二十八 ひとり言とみたま

 木々に囲まれた広場。

 ところどころ草の生えた、砂地の平たい土地。

 初めて来た場所のような気がした。でも、確かに覚えている場所だった。

 芒村すすきむらに着いた。

 羽衣座はごろもざが最後の公演をした広場に来た。

 二年ぶりだった。

 二度と来ることはないはずだった。

 誰もいない。

 ゆっくりと見まわして、広場の奥に大きな石が置かれているのを見つける。

 皓夜こうやは広場に足を踏み入れた。

 空気は軽かった。ひっそりと静かなだけで、重苦しくはない。

 近づくにつれて、その石がなんなのかがわかった。

 いびつな山のような形をした石の足元には、花束が置いてあった。竹皮の包みと、水筒もある。

 皓夜は石の前にひざまずいた。

 目を合わせるみたいに、石を見つめる。

 自然そのままのような形の石は、ああ来たのかと迎えてくれているみたいだった。

 そっと手を伸ばして、触れた。

 ざらざらしてごつごつして、少しひんやりしている。

 目を閉じると、周りの空気に意識がとろりととけだしていく気がした。


 来たよ。

 来ました。

 二年かかりました。

 もう来ないって思ってた。

 来ようなんて思ったこともなかった。

 でも来てしまったよ。

 言いたいことがあるんだ。

 おれは。


 引き寄せられるように、もう片方の手も伸ばす。

 

 みんなは本当にきれいだ。

 さいごのときまで気高かった。

 本当に、きれいだ。

 おれはそうはできなかったよ。

 だからひとりで逃げてしまった。

 それはおれのやり方で、恥ずかしいことではないって思ってた。

 でも、それでよかったとは思えなかった。

 汚れてるって思った。

 頭おかしいって。

 でも、よかったって今は言える。

 それを選んだから、会いたかった人たちに会えたんだって思う。

 

 石に触れていると、わだかまってくすぶっていたものが少しずつ、はっきりと姿を現し始めた。

 

 みんなが間違ってたんじゃない。

 おれも間違ってたんじゃない。


 だけど、みんなにも。

 逃げ出してほしかった。

 生きててほしかった。

 おれは何も見てない。

 何も見てないけど、もし、町でばらまかれてたあの絵が本当だったら。

 みんなさいごは。

 鹿倉かぐらさん、戦ったんだよね。

 みんなを死なせたくなくて、かばおうとしたんだよね。

 いちばんあいつらの近くで、倒れてた。

 澪木みおぎさんも、抗ったんだよね。

 大事な、大事な琵琶がずたずたになるくらい。

 うしろのふたりのためだよね。

 まどかさんも、つらかったんじゃないのかな。

 どんどんみんなが血まみれになって、怖かったよね。

 誰もきっと、圓さんもきっと、後悔なんてしてないけど、圓さんは苦しかったんじゃないのかな。みんなのことを守るって、あんなにまっすぐ言ってた人だから。

 はやて

 ずっと守りたくて、でも守れないって。

 今まで守らなきゃいけなかった人を誰も守れなかったからって。

 でも守りたいって。

 身の丈に合わないことを願ってる自分なんかいなくなれって。

 自分を殺してた。

 守れなかったっていう罪悪感で自分のことがんじがらめにして、絶対逃げないって決めてた。苦しいのに、なんかそれに安心してるみたいだった。

 気づいてた。

 わかってたのに、何もできなかった。

 逃げろって言ってやれなかった。

 おれが逃げること、いいんだって思えてなかったから。

 にげるにげるっていいながら、それでいい、そうしなきゃいけないっておれが思えてなかったから。

 だから言えなかった。

 今はそれがわかる。

 でも颯、圓さんを守ろうとしてたんだよな。

 さいごのさいごで。




 なんで?

 なんで最期の最期なんだ?

 おまえなら守ってやれたのに。

 ずっと守ってやれたのに。

 強くて優しいのはおまえなのに。

 なんでそこで死んだんだ?

 みんななんで?

 六花座りっかざに膝折って芸をやめたって。

 鹿倉さんの穏やかさで生きる荷物が軽くなる人がいたはずなのに。

 澪木さんのかっこよさで救われる人がいたはずなのに。

 圓さんの自由さで笑顔になれる人がいたはずなのに。

 颯の強さと優しさで、守られなきゃいけない人はまだまだいたはずなのに。

 なんで死んだの?

