一章三話 「アーカイブよろしく★」


  時は少し前に遡る。


『いえーいオマエラ今日も見てるか~? ナカユビアクマ、ラヴリーレイナちゃんだぞ★』


 金色の綺麗な髪をツインテールに結んだ美麗な少女が喋っている。赤と青のオッドアイにゴスロリチックな黒を基調としたドレス、コウモリのものに似た黒い片翼と同じく黒の片角。服装のあちこちにハロウィンを模したような意匠が施されており、しかしそれでいて騒がしくなくまとまったデザインをしている。

 やや毒気を含んだ口調の少女は、ニコニコしながらこちらに向かって手を振っていた。


『今日はオマエラの質問答えていくコーナーやるよ~。レイナちゃん配信始めて一か月くらいだけど、結構見てもらえるようになったからね。質問も結構来てた! やる~』


 幾何学模様がふよふよと漂う空間で、レイナはコロコロと表情を変えて動いている。まるで本当に現実にいるかのような動きに思わず見惚れてしまう。

 画面の横では無数の文字が横並びにされ、次々と上へ押し上げられていく。新しく下から生えてきたものに圧迫される仕組みらしく、コメント機能というそうだ。


『んーっと……はいはい。“社畜マンです”……これハンネかよキッショ……【仕事がつらいです。お金もそこまで溜まらないし朝が怖くて仕方がなくて、上司と目を合わせられ】うるせーな! なんだこいつ! レイナちゃんへの質問じゃねーのかよ!』


 陰鬱とした文を読み上げて明らかに機嫌が悪くなった。可愛らしい配信者としての路線を完全に断ち切る勢いの口の悪さだ。コメント欄も「今日もお口が悪い」「最初から全力だな」などと、彼女の様子に慣れているようだった。


『……あ~はいはい。生きるのつらいけど、どうしたらいいですか~的な、ね。はっきり言うけどこんなの送ってくるキモさどうにかしない限りオマエは一生キモオタのままだぞ。どうにかしたいなら一回上司を爆殺するくらいやってから出直してきな~はい次★』


 一刀両断。コメントの流れが速すぎて視聴者の反応が見えなくなる。


『“らぶりちゃん”、なるほどね~。ちゃんまで名前なのは結構好きだな~。レイナちゃんファンっぽさ意識しすぎててちょっとキモいけど~……【好きな音楽は何ですか?】えらい普通のが来たね~……覚えてない! なんか昔から好きなやつあったけど忘れた! 思い出したら言う! 次!』

『“わさんぼん”から! 【好きな観葉植物を教えてください】? ハエトリソウ。次』

『“レアックス4”から~……【ラーメン啜れない男ってどう思いますか?】そういうこと一々聞いてくるオマエと同じくらいキモい! 次!』

『“髑髏黒”から~ちょっと名前ヤバイな。良いな★ 【なんで初見のゲームだいたい上手いんですか?】才能! レイナちゃん万能アクマだからなんでもできちゃうんだ~★』


 次々と視聴者の質問を答えていくレイナ。本当にファンへ向けた返答か疑わしい受け答えが多々見られるが、やはり彼女のキャラクターはそういうものとして受け入れられているらしかった。


「――あっ」


 食い入るようにスマートフォンを凝視していると、画面が突然暗くなる。隣の席から茉莉花が手を伸ばして、電源を切っていた。


「なんで切っちゃうの!? 面白かったんだけど!」

「もういいでしょ、どうしても見たかったら自分ので見なさいよ」

「あ、それもそっか。スマホありがとね」


 カバーの付けられていないスマホを返すと、「ん」と短く返答があった。頬杖をついてまだ静かな教室内を眺める茉莉花の横顔が、朝日に照らされて少し輝いて見える。

 いつかの日と同じ早朝。茉莉花は朝の誰もいない教室が落ち着くらしく、伊吹もそれに合わせて登校していた。「レイナちゃんってどういう配信してるの?」と聞くと見せてくれたのが先ほど、止められたのが今だ。


「すごいね、顔も見えない人たちにあんなに色々言えて……しかもゲームしながらだったよね? なんかサッカーの……テレビのCMで見たことあるやつだった!」

「“ノックアウトカントリー”ね。最近流行ってんのよ、レイナはだいたい流行りのゲームすぐやるから」

「上手、みたいなコメントいっぱいだったね」

「まーねっ★ レイナちゃん天才でなんでも出来ちゃうから~」


 会話の途中で“切り替わる感覚”があり、茉莉花の声音が幾分か高くなって表情もにこやかなものに変わる。何度も見ているため、流石にこの現象にも慣れてきていた。


「あ、おはようレイナちゃん」

「おはよ~、アーカイブ見てくれてありがとね、チャンネル登録と高評価もあとでよろしく~★」

「すごい、配信者みたい!」

「いや配信者なんだよな』『……朱島って、あんまりこういうのは見ないの?」


 再び茉莉花に切り替わり、気恥ずかしそうに目線を逸らしながら訊ねてくる。伊吹は座った姿勢のまま体を左右に揺らしつつ、天井を見上げて答えた。


「うーん、そうだね。今初めて見たかも? お兄ちゃんはたまに見てるみたいなんだけど、わたしは興味なかったし……でもでも、茉莉花ちゃんがオススメしてくれたら見るよ!」

