序章三話 先輩と同級生


 翌朝、いつもの通学路を少し早足で登校した。

 家を出た時間も早めだ。弁当は伊吹の希望で二日に一回自分で作るようにしている――母は料理人のため、本当は母の手料理を毎日食べたい――ので、今日はいつも以上に早起きして弁当の支度も終えてきた。必然的に登校時間はかなり早くなる。

 今日は朝からやることが沢山ある。目星のついている人物から探りを入れ、可能であれば願いを聞き、それから今後の方針を打ち立てよう。


 そして、念願のメインヒロインとして結ばれる夢を達成する――!


「あ」

「あっ」


 なんて考えながら校門前に辿り着くと、複数の女子生徒の横を通り過ぎる形になり、その中の一人と目が合った。


「ん? どしたの~おシズ」


 五人ほどの女子生徒の集団だ。伊吹と目が合ったのはその中心にいる生徒だが、隣を歩いていた黒髪ツインテールの女子生徒が先に声を上げる。おシズ、と呼ばれたのが中心の、白髪の少女だった。ブレザーではなくカーディガンを着用している。


「いや……なんか、会った気がして。どっかで」


 その言葉で集団の視線が全て伊吹に突き刺さった。今気づいたがリボンの色が青色だ、つまり彼女らは一つ上の先輩、二年生ということになる――別に怖いとか慣れてないとかではないけれど、若干緊張してしまう。


「あのっ! わたし、昨日公園で会いました! 一年生の朱島伊吹って言います!」

「……んー……」


 元気よく挨拶をするとなんともいえない唸り声が返ってきた。緩やかな春風に揺られて、一本一本が驚くほど透き通った白い髪が靡く。一部分だけ伸ばしたショートボブは癖が強く、しかし飾り気のなさが静謐な雰囲気を漂わせている。


「そーだね……」


 眠たげな青の半眼が伊吹を見たり、どこか別の方向を見たりしていた。やや見下ろされる形になっているのは伊吹の背丈が低いのではなく、彼女の背が高いからだろう。170センチはありそうだった。

 綺麗な白髪にも拘わらず、それ以上に「白い」と思わせられるのは肌。健康的な血色より僅かに青白い肌は不健康というより、物静かでミステリアスな雰囲気を助長させている。


 そして最も目を引くのは耳。両耳にこれでもかと施されたコテコテのピアスたちだ。いまいち焦点の定まらない様子からは想像もできないようなデザインのピアスたちが、痛々しさすら感じる勢いで装飾されていた。


 総じて、不思議で大人びた雰囲気のある人だと思った。


「――ああ、思い出した。公園行ったとき、居たね。朱島伊吹ちゃんって言うんだ」

「はい、えっと……お名前聞いてもいいですか?」

「んー……」


 何を悩むことがあるのか、白髪の少女は再び考える素振りをする。

 ――というかあの会話の翌日に忘れることってあるんだ。

 数秒の沈黙が訪れたのち、周囲の視線も受けながら答えた。


「――しずる」

「しずるさん、ですか」

「うん。彼方おちかた閑流しずると申す。いごよろ」

「おシズ、後輩に知り合いいたんだ? 興味ないかと思ってた~」


 独特な言い回しの自己紹介を聞き入れると、隣の黒髪の女子生徒が二人の間に割って入る。彼女も耳のピアスこそ控えめだが、髪のピンクのメッシュや派手なネイルなどがかなり目立っていた。

