第2話 散らばったジュ・トゥ・ヴ
写真部の部室は特別棟3階の第4準備室で、新聞部の部室とほぼ同じレイアウトで必要最低限の物しかない。
4つある机の1つに腰掛け、ノートと教科書を開いている
最初、写真部に入部させられたことを心よく思っていなかったが、今はむしろ感謝している。
放課後、教室ではなく自分しかいない部屋で寛げるというのは、なかなかに気分が良い。
入部からは、宿題を片付けてから帰ったり、キリが良いところまでペーパーバックを読んでから帰ったりと、名ばかり部の活動を満喫していた。
今日は真面目に勉強をしている。
昨日、突然数学の授業中に小テストが予告されたのだ。入学後初のテストで、なおかつ成績に響くと言われたため、皆気合いが入っている。
学んだばかりの公式を使い、ひたすら練習問題を解いていると、トントンと、戸がノックされる音が聞こえ、そちらを見る。
戸のガラス窓から相楽さんが顔を覗かせている。
「どうぞ。」
そう声を掛けて、ノートと教科書が折り重なるように閉じる。
「お邪魔します。」
相楽さんは前の机に座る。
相楽さんは、たびたび部室にやってくる。校内で話題となっている話を聞かせてくれたり、逆に何か面白いことはないかと聞いてきたりと、毎日ではないがよく出入りしている。
たまに新聞部に活動を本格的にやりたいと真面目な相談もされたりする。
相楽さんは、少し身を乗り出して話し出す。
「昨日ね、弓道部の友達が幽霊を見たかもって言ってたの。」
「どこで?」
「音楽室に出たのを弓道場から見たって。」
「怖い話好きなんだけどさ、知ってる場所の話になると無条件で怖い度が二つ上がる。」
「分かる、分かるよ。」
相楽さんは大きく頷く。
「弓道場って校内の北側にあって、出入り口からこの特別棟が見えるでしょ?」
相楽さんは話を続ける。
あまり行ったことはないが、確かにそうだったはず。
「昨日、一部の弓道部員が遅くまで残ってたらしいの。別に部活してたわけじゃなくて、ただ駄弁ってたらしいんだけどね。」
相楽さんが背もたれに身を預け、ギシッと音が鳴る。
「時間は19時過ぎで、南君は電車通学だから知ってると思うけど、上りの電車って19時19分発で、それを逃したら20時21分発でしょ?」
「そう。だから部活終わりの生徒は大体19時19分の電車に乗ってる。」
田舎は困ると言おうと思ったがやめた。
「そうみたいだね。で、その弓道部員達は話が盛り上がっちゃって19時の電車に間に合わない時間になっちゃったんだって。だから、どうせあと1時間待つなら、もう少し話していこうってなったわけ。」
どんどん話に熱が籠っていく。
「いつでも帰れるようにって、弓道場自体は鍵閉めて、外で話してたら、特別棟の方から変な音が聞こえてきて、見上げたら音楽室に人影が…!」
「吹奏楽部が残ってたんじゃない?」
「それが、第二音楽室の方だったらしいの。しかも電気もついてなかったんだって。もちろん、第一音楽室の方もついてなかったって。」
「第二?」
「あ、そっか。南君は分からないか。吹奏楽部は普段第一音楽室を使ってるの。」
「じゃあ、普段吹奏楽部が使わない第二音楽室に、皆が帰った放課後誰かがいた、ということか。」
「そういうことだね。幽霊だとかアヤカさんが出たとか騒いじゃってるよ。」
「アヤカさんって?」
「え?南君知らないの?」
相楽さんは目を丸くする。
「銀崎高校に現れると言われている幽霊の名前だよ。正式には幽霊か分からないし、色んな説があって何が正しいか分からないけど…。部活中に不幸にも亡くなってしまった水泳部員だとか、交通事故で亡くなった生徒だとか、望まない妊娠で家族や彼氏と揉めた末に自殺したとか…。とにかく、正体不明の怨霊?みたいな存在らしいよ。」
「誰かが好き勝手に流したのか噂だな。」
「それがそうでもないかも。先輩達も知ってる人多いし、アヤカさんって名前がなんかリアルじゃない?カシマレイコとか他で流行った名前じゃないんだよ。」
