一章五話 裏切り者。


「ゴールデンウィークどうしよっかな~。どうしようね~?」

「俺はどこか行くのはいいんだけど、一個聞いていいか?」

「うん、なあにー」


 ゆるい空気の中、伊吹はゆるい返事をした。

彼女が慎之介の席に行き、屈んで話しかける光景も日常の景色となりつつある。


「俺ら三人だけでいいのか気になってさ。まあ、あの……氷室さんは遊びに誘うとか難しそうだけど……ほら、彼方先輩はいいのか?」

「そもそも遊んでるだけでいいのか怪しいけどね」


 横から声だけが飛んでくる。茉莉花だ。

 隣の席で茉莉花が頬杖をつきながら会話に参加する様子にも、クラスメイトたちはそこまで違和感を覚えなくなっていた。


「うーん、ちょっとずつ皆仲良くなっていけばいいかなーと思って。ねっ、茉莉花ちゃん」

「……あっそ」


 そっけない態度で目を逸らされる。しかし彼女の顔が少し赤くなっているのは、目が合わなくともよく分かった。


 伊吹は二人の発言に対して腕を組み考える。伊吹と慎之介と茉莉花の三人は、一度ゲームセンターに遊びに行ったことで「遊びに誘っても違和感のない集まり」程度の認識にはなった。元より協力的で友好的な慎之介と、押しに弱い茉莉花との三人だから当然の結果である。

 そして、慎之介は疑問はもっともだ。丁花公園に集まった五人のうち二人が欠けている状態より、可能であれば全員集まることが出来る関係を構築した方が、お告げの指示に忠実。それは分かっている。


(でも、茉莉花ちゃんの恋もあるしなー……)


 伊吹としては、今優先すべきは“茉莉花の恋を成就させること”、つまり“茉莉花からの頼みを達成すること”ではないかと考えている。


 彼女から頼まれたことは要するに「イベント」だ。

 漫画やゲーム、アニメ的に考えるなら最初に解決すべきもので超える壁、のようなものと捉えている。これを先延ばしにするのはあまり良くないという直感があった。


 よって、伊吹はまず茉莉花をアシストしやすい三人での関係を優先することにした。最低限、助けが必要ないくらい彼女には素直になってもらいたい。そうしてから他二人を集めても遅くない──というのが現状の計画だった。


(だけどこれはこれで閑流先輩を無視してるみたいだし……氷室さんにはまだかなり嫌われてるっぽいし……難しいなあ)


 ちなみに氷室沙凪には先日再び接触したが、今回は何一つとして教えてもらえずに「不快なので消えてください」とスルーされてしまった。


「頼もう。道場破り」

「……ん?」


 あれこれ考えていると、教室の扉をバァン! と勢い良く開けて一人の生徒が入ってきた。胸元の青いリボンと深い青の瞳が、白い髪色と相まってよく映えている。


「あ、閑流先輩!」

「やあ、イブちゃん。来たよ、先輩のシズ……合わせてイブシズ」

「コンビみたい! イブシズ~」


 つかつかと遠慮なく教室内を歩く閑流。伊吹は軽快なノリで彼女とグータッチを交わし、某映画のようにパラパラと手のひらを動かしながら離した。


「バララララララ~」

「仲良いなお前ら」

「あたり前田のクラッカー。先輩は誰とでもフレンドなんだよ」


 閑流とは校門で会った日以来、たびたび二年の教室に行って話している。伊吹は彼女ら先輩グループにいたく気にいられたらしく、顔を出す度にお菓子やら飲み物やらを貢がれていた。

 しかし彼女が自分から一年の教室に来たのは初めてだ。いつも校内をふらふらしているが、周囲の生徒からは「誰かに会いに行くようなやつじゃない」「本能が本能で歩いてる」などと評されている。何かよほどのことがあったのだろうか。


