生前葬なら、バージニアビーチ

 「アタシさ、アフガン行くのよ」

  

 冷や汗しか、出なかった。

まだリーマンショックも始まりやしない、夏の初め。白い砂浜を背に、ネオンはぴかぴか。ジャクソンビルよりも品のいい、そいつ。そう、バージニアビーチじゃ、星条旗が見えちまっていた。

「……おい、おい、そりゃなんの冗談だよ」

 サングラス瞬いて、俺はぽっかり口開けちまって。テキーラはショットで、喉はからから。

「なに、今どき女がとか言うの?」

 「いや、そういうんじゃなくて」

「これだから、ニホンの女は大和撫子なんていいように……」

 前から、俺の国についてあらぬ誤解が多かった。忍者いるだの、侍だの、そんな前時代的なもんが、誇りの一部のように。

 俺らは決して、ナチなんてもんじゃなかった。女の扱い方なんて、その頃童貞の俺じゃ、分かりもしないで。

「どこの女も、女は怖ぇよ__」

 今から人撃ち殺しに行くやつの言葉なんて、なぜだが腹立たしいもんだった。

「流石ね、モンクは」

「修行じゃねぇよ、アジア人はモテねぇんだって」

 シェイは、俺の下半身見つめながら、目の下を切り上げて。そりゃもう生温かい目で見るもんだから、焼けた腹がじりじりと。テキーラをサンライズして貰えばよかったなんて。そんな甘い酒飲めはしないけれども、少しは。

「……そこそこ、あるってぇの」

「へぇ、眉唾かもね」

「肌、漂白すんぞ」

「ぷは、なにその脅迫」

シェイは、黒人の女だった。

本名は知らないが、きっと聖書にある名前が元だろう。なんせ、十字架のペンダント持ち歩くほど。

出会いは、夜間にやっている移民向けの英語講習会とやら。場所は地元のミドルスクール、つまり中学校で。そいつは、夜の八時から開いていた。シェイは、そこで教えている臨時教師。俺は、生徒だった。

 教師とやらは案外、資格なくとも高卒の証明だけでよくて。俺のような外国人労働者相手ならば、州によっちゃ教えられるらしかった。だから、働いている空調会社から、ひょいと顔出してみろと言われたのが。

 そう、俺とシェイの最初でいた。

「事務所行ってきた、先週とか」

「それって」

「もちろん、陸軍のよ」

なにがあったのか、そんなこと聞ける訳でもなく。谷間に垂れた汗が、脳みそがんがんと。眩暈がするだろう、俺の国は平和で。いや、少なくとも生臭さは魚だけ。

「なぁ、配属なんて早くねぇか」

ここ、バージニアは昔は南北戦争があった土地。リンカーンが奴隷解放を訴えて、俺は隣り座る女がそんな縛りでもあるのかと。  

七十年代じゃないんだ、共産主義の脅威でさえ、核は降ってこない。原爆落とした国のやつの前だろうと、シェイが言った言葉を飲み込めずに。

「……それだけ、人手が足りないんでしょ」

どこまでも、俺たちは敗戦国の連中だと思い知らされていた。黄色だと言われるのはまだよかった、肌ならここバージニアビーチで焼いちまえばいい。

声だろうと、テキーラ飲めば誰であろうとも嗄れる。だけれども、帰る故郷はなくなろうとも、いつだって同じで。  

 でかい胸のようなもんだった。

「__俺、イスラムの親父に部屋借りてんだ」

 ファイブ・ガイズっていうハンバーガー屋の二階に部屋借りて。なんなら、余ったピクルス貰って、ラマダーンの時は夕飯世話してもらって。そこの親父は、アリってありきたりな名前で。 

「何が言いたいわけ?」

 髭がご立派、彫りも深い。奥さんは綺麗な、いや顔を隠しているから分からないが。それでも、少なくともシェイの本名が何かなんて考えるようなこともなく。

「勘弁してくれよ、シェイ」

そのハンバーガー屋だって、チェーン店。アフガニスタン出身かどうかも分かりやしないけれども。油濃いって言えや、アリの親父は俺の為にノンオイルで、焼いてくれる優しさが。

 くその優しさが、あっただろう。

「じゃ、あんたは見捨てろって?」

たぶん、シェイにも事情というやつがあって。友人だか、家族だか、それとも恋人だか、そんな人が困っているのもしれない。 

 下手したら、その十字路のペンダントを砕くような野暮な話かもしれないと。取り敢えず、テキーラ飲んじまえばいい。そんな無責任と、ただの大家との私情が。

 じっくり、俺の首を絞めていた。

「さぁ、行ったところで__」

サングラスが瞬いてしまう、その一杯。 

 テキーラ飲み干して。

「子どもに、自慢出来ねぇしよ」

きつい一発が、右ストレートで入った。歯がぽろりと抜けて、カウンターの下に。空いたグラスは、俺の靴底でころころと。

 上向けば、涙堪えたシェイの顔があった。

「最低、ファックもしたことない癖に!」

「っいてぇ、おま、殴ることねぇだろ‼︎」

カウンターの上、ぶら下がったテレビ中継は、バット大ぶりのストライク。これには流石に、ビリヤード台にいた連中がこちらに顔向けていた。シェイが息吸って、拳震わせて。


「あんたなんか、ガキも出来やしないっ」


 その一言が、思ったよりも。

床に血だらけの唾吐いて、生まれて初めて口の中切るほど。それよりも、顎の痛みに、くらりと。 自分の国から、家族から、仕事から、何もかも全てから逃げた俺に、シェイの言葉は立ち眩みするほど。

