一章四話 フルコンボとぶっとびサイダー
学校の近くに飲食店や娯楽施設が多いと、それだけで生活に彩りを付け加えられたと感じられるのはどうしてだろう。
家の近所にあるものとはまた違った生活感に特別感。そんな感覚を身に纏い、チャイムを背に追い縋る夕日を感じながら、膨大に溢れた時間を浪費する――まさしく青春を謳歌する若者に許された、若者だけの時間だった。
「ゲーセンか、良いな。久しぶりだ」
慎之介は伊吹に誘われ、学校から割と近いところにあるゲームセンターに来ていた。複合商業施設に内包されたそれはかなり広く、平日の夕方だというのに人で溢れ返っている。この辺りで生活する人々や学生の誰もが利用する施設の一部というのだから、納得できる人口密度ではあるのだが。
「わたしもゲームセンターはあんまり来たことないな~。プリも高校入学してからは撮ってないや……三人で撮っちゃう?」
「任せろ。俺が最強の“映えポーズ”を見せてやる」
「なんであんたが乗り気なのよ。おかしいでしょ」
自信満々に答える慎之介にツッコミを入れるのは茉莉花だ。羅衣斗が卒倒しそうな伊吹の言葉は大きな大きな抜けがあり、「三人でお出掛けしない?」という意味だったらしい。
「……」
それはそうに決まっている、と思う。
別段何かを期待していたわけではないが、いくら“縁を大切に”する必要があるからといって、伊吹と一対一で遊びに出かける必要はない。わざわざ二人きりになるまでもなく、数人集めて出掛けた方が理にかなっている。
顎を触りながら考えていると、隣の茉莉花と目が合った。
「……何。こっち見んな」
「いや、学校の外で乾を見るのは新鮮だなと思って」
「あー分かる。なんか、こういうとこに来てくれるだけでちょっと嬉しいよね」
茉莉花の更に隣にいる伊吹から同意の声が届く。校舎の外で見ると茉莉花は雰囲気が異なっており、いつもより刺々しさが抜けているように思えるのだ。
「目元がちょっと優しいよな。学校は窮屈か? ……もしかしてゲーセン行こうって言ったのは」
「何の話! はよ歩きなさいよでかいんだから! 邪魔になるでしょうが!」
どうしてゲームセンターに三人で来たのだろう、と思っていたが、なんとなく理解する。
(そうかそうか、乾もちゃんと叶えたい願いがあるんだな。そのために……)
人付き合いなど全て切り捨てていそうな彼女にも、こうして親睦を深めようという意思がある。隣の席で見続けてきた身としてはなんとも感慨深いものだった。
――願いのためであることは間違っていないが、慎之介の理解は微妙にズレていた。
「よし! 折角遊びに来たからには遊び倒すぞ! 何からやるんだ?」
「わたしクレーンゲームしたーい」
「バカ、あんなの金の無駄よ。絶対やらない方が良いんだから」
入ろうと思えば入れるくらいの人混みの中に三人で入っていく。ゲームセンターの中は機械の稼働音と効果音、人の会話や子どもの鳴き声などが飛び交っていた。ベルの音も聞こえてくるため、奥の方でイベントをやっているのが分かる。
慎之介は声がかき消されそうな空間の中、二人の少女と喋りながら様々な筐体を見比べていった。
「おい、このメダルゲーム機知ってるか!? 俺が幼稚園の頃ギリギリあったやつでさ、もうほとんど置いてないんだよ。やるしかないだろ! メダル交換してくる!」
「メダルゲーム始めたらもうそれだけで終わっちゃうじゃない、もうちょっと見て回りましょ」
「それもそうか……聡いな、乾」
「ねえこのぬいぐるみ絶対すぐとれるやつだよ! やってみよ!?」
「あんたはクレーンゲームにしか興味がないわけ?」
メダルゲームの慎之介とクレーンゲームの伊吹。そのどちらもに一つ一つ反応していく茉莉花の顔は若干疲労が見られるが、嫌悪している気配はあまり感じられない。