「閑流先輩、どうしたんですか? 用事ですか?」

「うん。用事。とびっきりの。そこのいちまいめちゃんにも」

「うわ……そういやそんな呼び方されてたわね」


 露骨に嫌そうな顔をする茉莉花。二人が会うのは多分公園以来だ。伊吹と慎之介以外のクラスメイトと話す時の声音で話している。


「ダメだよ茉莉花ちゃん。先輩とも仲良くしよ?」

「そのとーり。ちゃんと仲良くしろ、いちまいめちゃん」

「その呼び方やめたら考えるわよ……」

「おい、敬語を使え。慎め。それで大変なことになった、一年のとき。わたしが」


 妙に喋り方や言葉の間に独特な加減があり、何を言われても柳に風といった様子だ。

 茉莉花は風のようにゆれる閑流から得体の知れなさを感じとったのか、スマホに視線を落としてシャットアウトしてしまった。


「まいいか。とりあえずさ、決めようよ。予定」

「予定?」

「うん。ゴールデンウィーク。出掛けるぞ。後輩ズ」


 海みたいな揺らめきと深みを映す青の双眸には、窓越しに見える雲があった。ピン、と天井を指した指、その爪の先は一つずつデザインの異なるネイルが彩られている。それらが彼女の生き様を表していて、これから呑まれていく自由奔放の濁流も予感させていた。

 目前とした連休、その内の一日の予定が埋まった瞬間である。




 ◇◇◇




 全員の予定を合わせた結果、休日はバイトを入れている慎之介と遊びの予定が割と入ってくる伊吹・閑流とで会えるのは、連休の最終日のみとなった。茉莉花は「レイナの配信あるけど空けろっていうならそうする」と渋々承諾していた。


「連休って言ってもすぐだったねー。わたし、今日を楽しみにしすぎてあっという間だった!」

「あんたは何がそこまで楽しみなのよ、他にも遊ぶ相手はいるでしょ」

「何って茉莉花ちゃんとイチャつくことだけど」

「洒落になってない! 真顔で言うな!」


 昼下がり、ファミレスにて。

 テーブル席で向かいに座る茉莉花が、伊吹の発言に青褪めて身体をさすっている。冗談だと分かっていても言葉には耐えられなかったらしい。

 慎之介は茉莉花の隣で、二人を見ながら微笑んでいた。


「相変わらず仲良いなーお前ら」

「お隣同士の二人の方が仲良さそうに見えるけどね?」

「あんたが無理やりやったんじゃない。てか別に誰とも仲良くないし」


 ご立腹な様子の少女はそっぽを向いてしまう。今日の茉莉花は黒のナイロンジャケットにデニムのショートパンツの組み合わせで、制服とはまた違った雰囲気が出ている。シュシュはシンプルな黒、ロングベルトは髪色に合わせた紫だ。

 入店時は慎之介の横にされそうになり抵抗した彼女だが、「まあまあ」と押されて大人しく奥に詰められていた。少し嬉しそうなのが表情で分かる。隠しきれていない。


「……なに、見ないでくれる」

「私服の茉莉花ちゃん、かわいいなーって。ね、御手洗くん」

「おう、新鮮でいいと思うぞ」


 慎之介が親指を立てて褒める。彼の服装はというと、黒いブルゾンと白シャツ、黒のワイドパンツでモノトーンにまとめているものだ。上半身の色合いが並んだ二人でほぼ同じで微笑ましくなる。


「シミラールックだね、二人で」

「……い、いや、ホントに偶然被っただけで……」

「あれ、珍しく素直に照れてる」

「あ、これが乾の“照れ”か。なるほどな」

「何学習してんのよ、いらないのよそういうノリ」


 流石に公共の場だから声を荒げるのは遠慮したのだろうか。そうこうして会話を進めているうちに、ドリンクバーへと旅立っていた閑流が帰ってきた。両手でコップを器用に四つ持っている。


「はいお待たせー。おシズ特製ミックスね」


 白と薄い青の鉱物柄のシャツ、大きくスリットの入ったシックな黒スカート。すらりと伸びた体躯や目鼻立ちの整った顔から、私服姿の閑流はモデルか何かにしか見えない。浮世離れした雰囲気が余計にそう感じさせた。

今日は黒のファッションが多い日だ。


「なにこれ」

「俺メロンソーダ頼んだんだけど」


 置かれたコップに二人が怪訝そうな顔をする。お茶のようなコーラのような色味をした液体が四つのコップに並々注がれており、横から見ると黄色や赤色がところどころに混ざり合っていた。


「あんたね、高二でドリンクバーで遊ぶってどうなのよ」

「うん。タメ口の後輩、いいね。そのままでいこう。新鮮だから」

「聞いてないし」


 閑流が空いていたところに座り込んだところで、一応全員が配られたジュース? を一口飲んでみる。伊吹は真っ黒な色味から意を決して口をつけたが、意外にも果物の芳醇な香りと濃厚な味わいが押し寄せてきて、目を輝かせた。