「まあ、確かにそう言われれば。」
「よし、とりあえず第二音楽室行ってみようか。」
相楽さんは勢いよく立ち上がる。
「え、今から?」
「善は急げだよ。」
「別に善じゃないでしょ。」
「ああ言えばこう言うなぁ、南君は。」
「分かった行くよ。」
立ち上がり、部室を出る。
めんどくさそうに見えたかもしれないが、そう言う話は割と好きな方だ。
音楽室は特別棟の4階で、写真部の部室から1階上がったところだ。
新聞部の部室も4階で、階段を登ってから右へ進むが、音楽室は左手の突き当たりにある。
階段を登り、左へ曲がると見知った顔が見えた。
目が合うと、不思議そうな顔をして声を掛けてきた。
「統次君、どうしたの?」
「緑さんこそ、サボりですか。」
篠田緑。2つ上の先輩で、小学校と中学校が同じだった。小学校の時に、なぜか掃除の班が4年連続同じになり、自然と仲良くなり、小中と校内で会えば世間話をする程度の中である。
小学校低学年の時は緑ちゃんと呼んでいたり、たまに遊んでもらっていた記憶もあるが、だんだんと恥ずかしいと思うようになり、適度な距離感となったのだ。
昔はメガネだったが、高校からはコンタクトにしたのか外している。髪型も、いつも決まったものはないらしく、長い時もあれば短い時もある。今は、肩より少し長いくらいで、癖っ毛なのは変わらない。
「え、もしかして校内デート…?」
緑さんは、口元を右手で隠し、相楽さんと俺を交互に見る。分かりやすい冗談だ。いつもこんな感じで調子が良い。
「昨日、この辺で幽霊が出たらしいんですよ。」
そう言うと、眉に皺を寄せた。何か引っ掛かっていそうな雰囲気を、相楽さんは見逃さなかった。
「心当たりあるんですか?」
「うーん。君は誰だ。」
相楽さんを指差して言う。
「失礼しました。新聞部の一年、相楽合です。」
「新聞部…。名ばかり部ね。」
「おっしゃる通り。」
緑さんは腕を組み目を閉じて唸り、やがて目を開けて話し出す。
「心当たりというか、気になることはある。しかし、吹奏楽部の内輪の話だからね…。」
だんだん声が小さくなっていく。
「合ちゃん。私は統次君は信用してるんだよ。」
どこかわざとらしく言う。
「は、はい。」
相楽さんも、緑さんに気圧されている。
「何故なら、付き合いが長いからどんな奴か分かるから。」
「二人はお知り合いなんですね。」
「そうなんです、私篠田緑よろしくね。でも、合ちゃん。あなたのことは信用して良いの?」
「え、あ、はい、信用して大丈夫です。」
おずおずとそう言う。流石の相楽さんも緑さんのペースに飲まれるかと思ったが、意外とそうでもないようだ。
緑さんはチラリと俺に目配せをする。相楽合という人物について問いたいのだろう。
「信用するかしないかは、緑さんが決めることだけど、悪い奴じゃないよ。」
そう言うと、緑さんは大きく息を吐いた。
「それじゃあ、ちょっと頭を借りようかな。」
踵を返して、第一音楽室の戸を開けて、入るように促される。
お邪魔します。と念のため声を掛けて入ると、中には背の低い3年生の女生徒と、メガネの線の細い2年生の男子生徒が居た。
そして、辺り一面には破れた紙が散らばっている。その一つを注視する。五線譜が見える。どうやら、楽譜の一部のようだ。
音楽室にバラバラの楽譜が散らばっている。なんだか普通ではないなと察する。
「緑。その人達は?」
「私達で悩んでても仕方ないでしょ?たまたま通り掛かった私の知り合いと、その友達にも聞いてもらおうよ。」
3年生は、背は低いが髪は長く綺麗だ。顔は正直、同い年と言われても信じるくらい幼いが、目付きが鋭く、クールな印象も同時に受ける。
「部外者ですよ。」
2年生がそう言う。背が高く、スラリとしている。その華奢な体付きのせいで、大きな眼鏡が重そうに見える。
「部外者だからこそだよ。部員に見せるわけにはいかないけど、何とか真相を突き止めないと。それに、ちょっと何かヒントもってそうだし。」