 よく見ると閑流の指先にもほとんど同じネイルが施されている。もしかして、彼女がやっているのだろうか。


「知り合い? 知り合いというか、知り合い見習い?」

「階級あんのかよ。名乗り合ったんだから昇格させてあげな?」

「じゃあ知り合い黒帯だ。免許皆伝おめでとう、イブちゃん」

「え、あ……ありがとうございます?」


 知り合い黒帯ってなんだろうか。彼女と関わるのは相当厳しい世界を勝ち抜く必要があるのかもしれない。


「ぁは、おシズ超~適当に喋るから、大半は聞き流していーからね?」

「そうなんですか? どうやって昇格しようか考えてましたが……」

「真に受けすぎじゃん~いいね、後輩ちゃんかわいくて。りあのもこーいう後輩欲しかったかも」

「……てかさ、りあのちゃん」


 黒髪のギャルっぽい先輩に絡まれていると、閑流が思い出したようにグーとグーでポン、と手を打って声を上げる。「普通グーとパーだろそのジェスチャー」「ひげじいさんかよ」と取り巻きっぽい生徒たちがツッコミを入れていた。


「課題。ギリ間に合わないかも」

「――あっ……っとぉ……」


 ギャル先輩の顔色が一瞬で蒼白になる。何か今の発言で心当たりがあったのだろう、彼女は伊吹に柔らかな微笑みを向けた。


「ごめんねーイブちゃん、ちょっとりあのたち、今日はほんっと~に急ぎの用があってさ? また話そうね? ね?」

「は、はい。それは嬉しいですけど」

「じゃあそういうことだから! ほら行くよおシズ! 今度こそエグい怒られ方されるから! 首飛ぶから!」

「おー。れっつごーじゃすてぃーん」


 そのまま彼女は閑流の首元を掴んで、一目散に駆け抜けていってしまった。確かにホームルームまではかなり時間に余裕があるため、元々何か急ぎの用があったのかもしれない。周囲の女子生徒も追いかけるように去ってしまった。


 ぽつん、と校門前で取り残された伊吹。しかし邪険にされていた様子もなかったので、一人目の接触は成功したといっても良いだろう。

 彼方閑流――二年生の、すごく美人な不思議な先輩。また昼休みにでも伺ってみることにしよう。伊吹は先輩たちを見送ってから、校舎内に入っていった。




 ◇◇◇




 閑流に邪険にされなかったことで、伊吹の足取りは何倍も軽やかなものになっていた。昇降口から階段を上がって廊下を足早に進む。一人は他校なのでどうやって会おうか考える必要があるのだが、あと二人は自分のクラスに行けば会える。もうゴールは目前だ。


「一番乗り――じゃない!」


 三組の教室に辿り着き、最速の名を欲しいがままにしようとした――が、自分の席でスマートフォンを構っている女子生徒が視界の隅に映った。

 紫の髪は手入れが行き届いていることがよく分かるほど艶があり、腰辺りまであるサイドテールに結んでいる。周囲の視界には目もくれず画面を凝視する瞳は、深い深い紫紺。長いまつ毛とつり目が絶妙なバランスの調和をもたらしている。


 乾茉莉花だ。彼女は伊吹の声に一瞬肩を震わせたが、それ以上の反応はしなかった。


「乾さん、おはよ!」

「……」


 窓際の一番後ろでひたすらスマートフォンのタップとスワイプを繰り返す茉莉花。声を掛けてもまるで反応がない。確実に聞こえてはいるだろうが、無視されているのも確実だった。

 女子生徒との交流の幅が広い伊吹が昨日までろくに関わりがなかったのは、彼女が常にこの態度を貫いているからに他ならない。茉莉花は誰が話しかけても、何を尋ねてきても基本無視しかしないのだ。


「ねー乾さん。おはよ~起きてる? 目覚ましかけてあげよっか。わたしの目覚まし最強だよ、頭から水掛けられたみたいに目が覚めるから」

「……何、うるさいんだけど」

「お、喋った」


 にこやかな笑みで話しかけると露骨に嫌そうな溜め息を吐かれ、ついに彼女は伊吹を見る。若干掛かった前髪を気にも留めず、頬杖をついて上目遣い。目つきと態度こそ悪いものの、惹きつけられる顔立ちをしていた。


 閑流は飄々としていたが、伊吹が話しかけるのを邪険にする様子はなかった。対する茉莉花は既に接することを拒絶しているような雰囲気がある。願いのためには、彼女と打ち解ける必要があった。まずは会話を続けることにする。


