一章二話 昼休みって意外と短いよな


 とある平日、学生食堂にて。

 男たちが端の席を確保して仲睦まじく談笑していた。


「おかしいよな」

「何がだ」

「お前が朱島さんに話しかけられていることがだッ!」


 訂正。仲睦まじく談笑していた、というには語弊があるかもしれない。

 慎之介はうどんを啜りながら怒り狂う友人、横山よこやま羅衣斗らいとに冷ややかな視線を送る。短めのウルフカットが特徴的な彼はいつもに増してうるさく、静かなのは真っ黒な髪色くらいだった。


「そんなこと言われてもな、クラスメイトなんだから会話くらいあるだろ」

「じゃあこの前一緒に帰ってたのはなんだ!?」

「お前まだその話してるのかよ。用事だって言っただろ」


 どうやら羅衣斗は朱島伊吹が慎之介の席まで来て会話しているという事実が、よほど気に食わないらしい。一緒に帰っていたというのは氷室沙凪と再度接触した日のことだ。そういえば電車内で食いついてきたのもこいつだったな、と思い至る。

 明らかに注目を集めそうなテンションだが、幸いにも食堂内は彼の声が響き渡らない程度の喧騒に包まれていた。


「御手洗とオレの何が違うって言うんだ……? 俺だって顔そんなに悪くないはずだよな……」

「そういうこと言っちゃうところじゃない?」

「うるせえよ! 入学早々告られまくってるやつに言われたかねえ!」


 本気でしょうもないことを呟いている羅衣斗に、感情の乗らない声を返すのは明地あけち水脈みおだ。水脈はやや鋭い目つきでスマートフォンを見ながらカツ丼を貪っている。


「まだ一か月経ってないんだぞ? 何人振ったよ、ええ?」

「それ言う必要ある? 四人くらいだと思うけど」

「おかしい! もうおかしい! お前ら二人とも嫌いになりそうだ!」


 全力で泣き始める男を余所に、二人は黙々と食事を続けていく。出来立ての温度が程良く染み渡る。

 慎之介は基本、羅衣斗と水脈との三人でいることが多い。理由は同じクラスでたまたま席が近かったからだとか、なんとなく話してみたらメンバーが固定化されたからとか、そんなものだ。全員中学はバラバラだが割と仲良くやっている。

 いつも妬み嫉みに忙しいバスケ部所属の羅衣斗、ルックスの良さでやたらモテまくる水脈。時と場合によってバスケ部の他メンバーや水脈の友人が混じることも多いが、「いつメン」と言われればこの三人になることが多かった。


「話は戻るけどな、オレ朱島さんと中学同じなんだよ」


 机に突っ伏していた羅衣斗が顔を上げる。本気で泣いていたのが分かるくらい目尻から涙が零れていて怖かった。


「朱島さん、優しくて誰とでも仲良くなるし、勉強も運動も出来て……常に女子の中心にいるような人だったんだぞ。文なんとかっていうやつだ」

「文武両道才色兼備のこと言ってるならちょっとまずいな、頭が」

「そうそれ! でもってそんなスペックだから当然男も沢山寄ってくるわけだ。なのに交際経験ゼロなんだぞ……これがどういう意味か分かるか?」

「わからん」


 彼はなぜ交際の有無という情報を握っているのだろう。


「あんまり自分から男の方に行かないんだよ、おまけにガードも固い。なのに御手洗のとこには来るって……おかしいよな!?」

「いいから、とりあえず飯を食え」


 そう言われ、涙を拭いつつ羅衣斗は弁当箱をようやく取り出す。今まで会話ばかりで一切食べ始める気配のなかった彼が出したのは、可愛らしい保冷バッグ――なのだが、中にはふりかけしか入っていなかった。

 しかも恐ろしいことに、あっけらかんとしてそのままふりかけだけで食べようとしている。


「母ちゃんと喧嘩して飯抜きの刑にされた」

「いや買えよなんかしら」

「金欠」

「だからってふりかけを直でいくやつは怖いんだわ流石に」

「でも海藻カルシウムとDNA入ってるから……」

「DHAな。遺伝子ねじ込まれてるぞ」


 そんな会話をしながら本当にふりかけを袋から直で食べ始めたので、怖くなってスルーすることにした。残り少なくなってきたうどんを啜っていると、「四人くらい振った」という情報開示からずっと無言だった水脈が口を開く。


「けど実際のところさ、慎之介は興味ないの? 朱島さん」

「興味か……」


 カツ丼を食べる手を止めて見据えてくる水脈に、考える素振りをする慎之介。明るい茶髪の彼は正面から見ても非常に端正な顔立ちで、入学直後より異性からの人気が高いのも頷けるものだ。

 ただ受ける告白の全てを叩き落として平気な顔をしているというのが、それはそれで怖い。基本優しいだけに余計怖い。


 閑話休題。水脈の問いの意味を深く考えて、慎之介は渋い顔をした。


「興味って……何が?」

「え、いや……なんか、異性に話しかけられて思うところとか、ない?」


 若干水脈の瞳にも困惑の色が見えたので、解説してもらった上で真剣に考えることにする。向かいの席から「こいつマジか、どうなってんだよ」とぼそぼそ呟く男もいるが、本当にふりかけだけで昼食を済ませたらしいので敢えて触れないままにした。