緑さんは3年生の女生徒へチラリと目線を向ける。
彼女は、大きく息を吐く。
「分かった。」
キッとこちらを見る。
「私は部長の及川未久(おいかわみく)。こっちの眼鏡が2年の保田君。」
「保田 知輝(やすだ ともき)。」
保田先輩は納得していないようだが、部長の言う事なら仕方ないといった風だ。
「今、吹奏楽部が抱えている問題は、見て分かるとおり、この状態。」
及川先輩は音楽室に楽譜が散らばった状態を、手を広げて大袈裟に見せる。
「いつからこんな状態になってたんですか?」
相楽さんが尋ねる。
「放課後、部活のため音楽室に来たらこうなってた。」
「及川先輩は第一発見者ですか?」
「いや、僕も一緒に及川さんと部室に来たんだ。」
保田先輩が右手を挙げて、存在感を示しながら補足する。
「ヤストモ君はいっつも早く音楽室に来るんだよ。」
緑さんが呆れた調子で言う。そして、保田先輩のあだ名はヤストモというらしい。
「音楽室は楽器とかの備品が多いから、念のため鍵を掛けるようにしている。鍵は部長の私が持っていて、部活前に開けて、終わったら閉める。ヤストモ君は来るのがいつも早いから、まだ空いていない音楽室前でよく待ってる。」
大体の状況は分かった。
「音楽室には及川先輩が鍵を開けて保田先輩と一緒に入った。そしたら、こうなっていた。ということですね。」
「その通り。」
及川先輩が肩をすくめる。
「そういえば、今日は部活しないんですか?」
相楽さんが質問していてたしかにと思う。
「こんな状況を部員に見せる訳にもいかないからね。今日は急遽無しにした。」
及川先輩はバツが悪そうな顔をする。これをもし部員がやったのなら、何か部活に恨みがあるのかもしれない。何かしら犯人を追い詰めるようなことや、部活動に支障が出るようなことしたくなかったのだろう。
「及川さんと僕はここに来て、まあ、最初こそ驚いたけど、直ぐに部活はやめとこうって話になったんだ。大勢が見たら変な噂に繋がるかもしれない。だから、まずは誰が何のためにやったのかをまずは調べて、少数で解決出来るならそうしようと決めたんだ。」
「その話してる時に私が来ちゃったみたい。」
緑さんはバツが悪そうに笑っている。
「しょうがないから、このことを知ってるのは緑までにしようと思って、急いで部員全員に中止の連絡をした。その間、緑には音楽室前に立ってもらって入れないようにはしてた。」
「そこに私達が来たんですね。」
及川先輩は首肯する。
「今のところ、まだ調査は始めていないし、こんな事をする人に心当たりはない。」
「音楽室で起きた事だけど、所謂密室でしょ?それなら、部外者が犯人でもおかしくないと思うな。」
「流石に学校外の人ではないと思いますが、全校生徒と教職員もやろうと思えばできますね。」
緑さんの言う通り、話を聞いた限りここは密室だった。後で室内を確認した方が良いだろうが、犯人の方向性を絞るのも今の所難しい
「それじゃあ、統次君達が知ってる事を教えてよ。」
「俺が知ってることは、全部相楽さんから聞いたことです。」
そう言って相楽さんを見る。俺が説明するより、相楽さんは説明した方が良いと判断したのだ。
頷いて、説明をし始める。
「私が聞いた話ですが、弓道部員が昨日の放課後、19時頃真っ暗な第二音楽室から物音が聞こえて、人影が見えたそうです。幽霊だとかアヤカさんだとか弓道部の友達は言ってました。」
「なるほど…。この現状と何か確認あるのかも…。」
緑さんは床を見つめて思案している。
とにかく、今は色々調べるしかないだろう。
「一応、現場確認して良いですか?」
「どうぞ、ご自由に。」
及川先輩からの了承を得て、音楽室を調べることにする。
まずは全体を見渡す。名前の分からない打楽器が隅に置かれており、黒板の近くにピアノある。
机と椅子が数脚あり、譜面台のいくつか隅に寄せられている。
入り口の近くには扇風機が置いてある。
「扇風機、夏になったら買おうかな。」
