ワンピース買った日の夜

やましさがあった訳じゃない。

近付いた母の日の為に、態々ワコールまで出向いて。女の人がまばらに、二子玉川の百貨店はラベンダーと。

 噎せかえりそうな、女の香り。

まだ、扱いさえ知らぬ歳でいた。

「ねぇ、あの子…」

聞こえた声に、心臓どきりと。コンビニで二人分の酒を買うときのように。俺は、じっくりと下着の列を眺めて。そいつはプレゼント用だと、不自然さが自然になるように。

 ふと、店員が声を掛けあぐねているのが見えた。

しめた、そんな風に思って。

「すみません、あの、ワンピースみたいな寝巻きの下着って」

母の日のギフトカード、至る所に散らばりながら。性的なことを忌む視線が、俺はそんなつもりすらないと。

 だが、そりゃ一瞬は躊躇うもんで。

「…プレゼント用ですか?」

恐る恐るといった、店員の怯えの声がどうにも。俺は野獣にでも見えているのか、もしもそんな奴だなんて。

 俺の方も、声が震えちまう。

「え、はい。母の日で」

そう言えば、あからさまに下がる肩の具合が。力込めたそれ、周りの和らいだ空気感に、少しだけ。

 残酷だと、思った。

「お母様はおいくつで、…」

話は長引いて、やれ何歳だの、この柄がいいんじゃないか、これも一緒にどうか、ポイントカードどうのこうの。

 なのに、聞かれもしない駐車券。へきへきしながら、愛想笑いで。店員が紙袋を渡す、別の紙袋までつけてくれて。

 そして、言っちまう俺に。


「いい息子さんをお持ちになったと、お母様も」


 続きは、聞いちゃいなかった。帰りまでの足取りが重く。母の日だなんて、俺は野暮をやっているんだろう。

 財布に入っている封筒、そこには"生活の足しにして"と。そう書かれた文字と、擦れた後。

 中身は何にもなかった。ただ、数年前の封筒捨てられずに。それだけが、なぜか破けずにいた。

バスは遠いだろう、電車であっても。紙袋指に引っ掛けて。やっぱり、歩いて帰って。開けたアパートのドア、異様に軽く。


 玄関に靴放り出せば、もう夜。

ビールの空き缶転がって、ワコールの紙袋を押し入れに。うっかり踏んだ缶が、ペキっと鳴る。

 

「なに、隠したの?」


先に帰っていた、みさきに見つかって。焦った俺の口は、やましさがあった。別に俺が着る訳でも、他の女の為でもないのに。

 冷や汗が垂れて、たらり。


「これ、やるよ」


出まかせの嘘でいた。

みさきは中身見て、少し笑って。何に勘違いされても、酷く狭い俺の心というやつが。何か違うと、浮気やらカマ野郎やら、なんでもいいが、どれに間違えられても困る、そんな薄汚さに。

 嘘吐いた、出まかせ。

「えー、少しおばさん臭くない?」

「文句言うなよ、俺そういうの分かんねぇから」

丁寧な梱包、丁寧にやぶかれていく。そういう手先が、惚れた理由だった。それが今や、なんとも言えない気持ちになって。

 違うやら、申し訳ないやら、ぐちゃっと心押し潰された。


「でも、ありがと」


今度着けてあげる、なんて可愛いこと言われちまえば吐きそうに。ワンピースみたいな、その正式名称も分からん下着に。ワコールの文字が、滲んで。

 夜の窓際から、火の用心だと騒ぐ子供の声が、パチリと。みさきが、ひらひら踊って、ワンピースもひらひら。


「なんか、ごめんね」


男なもんで、悲鳴は上げまいとした。

俺は金なんて持ってなかったけれど、貯めた金には違いなくて。そいつを気にして言うみさきに、夜に響く子供の声が妙に。

湿った畳、立ち上がろうとした膝が痛く。押し入れにもたれ掛かりそうに、がたっと音がして。バランス悪く、みさきは馬鹿ねなんて言うもんで。

 こいつと結婚したいとか思った、馬鹿な俺の若い馬鹿でいた。

 

「気にすんなよ、いいから」


ずるい俺を許しはしないんだろう。

結局、この女とは結婚しなかった。見る目あった、それだから別れ話されて。みさきの英断すら思い出すのは、ワコールの前だけ。もうあの封筒も、捨てられてしまった夜の東京。

「うん、じゃぁ今日はご飯豪華にしよう」

「よっしゃ、なに唐揚げ?」

「えーめんどくさいよ、炒飯肉入りでいい?」

「肉入りか、よし皿洗いは任せとけ」

 ワンピース、買った日の夜に。一つ賢くなって、老いて。いい大人振ってみたい、皿くらい洗うもんだから。洗剤の量をケチったまま、笑えていたんだろう。

そいつは、そんなもんでいたから。


「皿洗い、結婚してもやってよ?」

「ちゃんとやるよ_」


_俺の本性は、そんなもんだった。

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