「……うーん」

「言え。言わぬと、これだぞよ」

「どれだよ。下人やめろ。ちょっと待ってろ」


 謎のノリを発揮する水脈にストップをかける。そして眉間にしわを寄せて真剣に、深く思考を回すことにした。


 渦のように回る思考の中、脳裏に浮かべるのは伊吹の顔。可愛いとは思うし羅衣斗の言いたいこともなんとなくは分かる。要するに慎之介は「朱島伊吹からの脈アリ状態なのでは?」という疑いを掛けられ、その上で「お前はどうなんだ?」と問われている状態なのだろう。


 しかしその上で、だから何だという感想しか浮かんでこない。


 伊吹が話しかけてくる理由、及び彼女と関わる理由は明確化されている。謎のメッセージにより呼び出されたという共通点を持ち、彼女も慎之介も自分の願いを叶えたいと思っているのだ。ならば文面にあった通り仲良くするのが最も正しい選択といえる。


(……まあ、それを言ってもなぁ……)


 嫉妬にまみれた男が面倒くさいので誤解は解いておきたいのだが、今置かれている状況を説明したところで、無関係な者からすれば妄言も甚だしい。これは実際に秘めた願いを勝手に暴かれた者しか理解できないことだと、5人の誰もがそう思っているはずだ。


 諸々の思考を加味した結果、慎之介は正直に言うことにした。


「そういう感情はないな」

「鳥肌立った。オレ悲しいよ、オレが代わりてえよ」

「マジで下心でしか動いてないじゃん、面白」

「うるせえモテ男! オレだって恋人欲しいんだよ! イチャイチャしてえだろ、何のために高校生になったと思ってんだ!?」


 勉強するためである。

 口で言うのは簡単だが、それを言ってしまうと彼は「余裕のある奴らはちげえなあ!?」と怒るに違いないので黙っておいた。


 三人は各々の食事を済ませ、少しずつ生徒の姿が減りつつある食堂をあとにする。まだ昼休みは時間があるので、今から体育館に行って体を動かすことにしたのだ。

 一度教室まで戻って財布を置きに行く道中、空腹を知らせるアラートだけが鳴り続けていた。腹の虫が鳴る本人はそれを意にも介さず文句を垂れ始める。


「いいな~……オレも朱島さんに話し掛けられてぇ」

「まだ言ってんのか……てか腹の音うるさいからなんとかしろよ」


 廊下は授業の合間などに比べてかなり生徒が少なく、先ほどとは打って変わって自分たちの声がよく響く気がする。慎之介たち一年生は二階に教室があるため、一度階段を上がる必要があった。

 食堂から出て一番近い階段を上がろうとして、慎之介は上から降りてきた人物と目が合う。白髪にコテコテのピアス、宝石みたいな青い瞳の女子生徒だ。


「あ、まっくろくん」

「俺その呼び方で固定なんだ」

「うん。そう呼ぶ。人の名前、覚えるの苦手でして」


 階段を降り切った少女――伊吹から聞いていた“彼方閑流”だ。彼が実際に顔を合わせるのはこれで二度目、つまり公園で会った日以来となる。

 先輩、とは聞いていたのだが、彼女はいつも休み時間になると友人たちとどこかをふらふらしているらしい。女子の行動パターンなど全く知らない慎之介にとって、閑流を探すのは難しかった。


「御手洗慎之介です。朱島から聞いてます、彼方先輩。名前覚えてください」

「えー。善善善処……みたらしくんね」

「みたらいです」


 ダメそうだ。名前を覚えてもらうのは諦めようと思った。

 そんなやり取りをしていると、隣から怨嗟に似た念を感じる。誰なのかは言うまでもない。


「おい……誰だ、この人は。お前何人女と知り合ってんだよ……?」

「悪すぎるだろ、人聞きが。同じ校内にいる人と話しておかしいことなんかない」

「先輩だぞ! 帰宅部が先輩と知り合うことなんて一か月で早々ないからな!?」

「んー……声大きいね」

「すみませんした! オレ横山羅衣斗っす! よろしくっす!」


 ピアスを弄りながら一言告げられただけで凄まじい勢いでひれ伏した。彼はもう駄目かもしれないと、水脈が若干憐みの視線を向け始めている。

 しかし勢いのある自己紹介は意外と閑流に効果があったのか、唇に指を当ててじっと見つめていた。羅衣斗は顔を赤くしている。単純だ。


「……えっと、先輩……?」

「――あ、うん。そういうことか。横山ね。覚えた」

「はい来ました。勝ちましたありがとうございました。オレは名前覚えてもらったぞみたらしくん~?」

「もうこいつ置いていくか」


 得意気な顔が絶妙に腹立たしい。

 苗字とはいえ、彼の方の名前だけしっかり認知されるのは些か不服でもある――が、ここで食い下がると確実に調子に乗るので黙っておくことにした。


「先輩の名前は?」

「彼方閑流。好きに呼ぶよろし」

「はい! 閑流先輩!」


 一定のトーンを維持したままの閑流に、羅衣斗は嬉しそうに姿勢を正す。そのやりとりを見て改めて、変わった人だと思った。

 飄々としているというより、中身がないのではと疑いたくなるくらい透き通っている。見た目の流麗さもさることながら話し口調も佇まいも、風が吹けば一瞬で消えてしまいそうなくらいだ。