相楽さんも同じ物見ていたようでポツリと溢す。
「熱中症対策で、文化部は扇風機があるはずだよ。」
緑さんが教えてくれるが、写真部も新聞部も部室で見たことがない。
「名ばかり部はないのかもしれません…。」
「…そっか。」
悲しい空気が流れる。
「自費で買いなさい。」
及川先輩が冷静に言う。
東側の窓へ近付く。
全てクレセレント錠が掛かっている。窓の外にベランダはなく、外には体育館が見え、弓道場、格技場は見下ろせる。
「この鍵は閉まってましたか?」
「ええ、ヤストモ君と一通り確認した。」
及川先輩は西側の窓を指差す。
「あっちも鍵が掛かってた。」
西側の窓に近寄る。こちらもクレセレント錠だ。外には一般棟と管理棟、そしてそれらを繋ぐ渡り廊下が見える。
東西どちらの窓も鍵が掛かっていた。そして、ここは4階だ。東西共にベランダはなく、窓からの出入りは難しいだろう。
もし仮に窓の鍵が空いていても、屋上からぶら下がってきたり、外壁をよじ登ってきたりする事は物理的には可能だろうが、西側には昨日の19時頃までは弓道部員の目があり、その時間まではできない。東側は管理棟から目、つまり職員室からの見られるため、心理的に難しい手段だろう。昼間はどちら側もなおさら無理だ。
音楽室の南側に行く。
五線譜が書かれた黒板の横に、ドアが一つある。
「このドアは?」
「その先は音楽準備室。入って良いよ。」
ドアを開くと、狭い空間があった。全面に棚が据えられ、そこに楽器やら楽譜やら色々なものが詰め込まれている。自由に動けるのは一人くらいで、俺と相楽さん、及川先輩が入ると動くのも難しい。
窓は背より高い位置に横長のものが南面にのみある。人が出入りするのは無理な大きさだ。
「普段、音楽準備室は何に使ってるんですか?」
「部の楽器、主に携帯できない楽器とかはここに置くようにしている。」
それとか、と指差した先にはチューバがある。
「自分に楽器を持ってる部員は、持ち帰る人も多いけど、ここに置いていく人もいる。部の楽器、主に大きい物を使ってる人は使い終わったらここに置いている。」
「楽器置き場みたいなイメージですか?」
「そう思ってもらって構わない。」
及川先輩から一人ずつ、音楽室準備室から出る。
「どう?何か分かった?」
音楽室に残っていた緑さんが尋ねてくる。
「調べた限り、緑さんの言うとおり密室ですね。」
「やっぱりそうだよね。」
保田先輩が同意する。
「念のため、密室になった流れを確認しましょう。」
そう提案すると、支持したわけではないが皆円状に集合する。俺の左から時計回りに相楽さん、保田先輩、及川先輩、緑さんの順だ。
提案した手前、進行役を務めることにする。
「昨日部活が終わったのは何時頃ですか?」
「練習は18時。そこから後片付けをして、鍵を閉めたのは19時。」
「及川先輩が閉めたってことで良いですか?」
「良い。緑も見ていたよ。」
右の緑さんを見ると頷いて喋り出す。
「昨日もいつも通りだったと思うよ。鍵を持ってるのは未久だから、いつも最後までここに居て、鍵を閉めて一緒に帰ってるよ。」
緑さんと及川が一緒なら鍵の閉め忘れはないだろう。
「その時、誰かが音楽室内に残ってたってことはないですか?」
相楽さんが尋ねる。
「可能性はある。いつも、一応帰る時に一声掛ける事にはしているけど。」
及川先輩は言い淀む。
「昨日も二人で声掛けたんだよ。なんて言ったけっかな。“鍵閉めるよー。”とか“もう帰るぞー”とか、そんな感じだったと思う。」
二人が鍵を閉める時に、中に閉じ込めてしまわないように声を掛けているらしい。
「音楽室内に誰かが残ってるまでは確認してないですよね。」
「流石にそこまではいつもしていない。」
もっともだ。
鍵を閉める時に不審なところはないようだ。
「保田先輩はどうですか。昨日の部活後はどうでした?」
「僕は先輩達が帰るよりも早く帰ってるから、その時の様子は分からないな。」
「何時頃帰りました?」
