三章六話 踏み出すことの連鎖
「──その後進展はなし、と」
「うん。御手洗くんも微妙な反応だったから……やっぱりしばらくは、閑流先輩を待つしかないのかなーって」
フライドポテトをつまみながら、茉莉花は「そっか」と相槌を打つ。今日の彼女はオーバーサイズのパーカーとショートパンツを身に着けていた。
チェーンのファストフード店内、伊吹は茉莉花と向かいの席に座っている。しかし同じ席にいるのは二人だけではなかった。
「面倒ですねその人。悩みは早急に打ち明けてしまった方が解決しやすいと思います」
沙凪だ。蝶柄の刺繍が入ったシャツにハイウエストのフレアスカートと、シックで大人びた雰囲気のある着こなしをしている。
そんな彼女は紙ナプキン越しにポテトを一本ずつ取っては食べている。どうやらこういった店も初めてらしかった。
三人での昼食、しかし和気藹々とした雰囲気にはならない。茉莉花は向かいの席から冷めた視線を送っていた。
「……あんたがそれ言う?」
「それ、とはどれの事ですか? 私はあくまで自身の経験に基づいた意見を述べているだけです」
「ああ、そう……」
駅近くの店での昼食だが、今日だけで分かったことがある。
それは茉莉花と沙凪が絶望的に相性が悪いということ。待ち合わせ場所に揃った直後、二人は視線が絡んだ途端に、
“……朱島さんだけではないんですね”
“……今日はあたしがあんたたちを誘ったの。何? 文句ある?”
と、いきなり喧嘩腰で会話を始めたのである。
理由は分からない。単純に反りが合わないのか、両者の中でなにか譲れないものがあるのか──何にせよ、二人がバチバチに火花を散らしている空間は居心地が悪かった。
「あ、あはは……仲良くしようよ、二人とも」
「別に仲が悪いわけではないと思いますよ。私は何とも思っていません」
「そーね、そもそも今日が初対面じゃないからねー。まあ、こうやって三人で顔を合わせられるまで随分時間がかかったみたいだけど?」
なぜか、二人とも一言二言ずつ余計だ。
「その節は朱島さんには大変ご迷惑をお掛けしました。なので今はこうしてなかよ……一緒に過ごさせてもらっているわけです」
「ふーん、あたしはあんたより前から伊吹と色んなとこ出掛けてたけどね」
何かで張り合っているようだが、どっちも似たようなものである。初めは棘のある態度だったが一悶着あった末に仲良くなったという、そうそう被ることのない共通点があるのだ。
伊吹としてはどちらも大切な友人。優劣をつけるつもりなど毛頭ない。しかし二人はお互いの相性もあってか、どうしても張り合いたくなるようだった。
(茉莉花ちゃん、なんでこの三人で出掛けようなんて言い出したんだろう……)
二人の険悪なやり取りに苦笑しながら考える。珍しく茉莉花から「あの冷たそうな子も誘って出掛けるわよ」と言われた結果がこれだ。彼女なりに考えはあったと思うのだが──
(──はっ、そういうこと……!?)
伊吹は閃いた。
(縁を大切に、って……まずはこの二人に仲良くなってもらわないとダメってことだよね!?)