しかし自分たちのやりたいことばかり優先していては彼女に申し訳ないと思い、少し近くに寄る。びくりと肩を震わせたが茉莉花は逃げることなく、ゆっくりと視線を持ち上げて慎之介を見返してきた。
「乾は何かやりたいものあるのか?」
「……別に。あたしは特に……あんたたちの好きなものやったらいいじゃない」
「じゃあこれとかどうだ、ド定番だけど」
彼が指差した先にあるのは『和太鼓の隣人』という超人気ゲームだ。大きな和太鼓が二つ、ゲーム機に合体したそれは、様々な楽曲をリズムよく和太鼓を叩いて演奏するというもの。所謂「リズムゲーム」というジャンルに区別されるのだが、同ジャンル内でも一線を画すレベルで知名度が高い。
「……なんでこれなのよ」
茉莉花は前髪を弄りながらやや不服そうな表情をしている。喧騒が響く建物の中だが、彼女の声は意外と聴きとりやすい。伊吹はクレーンゲームの筐体の並びを徘徊し始めており、どんどん遠ざかっていた。
「いや、なんか前にスマホでゲームやってただろ? リズム系好きなのかと思って」
「……っ! はっな……なんで、見てたの!? 変態! 盗み見するなプライバシーゼロの最低男!」
「悪い悪い! 全然見るつもりなかったんだって!」
入学して二日目あたり、休み時間に一人でスマートフォンを見ていた茉莉花に「次移動教室だぞ」と声を掛けようか悩んでいた時のことを思い出す。あの時はイヤホンが外れて音が駄々洩れだったのだが、既に皆移動した後だったので結局言うことができなかった。
結局彼女がその後音漏れに気付いたのかが気になる。けれど怒りの感情を見せつつある姿に、とてもそれを言い出すことは出来なかった。
「……ふん。人のスマホ勝手に見たんなら、一回くらい付き合いなさいよ」
「お、やっぱ好きか、こういうの。いいぜ、俺だって地元じゃ負け知らずだったからな」
「それ言うやつだいたい雑魚だからね」
硬貨を投入してゲームを開始。一曲目は「あんたが先に決めなさい」と急かされたため、少し前に発売したゲームの主題歌を選択する。
(あ……やべ、男友達と来たときのノリで選んじまった)
選曲が完了してからミスに気付くが、時すでに遅し。ゲームのジャンル的に茉莉花が知っていそうな感じは全くしない。リズムゲームにおいて『知らない曲を初見でプレイさせられる』ことほど虚無なものはなく、まさに今それを彼女に強いてしまっていた。
「すまん、乾――」
「これ良い曲よねー。あんたゲームの方はやってたの? 難しいけどストーリー良くて結構好きだったわ」
「…………」
「ちょっ、始まってるんだけど!? なんで叩かないの!?」
「偏見に塗れた己を恥じているところだ――」
“女子はこういうゲーム知らないだろう”という先入観で話を進めようとしてしまったことに、つまり自分自身に憤りを覚えて立ち尽くす。
御手洗慎之介は妙に真っ直ぐなところがあり、一度過ちに気付くと自分の中で腑に落ちるところまで消化しきるまで反省し続ける癖があった。今回の過ちは何も考えず曲を選んだこと、そして勝手な先入観で接してしまいそうになったこと。
どちらも相手に失礼だと心の中で自分を責める。背筋を伸ばして和太鼓の前で棒立ちする彼の姿は、まるで滝行に耐える修行僧の如き気迫があった。
「――おい、曲終わったわよ。何してんのよ」
「いや……申し訳なかった。マジですまんかった。罰だと思ってくれ」
「何言ってんの? ……まあ、いいけど。次あたしが選ぶからね」
やや呆れ気味、という引き気味の茉莉花が次の曲を選んだ。流石にこのままでは投入したお金も時間も無駄になってしまうので、心の滝行を終えてバチを握り直した。
