三十一 来し方と行く末

 由良ゆらは、視線をあちこちに向けながら言った。

「あの……、それについては、おふたりに謝らなければならないことがありまして」

「謝る?」

 いちたかが首を傾げる。由良は唇を結んでうなずいた。皓夜こうやはいちたかと一緒に首をひねった。それについて、いままでまったく話さなかったことを詫びたいのだろうか。そんなことはかまわないのだが、それくらいしか思いつかない。

 由良はしばらくきょろきょろとやっていたが、皓夜といちたかに身体を向けて、ぴたりと足元に視線を据えてきた。決意したような目をして、口をひらく。

「おふたりに、嘘をついていました」

 小屋の中に、澄んだ声が響く。由良はすっと息を吸うと、大変なめらかに喋り出した。

「おふたりには、明砂あけすなの生まれで旅に出たところ荷物を盗まれて道に迷ったと申しましたが、嘘です。生まれは明砂ではなくて飛迎ひむかえです。父は歌代初鳴うたしろはつなりと申す者で、飛迎の王でした。父と、王太子だった兄は桜雲おううんに敗れた戦でみまかりまして、一族の者は戦死したり自害したりしました。母も王宮に火をつけてそこに残ったのですが、わたしは形見の櫛を預けられて逃がされまして。連波つらなみにいる母の父親、えと、わたしの祖父にそれを渡すようにと言われたのです。わたしは王宮を出て連波を目指していたのですが、途中で桜雲の兵のかたがたに出くわしてしまって。それで供の者たちとはぐれて山をさまよっていたのですよ、わたしは道をまったく知らなかったので。だからどこに行けば連波にたどり着けるのかもわからなくて。そうしていたら皓夜さんが現れて助けてくださいました。ほら、皓夜さんがいなければやっぱりわたしは野垂れじ」

 皓夜はずいぶん遅れて、由良の前に手を突き出し止めた。

「待って」

 追いつけない追いつけない。いちたかは口を開けてきょとんとしている。

 皓夜は、うつむいてしまった由良をのぞき込んだ。なんだか、はじめて聞くびっくりしてしまうようなことを、たくさん耳に注ぎ込まれた気がする。でも、由良がそれを話してくれたことが、まず大事だと思った。由良も皓夜が話したときそう言ってくれたし、ほぼ強制してしまった皓夜も同じように伝えたかった。

「ありがとうございます」

 皓夜は言った。由良の伏せられた睫毛が揺れる。

「ちょっと飲み込めなかったけど、あなたが話そうとしてくれているってことはわかりました。うれしいと、思います」

「うんおれもそれはわかる!」

 いちたかが元気を取り戻して同意してくれる。皓夜はだよな、といちたかとうなずき合った。

「よかったら、全部じゃなくてもいいから、もう一回教えてくれませんか」

 そっと言うと、由良が小さくうなずいて、つぶやいた。

「嘘をついていてすみません。わたしも、ちゃんと整理できていなくて。本当のことをお話しできませんでした」

「そんなことは、いいんです」

 由良が少し口元をゆるめて、顔を上げる。

 曇ったような笑みに、一瞬怖くなってしまう。でも、こっちが腰を据えていなくてどうするのだと、己を奮い立たせる。きっといままで聞けなかったのは、こうして彼女の、深くやわくて脆いところへ、触れてしまう気がしたからでもあったのだ。恐ろしくて、踏み込めずにいた。それでいいし、そのほうがいいと思っていた。