「大体18時15分かな。」
「19時よりもかなり早いですね。片付け早いとかですか?」
「いやいや、そもそも片付けは大体18時15分には終わるんだよ。19時まで残るのは、電車に乗る人達だね。早く駅に着いてもしょうがないから、大体19時くらいまで時間潰してるんだ。」
「19時に学校出ると、駅にちょうど良い時間に着くから、他の部活もそうしてるよ。」
緑さんも電車の待ち時間について同意する。
「名ばかり部はこういう常識も通じないか。」
自分で言って少し悲しくなった。
「まあ、それに19時までの間って女子トークが盛り上がって、男子は少し気まずいんだ。ほら、男子部員で少ないし。」
頭の中で吹奏楽部をイメージするが、確かに少ない。知り合いで吹奏楽部だという奴もほとんど知らない。
昨日の戸締りは聞いた限りいつも通りで、おかしなところはなかったようだ。
「それから今日の放課後まではずっと鍵が掛かったままだったんですね。」
「おそらく。」
実際に、鍵が掛かってると分かっているのは昨日帰る時と、今日開ける時だ。その間に一度開けられ、そして閉められた可能性は否定できない。
「及川先輩が持っている他に、鍵はありますか?」
「職員室にある。でも、貸出簿があるから、誰にも知られず持っていくのは難しいと思う。」
鍵を借りることはないため、貸出簿があることを知らなかった。
「貸出簿は確認しましたか?」
「僕が見てきたけど、昨日今日で借りた人はいなかったよ。」
「貸出簿に記名せずに鍵を持ち出す方法はありますか?」
「鍵は職員室の壁のキーボックスに、他の施錠されている部屋の鍵と合わせて保管されていて、貸出簿はその近くに置いてある。こっそり職員に入って持ち出して、またこっそり元に戻すことはできなくないよ。」
保田先輩も少し笑いながら言っているあたり、ほぼ不可能だということだろう。
職員室にこっそり入ること自体、まず不可能だし、鍵という重要なものを気付かれずに持ち出せるとも思えない。
「普段、音楽室には吹奏楽部以外は出入りするんですか?」
「いや、私達だけ。」
「選択科目の音楽は第二音楽室の方を使ってるんだよ。」
「そういえば、幽霊が出たっていうのは第二音楽室だったな。そっちは鍵は掛かってるの?」
「どうだろ?音楽の授業の時はいつも空いてるけど。」
相楽さんもそこまで把握していないようだ。
「第二はいつも空いてるよ。こっちの戸締りは一応楽器とか備品があるからだからね。第二は盗まれるようなものはないんだよ。」
なるほど。
後で念のため第二音楽室も調べた方が良いだろう。
あと、この音楽室で気になることは一つ。
「この楽譜に何か心当たりはありますか?」
「次のコンクールでやる曲の楽譜だけど…。これもちょっと訳ありで。」
及川先輩はどこから話そうか悩んでいるのか、だんだんと声が小さくなり捻り出すように話している。
それを見かねたのか、緑さんが言葉を引き継ぐ。
「簡単に言うと、このバラバラの楽譜の曲はジュ・トゥ・ヴって言って次のコンクールでやる曲に多数決で決まったの。だけど、もう一つマードックからの最後の手紙って候補があったんだけど、僅差で負けたんだ。」
「じゃあ、マードック派が気に食わないからジュトゥヴの楽譜を破った可能性があるってことですね。」
「可能性としてはね。」
たしかに、もし相楽さんの言うとおりであれば吹奏楽部の内部亀裂だ。部外者である俺達の介入を渋った訳も理解出来る。
「いつまでもこのままにしとくの忍びないんだ、楽譜集めません?」
保田先輩が及川先輩に提案する。
「そうね。現場維持はもういいでしょ。」
二人は周りの切れ端を拾い始めたため、俺たちも一緒に拾う。
切れ端は破ったのではなく、ハサミやカッターなどの道具を使って切ったようで、シワがなく綺麗な状態だ。
「なんか、恨みとかでわーっとぐしゃぐしゃにしたって言うより、綺麗にバラバラにしたって感じですね。」
確かにそんな感じだ。
