一章七話 乾茉莉花2/2
「だからぁ~レイナって呼んで?」
「なーにがレイナよ。勝手に人の体奪っといて、勝手にシングロイドやるなんて決めて……!」
本当にシングロイドとして活動することが決まってしまった日の夕方、あたしは得体の知れない何かと揉めまくっていた。
活動する――というのは、ラヴリーレイナとして今後配信活動をしていくという意味だ。あり得ない、嫌すぎる。何を言っているんだろう。
「比奈さんも大概よ。貰ってほしいなんて言いながら……はじめっからあたしにやらせるつもりで色々準備してたし……!」
「でもちょ~かわいいじゃん? レイナちゃんはシアワセだよ?」
「やめなさいよその一人称! 気色悪いわ!」
配信キットやその他諸々をあたしに押し付けようとしていたのは事実だけど、それ以上に厄介なのは“あたしのために既にキャラクターを作っていたところ”だ。聞けばあのイラストもモデルも、大枚はたいて依頼したものらしい。以前の通話から着々と準備を進めていた。なんて聞いたときは卒倒するかと思った。
――だってりかちゃんいっつもつまんなさそうだし? 折角なら楽しく生きてほしいな~と思ってのことだよ! 引っ越し祝いじゃん?
アホか。そんな引っ越し祝いあってたまるか。
「実際あったじゃん、そろそろ認めよ~?」
「うっさい! てかアンタはなんなのよ!」
「だからぁ……あ、折角だし練習しておこっかな~?」
「……何をよ」
ソファに腰掛けて、机を挟んだ向かいに座る“自分”を睨む。見た目はどう見てもあたしなのに、言動がまるっきり違う。気持ち悪いくらい他人だった。
紫の髪と、笑っちゃうくらいキラキラした目。あたしの中にやっぱり別の何かが入って動いていて、それを見ることが出来る。その現状も異常だった。
「ラヴリーモーニーン~! シングロイド期待の新星、ナカユビアクマのラヴリーレイナちゃんだよ★ 以後御見知りおきOK~?」
「ホントやめて! マジでやめて! なんか蕁麻疹出そう! ヤバいから! 自分の顔と体でそれされるのホントにヤバいから!」
「大丈夫だよ~配信の時は見た目もちゃんとレイナちゃんだからさぁ」
そういう問題じゃないだろ、なんて言っても聞く耳は持たないだろう。
今現在、あたしたちがいる空間は――レイナを自称する彼女が言うに、現実世界ではないらしい。あたしとレイナだけが入って会話することのできる、精神世界。ソファ二台と机が置かれている以外は何もなく、殺風景な青空が広がるだけ。
そしてレイナは――これも彼女いわく、何も分からないらしい。というのも彼女もいつから存在していて、いつから人の体を乗っ取って喋れるようになったのか分からないからだ。
ただ、レイナはあたしの今までの記憶を知っていて、人に話したくない苦い思い出までしっかりと覚えていた。
「さいとうくんたちが付き合ったって知った日に傘忘れたのサイアクだったよね~。あそこから中学校つまんなくなったもんね~」
「言わなくていいし! あたしの記憶を覗くな!」
こういう現象をなんていうか、ちょっとだけ知っている。
といってもフィクションの、物語の中で知り得た知識であって、実際に目にしたことはないんだけど。
――二重人格。
ようするにレイナは、現実の苦悩や自己嫌悪に耐え兼ねたあたしに生まれた、もう一人の自分ということ。そんなふざけた話は信じたくないけど――体を乗っ取られた上にこうして対話までして、一向に目が覚める気配がしない。もう認めた方が早かった。
二重人格ということはつまり、あたしは現実逃避をするためにレイナを作って、いろんなことから目を背けようとしていたわけで。
「……でもなんで今更出てくるわけ? 引っ越したんだから、とりあえず諸々の悩みはリセットできたつもりよ」
「うん、そうだね~だいたいは自分で飲み込んで、一応いまは落ち着いてるよね」
「だったら――」
「必要だったよ」
出てくる必要はなかったでしょ、と言いかけて遮られた。
キラキラニコニコした顔のまま、どこか凄みを帯びた表情で。
「このままいくと、リカちゃんの心はいつか耐えられなくなって壊れちゃうから。レイナちゃんはそれを止めるために出てきたんだよ」
口元に僅かな笑みを浮かべながら、レイナが言う。出鱈目なことを言っているとは思うけど、どこか否定できない自分もいた。
過去は過去、と捨てて引っ越したつもりだったのに。やっぱりあたしは全然何も捨てきれなくて、ぐじゅぐじゅの心のままで高校に行こうとしていたんだろうか。