「じゃ、先輩は用事がある。また今度」


 そう言い残し、羅衣斗に全力で手を振られて彼女は去って行った。最後まで一度も目線が合わなかったのが気になったが、相変わらず自由な人という印象を受けた。

 唯一閑流と会話しなかった水脈が、見送りつつ小さな声で言う。


「横山は先輩をちゃんと敬っててえらいと思う」

「喋らなさすぎだろ。てかずっとスマホいじってたし、興味もなさすぎるだろお前は」

「まあ、俺別に話し掛けられてないし。ね?」

「ね? って言われてもな」


 水脈はモテる割に自分から女子と関わろうとはしない。交際の申し出を全て断っているのにも何か理由がありそうだが、異様に据わった目を見るとそれを聞くのは憚られた。

 嵐のようなエンカウントを果たして約一名調子に乗ったのち、三人は再び教室に向かって歩き始める。階段を上って廊下を進んでいると、水脈が「そういえば」と切り出してきた。


「朱島さんのことは聞いたけどさ、逆に乾さんはどうなの?」

「逆に、の意味が分からん。なんの逆なんだ」


 水脈はふらふらと歩きながら笑っている。彼は慎之介とは対照的に細い体つきだが、それでも中学の頃はバスケ部だったらしい。運動経験があることぐらいは見て取れる体格をしていた。


「いやー、人柄的に朱島さんと乾さんは真逆じゃない? それと慎之介は乾さんとはよく話してるっぽいし、実はそっちなのかと思って」

「つまりさっきの質問の、相手を乾に変えたってことか? 答えは同じだぞ」

「まあそうだろうと思ったけど。もしかして異性に興味ない? 俺を狙うのはやめてね」

「俺のことなんだと思ってんだ?」


 「真面目くんかな」と返されて会話は終わる。数歩先を上機嫌に歩く羅衣斗を一瞥すると、下校時の小学生みたいなステップを踏みながら歌っていた。本当に単純で良いな、と少し羨ましく思う。


(……乾、ね)


 茉莉花に対しても伊吹と思うことは同じだが、なんというか彼女とは打ち解けられる気があまりしない。


 最初の登校日に席が隣ということで挨拶をしたとき、茉莉花は「うるさい」とだけ返してきた。信じられないくらいひどすぎる態度だったのだが、こちらに目もくれず短く返す横顔は、なんというか張り詰めているように見えたのだ。そしてその振る舞いは、慎之介相手にだけではなく誰が話し掛けても同じだった。


 “人の机の前で何喋ってんの? あたし、あんたに興味ないから”


 女子が何人か寄ってきて声を掛けた際もそんな返しをしていた。反感を買って当然、下手すればいじめに遭うかもしれないものだ。あまりにも牙を剥くものだから当然彼女に関わろうとする生徒はすぐにいなくなり、茉莉花は一週間もしないうちに孤立していた。

 冷たくされても特に気にしない慎之介はそれでも何度か話し掛け続けたのだが、反応はどれも変わらず。学校が終われば毎日消えるように帰っていくし、本当に他人に興味がないのかもしれないとも考えた。


 しかし、その割には。


 “なんで名前で呼ぶのよ! こんなところで不用意に情報漏らさないでくれる!?”


 “ふん! あんたは混ぜてやんないから! 寂しく一人で帰ってなさい!”


 あの公園で顔を合わせて以来、棘だらけだった彼女の態度に変化が生じている気がする。原因として考えられるのは十中八九、伊吹の接触だろう。伊吹には有無を言わさず人を惹き込まんとする気迫と熱量がある。

 だがそれとは別に感じることがある――それが何なのか、考えてもやはりよく分からないけれど。


「あ、御手洗くんだ」


 悶々と思考を回転させていると、羅衣斗が一足先に入ろうとした教室から伊吹が姿を現した。今日は花のついたカチューシャを着けている。

 こちらに小さく手を振る横、高揚していた男が再び睨みを利かせ始めた。面倒くさそうだ。


「丁度良かった、探しに行こうかレイルに送ろうか悩んでたんだー」

「ん、なんか用があるのか? ……ああ、結局先週はあれ以来病院行ってないよな。それでか――」

「今日の放課後空いてる? お出掛けしない?」


 冬空の下、凍りついた池の一面にヒビが入る演出が脳裏を過った。どこで見たかも分からないがその後、それは盛大に割れて上に居た生き物が落下していく。慎之介は落下寸前ともいえる状況にあった。

 いよいよ羅衣斗は絶望の淵に立たされて無言になっている。ノックアウト、放心状態。真っ白に燃え尽きていた。


「……そういうのはレイルに送ってくれ……」


 それしか言えなかった。


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