「むしゃくしゃしてやった感じじゃ無いね。几帳面だったのかな。」
緑さんは皆が集めた切れ端をゴミ箱を持って回収して回る。
「この楽譜って部員に配った物ですか?」
「部員には配ったけど、これは多分予備でここに置いてた物だと思う。準備室に置いてた楽譜の数が減っていたから。」
楽譜を持っていない部員が怪しいという事にはならないか。
綺麗になった音楽室を今一度見渡す。
楽譜はどちらかというと、南東側に集中していたような気がする。
「第二音楽室も調べてみよう。」
そう言って、第一音楽室を出て、直ぐ右手にある第二音楽室に入る。
第一音楽室と比べると小さく、一般教室くらいだ。
中には第一音楽室と比べて、物が少ない。机も椅子もなく、教卓のような机があるだけだ。
窓に近寄り、戸締りを見るが全て施錠されている。
ここからも、弓道場が見下ろせる。
「弓道部が幽霊を見たって言うのはこっちだよな。」
「そうだね。」
相楽さんが同意する。
北面には黒板があるが、第一音楽室と違い五線譜は書かれていない。
第一音楽室と第二音楽室を行き来するには、廊下を経由してドアから入るスタンダードな方法と、窓から出て窓から入るアクロバティックな方法の二つがありそうだ。
「秘密の抜け道でもあるのかな。」
「少なくとも、吹奏楽部員は知らない。」
及川先輩がそう言うなら間違いないのに、壁や黒板を触り、何かしらの仕掛けがないか調べてみる。
そして、案の定何もない。
「まあ、こんな田舎の高校に変な仕掛けとかあるわけないよね。」
俺が一生懸命調べている横で相楽さんが言う。
「そもそも、学校にそんな映画やドラマみたいな仕掛けは作れないでしょ。」
及川さんはかなりリアリストだ。
「俺はあってほしいと思うな。」
「僕も、そう思う。」
「本当、男の子っていつもそうね。」
緑さんは笑ってそう言う。
でも、たしかに不思議な作りはないようだ。隣の第一音楽室への出入りは廊下を経由する方法しかないように思える。
他に何かないかと辺りを見渡して、床に紙切れが落ちていることに気付き拾い上げる。
小さな破片の一部には、五線譜と音符らしきものが描かれている。
「これって、何の楽譜か分かりますか?」
手のひらに乗せて、吹奏楽部員3人に見せる。各々覗き込み、首を捻ってみせる。
「これだけじゃ、何とも言えないね。」
「ジュ・トゥ・ヴの一部だと思うけど、僕も何とも言えないかな。」
「ジュ・トゥ・ヴの楽譜からこれに当てはまる部分を探そうか。」
「いや、そこまでは良いです。」
及川先輩の提案を直ぐに拒否する。
しかし、第一音楽室でジュ・トゥ・ヴの楽譜が散らばっていて、第二音楽室には違う楽譜の破片がある理由はないだろう。
ほぼ間違いなく、ジュ・トゥ・ヴの楽譜だ。
それ以外に、目立ったものはないため、第二音楽室を出て、第一音楽室に戻る。
誰かがそう指示したわけじゃないが、また円形に集まる。
「昨日、ここが鍵を掛けられた時に中に残っていて、今日の放課後までずっと居たってのはどうですか。」
相楽さんが無茶な解決策を提示する。
「残念ながら、それを否定する材料は二つある。」
及川先輩は指を一つ立てる。
「まずは、そんな面倒なことする人はいない。もしそれをしたなら、丸一日家には帰らず、今日の授業は一日欠席だ。直ぐにバレる。」
2本目の指を立てる。
「二つ目。鍵を開けて、惨状を見てから私はこの場に残り、ヤストモ君には職員室の鍵を確認しに行ってもらった。そこから、緑と君達が来たのだから、犯人が逃げ出すタイミングはなかった。」
「まあ、無理ですよね。でも、もしかしたらまだ犯人がこの音楽室の中に…。」
怖い話をするように及川先輩にじわじわと近寄る。
「君も一緒に全部見て回ったじゃないか。隠れられる場所はない。」
迫ってきた相楽さんの頭を軽く叩くz
「ですよね。」
最初からこれではないと思っていたらしい。しょんぼりとして元の場所へ戻る。
「知らない間に合鍵が作られていた可能性はどうですか?」
