三十二 絵描きさんとおひいさま
次の日は、抜けるような晴天だった。
川で食器と顔を洗って身支度をして、三人で
芒村の隣の、
両側に店が並び、人々が行き交う通りはにぎやかだ。
でもなんとなく、居心地が悪い感じがする。
「なんかさあ、見られてる?」
道行く人々が、こちらを見ている気がするのだ。ちらちらと様子をうかがったり、すれ違って振り向いたり。気がするというか、確実に見られている。
「おれたちお尋ね者だっけ?」
一鷹が気味悪そうに顔をしかめる。
「何も悪いことはしていません。胸を張って歩きましょう」
背筋の伸びた
「そうか、そうですね」
皓夜がこたえたとき、もし、と声をかけられた。
振り返る。
数人の集団がうしろにいた。なんだか圧を感じて少しだけのけぞる。
「あの、もしかしてあなたたち、この人たちですか?」
そんな質問とともに差し出されたのは、小さな紙だった。
絵が描かれている。
黒一色の、素朴な絵だった。
木々に丸く囲まれ、ところどころ草の生えた広場の、石の前で。
笛を吹く人と座り込んで歌う人、石を撫でている人。
とても上手なわけではないのに、その場の空気が伝わってくるような絵だ。
下のほうには、笛の名手と歌姫降臨、と謎の煽り文句が書かれている。
「え、おれたち……?」
皓夜は思わずつぶやいた。
***
演奏が終わると、猪頭の町の人たちはどっと沸いた。
いちばん前で一鷹が大きな拍手を送ってくれる。
皓夜は由良と顔を見合わせた。
由良は満ち足りた様子で微笑む。
皓夜も笑い返した。
昨日の夕方、猪頭の町では紙がばらまかれたらしい。
「笛の名手と歌姫」が、芒村に現れたことを伝える絵が描かれた紙だ。
その絵は町じゅうの人々の手に渡って話題をさらったそうだ。
そして、今日。絵に描かれているのと似た三人組が町にやってきたので、みんなであれはそうなのか違うのかと、じろじろ見ていたらしい。
皓夜と由良は、さっそく演奏を頼まれて披露した。
町の人たちは喜んでくれた。
足元の漆の椀に、小銭がたまっていった。
「よかったよ!」
「ほんとに笛の名手と歌姫だね!」
「絵描きさんは、嘘はつかないからね」
人々が口々に言う。
「絵描きさん?」
一鷹が聞き返すと、そばの人たちが教えてくれた。
「この町にはね、近くで何かあったらすぐ絵にしてばらまく人がいるんだよ」
「みんな絵描きさんって呼んでる」
「だって誰も会ったことないから」
「どこに住んでるかも知らないの」
へええ、と一鷹が何度もうなずいている。
「どこで火事があったとか、人が殺されたとか」
「王さまが視察にいらしたとかいろいろ」
皓夜は笛に目を落とした。
じゃああのとき、
「ねえもう一曲!」
声がして、皓夜は顔をあげた。
「なんにしましょうか、なんでも」
「じゃあ、桃がいい!」
小さな子の希望にこたえて、笛を吹き始める。おどけたような調子のわらべ歌だ。
由良が笑顔で歌いだす。
大きい桃見つけた
大きい桃取った
お猿にさらわれ
食べずじまい
小さい桃見つけた
小さい桃取った
小鳥に取られて
食べずじまい
落ちた桃見つけた
落ちた桃拾った
通りすがりのおひいさま
ぼろ着て痩せたおひいさま
丸くて甘い桃くれた
ぼろ着て痩せたおひいさま。
皓夜は楽しげな調べに軽く身体を揺らしながら由良を見る。
由良はぼろを着ていないし痩せ細っているわけでもない。
でも、きっと桃をあげるのだろうとふと思う。
たったひとつしかない大事なものでも。少しも迷わないで。
「もう一回!」
子供たちが声をあげる。
由良と目が合う。
さあ始めましょうか、はいもちろん。
無言で通じ合うこの瞬間だけは、由良をつかまえられる気がして、でもつかまえるってなんだと自問する。
なんだかおかしいな。
何を考えているのかよくわからなくなってきた。
皓夜はやけくそみたいに情感込めて桃を吹いた。由良はそれに合わせてやたらと感傷的に歌った。そのおかげで大人たちは涙ぐみ、子供たちはなんか違うと微妙な顔をしていた。
***
すっかり感激した大人たちに、近くの蕎麦屋に連れ込まれた。