 なんで逃げなかったの?

 逃げないなら、なんで最期に戦おうとしたの?

 守ろうとしたの。

 守りたいなら逃げなきゃいけなかったのに。

 おれがみんなを連れて行けばよかったんだよね。

 おれがひとりで逃げなきゃよかった。

 言い訳だけど、あのときのみんなには何を言っても無駄だってわかってしまって。

 あんまりきれいだったから。

 きれいすぎたから。

 だからひとりで逃げた。

 でも本当は、少しは、ほんの少しだけは、みんなも逃げたかった?

 連れて行ってくれって思ってた?

 連れて行けなくて、ごめん。

 ひとりで行ってごめん。

 生きなきゃと思ったんだ。


 今は、生きたいと思ってる。

 おれは今、元気でしあわせだ。


 みんなもそうなるはずだった。

 それが続くはずだった。

 でも、そうしなかった。

 そうさせられなかったんだなって、思う。

 おれがそうさせられたかもしれないのにって思う。


 だからなおさら、逃げたことをよかったって認められなくなってたんだと、今は思う。

 でもずっとそんな感じだったら、まずい気もして。

 いつまでくよくよしてるんだって。

 元気でしあわせなのに、なぜしっかり享受しないのかしらって。

 何迷ってるのかわかんないよって。

 おまえたまにめんどくさいよなって。

 みんな言うかもなっていう気がしてる。

 都合がよすぎるかもしれないけど、絶対そうだろうなって思う。

 元気でしあわせだよ。

 これからはもう、自分のことも認めてやる。

 誰かが逃げることも迷わず肯定する。

 そうしないといけないんだって教える。

 早くそこから逃げろって。

 そこにいたら死ぬぞって教える。

 おれが逃がす。

 きっとちゃんと逃がす。

 そうするから。

 

 目を開ける。さっきと何も変わらない景色が見える。

 そっと石から手を離す。

 「皓夜兄ちゃん」

 振り返ると、一鷹いちたかが少し後ろに立っていた。由良ゆらもそこにいた。

 一鷹の手には花が四輪握られていた。

 淡い紅の、撫子だった。そっと皓夜に渡してくれる。

 皓夜はその可憐な花たちを受け取って、石の前に置いた。

 ふたりが皓夜のうしろにしゃがんで、手を合わせてくれる。

 皓夜はもう一度石に触れて、そっと撫でた。

 ざらざらして、ごつごつして、ひんやりしていた。

 それでもいいと思った。

 「うきよはうきよ」

 ふと、水の流れのような声が小さくつぶやいた。

 振り向くと、由良は目を閉じていた。

 歌いだす。


 浮世は憂き世

 浮世は憂き世

 浮世は憂き世

 光るみたまを連れて行く

 光るみたまを連れて行く

 浮世に遺るは燃え残り

 燃え残り

 光るみたまはよみがえる

 幾度幾度とよみがえる

 そうといえども浮世は憂き世

 光るみたまを連れて行く

 光るみたまを連れて行く


 それは三年前にはやった曲だった。

 羽衣座でも演奏していたものだ。

 皓夜が初めに吹けるようになった三曲の中のひとつ。

 誰が言い出したのかわからないどことなく陰気な歌詞だけれど、調べは朗らかな曲。

 でも由良の澄み切った声で紡がれるそれは、その場の空気を集めてそっと抱きしめるように穏やかで落ち着いていた。

 もういない人たちを静かに思い出すようだった。

 寂しくて、はかなげだった。

 一鷹が皓夜の隣に来て、真剣な表情で石を撫で始めた。

 皓夜は腰の袋から笛を取り出した。

 由良の歌にあわせて、笛を吹く。

 空気の中に重なる音がとけていく。

 皓夜が置いた四輪の撫子が風に舞った。

 ふわりと浮かび上がって、くるくる回って、一緒に飛んでいく。

 空に吸い込まれていく。

 きれいだ、と思った。

 薄紅の花は見えなくなった。

 曲が終わる。

 皓夜はふっと息を吐いた。

 吹き抜ける涼しい風に、さらさらと木の葉がささやいている。

 夏の色より少し柔らかな青の、空が見える。

 秋なのだと、感じる。

 みんながむかえるはずだった、秋なのだということが、身に染みる。

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