三十 亀と蜉蝣
木や落ち葉を集めて火を焚いた。
火をまたいだ五徳の上で、黒い鍋が湯気を立てている。
小さな蓋が、ふつふつとわいてくる小さな泡に持ち上げられていた。
焚火を囲んで、鍋を見つめている。
鍋の中でとろみのついた米がふくふくと動いている。そこに味噌をとかし込んでまぜる。
碗によそって、一鷹に渡した。
「わあうまそう」
一鷹が目を輝かせる。
鍋の蓋を裏返してそこにも粥をのせようとする。椀はひとつしかない。すると
「あの、ありますよ」
由良は少し恥ずかしそうに言いながら、
取り出したのは、木の椀と匙だった。ふたつずつある。
「おふたりに使ってほしくて。買ってしまいました」
由良は下を向いたまま重なった椀と匙を隣の一鷹に渡している。
そんなものを買っていたなんて知らなかった。
「ありがとう由良姉ちゃん」
一鷹と由良が持っていたものを交換する。
皓夜も一鷹から椀と匙を受け取った。
さらりとなめらかな感触がした。
「今度お粥を作るとき、お椀が足りないと思って。そのお椀がなんだかかわいらしかったので」
由良は粥が入った椀を見つめて言った。
思わず笑みが零れた。
「ありがとうございます。確かに必要ですよね」
顔をあげた由良に皓夜は言った。
「じゃあこれで、いただくことにします」
新しいふたりぶんの椀に粥をよそう。
「やった、いただきます!」
一鷹がさっそくひとくちめを食べて、目をぱちくりさせた。
「あつっ!」
「急がなくていいから。いっぱいあるから」
「味がわかんないよう」
「お水飲みますか?」
由良が横から瓢箪を差し出す。一鷹は由良が持ったままの瓢箪から、直接水をがぶがぶ飲んでいた。
皓夜は新しい匙で粥をそっとかき混ぜて、顔をあげた。
口の中が落ち着いてきた様子の一鷹に、由良が手拭いを渡している。
皓夜は口を開いた。
「なあ一鷹」
「ふえ?」
一鷹が珍妙な声をあげる。
皓夜は笑って、火をはさんで向かいに座る一鷹の目を見た。
「ひとつ聞くぞ」
きょとんとした様子で、一鷹はうなずく。
「一鷹は、本当におれたちについてきてよかったのか?」
今まで聞けなかったけれど、ちゃんと話したいと思っていたことだった。櫛笥から一鷹を連れ出してきたことは、よかったのだと思える。でも、そのあともずっとついてきて、一鷹は本当によかったのだろうか。
雨が降る中洞穴でした秘密の会合では、結局皓夜だけが話をした。皓夜も、聞いておきたいことはある。一鷹にも、由良にもだ。
見つめると、一鷹は静止。
そしてつぎの瞬間、脳天に雷を落とされたような顔をした。初めて会ったときも同じような顔をしていたことを思い出す。
「えっ……。まだそんなこと……」
そしてぎゅっと眉を寄せ、上目遣いに皓夜を見る。
「そんなこと聞くってことはさ……。おれのこと嫌になったの……?」
「違う!」
皓夜は慌てて叫んだ。
「違うよ。おれは、一鷹にはひとりで櫛笥にいてほしくなかったんだ。でも一鷹は、今みたいにふらふら旅するんじゃなくて、もっと落ち着いた暮らしをしたほうがいいんじゃないかって思ったんだよ。だから
一鷹が思い出したのか、ぶすりと頬を膨らませる。
「そうだよ! 皓夜兄ちゃんおれに、一緒に来て、お願い、だめ? とか言ってたのに、おれのこと置いていこうとしたんだよね! おれは一緒に行きたいのに! 燕さんのことは大好きだけど!」
「そんなことがあったのですか?」
由良が声をあげる。そういえば由良は、その話をしているときはまだ隣の部屋で寝ていた。
由良は皓夜に批難の目を向けてくる。
「一鷹さんに聞かないでそんなことをしようとしていたなんて」
「ひどいよね!」
「ええひどいです!」
「そのときもついていきたいよって言ったのに、また聞いてきた!」
「そんな!」
ふたりに責め立てられ、もうごめんなさいと言うしかなくなる。
「……皓夜兄ちゃんはおれのこと心配してくれてるんだよね」
一鷹がわかってるよと言うように微笑んだ。
「でもおれはね、皓夜兄ちゃんと由良姉ちゃんと一緒に行きたいの。三人でふらふら旅するのがいいの。そうしたらゆっくり、かっこよくもなれるっていう気がする」
「そうなのか?」
一鷹はこくりとうなずいた。
「ついてきて、いいことしかなかったよ!」
いきなり仁王立ちになって宣言し、そしてふと、八つの子には似合わないような、憂いを帯びた笑みを浮かべた。
「あとね、皓夜兄ちゃんと由良姉ちゃんは、父ちゃんとお母さんみたいだって思うの」
