才能の潰し方
長袖を着て、飛び降りた。
女は由紀子といって、知り合いで。優しい、人の良い山本というやつの、恋人だった。派手な金髪に、腹にはピアスを開けているような女、だが由紀子は案外しっかりとした口調をして。良くも悪くも、思想が強い女でいた。
「煙草やめたら? きもいから」
ある日、喫煙所の前にいた俺にそんなこと言い出して。由紀子は、これまた派手な編みタイツに、SPIの参考書持っていやがった。俺は唖然としながら、むせ返りそうに。じっとこちらを見る、そのまつ毛だらけの瞳が恐ろしかった。
俺は、ほとほと、なぜ山本がこんな女と付き合っているのか分からず。どうにも、飲み会にも顔を出さなくなったところを八つ当たりして。
偶に、やってきた山本から、ディオールが匂えば。あの女、そんな言葉が出そうに。しっかりした由紀子は、山本を夜中コンビニに走らせる。
二軒目に行こうなんて言えや、山本は由紀子の好きなスイーツ買って帰るからと。健気に、遊びもしない山本を仲間内じゃ、馬鹿にする声もあった。
「先輩の誘い断るか、ふつう」
日に日に、山本の立場が悪くなっていく。
俺は、仲間内じゃクズな部類でいて。この世の女よりも、煙草を愛していた。そんなもんだから、偶にいくフィリピンパブがせいぜい。女を話のネタに扱うような、または妙に神聖化させるような口調が気に食わなくて。
俺は、フィリピンパブの安酒、そいつと帰り道の煙草だけ。
それだけありゃ、ネタが書けていた__。
煙草をやめたらと言われてから、数年経って。山本と由紀子の仲が、怪しくなってきた頃。いつも通り、乙女ロードの劇場、その喫煙所で。
煙草吹かせば、由紀子が泣いていて。
「なに、なに見てんの?」
ああ、面倒くさいもん見つけちまったと。
俺は、確かに由紀子が嫌いだった。俺らの身内のルールも知らない女がやたらめったらに。
それこそ、ハロワークにいるような奴らに、スタバでコーヒー飲んでいるような奴が説教垂れるようなもんで。くそほどにもない、その言葉が酷く。
そう、酷く真理を突いていた。
「煙草吸いてぇんだよ、どけよ」
「…ほんと、きもい。まだ、吸ってるわけ?」
「俺に興味ねぇだろうに、ご苦労なこって」
「お金、ドブに捨てて楽しいって?」
「は、俺は"恋人"に金かけてんだ」
恋人、ハッとすれば由紀子は下向いて。マニキュアを端から、爪で剥いでは。良心とやらを突き刺す、海苔みてぇなまつ毛が揺れる。シンプルに、俺は由紀子に同情しかけていて。
「山本と、どうなんだよ……その」
そう言えば、あっけらかんとした顔でこちらを見て。ニコチン欲しさの指先が、震える。
「どうでもいいから、もう」
吐き捨てるように言うのかと思えば、実に爽快に。泣いていたことが、嘘のように由紀子は、マニキュア剥がして。
驚くほど、髪をかき上げた。
「どういう意味だよ」
「どうでもない、構わないで」
「そんな面で、煙草吸えるかよ」
「うざい、ほんときもい」
「ったく、言えや」
「……ただ、アタシとの旅行代、後輩に奢っただけ」
聞きたくないことを聞かされているようだった。なんせ、山本は付き合い悪い挙句には、あんなお人好しで。微塵も、由紀子のことを第一しないだなんてこと。
別れる気配とやらも、由紀子がなんかしでかしたとさえ。
「それぐらい、なぁわかってただろ」
「後輩に奢る文化? ……さぁね、アタシにはないから」
「山本も、俺も、そうやって」
「だから、恩返しって?」
「……いや、由紀子にはないかもしんねぇけど」
コンシーラーとやらが、飛んで来た。たまげて、傾けば、由紀子は立ち上がって。その様が、心底。
「女だからって、言いたいわけ?」
やっぱり、こいつとは分かり合えないと。