「おいしい! 閑流先輩、これどうやって作るんですか?」

「ふふ。覚えてない。めちゃくちゃ適当に作った」


 適当でも意外とハーモニーは作れるらしい。


「……なあ先輩、これ全部適当……? 俺のあり得ないくらい不味いんですけど……」

「うん」

「うん、じゃないのよ。あたしのもヤバい味がするんだけど」

「あーじゃあハズレだ。半分くらいの確率で外す。いっつもそう」

「最悪! ふざけんな!」


 苦虫を嚙み潰したような顔をして並ぶ二人が少し面白かったのだが、当の本人たちはそうも言っていられないくらいの味を感じたらしい。

二人は料理が来るまでの口直しを求めて、ドリンクバーの方へ無言で向かっていった。残されたコップ二つからは哀愁が漂っている。


「行っちゃった。マジではずれだったらしい」

「あはは……わたしのは美味しいんですけどね」


 眠たげな半眼で瞬きしながら言う。全く責任を感じていなさそうな様子だ。

 二人が抜けたことで静かになった席の中、閑流はゆらりと目線を動かして伊吹を見据える。そしてそのままゆっくりと口を開いた。


「――イブちゃん、気にしなくていい」

「え?」


 何のことか分からず目をぱちくりさせる伊吹。閑流は自分のジュース――おそらくあれも美味しいのだろう――を一口飲んでから続けた。


「分かる、なんとなく。五人だけど……急ぐことも、焦ることも。必要ない」

「……お告げ……手紙のことですか?」

「そう」


 これまで聞こえなかった店内の音が耳に入るようになり、子どものはしゃぐ声や店員同士の連携の声などが雑音をすり抜けてきた。飽和した空気のような間を持つ少女の声だけは、その中で一際よく聞こえる。


「わたしにも、願いがある。イブちゃんたちにも叶えたい願いがある。合ってるよね」

「……はい」


 思えば、閑流とこの話をするのは初めてだった。なんとなく学校内で、上級生の教室でこの話題を出すのが憚られていたから。

 何度も教室に足を運んでも、雑談して可愛がられて終わりだったのだ。

 だから今初めて、彼女から“願い”という言葉を聞いた。


「叶えるためには、仲良くすればいい。多分。だけど焦らなくてもいい……と思う」

「そう……なんですか?」

「うむ。一気に皆集める必要、ないよ。ゆっくりやってこーぜ」


 にこり、と小さく微笑を刻んだ口元が、ただそれだけなのに美しい。ピースしてみせる姿に子どもっぽさを感じて、つられて伊吹も笑う。


「ふふふっ……もしかしてそれを言うために、今日?」

「そう。先輩のことは気にせず、落ち着いたら改めてご飯に行こう。紅からとか」

「それ辛いやつじゃないですか? わたしは行けますけど!」

「じゃ、決まりだ」


 それを言い終えて、彼女はスマートフォンに視線を落として口を閉ざしてしまった。

 伊吹の中で疑問が一つ解消される。突然一年の教室に来て遊びに誘った理由が気になっていたのだが、これを言うためだったのだ。閑流には何かを見通す力でもあるのか、考えていることが伝わっているような――言葉の外で言われている気がした。


 今やるべきだと思うこと、それが落ち着いてから。自分はそのあとで良い、と。


「ありがとうございます、閑流先輩」

「んー」


 短い生返事だけが返ってきた。もう少ししてから離席していた二人が帰ってきて、その頃にはまた雑音に囲まれた飲食店の雰囲気があった。




 ◇◇◇




「一日が終わるの、はやーっ! 明日から学校だーっ!」

「はは、元気すぎるだろ」

「だって、元気なほうが明日も楽しくなりそうだから!」


 後ろから掛かる声に振り返り、小さく跳ねながら笑う。既に辺りは暗くなっていて、昼間は太陽一点だけだった空には星々が煌めいていた。

 伊吹は慎之介の少し前を進みながら噴水の方へ向かう。今日一日遊んだ建物の入り口からすぐにある、夜景に合わせてライトアップされる噴水だ。今は緑色に光っている。


「ねー見て! 水が光ってるみたい!」

「本当だ、初めて見た」


 噴水の近くまで辿り着き、近くにあったベンチに腰掛けた。慎之介は一度振り返って建物の方を見る。


「しかしマジで休日って一瞬だな。さっきここから入った気がするんだけどな」

「分かる~……まだ遊びたいよね」

「楽しそうだったもんな」


 彼の言葉通り、昼前に通った入り口を見て、今日一日の出来事を想起する。

 ファミレスでちょっと高めのメニューを食べてみたり、ゲームセンターで散財する閑流の姿を見たり、洋服店で茉莉花の服を選んだり、新作のアイスを食べ比べしてみたり、子ども用イベントなのに声を掛けられて参加したり――色々とあった。思い返しても一瞬だ。