 由良は静かに、もう一度話し始める。

「わたしは明砂の者ではなくて、さきの戦で桜雲に敗れた飛迎王の娘です。歌代由良うたしろゆらと申します」

 皓夜はうなずいた。

「飛迎の王女は、山の中で桜雲方に見つかって自害したと言われていますが、それは本当ではありません」

 いちたかがばちんと音をたてて口を塞いだ。

「痛かっただろいまの」

「痛い……」

 由良がくすりと、力なく笑った。




***




 自決したと言われていた飛迎の王女は、死んではいなかった。生きていて、皓夜の目の前にいた。

 飛迎と桜雲のあいだに戦が起こったのは、桜雲からの使者を飛迎側が殺めたというできごとのためだったという。両国の関係は悪くなり、戦にまで発展した。

 桜雲の猛攻を受けた飛迎は、奮戦むなしく敗れた。飛迎王である由良の父と、王太子の兄は士気をあげるためにみずから出陣して戦死、王妃たる母は一族や家臣たちとともに王宮に残ってみずからいのちを絶った。

 由良も、そこで一緒に死ぬはずだった。でも由良の母はそれを許さなかったという。由良に、己が嫁入りの際に父から贈られた螺鈿の櫛を渡して、それを届けるようにと頼んだ。由良の母親の父は、連波の王だ。由良の母は連波から飛迎に、同盟の証として嫁いできた姫だった。飛迎は、桜雲との戦のさなか、同盟国の連波に援軍を要請していたそうだ。娘である由良の母も、父親に何度も文を送っていた。でも連波王は応じなかった。


 皓夜は、櫛笥くしげの古着屋の、店主の話を思い出した。店主は、争いに首を突っ込まず、自国を守った連波は賢い国だと言っていたのだ。

 仲良くしていた国を見捨てた連波はひどい、負けた飛迎がかわいそうと言ったいちたかに、由良は言っていた。誇りを持って散った飛迎のひとびとは、かわいそうなどではない。


 由良は少ない供と王宮から逃がされた。しかし山の中を進んでいたとき、桜雲の兵に出くわす。ただの旅人を装っていたが怪しまれた。見抜かれていた。桜雲の旗印を目の前に由良が呆然としていると、一緒にいた侍女が桜雲兵に言い放ったのだと由良は話した。


 わたしが飛迎王の娘だ。

 もはや逃げも隠れもしない。

 ただし代わりに、この者たちに触れることは許さぬ。


 それはわたしが言わなければならないことでした、と由良は笑みを含んだ声で言った。

「そのひとは、綾目あやめという十六の女の子です。わたしよりもひとつ年下で、かわいらしくて、妹のように思っていたのです。王宮を出てからとてもおびえていて、守らなければと思っていたのです、わたしが。でもまったくできませんでした、反対でした」


 めったに外に出ることのない、王女の顔を知る者などひと握りだ。綾目が本物の王女ではないことなど、桜雲兵にはわからない。綾目は桜雲兵に歩み寄っていった。

 姫君のお覚悟に免じて、と桜雲兵は綾目に短刀を渡した。普通ならとらえて連れ帰るだろう。でもそれでは、王女は屈辱を受けることになってしまう。桜雲方は「飛迎の王女」の気高さに感服し、名誉ある死の機会を与えた。

 由良は、できなかった。国を滅ぼした仇のもとへ、死へ、まっすぐに飛び込んでいく綾目を止めることもできず、王女はわたしだと、名乗り出ることもできなかった。

 そんな由良の身体を、護衛のひとりがそっと押した。その先は斜面だった。由良はそこを転げ落ちて、泥にはまって。己がどこにいるのかわからなくなった。

 臣たちは、桜雲に助命されるつもりはなかったのだ。由良はわかっていた。見つかった時点で、みんなそこで果てるつもりだったのだ。守るべき「王女」が目の前で死に、それでも護衛や「侍女」が生き残っては怪しまれるかもしれない。だから「王女」のあとを追う。由良のことだけ、逃がそうとした。由良はわかっていた。