 説教できる身じゃない、それでも出掛けた叫びは正当か。


「なら、勝手にくたばりやがれっクソアマ」


言いたいことは、これではなかった。

テキーラで焼けた喉から出た、声。そいつは掠れて、金切り声に近く。それでも、吐き出された余韻が、確かに俺の悲痛で。

 誰が惚れた女に、重たいもん持たせたいと思うのか。童貞の下半身じゃ、気の利いた餞別としてやれないでいる。

「そう、そうね。あんたに指図される覚えはないから、そうよ」

「そうだ、何しに俺んとこまで来たんだよ」

揺れた胸から、俺がやった鮫の牙が見えた。デート勇気出して誘うも、それはバレンタインデーか何かのその場のノリで。余りにも、教室が赤だらけだから。俺も当てられて、空調直しに行ったモーテルに置いてあった鮫の牙。

 そいつをシェイにやった、でもデートは断られて。タイプじゃないと、手酷く振られたが、その後もにこにこ笑って、からっとした天気に、バージニアビーチがあった。

「挨拶、あんた礼儀にうるさいから」

そう告げて、五ドル札出してしまう。顎が外れ掛けている、上手く言えず。その何かが、喉元でテキーラ混ざって。

 ぼたぼたと、歯茎から血が出ていた。

「じゃ、お元気で」

店から出て行く、でかい尻。肉付きよかった身体にこうも嫌気が差すとは。

 哀れな表情で、ビリヤード台の連中が見ていた。何人かは口元手で押さえて、堪えている様が。俺はもう閉じようとしている、その隙間に向かって。足元にあった、空いたグラスを握りしめた。


「くそったれ、慰謝料払いやがれっ‼︎」





________


 後日病院に行けば、全治二ヶ月。見事に、顎の骨にひびが入っていた。会社の保険があってよかったと。白い砂浜を眺めながら、ポセイドンの槍が先から刃こぼれして。

 暫くはハンバーガーも食えず、アリの親父に差し入れして貰ったチキンスープは、ひよこ豆が独特の味をして。小豆汁の、その失敗したような味がしていた。

シェイとは、それから連絡を取り合うこともなく。俺が故郷に戻る決心をつけた頃には、ジャクソンビルで家庭を持ったと、移民向け講習会の知り合いに聞いた。

「へぇ、先輩、アメリカいたんすね」

「なんだよ、信じてなかったのかよ」

 神宮前の、青山へと続く交差点で。マックを頬張る会社の後輩が、興味なさ気に。今じゃ清掃会社の系列にいる、羽振りは昔よりも悪く。けれども、空調の修理は相も変わらず手に職で。

 本当は、何かを掴もうと。それこそ、アメリカンドリームしに。そこで、きっと俺はいっぺん死んだようなもんでいた。

「信じられないっすよ。え、じゃ先輩は英語喋れるんすか」

「おぉ話せるぞ、なんだったら現地の英語教師とヤってた」

「うわぁ、嘘くさい。まんねん、おっパブの人が」

「酷ぇな、でかい胸は正義だぞおまえ」

「そんな正義なら、この世界滅んでますよ」

 信号が点滅を始め、そろそろ足を踏み出さなくてはいけないと。マックよりも、あのファイブ・ガイズが食いたいなんて。ピクルスたっぷり、ノンオイル。

 歳の俺には、マックすらキツくなってきているもんだから。

「はは、案外滅ばねぇもんだよ」

きっと大勢ぶっ殺しちまった、惚れた女へ。昔と同じ訳はないが、誰しも皆同じではないと知っている。

 そんな女を今でも想えるかと問われれば、俺には無理だろう。ジャクソンビルは良いところ、品のよさがあったバージニアビーチじゃ、俺たちは余計なことを考え過ぎていた。国やら肌やら、頼む神やら、そんなもんポセイドンの銅像がある時点で、シラも切れただろうに。

 それに、俺は等に童貞ですらないから、アリの親父には悪いけれどどちらも憎めやしない。

 俺はジャップに誇り持っちまって、原爆落とした奴らみたいにあれしかなかった、止めるにはなんてこと。テキーラとファイブガイズと、あの小麦色のでかい胸の為なら、俺は言えちまうだろう。

「なんすか、それ」

「まぁ、胸揉めや忘れちまうって」

 信号が青になって、選挙カーが憲法改正だと、安保がどうのこうの。それでも、東京の空はあのバージニアビーチ。

 後輩が、テリヤキバーガー食いながら。


「すっげぇ、的得てますね」



 惚れた女の葬式を、俺はもう終えている。

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