「昨日のこともあるし、これからよろしくねって挨拶。乾さんってこんなに朝早いんだね。大変じゃない?」

「あっそ」


 一撃で会話が終わった。かなり壁を感じた。

 いくら伊吹が明るく振る舞っても、一切取り合わないといった態度。最初に声を掛けたとき以外は目線を合わせることすらしてくれなかった。遠回しに早く失せろ、と言われているような気分だ。


 だがしかし、朱島伊吹はその程度のことで落ち込んで退却するほど軟弱な精神の持ち主ではない。昨日は描いていた理想と現実があまりにもかけ離れすぎていて頭がこんがらがっていたが、一晩経って行動の方針が決まった今は別である。

 何のために15の春に向けて様々な経験を重ねてきたか――そう、あらゆる困難を打ち砕く無敵のヒロインになるためだ。こんなところで躓いてなどいられない。


「わたし、乾さんのこともっと知りたいな。前も一回だけ話しかけたんだけど、今みたいな会話しかできなくてさ……折角同じお告げ……じゃないや。メッセージを受け取った同士なんだし、仲良くしようよ」


 話を継続すると、茉莉花は言葉を発することなくスマートフォンを弄り始めた。聞いているのかいないのかよく分からない態度だがさらに続ける。

 不機嫌さを隠しきれていない両目が重たそうだ。


「……どうせ願いでしょ」

「え?」

「願い叶えたいから表面上だけでも仲良くなってくださいって言いたいんでしょ。知ってるわよ、何考えてるかくらい」


 スマートフォンを弄る手が止まった。ぎろりと鋭い目つきで睨まれる。


「知っての通り、あたしは今日までこのクラスでぼっちだった。それはこれからも変わらないし、あんたみたいな陽キャとつるむつもりもないわよ」

「陽キャってまだ死語じゃないんだ……」

「あんたらみたいなのがずっと使ってた言葉でしょうが。ホントむかつく」


 ブツブツと呟かれる彼女の周囲には、呪詛のような気配が漂っている。負の感情を少しずつ垂れ流し、それが暗い表情に更に深い闇をもたらしていた。

 何かフォローを入れないと闇に彼女が消えてしまいそうだ。


「えっと……わたしは昨日のことがなくても、乾さんと仲良くなりたいなーって思ってたよ? 折角同じクラスなんだし」

「嘘。どうせあの手紙にあった願いのためでしょ。他人の願いのために仲良しこよしさせられる……それってつまり陽キャの食い物にされるってこと。そんなことになるくらいならあたしは一生一人でいいわ」

「乾さん……」


 吐き捨てるようにそこまで言い切ってから、茉莉花は立ち上がって教室の入り口の方へ歩き始める。あまりにも敵意を剥き出しにした目つき、自信なさそうに歩く姿勢。周囲を敢えて遠ざける彼女らしい行動だった。


 乾茉莉花は、4月より始まったこのクラスで確実に浮いていた。

 勿論周囲に馴染めていないのは彼女だけではなかったし、男女のグループもまだふわふわしたところで微妙な繋がりがあるものばかりだ。いつ空中分解してもおかしくない――そんな新しい学校生活特有の人間関係がいくつもある。孤立する生徒がいるのは当然だった。