 滑り落ちた斜面は、ひどくぬかるんでのぼれなかった。

 でもこのままでは、みんな死んでしまう。ひとりだけ、生き残ってしまう。

 由良はなんとか戻ろうとした。でもいくらがんばっても、ぬるぬると動く斜面をのぼれなかった。回り込もうと歩いても、もとの場所には帰れなかった。

 それからは桜雲兵に会わなかった。歩き続けて、朝が来て夜になって、また朝が来た。そして由良は、山の上で桜雲の軍がひいていくのを見た。


「斜面の下に落ちたあとは、本当に、みなのところに戻ろうとしているのだと思っていたのですが」

 由良は首を傾けた。黒髪がさらりと、肩を流れて落ちて揺れ動く。

「本当は、戻る気は、なかったのだなと。本当はほっとしたのです。正当な言い訳が見つかった気がしてほっとした。落ちたから、滑ってのぼれないから、逃がしてくれたのだからと。だから綾目を身代わりにして、みなを放っておいて、ひとりだけ助かってもしかたないと、己も知らないうちに考えていたのだと思います。それに気がついたときには、もうひどい気分でしたけれど」

 由良は垂れた髪の束を背中に払った。

「でももうだいじょうぶです」

 そのとき、いちたかが由良に飛びついた。由良が目を見張って、困ったように笑う。

「いちたかさん?」

「すごく怖かったよね由良姉ちゃん。つらいよ、かなしいよ。ほんとにだいじょうぶ?」

 由良の首にしがみついたいちたかが、不安そうに聞く。由良はゆるく目を閉じてうなずいた。

「ええ、だいじょうぶです。いまは、きっとみな、わたしがいきることを望んでくれていたのだと思えます」

「そっか……」

 いちたかがほっとしたように由良から離れた。 

「そうだよ由良姉ちゃん。生きてなかったら会えなかったもん。おれそんなのいやだよ。なみなみに行って、おじいちゃんにお母さんの櫛を渡すんだよね。絶対できるよ。皓夜兄ちゃんと、おれがいるからね」

 いちたかが胸を張る。由良はまぶたを上げて微笑んだ。

「そうですね。そう思います。連波ですけれどね」

「うんわかった。でね、それができたら、由良姉ちゃんはもうすっごくだいじょうぶだよ」

 いちたかは力強く言い切った。

「ありがとう」

 由良がささやくような声で言う。

 そんな由良を、皓夜は呼んでいた。由良がどうしたのかというように目を大きくする。でも、覚えず声が出ていたから、呼んだくせに続きが何も出てこない。皓夜は焦った。

「でさ、どうするの?」

 皓夜が何も言えずにいると、いちたかがたずねた。

「え……?」

 目を丸める由良をまっすぐ見て、問いを重ねる。

「なみつらのおじいちゃんに櫛を渡したら、由良姉ちゃんどうするの?」

 「飛迎の王女」は死んだ。だからそのあとどうするかは、由良の自由のはずだ。

「連波ですよ」

 由良はちゃんと訂正してから、にこりと笑った。

「連波の祖父のもとで暮らします」

 いちたかがすっと短く息を吸った。

「わたしを連波にかくまうという話は、通ったと母が言っていて。母はわたしを連波に向かわせるために、櫛を渡してきたのだと思います」

 由良は胸元にとんと手を置いた。そのあたりに螺鈿の櫛が入っているのだろう。

「もういないひとたちのぶんも、連波でいきていこうと思います」

 肩をすぼめて笑う。いちたかが、ぽつりとつぶやいた。

「じゃあ名無しの一座は、もう少しのあいだだけなんだね」

 それを聞いた由良が首を傾げる。

「あなたと皓夜さんがいるではないですか。おふたりはどうなさるのですか?」

「おれは、かっこいいひとになるの。それであの子に会いに行って、もう一回すきだって言う」

「そうでしょう。皓夜さんは?」

 明るくて、明るすぎるような目で問われて、返事が遅れる。

「……おれは、笛を吹いて旅を続けるつもりです」

 由良はうれしそうに満足そうに、笑った。そして急にあっと声を上げる。

「お粥が冷めてしまいましたね! すみません! わたしの話を聞いていただいているあいだに……」

「いいよ、由良姉ちゃん。おれはこのくらいがちょうどいいよ」

「本当に、やさしいのですね……。あっ、鍋の中は?」

 残り少ないが、おこげでぱりぱりだった。

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