「そういえば、乾はどこ行ったんだ?」

「あ、なんか電話だって。すぐ戻ると思う」


 今この場に居るのは伊吹と慎之介だけ。閑流は「録画機能ぶっ壊れてるから一足お先に」と言い残し、少し前に帰っていった。茉莉花は閑流が抜けたタイミングで、


 “レイナがどうしても配信用アカウント今弄りたいっていうから、ちょっと人のいないところ行ってくる。御手洗と待ってて”


 と言って足早にどこかへ行ってしまった。故にしばらく、会話に花を咲かせて時間をつぶすことにしたのだ。

 ただ、慎之介はレイナのことを知らないので何も伝えられていない。彼も不明瞭なことは追及しないようで、それ以上茉莉花について言及してくることはなかった。


「そういえば。彼方先輩って、いつもあんな感じなのか?」

「うん、そうだね。わたしが学校で見た感じは、だいたい」

「そんなに話したことないけど、なんというか自由な人だな……せめて美味いやつ作って欲しかったわ」


 ジュースの件は未だに根に持っているらしい。とはいえ彼も一日楽しんでいたので、今日の外出は概ね充実していたと言っていいだろう。

 閑流とも少し話せたし、茉莉花と慎之介を以前のように二人にして会話させるのも成功している。心なしか打ち解けているような気もするし、茉莉花の手伝いも順調だ。

 あとは病院にまた足を運んで、と考え始めたタイミングで、伊吹はスマートフォンの画像フォルダを開く。今日撮った写真の中から目的のものを探し出してタップ、ベンチの前で立っている慎之介に画面を向けた。


「そうそう、これ見て! 御手洗くんが変な服着てるやつ撮ったの」

「おい、それ肩幅終わってるやつだろ! さすがに恥ずいから――」


 消してくれ、と言いかけたのだろう。世界が瞬間的に停滞した。

 勢いよく飛び出した片足が、若干解けていた反対の足の靴紐を踏んだことで彼自身のバランスを大きく崩した。随分使い古されたスニーカーで、紐もかなり年季が入っている。手入れは行き届いているが、転ぶのは仕方ない――などと意味のない感想だけが湧き上がってきた。


「――!」


 目の前から降ってくる彼の身体。なんとかして倒れ込むのを止めようとしたのか、両腕が伊吹の顔をすり抜けてベンチの背に伸びた。迫る顔には驚愕の表情が刻まれ、見上げていた伊吹の視界は瞬く間に慎之介の顔で覆い尽くされていく。


「――……」


 ゆっくりと、一瞬の出来事から再生するように。世界が動き始める。色すら抜けていたのではないかと思うほどの時間が数秒過ぎて、慎之介はようやく目を見開いて反応した。


「……むぐ……」

「……ちゅー、するかと思った」


 ちょっと悪戯っぽく笑ってみせて言う。唇を手のひらで塞がれた彼はついていた手に力を入れて、そのまま跳ね返るように姿勢を戻した。もう少し反応が遅れていたら唇同士で重なっていただろう――未遂に終わったが。

 慎之介はほぼ土下座に近い格好をとって、全力で謝罪する。


「すまん! いや、すまんじゃ済まなくなるところだった……!」

「ほんとに。気をつけてよ? わたしが奪っちゃったら大変なことになるんだよ」

「……? それはどういう……」

「あ、通知。茉莉花ちゃんからかな……ちょっと待ってね」


 スマートフォンの振動で一時会話を中断。一旦離れるにして帰りが遅い茉莉花からレイルが届いたかと思って見ると、予想通り彼女からのメッセージが届いていた。

 淡白に一文。彼女は基本的に長々と連絡を取らない。稀にレイナと入れ替わっているらしいメッセージが飛んでくることもあるが、たった今送られてきたメッセージは茉莉花のものだ。

 通知欄に表示されたのは一つだけ。ただ一文。淡白に。それだけ。


『裏切り者。』


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