伊吹は、居心地の悪さに対して都合のいい解釈をした。
公園に居合わせた全員が仲良くしなければならないとすれば、今目の前で喧嘩腰な二人同士も当然その対象になる。
つまりこれは――これこそが、閑流よりも優先すべき次の試練なのだ。
「よし、わたしがんばるよ!」
「何をですか」
「ポテト冷めるわよ」
意気込んで拳を握ると、二人からほぼ同時に突っ込まれた。声が被ったことで二人はまた迂遠な物言いの応酬を始めるのだった。
◇
『リカちゃーん?』
「……うっさい黙って」
『リカちゃんから誘ったんだよね? せんぱいがオッケーするのを待ってる間に、他の女の子たちで交流会しよーって。なのにアレはないと思うなー』
「黙ってっつってんでしょ。……あんなの売り言葉に買い言葉よ! あの子だって悪いじゃない!」
『本気で仲良くする気ありますか~? ……あぁ~そっか。リカちゃんって友達いなかったから、人と仲良くするやり方知らないんだ?』
「ほんッとムカつくわねあんた! まだこれからよ、何回か遊んでるうちに仲良くなれるわよ!」
その後、茉莉花はめげずに何度か二人を誘って出掛けるのだが――仲良くなれる糸口は、未だ見えなかった。
◇
「えへえへえへへ、嬉しいな~嬉しいな~。ずっと教室に通い詰めた甲斐あったね、やっとお話してくれる気になったんだぁ」
全身の毛穴から冷や汗が噴き出しているんじゃないかと思うくらい、体が冷え切っていた。もちろん極度の緊張と恐怖からだ。
水脈はどうにか吐き気と怖気を抑えながら、琳愛乃に向き合う。恍惚とした表情を浮かべて体をくねらせる先輩と、放課後の空き教室で二人きり。
「それで、わざわざこんな静かなところに呼び出してどーしたの? ……えっ、そういうのはちょっと早いんじゃないかなあ……いや、りあのは全然うれしーんだけどね……?」
雨のせいでただでさえ寒い室内は、冷気を纏っているのではないかと思うくらい寒かった。
(……バスケ勝ってたら、こんなことしてないだろうな)
一度心を落ち着かせるべく、目を伏せて思考する。
目の前の少女が顔を赤くしていること、嬉しそうな顔をしていることはなんとなくわかる。しかしそれ以外の情報は得られない。
今、琳愛乃はどんな目で水脈を見ているのか。どんな笑い方をしているのか。
人を印象付けるうえで重要な顔の動き。それらの一切が水脈には見えていない。同性であればこうはならないし、異性といっても歳がある程度離れていれば顔は普通に見える。つまり彼が避けるべきは同年代あたりの異性に限定されるのだ。
「……あ、あの……横山先輩」
「……」
「えっあれ、先輩……?」
「やだ」
パーツのない顔が真っ直ぐこちらを向いている。不服そうだ。
「名前で呼んで。弟と被るじゃん」
「いや、羅衣斗のことは名前で」
「な・ま・え・で」
――どうしよう慎之介、今すぐ帰りたい……!
「……り、琳愛乃……先輩」
「はぁい♡ なーに♡」
今年一番の窮地に立たされた気分だった。
しかしここに彼女を呼び出したのは水脈自身であり、話をしようと思ったのも水脈だ。慎之介に背中を押されはしたものの、彼による強制では断じてない。
“先輩は、幾ら逃げてもお前に付きまとっている。これは好都合だ、お前はまず飽きずに接してくれる異性に話し相手になってもらえ”
(……そうは言うけど……)
「ん? どしたの、ミオくん?」
黒板に堂々と相合傘を書き始めた琳愛乃に、早速足が竦みそうになる。なんとか気を奮い立たせて踏みとどまった。
事前に慎之介と打ち合わせをして、言うべきことは決めている。しかしその前にどうしても聞かなければならないことがあった。
「……琳愛乃先輩は、なんで俺に、その……そこまで話し掛けるんですか?」
「え、そんなの決まってるじゃん? りあののこと、ミオくんが助けてくれたからだよ」
「いや、それが覚えがなくて。……人違いってことは」
「えーひっどい! 覚えてないんだ、もしかして誰にでもそーゆーことしてる感じ?」
ややご立腹の様子だが、本当に水脈には心当たりがない。先週、教室で言い寄られたのが初めての出会いだったはずだ。
相合傘に二人の名前を書き終えた琳愛乃は、指先についたチョークの粉を払いながら振り向く。
「橋の上から川に落としたスマホ、ミオくんが飛び込んで拾ってくれたんじゃん。どーしようって困ってた時、何も言わず取ってくれたんだよ?」