何でもかんでも、そいつで分けて考えるたちが、夢で食ってる山本や俺らと合いもしない。
派手な格好、攻撃的なまでにさばついた性格。一見すりゃ、魅力的だ。だが、そいつはフィリピンパブの強いママたちの方が、何倍も。安酒に含まれた、情がある。
俺は、由紀子には覚悟がないって。
そいつが気に食わない理由、世間様に顔向けできない俺だけども。少なくとも、覚悟だけはあった。
親の年金すら、使い潰してもいいとすら。浮いた葬式代で、ぱっーと飲んで、泣いて、池袋の駅から転げ落ちてもいいと。
由紀子には、そいつがなかった。
「おまえ、俺とヤッたって言い振らせよ」
ばちっと、重たいまつ毛が。
くるりと、目玉回って。由紀子が、中途半端な顔している。
「そんで、ここには来んじゃねぇ」
もし、明日世界が終わるなら、俺は山本を殴るだろう。
どっちつかずに振る舞うならば、山本は由紀子と所帯でも持って。小さい赤ん坊か、豪華な新婚旅行でもいけば。古くさい、世の中だ。過激になる人権叫ぶ輩と、何でもかんでもくそみそにする、俺らみたいな奴らがいる。
だから、まともじゃない山本が唯一まともになれたのなら。
由紀子を幸せにしてやるべきだろう。
「なんで、だって……」
「山本と別れんなら、そう言え」
「は、意味わかんない」
「このまま、くだらねぇことほざくんなら籍でも入れろ」
「……アンタになんでそんなことっ」
たぶん、このとき初めて、俺は女性とやらの胸ぐらを掴んだ。生地がゆるく、滑るように手のひらに広がり。胸元が、ちらり。
だが、ひとつも興奮しなかった。
「__あいつ潰すんなら、最後までやれやっ‼︎」
山本は、今瀬戸際にいる。
立場ってやつは、意外に大事で。破天荒に振る舞うやつは、ある程度分かっちゃいる。だが、山本は違う。あいつは、あいつのキャラクターとやらがあって。その仕組みは実に理不尽だが、社会の縮図とやら。
山本、いい奴だ。
こいつは、覆せないもんだから。ネタ書いた山本の、その間に。あんまりにも、不義理じゃ、どうにもならなくなっちまう。
社会ぶっ壊したい奴が、社会で回っちまってる。とんだ、お笑い草だった。言うだろう、親しき仲にも礼儀ありって。
「どけよ、由紀子」
もし、別れんなら山本は、微妙な位置。カンフル剤がなきゃ、笑い話にもならない瀬戸際。なら、いっそ俺が寝取っちまたことにすりゃ、ネタになる。
とんでもねぇ女と、とんでもねぇくそ野郎との話になるもんだから。あとは、俺が土下座して、煙草恵んでもらって。
心底、愚かになりゃいい。
なんなら、俺のネタにもなるもんで。いいネタだ、どうせ同じ土台の上。なら、はぶかれようとも、俺は痛くも痒くも。
俺は、フィリピンパブの安酒、そいつと帰り道の煙草だけ。
それだけありゃ、ネタが書けていた__。
「_煙草吸いてぇんだ」
その次の年、由紀子と山本は籍を入れた。
まさか、山本が式に呼ぶとは思わずに。少しの気まずさと、こいつは面白いと思った末期が。
長袖着て、式に出た。
ちょうど、三浦半島の海岸線、こじんまりとしたコテージで。山本が、調子良く言いながら、ヤッた話が出たもんで。
土下座した俺、山本は笑いながら。
「そんな腹して、よく言うよバーカ」
周りのやつも、大笑い。
俺はとんでもなく、恥ずかしくて恥ずかしくて。由紀子より先に、ヴァージンロード駆け抜けて、ぽよんと腹を。
その先の、海岸線へ。
「ちょっ、アタシのヴァージンっ‼︎」
叫ぶ由紀子、爆笑の渦。
人生の絶頂にいただろう。俺は、心の底から、足上げて。
__長袖着て、飛び降りた。
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