「ホントは一年くらい前からレイナちゃんいたんだよ~? ……ま、二次元アイドルやりたい! って思ったら出てこれただけなんだけどね~★」
「帰りなさいよ! 出てこなくていいから!」
「今流行ってる挨拶もやっとこっかぁ。こんライライ~」
「やめろ! 他人のパクリとか余計痛いわ!」
よく、わからない。
自己肯定感なんてないに等しい人生を送ってきて、そのくせ他人への劣等感と不信感だけは一丁前に燃え上がっていて。かといって人と関われば自分が嫌になるから、どうしようもなく嫌になるから――心の中で悪態ばかりついて生きてきた。
そんな自分の中に生まれたもう一つの人格が“これ”って、どういうことなんだろう。
「……ってか、二重人格って普通は現実逃避の肩代わりしてくれるものじゃないの? あんたはあたしの代わりに学校行ってくれるっての?」
「え~イヤだよ。レイナちゃんは夜にシングロイドとして配信するから。日中はよろしく★」
「ホント何しに来た!? 頼むから帰って!?」
よく、わからない。
けれどなんとなく、これからこいつに付き合っていかなければならないということだけは察することができた。
だってそいつはあたしよりも目がキラキラしていて、どうしようもなく光だったから。
小さい頃なりたかった理想の女の子みたいで、あたしなんかよりもずっと魅力的だったから。
そしてその日――レイナの初配信日は訪れる。
「いやぁ、ここまで準備完璧だとは思わないよね~。レイナちゃんマジでこれ全部使っちゃうけど大丈夫?」
「当然! あなたたちのために用意したんだから、思う存分使いなさいよ!」
なんで比奈さんは当たり前のようにレイナを受け入れているんだろうか。そうツッコミを入れたいところだけれど、レイナが表に出ている間、あたしは精神世界の部屋からテレビ画面を通して現実を見ることしかできない。
肉体の主導権を譲り合うと、あたしとレイナは入れ替わることができる。基本は好きなように入れ替わることができるから、シングロイドの活動がある夜はレイナが、日中はあたしが、という決まりで体を使うことになった。
「じゃ、初配信始めちゃうね~★」
比奈さんが配信用にセットした部屋を借りて、彼女はついにシングロイドとしての命を灯し始める。失敗して引っ込んでくれたら有り難いし、そこそこ上手くいけば収益化が通ってお小遣いがもらえることもあるらしい。どっちに転んでもあたしにとってはメリットしかない。
配信が始まった。ラヴリーレイナが名実ともに世間に顔を出した瞬間だ。
黒の片翼に黒の片角、金髪にあたしたちと同じ紫の瞳。中身のレイナの動きに合わせて動くそのモデルは、想像をはるかに超えて輝いていた。
「ん、んん~聞こえてるかな~? あっでも告知とかなんもなしで始めても、いきなり見てくれるヤツいないんだよね? ん~どうしよっかなあ」
配信者の誕生はまずアカウントとチャンネルを設立してから導線を繋げて、とか比奈さんが言っていたのに、レイナは「どうせ人気でまくりまくるからメンドーなのは後で良いよ」とか抜かしていた。
動画投稿用のチャンネルを作り、別アプリで宣伝用のアカウントも作り――それとほぼ同時に配信をスタートした。今出来たばかりの命に誰が気付くというのか。
何故かあたしまで緊張してしまう。手汗を気にしながら見ている。
「ん~誰も見てないのに自己紹介してもねぇ――あ、分かった! 同族の配信に登場して宣伝すればいいんだ!」
思わず体の主導権を奪うところだった。とんでもないことを言いだした。
「今配信してるのは~……おしゃかちゃん? 竹馬桂馬? なんだろこれ。あーコラボでゲーム配信してるんだ~。よし、こいつらの邪魔しよ」
動画を検索して同じく配信中のシングロイドを見つけ出し、画面に映らないよう見ながら状況を把握する。そういう配慮は出来るのか。
二人の配信者が実況中のゲームは超有名FPS。あたしは一度もやったことはないけれど、「いつかやることになる」と比奈さんが言ってすぐ起動できるようにしてあった。
「ふんふん、丁度次のマッチに入るところだな~? レイナちゃん正直に言うけど、このゲーム初見なんだよね。でもなんか……なんかデータ強いなこれ。もしかして同じマッチ入れるんじゃない!?」
実況でしか見たことのないゲーム。一度も触ったことはないけれど、比奈さんが用意しておいたデータはやけに高いランクを保持している。やらせだろ。すぐにでも配信を止めたかった。
でも今止めると、画面に映るのはあたしになってしまう。それは無理だった。