「あたしは……まあ、勧められそうなのはあるけど……まずはレイナ見ろ、だって」

「それもそっか」


 どうやら引っ込んだレイナから指示があったらしい。

 茉莉花たちの切り替わりや共存の仕組みは他者からすれば非常に難解だ。単に切り替わって話すだけでなく、表に出ていない方の人格も心の声のような形で語り掛けることができるらしい。

 その上で二人の意識を深く同調させれば、精神世界での対話も可能だという。摩訶不思議すぎるが、実際に切り替わる様子と配信の様子を見れば、なんとなく受け入れることはできた。


「――さて、本題!」


 切り替え、と言わんばかりに手を鳴らす。

 時間の消費に合わせて溶けていく朝。こうして伊吹と茉莉花が誰もいない教室内で会話するのは何度目かになるが、明確な目的あっての会合であった。


「御手洗くんベタ惚れ作戦、次を考えないとね」

「ぇあ……い、いや……まだ次はいいんじゃない……?」


 呻き声みたいなものが聞こえる。茉莉花は慎之介の名前を出しただけで頬を真っ赤に染め、目を白黒させ始めた。


「よくないよ! 折角ちょっとずつ話し掛けられるようになってきてるんだから、すぐ次のステップに行かないと!」


 茉莉花が慎之介に好意を寄せている――その事実を打ち明けられてから、二人が結ばれるよう試行錯誤を重ね始めて数日。伊吹はさながら恋のキューピッド的役割を担い、こうして茉莉花と作戦会議を度々行っているというわけだ。

 休日を挟んでしまったためそれほどの日数はなかったが、茉莉花が自分から話し掛けられる程度には進展がある。大半が途中で羞恥に耐え切れず逃げるか、悪態をついて慎之介に揶揄い返されるかのどちらかなのだが。


「うーん……とりあえず放課後デート誘ってみる?」

「――なな、な……何言ってんの!? 無理に決まってんでしょ! 絶対ムリ!」

「無理じゃない! 御手洗くんは茉莉花ちゃんの罵倒を受けても笑って流してくれる優しい人だよ、誠実な態度で誘えば絶対いける!」

「なんであんたにそんなこと分かんのよ……ていうか、聞いたことなかったけど……あんたは恋愛したことあるわけ?」

「え? ないよ?」


 即答すると「は?」と言いたげな顔をして固まる茉莉花。専属恋愛アドバイザーになりきる伊吹だが、当然彼女自身の恋愛、及び交際経験はゼロだ。初恋すらもまだである。

 伊吹はその事実を噛みしめるように目を細め、頬を少しだけ赤くした。五本の指先同士を合わせ、口元までもっていき照れ隠しのポーズをとる。


「いや……だって、運命の人のために、いろんなはじめては残しておきたくて……」

「じゃあアテにならないじゃない」

「でも大丈夫! 恋愛小説とか少女漫画とかたくさん読んで勉強してるから!」


 それもどうなんだ、という目で茉莉花が訴えかけてくるが、彼女も漫画やアニメばかり見て育ったらしいのであまり人のことは言えないようだ。

 彼女は返す言葉に困った様子で一つ咳払いをし、非常に言いづらそうに言葉を繋ぐ。


「……仮に、仮によ。……放課後……で、デートするとして。あたしとあいつ二人になって上手くいくと思う?」

「ダメそうだよね」

「はえーのよ諦めが。あんたが提案したんでしょうが」

「だから今回はわたしが一緒に行きます!」

「あーそういうね……」


 いきなり男女が二人きりで遊びに行くとなると、よほど自然な流れで誘うか、共通の目的があるか、そういう人付き合いをしていても納得できる人柄であるか――等の要素がなければ、ほぼ確実に恋心や下心を見透かされてしまうだろう。

 実際、今まで辛辣な態度ばかり取り続けてきた――というか今もだが――茉莉花が、いきなり慎之介にマンツーマンの外出を提案した場合。それはもう誰から見ても明白である。


(……別に、それでもいいと思うけどなー)


 伊吹としては慎之介が多少なりとも察してくれる展開の方が良いと思うのだが、紫紺の瞳を羞恥から若干潤ませた彼女はそれでは駄目だという。好きになった細かい経緯を教えてもらえない以上、否定された展開は望めない。


 だが、三人で遊びに行くという形をとるのであれば話は別。伊吹が加わるだけで「共通点のあるクラスメイトの親睦会」的な意味合いが付与されるのだ。


「……まあ、それなら」


 どうやら納得してくれたらしく、渋々首肯してくれた。

 伊吹はその返事を聞くや否や、にこりと笑う。ちなみに彼女は毎朝慎之介の席を勝手に借りている。だいたい事後承諾だ。


「早速今日の放課後ね。どこ行こっか」

「あんたホント何もかも早いわよね……どこって……」


 閑散とした教室の中、茉莉花は黙り込んで目を伏せた。

その後行き先が決まり、慎之介の同意を得るため伊吹は昼休みに彼に話を持ち掛けることとなる。誤解を招いて当然の発言をしたことで、怨念のような男が近くに佇んでいたという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る