「お。この曲」
「知ってる? じゃあこれにしよ」
選ばれたのは数年前に放送された恋愛ドラマの主題歌『黙れ、ブロッサムロード』だ。
絶大な人気を博したドラマの内容に忠実に沿った歌詞と曲調。当時は大流行してどこへ行ってもこの曲が流れていた。バラード調のイントロから一転してダークな雰囲気を思わせる、しかし熱のある青春ソングへと切り替わるところが、よく評価されていたらしい。
流行りが過ぎ去ってもなおこういったゲーム機には選出されるほどの人気から、曲としての完成度の高さが伺える。
「乾も観てたんだな、これ。俺このドラマめちゃくちゃ好きでさー、最終話なんて涙ブワーってなってもう友達に大笑いされたぐらいで。でもそいつの親も泣いててお前人の涙を馬鹿にするな! って怒られまくって、思わず涙引っ込んでさあ」
「難易度鬼フルコンしながら雑談すんのやめてくんない!? てかどんな環境でドラマの最終回観てんのよ!」
余裕綽々にリズムよく叩く慎之介に、隣の少女はご立腹だ。彼女もしっかりノーミスだったのだが雑談のせいで一度ミスしてしまい、曲が終わる。
とても成績発表をお行儀よく見ていられるような情緒ではなくなってしまったのか、憤慨して睨みつけてきた。
「あ~も~! 何なの! じゃあ一曲目もちゃんとやんなさいよ!」
「いやだから一曲目は俺の失態を反省していたっていうか……あ、もう一回やるか?」
「ふんっ! いいけど次あり得ないほど難しいやつ選ぶから! 話し掛けて来ても無視するから!」
「いいぜ、いくらでも相手してやるよ。俺は地元じゃ負け知らず――」
「うるさい! それでホントに強いパターン出してくんなバカ!」
苛立ちを隠しきれない様子で高速で曲を探す茉莉花――しかし言動一つ一つに口を挟みながら感情を発露する姿は、なんとも年相応の女子高生らしさで溢れていた。
少し口が悪いところもある。けれど普段からこのくらいのノリでいたら誰とでも仲良くなれそうなのに――と、老婆心めいた感想を抱く。そのくらい今の彼女は、彼女の秘める魅力が表に出ていたのだ。
「お菓子いっぱいとってきたよー千円も使っちゃった! ――って」
「なんで全曲フルコンしてんの? しかも結局話し掛けてくるからミスったじゃない!」
「昔からこれだけは得意なんだよなー。他の音ゲーはからっきしなんだけどさ」
「言ったわね、じゃあ次はあっちのやつやるわよ」
クレーンゲーム巡りから戻ってきた伊吹は、ニヤニヤしながら両手に抱えた戦利品を二人に差し出す。傍から見れば二人のやり取りは和気藹々の範疇の、痴話喧嘩にしか見えなかった。
「はいどうぞ。わたしもう一回りしてこよーっと」
「いやいい加減戻ってきなさいよ。いつまで単独行動する気なの」
「えー……だって……ねー?」
「なんで俺を見るんだ朱島」
慎之介は生暖かい視線を向けられ、困惑する。伊吹の後ろで茉莉花は頬を朱に染めながら、何か言いたげな顔をしていた。彼にはその表情の意味が見いだせなかった。
◇◇◇
それから、三人で遊んで三十分ほど経過した。偶然ゲームセンターの外でクラスメイトの鈴蘭を見つけた伊吹は、鈴蘭と他のクラスメイトグループに拉致されてしまった。
「すぐ返すから待ってろー」と鈴蘭は言っていたが。
「はぁ……ホント……人気者ね」
「疲れてんなー」
「もうイヤ。許せないあいつ」
額から垂れる汗をハンカチで拭き取る茉莉花。疲労困憊といった様子の原因は、慎之介と和太鼓を叩いたから──ではなく、その後伊吹にあるゲームに付き合わされたからであった。
バスケットボールのシュートゲーム。茉莉花はそれに連続で付き合わされた後だった。
「なんであたしが……やらなきゃなんないのよ……」