「よーし悪魔生初のビペマッチだ! 破壊するぞ~★」
初心者が顔を出して良いランク帯ではない、瞬殺されて終わりだ。
――そう思っていたのに、レイナはあり得ないほどのコントローラーさばきとセンスで、プロ顔負けのプレイングを見せつけ始めた。
「なんだこれ、めちゃくちゃ簡単! 野良の人どっか行っちゃったけど一人で倒せるなら無問題だよね!」
相方の顔も知らないプレイヤーをどこかへ置き去りにして、戦場で一切の被弾なく全てを蹴散らしていく。初配信で自己紹介もせずに銃撃戦で神プレイを見せつける配信者がどこにいるんだ。馬鹿なんじゃないのかと思った。
しかしとことん運がいいのか、レイナは目当ての配信者二人と遭遇し――見ているのが可哀想になるくらい圧倒的に、ボコボコにした。
しかもただボコボコにするのではなく、一切の被弾を許さずに翻弄し続け、傷の残る建物に銃弾でアカウントIDを描きながら。
「いえーい初プレイ初勝利★ お、同接数めちゃくちゃ増えてる……“さっき桂馬君キルした煽りプレイヤーですか”……そう! そうそう! 待ってたよみんな!」
なんだこの最悪の配信者。今すぐアカウント停止くらってほしい。
「じゃ、見てくれる人も出来たことだし改めて――ラヴリ~モーニーン! シングロイド期待の新星、ナカユビアクマのラヴリーレイナちゃんだよ★ 会いたかったぜオマエら!」
そんな最悪最低の客寄せで始まった初配信は、その後破天荒なキャラ紹介と軽い雑談をして終わった。画面上では信じられないくらいの神プレイを見せつけながら。
向こうのファンに目を付けられて炎上すると思っていたのに、何故かレイナはその配信とプレイングがやたらに拡散されて見事シングロイド業界に受け入れられた。
後で知ったことだけれど、ボコボコにされた配信者はむしろ上手すぎて褒めちぎっていたらしい。運がいいとかそんなレベルの話ではなかった。
その配信を切っ掛けに、ナカユビアクマ・ラヴリーレイナの人気はうなぎのぼり。何をやってもすぐ注目され、僅か一か月でホントに『期待の新星』と呼ばれるようになる。
「――……すごい」
悔しいけれど、心からそう思ってしまった。同じ肉体に宿る相手に嘘は吐けない。誰よりも近いところでレイナを見るうちに。あたしは彼女のファンになっていた。
それからあたしは、高校入学という人生の中でも貴重なイベントと時期を「ただ静かに過ごすこと」に費やした。輝くのは夜の“ラヴリーレイナ”であって、日中の乾茉莉花ではない。
そんなのつまらない、とレイナは言った。けれど知らない――遠く離れた土地に来ても、知らない人に囲まれても、あたしは誰かと楽しく過ごせる生活がイメージできなかった。
だから何も必要ない、乾茉莉花は光の影でいい。
レイナが好き勝手やっている間、あたしは一切の関わりを持たず生活した。授業だけ受けに行って、部活にも入らず、夜は配信のために真っ直ぐ帰る。そんな無味無臭の生活を繰り返した。
もう今までみたいに人の目を気にしたり、関わって考え込んだりするのは疲れた。だからこれ以上考えることを増やしたくはなかった。
だってそうでもないと、また騙される。また裏切られる。また利用される――また、信じてしまう。
なのに。
「なあ、乾。それ楽しいのか?」
人を跳ねのける態度を取り続けても、隣の席の男だけは何度も話しかけてきた。
「俺スマホでゲームしないから詳しくなくてさ、流行ってるらしいなーそれ。教えてくれよ」
「……話しかけないでって言ったわよね」
「そんな冷たいこと言うなよ、折角最後列で授業を受ける仲なんだからさ」
男の名前は御手洗慎之介。強そうな見た目で背もかなり高くて、一見怖そうなのに話すと優しいとかいう意味の分からない奴だった。
毎日、どんな対応をしても彼は絶対に話しかけてくる。最初はしつこいと思った、迷惑だと何度も切り捨てた。それでも素知らぬ顔で何度も何度も話しかけてくる。
「よう、今日もやってんのか? それ」
何度も。
「さっきの授業の話聞いてたか!? 誰も聞いてなかったけど先生のエピソードやばくないか!?」
何度も、何度も。
乾茉莉花は浅はかで人生経験に乏しい女だ。友人はいないし、人と関わって楽しいと思ったことはほとんどもない。その上二重人格で、夜は痛々しいキャラで配信までしている――自分ではないけれど。
そんなどうしようもない女だから、壁を作って生きようと思っていた。なのに何度も話しかけられているうちに、どうしようもない自分の中に芽生えた何かに気付いてしまって。