保田先輩が声を出す。
「合鍵を作るにも、元の鍵が必要でしょ?未久がずっと持っていて、職員室の鍵も簡単に持ち出せないなら無理じゃない?」
「うーん。そうですよねぇ。」
これするには、及川先輩の鍵を盗むことか職員室の鍵を盗むことが必要になる。盗んで合鍵を作るなら、盗んでそのまま使えば良い。合鍵を作っておいて、使いたいタイミングまで待っているという考えもあるが…。」
「そもそも、鍵を盗むことができたのかな。」
緑さんは俺と同じ事を考えていた。
「私はしっかり管理しているつもりだよ。学校へ来る時はバックに入れているし、バックにどこに入れているかは私しか知らな…、緑だけ知っている。」
目線が緑さんへ向けられる。
「私は犯人じゃないよ!」
「慌てると犯人っぽくなるぞ。鍵を盗むには私のバックを漁る必要がある。そして鍵を探す必要がある。それが出来るだけの時間、バックからはまず離れない。皆もそうなんじゃないか?」
たしかに、バックやリュックは机の脇に置いている。自分は常に机にいるし、席を離れてもクラスメイトがいる。
移動教室の授業で教室から離れても、その間は他のクラスも授業中だ。
「盗むのは無理そうですね。」
「職員室の方はより無理だろう。教室の私物より管理がしっかりしているだろうし。」
「盗むも無理か。」
緑さんはため息と共にそう言う。
「どうやってここに入ったんでしょうか…。」
保田先輩は腕を組み、絞り出すように言う。
しかし、一つだけ方法を思い付いた。
頭の中で、その流れを確認している間、誰も声を発さず思案している。
一度、説明してみて、皆に検討してもらおう。
「そもそも、この部屋に人は入ってなかったんじゃないですか?」
「それはどういうことだ?」
自分の考えを整理しながら、指の関節を鳴らす。
「第二音楽室にはジュ・トゥ・ヴの切れ端がありました。という事は、ジュ・トゥ・ヴの解体が行われたのは第二音楽室の方なんじゃないでしょうか?」
「第二音楽室なら鍵は掛かってないから、誰でもいつでも出来るね。」
緑さんはそう相槌を打つ。
「おそらく、解体は19時以降だと思います。弓道部が見たという幽霊は、第二音楽室で解体作業をしてる人影だったと思います。」
「人目につかないように明かりを付けなかったから、解体にする際に音と相まって幽霊と思われちゃったのか。」
保田先輩の言う通り、明かりを付けて誰かに気付かれないよう暗がりで作業したのだろう。
「この綺麗な断面からして、裁断機を使ったんでしょう。」
「暗い音楽室に人影があって、裁断機の音がしたら怖いかも。」
相楽さんは眉を寄せる。
「暗い中作業したせいで、落とした切れ端に気付かなかった。さっき第二音楽室に行った時に拾った切れ端がそれです。」
「ジュ・トゥ・ヴを裁断機で解体したのが第二音楽室だと言うのは納得できる。問題は、それをどうやって第一音楽室に持ってきたかだ。」
「散らばったジュ・トゥ・ヴは、全て裁断機で切られて綺麗な形でした。その状態であれば、音楽室入り口の戸の隙間から通せます。」
一度、音楽室から出て戸を閉める。そして、さっき第二音楽室で拾った切れ端を戸と壁の隙間に通す。スッと音楽室へ落ちていく。
戸を開くと、案の定目の前に切れ端が落ちている。
「でも、このままじゃ散らばらないで、戸の前に山積みになるんじゃ…。」
そこまで言って、保田先輩は気付いたようだ。
「いや、そっか。それ、多分正解だよ。」
「え、ヤストモ君どういうこと?」
「…南君の推理は正しいかもしれないな。」
「え、私もまだ分かってないんですけど。」
保田先輩と及川先輩は気付いたようだ。
緑さんと相楽さんのために、仕上げを見せる。
入り口付近に置かれた扇風機のスイッチを入れる。風が吹き、床に落ちた切れ端を飛ばしていく。
「うわ、そうか。そうだね。」
緑さんは何度か頷く。
「人が入る必要はない。なるほど。これが1番シンプルで心理的にも実行可能だね。」