「えっ……」
「もーほんとカッコよかったなあ。制服じゃなかったから、ホンキで王子様だと思っちゃった♡」
――どうしよう、本当に身に覚えがない。
そんな鮮烈な出来事があればさすがに記憶しているはず。そもそも橋の上から飛び込むなんて野蛮なことをするだろうか。どこの橋で、どこの川なのか全くわからない。
「いや、本当に知らな――……?」
きっぱり否定しようとして言葉に詰まった。
そういえば、先々週あたり。買ったばかりの私服をひどく汚してクリーニングに出した覚えがある。いつの間にか水浸しになっていて、色も濁っていて――
――まるで、どこかの川に飛び込んだあとようになっていた。
「――ッ!?」
「み、ミオくんどうしたの? だいじょぶ?」
記憶にあった謎の違和感。当時はスルーしていたそれを意識した途端、頭に鋭い痛みが走った。思わずこめかみを手で押さえると、琳愛乃が心配そうにのぞき込んでくる。
「い、いや……大丈夫、です」
「そうは見えないって。ほ、保健室いく?」
もちろん大丈夫ではない。大丈夫ではないが、しかし好都合だった。
痛みのお陰で、吐き気や怖気が収まっている。今なら琳愛乃と向き合っても、いつもの調子で話せる気がした。
「……っ、マジで大丈夫なんで、そのまま聞いてください。琳愛乃先輩」
「っは、はい」
改めて名前を呼ぶと赤い顔がさらに赤くなった。姿勢を正す琳愛乃の、目と思しき部位を一点に見つめる。逃げてばかりの自分には勿体ないくらい綺麗な人だと、率直に思った。
「――俺、女子が苦手なんです。近づかれたら吐きそうになるくらい。だから……」
「……」
唾を呑む音。
彼女も何も考えずここに立っているわけではないのだろう。
だから、できる限り誠意をもって声を絞り出した。
「――俺と、友達になってくれませんか。俺が女子を苦手じゃなくなるための……練習相手になってほしいんです」
「……へ?」
言い終えると、素っ頓狂な返事が響いた。
「いやあの、あの……全っ然いいんだけど……え、いいの? りあのてっきり、今日は振られるのかと思ってて……。ぁはぁ、よかった~……つまり『結婚前提にお友達から始めましょう』ってコトでいーんだよね?」
「飛躍しすぎてません?」
どこまでも前向きな反応に苦笑し、水脈は一つ咳払いをして話の軌道を修正する。
「今までなら振ってたんですけどね。ちょっとだけ……背中を押してもらったんで」
慎之介の顔が浮かぶ。
逃げてばかりでどうしようもなくて、そのくせどこかで変わりたいと思っていた自分のことを、本気で案じてくれた友人。彼が無理やりにでも勝負を持ち掛けてこなければ、今のやり取りはなかった。
だから、その恩は返さなければならない。
「……それと、そっちの好意を受け止めきれない上で厚かましいのは承知の上なんですけど……一つお願いがあって」
「なーに、何でも言って? これから付き合うダーリンのことならなんでも聞いちゃう」
「だから話が……えっと。慎之介――御手洗のことを、許してやってほしいんです」
「……!」
これは、事前の打ち合わせにはない言葉だ。
慎之介にそう言えと指示されたわけでもないし、水脈は二人の間に何があったのかを知らない。けれど水脈のもとにも届いていたメッセージや、慎之介がわざわざ二年生のクラスに足を運んでいたことなどから――彼にもやらなければならないことがあるのだろうと、なんとなく察していた。
「お願いします。あいつ、どうしても……先輩の友達と話がしたいらしいんです」
「それはなんかちょっとズレてる気ぃするけど……そっかあ」
水脈が頭を下げると、琳愛乃は人差し指を頬に当てて「んー」と声を上げる。
正直、虫のいい話だということは分かっている。彼女の真正面からの愛情を自身の都合で「友達から」と躱した上で、異性が苦手でなくなるよう練習相手になれといっているのだ。更にその上で、彼女にとって何の利益にもならない頼み事をしている。
「……お願いします」
それでも、止まっていた足を動かしてくれたのは慎之介に他ならない。
その礼はしなければならなかった。
「――そーだね、じゃあ」
顔を上げた水脈に、琳愛乃は。
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