『リカちゃん、どーする? あの男』
「どっ……うするって、何がよ」
『告っちゃう?』
「はぁ――っ!?」
意味不明だと、心の中からレイナに言われて否定できなかった。取り繕わずに他人に攻撃的な態度を取って尚構ってもらって思い上がっている。それは頭で理解しているのに、いつの間にかあたしは御手洗慎之介のことばかり考えるようになっていた。
けれど半ば諦観気味に見ている。御手洗慎之介はルックスがそこそこ良くて、多分勉強もできる。何故か部活動は未所属だけど体育の授業では大活躍だった。女子が何人も色目を使って接触しているのを隣で何度も見てきたから、あたしなんかとは釣り合わないことが痛いほど理解できていた。
「イヤ……絶対何もしない。ってか気のせいでしょ、気のせい」
『せめて相談できる相手がいたらね~。優しくて、なんでも言うこと聞いてくれそうなヤツ~。いたら超便利だな~?』
そんな都合の良い相手がいたら是非仲良くしたい。一人では何もできない自分の背中を、レイナの分もまとめて押してくれるようなお人好し。もしもそんな人が目の前に現れたら、絶対叶うわけないと半分諦めている恋も頑張れるのだろうか。
「はいっ! わたしは今日のこの時間、この場所に来たら運命の人と会えるって聞いてきました! わたしをメインヒロインにしてくれるのは誰ですか!」
「――よかった、どこも怪我してないね……っ!」
――いた。
なんでも言うこと聞いてくれそうで、なんでも信じてくれそうなお人好し。
約一か月間で作り上げてきた信念を曲げてでも、仲良くなった方が絶対に得できる。そのくらい強い力を持った人間が、近づいてきた。
「……茉莉花って呼んで」
確信した。あの時レイルに届いたのは、何も間違っていなかったんだ。
馬鹿馬鹿しい内容で、あんなものを信じても他人の食い物にされるだけだと思っていた。興味本位で丁花公園には向かってみたけど、それでもまた人の顔色を窺って生きることになるのがイヤで、帰ってしまった。
だけれど彼女が協力してくれるなら――いや、彼女に、朱島伊吹に協力してもらわないとダメだから。
だって、あたしの願いは。
『“乾 茉莉花”
きみの願いは
“意中の相手のメインヒロインになること” 』
神様なんて信じたことはないけれど、それに近しい人がくれたチャンスだと思った。
あたしは、乾茉莉花はこの恋を通して嫌いな自分にサヨナラする。
朱島は「メインヒロインにしてくれる人」を探していた。あいつがどんな願いをもってあたしたちと出会ったのかは知らないけれど、あたしと同じようなものなんじゃないかと思う。似た願いを持つ人なら、もしかしたら。
信じてみたくなった、いつしかあたしを裏切った友人に似た、朱島伊吹という存在を。それと同時に利用していた。あれは――あの記憶は偶然相手がそういう性格だっただけで、自分が悪かったわけではないのだと。そんなくだらない証明のために。
だからこの恋を成就させて、今までの人生にケリをつけたかった。
あいつが協力してくれると言ってくれた、この恋を。
だけど。
「はぁ……外出中に身体変わるの禁止ね、レイナ。時間かかり過ぎ」
『ごめんってー! 告知忘れてたんだよー! 自分で打ちたかったからさ★』
「なんにせよ禁止。誰かにバレたら面倒……だ……し……」
連休最終日、少し目を離した隙にとんでもないことが起こっていた。
あり得ないくらい近い距離の二人、暗さと距離の関係でしっかりは見えないけれど、人気が少ないのを良いことに顔同士がくっ付いている。
あらゆる感情よりも先に自分への失望が勝った。
「……やっぱり、どいつもこいつも、そうでしょ」
なんだ。結局頑張ろうとしても無駄だったんだ。願いが叶うとかそんな美味しい話があたしの人生にあるわけがない。
中学から高校に上がっても結果は同じだった。誰かを好きになっても上手くいくわけがないし、誰かに好きになってもらえるような人間でもないんだ。
ああ、そうだったんだ。朱島も御手洗も、結局――。
『え、リカちゃん?』
「帰る」
更けていく夜に消え入るようにあたしは走り出す。間違いだった。期待したのが馬鹿だった。変に欲を出した結果がこれだ。中学時代の焼き直し以外のなんもでない――あまりにも、くだらない。
人間なんてみんな一緒だ。もういい、好きにすればいい。
もう、これ以上、何もない心を踏みにじらないでほしかった。
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