保田先輩も納得したようだ。
切れ端は及川先輩の目の前まで飛んでいき止まった。それを拾い上げ、ため息を吐く。
「ついでに、誰が何故やったか分かる?」
「流石に誰かまでは分かりません。」
「それじゃあ、何故やったと思う?」
俺の発言の意図を正確に汲み取ったようだ。
「おそらく、ジュ・トゥ・ヴとマードックによる吹奏楽部の争いじゃないと思います。犯人は、これをする事で、今、この状態になることを望んでいたんじゃないでしょうか?」
顎に指を当てて、及川先輩が思案する。
しかし、緑さんが先に気付いた。
「まさか、全体練習の中止?」
首肯する。
ついでに、現場に至るまでの流れを確認することにする。
「犯人は昨日の練習後、扇風機のタイマーを19時以降に動きだすようにセットする。そして、及川先輩が鍵を締めて帰るのを待っていた。第二音楽室にでも居れば良いでしょう。その後、ジュ・トゥ・ヴの楽譜を裁断機等で切断し、第一音楽室の戸と壁の隙間から入れ、音楽室内で散らばらせる。その惨状は、ジュ・トゥ・ヴとマードックの対立が発展して、マードック派が抗議のために行動に出たように見える。吹奏楽部でいざこざが生じたと及川先輩が判断すれば、部長としての器量を信じて、今日は練習がなくなると思ったんじゃないでしょうか。」
「全く嬉しくないな。」
及川先輩は肩を竦める。
「全体練習をサボりたい理由って何だろう。ヤストモ君、どう?」
「ただ部活をしたくないなら、辞めれば良いんです。それが出来ない一年生とか。」
その可能性もある。
「あり得るね。合ちゃんはどう?」
「何となくですけど、これを起こした人はピンポイントで今日だけ休みたかったんじゃないかと思うんです。だって、こんな事しても、今後は活動続けるじゃないですか。今日何かあったとしか思えないです。」
それも真っ当な考えだ。
「うん、私もそう思う。未久はどう?」
及川先輩は手を挙げ、ギブアップのジェスチャーをする。
「正直、全部員の私情は分からない。何かやりたい事や行きたい所があった。だけど、それを理由に休むとは言えなかった。そんなところじゃないか。」
妥当な線だろう。
「私も皆の事情は分かんないな。最後、統次君は?」
いつのまにか司会進行を務めていた緑さんが俺を指名する。
「今日だけ休みになると、今日の放課後から夜に掛けて時間ができます。及川先輩の言う通りだと思います。個人的な用事なら知る術はないですけど、俺がもし吹奏楽部なら今日は休みたかったです。」
「それはなんで?」
「明日、数学の小テストがあるんです。しかも、成績に関わると脅されたものが。」
全員、ため息を吐く。
この理由であるとは、言い切れない。だが、可能性はある。
「どうする未久。」
聞かれたら及川先輩は、顎に指を当てしばらく沈黙し思考する。やがて、腕を組み喋り出す。
「なかったことにする。明日からは普通に活動する。」
「うん。分かった。」
緑さんはそう言う。保田先輩もはいと言って頷いた。
「2人ともありがとうね。」
「いえいえ、私は何もしてません。」
相楽さんはぶんぶんを手を前に出して振る。
「不謹慎ですけど、楽しかったんで良いです。」
「なら良かった。」
笑顔を見せる。そうだ。緑さんは昔から良く笑う人で、小さい頃はその笑顔が好きだった。
「2人とも、この事は内密に。」
及川先輩は人差し指を唇に付ける。
「分かりました。」
「吹奏楽部員に説明するためにも、何か理由を考えなきゃね。」
「流石にそれくらいは僕らで考えましょう。」
「そうだな。本当に2人とも助かった。」
「本当、大丈夫ですよ。幽霊の正体も分かったし、目的達成です。あ、もちろん弓道部には秘密にしますから。」
「それじゃ、頑張ってください。」
そう言って、頑張って下さいで良いのかと思った。
しかし、それ以外に言葉が思いつかないので仕方ない。
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