芝生テイストの魔女
「母さんな、魔女なんだよ」
六年ぶりに会った、兄貴は親父の葬式でそんなことを言った。相変わらず、痩せた顔して貧相で、恰幅の良さは俺が持っていったようで。少し、気まずいとさえ。
今すぐにでも、兄貴のほうが逝った気がしていた。
「…なに、馬鹿なこと言ってんだ」
「よせよ、おまえも分かってる癖に。そうだ、いつだって知らぬ顔だ。おまえってやつは、昔から薄情で」
「おい、そんなこと言う為に会った訳じゃねぇぞ」
「へへ、いいさ。殴ってみろよ、竜平…骨ぐらいは折れるかもな」
兄貴は、嫌なことがあると直ぐに当たる。それも俺のように怒鳴り散らすでもなく、ちくちくと。そう、薄情だなんて、俺が最も嫌うよな、揚げ足を取っては。
親父が死んだことに、何か思うところがあるんだろう。実際、死んでみても俺は何もわかず、深く考えてみれば。
そうだ、息を吸えばそれなりの罪悪感があった。
「お袋が、…魔女ならまだいいよ。なぁ、兄貴だって」
「おまえは何も分かっちゃいない。母さんは、…母さんはな、見えちまうんだよ」
昔、小学三年の頃に。
お袋は兄貴と俺を連れて、筑波山の山道の近くを土浦に向けて車出していた。土浦にあるイオンに買い物に、引っ越したばかりで入り用で。うきうきと心躍らせながら。
ハンドル握ったお袋が、ナビの指示通りにエンジンを吹かす。乾燥した空気と、からっとした田んぼが続いて。窓から見下ろせば、兄貴のミッキーマウスのぬいぐるみの手が、田んぼのど真ん中にある墓に。
ほら、よく田舎で見かける田んぼの中の墓。そいつへ向かって、兄貴のミッキーマウスは手を振って。雀の目ん玉がこちらをそっと。ぶるりと、身震い。
そうすれば、ナビは俺らを筑波山の山道奥底へと案内していた。いけども、いけども、そこには竹林が時たま現れて。
遂に、白蛇が出ちまうと_。
「それは、」
「ああ、母さんが車を出せば、いつだっておかしな所に行き着く…やれ気になるなんて言い出せば、そこは」
「やめろよ、兄貴。頼むから」
「俺だって、エンジニアだ。信じちゃいない、でもな竜平_俺たちは何度そんな目にあった?」
お袋は、中学上がる頃には、妙なことを言い出して。やれ、親戚の辰ちゃんはもう死んでいて、おかしなもんが成り代わってるだの。今日は、三回ほどスーパーで刺されただの。
そういう、統合失調症を患って。
俺は思春期で、耐えられずに。俺の進路すら覚えちゃいない、それに変なことを口走る。果ては、公共の場までとなれば、酷く。
そんなお袋でも、母親らしく好物を作ったり、しでかせば叱って。だから、親父も焼酎を流し込みながら、俺らの進路を聞いて。金出して、お袋に寄り添ってやってくれと。
親父は、妙な所でお袋の話をたまに信じていたりした。そいつが布団被るほど、いつからか恐ろしく。
「お袋は、病気なんだよ。治療法だって、探しただろ…なんだよ、兄貴まで、そんな」
「昔な、おまえは覚えてないだろうが、母さんが言ってたんだ」
線香たく中、エリーゼの為にが流れて。それはお袋が入院していた場所のナースコールで。
コロナだった。
お袋は、ちらりと親父の様子を見た後には引き取られて。葬式は、俺らでやることになったから。納骨の時だけ、お袋は出られる。
迎えに行った時の、ナースコールでいた。
「"あなたは、お父さんが死んだ時にわかるわ"ってな」
俺は、お袋に三十七になれば分かると言われた。よく冗談めかして、気を狂わせる前から、ずっと。
ついでに、言っていた。私は魔女だから、モノがよく当たるのよ。そんな世迷言をグリム童話よりも、根強く。
線香は、果たしてこんな臭いだったか。
「芝生の味がする、なぁ芝生の味がするんだ」
親父と最期に会ったとき、あれは二ヶ月ほど前で。皮すらない割には、顔が浮腫んだ親父の口元が。
確かに、昔話をして。お袋と出会った場所について、芝生の上と。筑波大学のあの広い敷地のなかで、自転車ですっ転んで。
親父は芝生の上に倒れ込んで、口の中いっぱいに草が。
「兄貴、お袋のそれは遺伝するって_」
ばさっと顔を見上げて、俺を覗き込む目が、びくりと。
「知っている、ああわかってる。でもな、俺たちはよく知ってるだろう…?説明がつかないことだってある」
「ねぇよ、そんなことはねぇから」
「なら、なんでおまえはいつも、危ないものを避ける。近づきもしない、勘すら良くない振りだなんて、おまえ」
「何言ってんだ、なぁほんとに洒落にも」
「竜平、なぁ知ってるんだ俺は」
肩を掴んだ兄貴が、正面切って。
俺はよろけながらも、こんなに力があったのかと。そういえば、線香の臭いはアメフトの時に嗅いだ、あの芝生じゃないか。
目ん玉に、親父の遺影が映って。
「おまえも、"見えちまってる"こと」
_お母さんね、魔女なの。
親父が含んだ芝生は、本当に芝生だったのか。
お袋の告げた三十七年が、もうそこまで近付いて来ている。
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