは……」


 ドキドキが収まらない。

 入学式の失恋からずっと虚しかった心が、今は驚くほど満たされている。あの日以来誰と付き合っても今まで以上に長続きしなくて、「好き」を言っても言われても、どこかで「違う」って心が叫んでいた。

 でも、今感じているこの気持ちはホンモノだ。


「いーよ。ミオくんのお願い、聞いてあげる。みたらしの話を聞いてあげたらいいんだよね」

「そ、そうですけど……そんなあっさり、いいんですか?」

「ぁは、お願いしてきたのミオくんじゃん」


 ちょっと悩みはしたけど、すぐに答えを出すあたしにミオくんは困惑している。


“りあのちゃん、どーしても……聞いてほしいことが、ある”


 本当は、絶対に受け入れちゃダメなお願い。

 だってあたしは閑流に頼まれている――「イブちゃんとか、その友達が来たら追い返して」って。

 普段誰とでも話せるあいつが、わざわざ人を使ってまで他人と距離を置く。一年間でそんなことは一度だってなかったし、そんなことを頼んでくるようなヤツだとも思ってなかった。

 友人としては聞き入れるしかなかった。いつになく真面目な顔して頼んでくるものだから。


“人使い、荒すぎない? ……しょーがないな、おシズは”


 だけど――どこかで「違う」とも思っていた。

 これは閑流のためにならない。

 これは、あたしにためにもならないって。


「断れないよ、ミオくんの――好きな人の頼みだもん」


 だって閑流はいつも、前を見ているようでどこか遠いところを見つめている。

 他人には話したくない、だけどどうしようもない悩みが、きっと心の中にあると思う。


(……あたしに相談しろよ、バーカ)


 まだ知り合って一年と少しの仲だけど、この一年間で誰よりも閑流の近くにいたのはあたしだ。

 それでも足りないらしい。閑流の抱えているものを分けてもらうには、あたしじゃまだ届かないみたいだ。それが分かってしまって、無性に腹が立って、御手洗には八つ当たりみたいな追い払い方をしてしまった。


 だから、ちょっとだけミオくんのせいにさせてもらう。


「任せて。おシズには、りあのから話しといてあげるから」


 大好きな友達の悩みを知りたい。力になりたい。

 そのための一歩を、好きな人からのお願いで仕方なく。

 そんなズルいやり方で踏み出してみようと思ったんだ。


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