 その上で、彼女は特別浮き上がっている。誰も手の届かないところで一人、消えそうなシャボン玉みたいになっていた。

 そんな彼女の姿を何度も同じ教室内で見かけて、伊吹は。


「……乾さん、待って!」

「いやこの流れでついてくる普通!? 怖いんだけど!?」


 荷物を優しく床に下ろして、迷いなく走り出す。

 教室から出てしまったところをノータイムで追いかけると、茉莉花は全身を震わせてから若干青い顔をした。縮こまって身構えているのが人に慣れていないようにも見える。


「わたし、乾さんの願いのお手伝いする! 勿論自分の願いも大切だけど……食い物とかそんなのじゃなくて、友達として手伝いたい!」

「勝手に友達にするなっての! そういうのがイヤなのよ!」


 先程と同じ、吐き捨てるような言葉。茉莉花は苛立ちを隠しきれない表情を向けたかと思うと、今度は廊下を全力で走り始めた。

 スリッパがバタバタと音を立てている。縛るものがない静かな空気の中、騒がしいその音だけがリズムよく響く。

 正直なところ、今走って逃げられてもそのうち教室で顔を合わせるのは分かり切っている。ここまで拒絶されているのなら追わない方がいい。のだが。


「待ってよ、悪いようにはしないから!」

「いや――ホント何!? あんた男だったら通報してるからね!?」


 廊下を二人で走る。その先は来た時に利用した階段。茉莉花の足はそれほど速くなく、このまま追いかけていればすぐにでも横に並べるだろう。

 その状況を彼女も理解したのか、階段の一段目を降りようとしたタイミングで一瞬後ろを振り返る。そしてその一瞬は彼女の態勢を崩すのに十分な時間だった。


「ぁ――っ」


 勢いよく飛び出したせいだろう――茉莉花の体は降りようとした階段の一段目でバランスを崩し、滑った足の流れでそのまま転落していく。このままいけば何段か下のところで顔面からぶつけ、そこから二転三転として踊り場まで落ちていくだろう。

 怪我、で済めばいいがそれで済むような姿勢ではない。このままでは――


「…………っ!」


 ほぼ一瞬の出来事だった。

 倒れかけた肉体、瞬時にはためくチェックのスカート。一秒にも満たない時間だったが、盛大な事故を前にして世界はスローに映る。無機質な階段の色と、窓から差し込む朝の日差し。誰の触れられない時間、二人の体が宙に浮く。


 俊足、音を置き去りにして。

 伊吹は倒れそうになった茉莉花をお姫様抱っこの要領で抱きかかえ、踊り場に立っていた。


「あれ……えっ……!?」

「だ、大丈夫!? 怪我してない、乾さん!?」


 完全に転んだと思っていた表情の茉莉花。ぎゅっと閉じていた目を少しずつ開くと、覚悟していた結果とは違う現実に戸惑っていた。


「――よかった、どこも怪我してないね……っ!」


 伊吹は屈託のない笑顔を向ける。

 ギリギリだった――あと一秒でも遅れていたら目の前で大変なことになっていただろう。反射神経の良さに感謝した。


「……ありがと、その」

「いいよ全然! わたしが追いかけたからだもんね。逃げたくもなるよね!? ……でも乾さん無事でよかったあ……」

「――――えっと……」


 若干言いづらそうにしながら、彼女はお姫様抱っこの姿勢のまま口を開く。近くで見ると、ちらりと覗く八重歯が可愛らしかった。


「……茉莉花って呼んで」

「え? ……い、良いの? 名前。呼んじゃうよ?」

「うっさい黙れ! 苗字で呼ばれんの好きじゃないのよ! ていうか降ろしなさいよ!」


 羞恥に顔を赤らめながら腕の中で暴れる茉莉花。突き放すような態度は収まり、可愛くて少女らしい表情と感情が見られる。取り繕っていたものが一つ取っ払われた気がして伊吹は嬉しくなった。


「はい。立てる?」


 降ろされた茉莉花は、まだ体が現実に追いついていないのか、ふらつきながら壁に手をつく。


「……大丈夫。それとあの……」

「なーに、茉莉花ちゃん?」

「……。……なんでもないわよ!」


 何か言いかけて止まる。少し押し黙ったかと思うと、彼女は再びこの場を去ろうと階段を降り始めた。手すりを掴んで一歩ずつ確実に降りていく。

 ニヤニヤして名前を呼んだのがまずかっただろうか――とも考えたが、流石にまた追いかけて本当に怪我をされたら困る。伊吹は揺れる紫色のサイドテールを見送って、教室の方へ帰って行った。

 多分、彼女とは普通に話せるだろう。そんな確信めいた予感を抱いて。


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