「その割には楽しそうだったけどな、はは」
「どこが!」
慎之介が笑ってみせると彼女は鋭い目付きで睨み返してきた。
現在、二人は一度ゲームセンターを出て、近くにあるベンチに腰掛けている。程良く雑音が聞こえてくるスポットだ。
「そんな顔するなって。ほら、俺のイチオシ奢るから」
「えっ、いや……いい。悪いし……」
余所余所しい態度で拒否されるが、お構い無しに立ち上がり自動販売機に金を投入して購入。『ぶっとびサイダー』という、最近慎之介がハマっている炭酸飲料水を手渡した。
茉莉花は困惑しながらも両手で受け取る。
「……あり、がと」
「おう。俺も買おーっと」
同じものを買って、再びベンチに座り込む。隣の茉莉花は肩に力が入った様子でキャップをあけ、遠慮がちにサイダーを飲み始めた。
慣れないゲームで体を動かしたからか、汗が首筋まで伝っている。「もう一回いけるよ!」と付き合わされていた時に相当疲れ切っていたから、運動は苦手なのだろう。
「……美味しい」
「だろ、イチオシだからな」
「……み、御手洗は、これ……よく飲むの?」
「ん? おう。イチオシだからな」
何やら語調に覇気がない。同じ言葉を使いまわして返事をすると「返事適当すぎ!」みたいなツッコミがくるものだと思っていたのだが、今の茉莉花はそんな状態ではないらしかった。
飲みかけのペットボトルを両手で握り締め、体だけはこちらに向けている。表情は俯いていて見えないが、耳がほんのりと紅潮していた。
「……どした? 体調悪いのか?」
「う、ううん。何でもない……あの……えっと」
「……!」
いつもと違って大人しすぎる様子。その理由に思い至って声を上げる。
(朱島とは仲良いかもしれないけど、俺と二人だと気まずいよなぁ)
うんうん、と導き出した結論に頷く。彼女はこのなんともいえない沈黙に耐えられないのだ。ただでさえほとんどの生徒を跳ね除けているのに、いきなり男と二人きりにさせられたら嫌だろう。
「悪い! 気付かなかった。とりあえず朱島たち探しに行くか」
「えっ、あ……ちょっと、違……っ」
これ以上、自分のせいで不快な思いをされるのも忍びない。そう思って立ち上がる慎之介の袖を、茉莉花が咄嗟に掴んだ。
「あれ、俺と二人が嫌なのかと思ったけど……違った?」
「──っ、ち……ちが、う。そんなこと、ない」
「あ、そうなのか」
辿々しく言葉を紡ぎながら彼女は顔を上げる。潤ませた紫紺の瞳と赤くなった頬が、どうしようもなく艶やかだ。
「あたし……っ。……また、遊びたい。……あんたと」
「──」
精一杯の勇気を振り絞るような声音と震える身体、その言葉に特別な何かが含まれている。
だが御手洗慎之介は男友達にドン引きされるほど、色恋という概念が頭にない男だった。言葉の裏に隠されたものに一切気付くはずがない。
「そんなに楽しかったのか……! いや、分かる。ゲーセンでしか味わえないよな、ああいうゲームの魅力は!」
「えっ……」
「いやー実を言うと俺、色々ゲーセンでやってみたいのがあってさ。乾さえ良ければまた一緒にやってくれないか? って俺から言いたかったんだ」
「……ああ、そう……ですか……」
興奮気味に握り拳を作って説明するが、茉莉花は先ほどまでの感情的な瞳も表情も消え失せて静かになっている。色が抜け落ちていくようにも見えるほどの意気消沈具合だった。
「……どした?」
「いや、別に……まあ、とりあえずはそれでいいわよ……バカ」
多分良くはない。
鈍感を通り越している男には、一瞬で落ち着いてしまった茉莉花が不思議で仕方がなかった。
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