一鷹の顔に、焚火の炎が赤い影を落とす。
「皓夜兄ちゃんは強くて優しくてかっこよくてなんか変で、父ちゃんみたいだ。由良姉ちゃんは明るくてきれいで優しくて、お母さんみたい。父ちゃんが、お母さんはそういう人だったっていつも言ってたんだ」
皓夜は一鷹を見つめた。強くはないし、優しくもかっこよくもない。なんか変というより、かなり変だ。一鷹が敬愛する父親とは、似ても似つかないと思う。そんな自分に父親を重ねる一鷹が、切なかった。
「だからね、一緒に連れて行ってね。おいてかないで」
一鷹は言った。迷子の子犬みたいに、心細そうに見えた。
「おいてったら嫌だよ」
皓夜はたまらず一鷹のそばに寄って細い身体をぎゅっと抱き込んだ。
一鷹が腕の中でくぐもった声を出す。
「つれてってね。あと、倒れちゃうのも震えちゃうのも怖いから、あんまりしないで」
一鷹は由良が倒れたときも、皓夜の身体が震えていたときも、ひどく怯えていた。
「死んじゃったりしないでね」
「死なないよ」
皓夜は言った。
「死なない。寿命までは。それも結構長いつもりだし」
「うん、長生きしてね」
「そのつもりだよ。自信ある」
図太く生き抜くことに関しては、自信がある。かなり。
皓夜の力強い返事に安心したのか、一鷹はふふっと笑った。
「皓夜兄ちゃんならだいじょうぶそうだね」
やっぱり生きてきてよかったんだなと、思った。
一鷹が由良を見る。
「由良姉ちゃんもだよ。長生きするんだよ」
由良は一鷹の頭を撫でた。
「そうですね。もしできたら」
「由良姉ちゃんならできるよ」
「一鷹さんが言うならそうなのでしょうね」
由良は柔らかに笑っていた。
「一鷹さ、おれは一鷹の父上に一生かなわないけど、一鷹が必要って言ううちはずっと兄ちゃんだから。甘えるんだぞ」
一鷹の背中をさすりながら伝える。
八つでひとりになって、誰にも頼らず生きようとしていた子だ。まったく甘え足りていないと断言できる。今は話し方も幼くなってきたし、じゃれついてくるようになったし、少し甘えてくれているのかなとは思っているのだけれど。
「じゃあずっとね」
一鷹は顔をあげていたずらっぽく笑った。
「ずっと甘えるよおれ。皓夜兄ちゃあぁぁぁぁんって」
「望むところ、よろしく」
「わあっ、かっこいい! ときめく!」
「馬鹿にするな」
皓夜は由良の横に座り、一鷹を抱えあげて胡坐を組んだ足の上に座らせた。
「あったかいねえ」
一鷹が言って、火に手をかざす。
「あたたかいですね」
由良がこたえた。
皓夜は隣の由良を見た。
椀を両手で包み込んだ由良が、戸惑ったような顔をする。
かわいらしくて変なところで大人びていて、まっすぐで素直な一鷹と同じで、由良は大切な旅の仲間だ。だからもっと知りたいと思う。今、聞いておきたいと思う。だって由良の表情がふわりと変わるのを見ただけで、胸騒ぎがしたから。どうしてかなと考えると、やっぱり由良のことを何も聞いていないことが、会ったころから気になっているからだと思う。それに以前よりも、知りたいと思ってしまっている。秘密の会合の続きを勝手に始めたのはそのせいでもあった。
「由良さんにも聞きます」
皓夜が告げると、由良はこくんとうなずいた。
たずねる。
「由良さんはどうして、
椀を包む由良の指先に力がこもった。一鷹が言い出す。
「そうだよね! おれも気になってたの。でも言いたくないなら言わなくていいんじゃないって思ってた」
一鷹は櫛笥でさっそく今の皓夜と同じような質問をしていた。それを受けて、わかりやすく動揺する由良に言っていた。
わかります、人に言えないことって誰にでもあるものだって。
全部さらけ出している人なんていないんです。
「皓夜兄ちゃんってそういうの聞く人なのお」
妙な早熟さを発揮する一鷹に、意外そうに言われる。
たぶん違った。今までは。
「『つまらない好奇心』です」
皓夜は言った。
「無理にとは言わないけど、聞いておきたいと思ってしまって」
由良が目を泳がせる。
「あの、はい」
皓夜はうなずいて続きを待った。これではほとんど強制だ。
「無理して言うことないんだよ、由良姉ちゃん」
一鷹が由良を覗き込んでいる。
「いいえ、そんなに、秘密にするようなことでもないので、この機会に」
そう言う声は心ここにあらずという感じだった。
でも皓夜は待った。
一鷹がぽかんとしていた。
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