ほとんど強制的にごちそうしてもらったあたたかい蕎麦は、とてもいい香りがした。
「おまえさんたち、つぎはどこに行くんだい?」
蕎麦打ちを放棄して皓夜の前に座っている、頭に白い布を巻いた店主が聞いてきた。
「
皓夜は机に広げた地図を見ながらこたえた。
「じゃあいったん
店主が出穂をゆびさす。
出穂は
「美萩野と連波の境に、何かあるのですか?」
由良がたずねる。出穂を経由しろということは、美萩野と連波の国境を通るなということだ。
店主は渋い顔をした。
「そうだよ、今国境の土地の取り合いで争いが起こってる。通るのは危ないと思うよ」
「ありがとうございます」
皓夜は言った。でも、出穂は今、
「ほかの方法はないでしょうか」
皓夜は地図を眺めながら聞いてみた。
「ほかの方法?」
店主が首をひねる。
しばらくして、皓夜の左に座っていた人が言った。
「海に出たらいいんじゃない?」
店主がぽんと手を打つ。
「ああ、その手があったか」
「なるほど」
皓夜もなんだかほっとした。
美萩野は東側が海に面している。いったん船に乗って海に出て、北に進めばいい。
「
左の人が教えてくれた。
国境で戦をしていても、まだ人やものの流れはあるのだ。
「ほかのところからも船は出てるけど、ぼったくられるといけないから」
「そうそう、おれぼったくられたことあるよ」
「都のちゃんとしたところから乗ったほうがいい」
人々の助言を、皓夜はありがたく受け取った。
「みなさん、ありがとうございます」
頭を下げる。
「蕎麦も、すごくおいしかったです」
店主がにやりと笑う。
「だろう。また来いよ。ごちそうするから」
「今日ごちそうしたのは親父さんじゃないでしょ」
「そうだっけ」
「おれたちだよ!」
それを聞いて皓夜が財布を出そうとすると、両側からいくつもの手に引っ張られた。ちょっと怖い。
「いやいいの! あの哀愁ただよう桃のお礼だから!」
「そう! 蕎麦の三杯くらいたいしたことないし!」
申し訳ないけれど、なんだかうれしい。
皓夜は素直にお礼を言った。
「ありがとうございます」
「いやいや。桃で泣いたの初めてだもんね」
「子供のころから歌ってるのに」
「ぼろ着て痩せたおひいさまがね……」
「胸に迫るよね……」
「子供の歌なのにね……」
人々が盛り上がってくれている。
「無事に連波に着くといいね」
「戦のところは通らずにね」
「戦って嫌だね」
「うちと連波も、飛迎と桜雲みたいにならなきゃいいけどね」
店主がうなずく。
「飛迎はなあ。民草はだいじょうぶだったみたいだけど、王族がな」
身体がこわばった。
「そうなの?」
「うん、みんな死んじゃったって。年頃のおひいさまも」
「あっ知ってるよ、家来を守って死んだ王女さまでしょ」
「でも家来も後追って死んだよ」
「戦ってほんとに嫌だね」
「おまえ家来とか守って死ねる?」
「無理!」
「家来とかいないしそもそも」
「わたしもできない」
一鷹がすっと由良を守るように身体を寄せた。
「できないよねえ」
隣の人が、由良に聞く。
皓夜は何か言おうとした。でもその前に、由良がこたえた。
「できませんね」
由良はきれいに微笑んでいた。
「絶対にわたしにはできません」
皓夜は開きかけた口を閉じる。
由良の笑顔には少しもおかしなところはなくて、でも。
薄氷が張っているようだった。
薄くて壊れそうで、でも絶対に割れない、仮面。
皓夜ははっとして立ち上がった。
「どうした、笛吹きさん」
店主が見上げてくる。
皓夜は店主と、そばの人々に頭を下げた。
「ちょっと、急ぎの用事を思い出しました。とてもおいしかったです、楽しかったです。船に乗って行きます。みなさんごちそうさまでした!」
行李を背負い、一鷹と由良を引っ張って店を出る。
「ああ、気を付けてね!」
店主たちが驚きながらもそう言って見送ってくれる。
皓夜はふたりを引っ張って、とにかくどんどん歩いた。
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