二十  嘘と約束

 「だいじょうぶ? 気持ち悪くなった?」

 声をかけられて顔をあげる。

 まどかが心配そうに見ていた。

 「無理して話さなくていいよ」

 鹿倉かぐらも言った。

 「そだね。まず飯食ったら」

 はやてが雑炊の椀を押し付けてくる。受け取ると、ずっしりとあたたかい重さを感じた。

 皓夜こうやは、澪木みおぎの問いにわかりませんとこたえてから、ずっとうつむいて黙りこくっていたらしい。

 「ごめんなさいね。少し踏み込みすぎたみたい」

 澪木が言う。皓夜は首を振った。

 「いえ、話の途中なのに考えごとをしてしまってすみません」

 「いいえ。わたしたちはこの国に来たばかりだから知らないのだけれど、いろいろとあったみたいね」

 澪木が肩をすくめる。

 皓夜は返事ができなかった。

 「来たばっかりなのに圓は、あのおっさんに気に入られまくってるけどね」

 茶化した颯は、圓に横っ面をはられた。

 「皓夜」

 急に呼ばれて、はっとして澪木を見る。

 「きみ、見たところだと、いろいろ事情があって帰るところがないのね」

 帰るところ。ないわけではないけれど。

 「陛下は圓のおねだりで、圓にきみをくださったわ。きみは今、圓のものということになっているの」

 圓が、なんか人聞きが悪いなあと渋い顔をしている。どうもあの魔性ぶりは、演技だったらしい。

 「でも陛下は、あまり納得はされていないようだった。陛下の気が変わって、きみ、また捜されてしまうかもしれないわ。だからどう? 本当に圓のものにならないかしら?」

 「ちょっと澪木さん何言って」

 慌てる圓を、鹿倉が制する。澪木はさらっとした笑みを浮かべた。

 「本当に圓のものになれば、陛下も手出しができないと思うの。わたしたちも、かわいい座長さまのものならみんな歓迎するしね。今日の処刑の盛り上げ役が、出穂いずほでの最後の仕事だったのよ。だからこのままきみを連れて、どこへでも行けるわ」

 皓夜は澪木を見つめた。

 確かに、皓夜のこたえを聞いていない王は納得していないだろう。きっと皓夜を捜す。

 このまま屋敷に戻って留里るりと合流すると、留里の家に迷惑をかけるかもしれない。父と兄が死んで捨て置かれた子を家に置くのと、王の命令に従わないまま去った者をかくまうのとでは意味が違う。

 自分をかくまった留里たちに累が及ぶのは嫌だった。

 「圓のものというのは言葉遊びみたいなものだけれど。来ないかしら? 羽衣座はごろもざに」

 羽衣座。

 その名は、聞いたことがあった。

 行く先々で人々を魅了してやまない旅芸人の一座。

 今や臥竜がりょうじゅうで名が知れている。

 この四人が、羽衣座なのだ。

 「なかなかおもしろいわよ。旅をして、芸を見せて、稼いでね。たまに妙なやつに出くわすけれど。どこぞの王さまみたいなね」

 澪木の言葉に、鹿倉がふきだした。

 「いいじゃん」

 颯が皓夜の肩を叩いた。

 「おれ弟いたからさ。懐かしいよ」

 「えっ何言ってるの颯。皓夜はどう見てもあんたより年上でしょ」

 圓が両手で口を覆っている。

 「えっ何? 皓夜おまえいくつ?」

 目をむいた颯に聞かれてこたえる。

 「十四です」

 「同い年っ!」

 颯が地面を殴った。圓がけらけらと笑う。

 「同い年なのも信じられない! 皓夜のほうが比べられないくらい落ち着いてて男前!」

 「黙れ絶世の美女!」

 「ありがと平凡!」

 「平凡がいちばんなの知ってる?」

 仲がいいな、と思った。

 なんだかんだとやり合う颯と圓を、鹿倉と澪木があきれたように見守っている。

 いいな、と思った。ささくれていた心が癒される気がした。

 「……でもわたしは、芸事はさっぱりです」

 そんな言葉が零れ落ちて、驚いてしまった。取り消したくなった。

 まるで仲間にしてもらうことが前提みたいな言い草だ。唇をかむ。

 でも、それでもいいんじゃないかとも思った。

 いちばん大事なのは、自分だから。

 自分の思うように、いちばん安全なところに、逃げてもいいんじゃないか。

 圓が言う。

 「だいじょうぶだよ、芸事さっぱりでも、みっちり仕込むから! 颯だって最初は、なんにもできなかったんだよ!」

 「それが今や羽衣座に欠かせない太鼓奏者となっている!」

 颯が胸を張る。それに関して圓はつっこまなかったし、鹿倉はうれしそうにうなずいていた。皓夜は自分もそうなろうと思った。でも。

 「芸事だけではなくて、わたしは本当になんの役にも立ちません」

 皓夜は口走っていた。

 自分の言葉にはっとする。

 それは本当のことだ。なんの役にも立たない。

 誰ひとり、つなぎとめられなかった。

 この世に。

 そう、誰も。

 そして逃げようとしている。

 何ともたたかわないで、ひとりだけ。


 「嘘言わないで」

 急に圓に手を取られる。

 「なんの役にも立たないなんてのは嘘。だってわたしもそう思ってたから。でもそうじゃなかったんだ」

 圓は皓夜の手を両手でぎゅっと握って、小さな子供のように無垢な笑顔で言った。

 「皓夜はもうわたしのものだよ。それと座長の命令。羽衣座の、皓夜になって!」

 「あとおれの弟になって!」

 颯が割り込んでくる。

 「笛の仲間がほしいなあ」

 鹿倉が控えめに言ってくれる。

 「一緒に行こうか、皓夜」

 さらりと言う澪木はかなり男前だった。

 なぜか前触れもなく涙が零れてきて、圓と颯が大慌てして、返事はうやむやになった。

 だから皓夜はいつの間にか、羽衣座の皓夜になっていた。




***




 羽衣座に入って、驚いたことはいろいろあった。

 稼ぎがいいのにほとんど野宿をしていることとか、その理由が節約ではなくてわくわくするからだとか、たまに心配になるくらい豪遊することとか。

 あと、圓は年上だった。十七らしい。見た目は整いきって大人びて見えるが、話し方や行動が幼い印象なので同じくらいか年下だと思っていたのだけれど。

 二十八だった鹿倉と、十四の同い年だった颯は予想通りで、年齢不詳だった澪木はあっさりと三十五だと教えてくれた。歳を聞いてもそうは見えず、あえて言うなら三百歳とか千歳に見える人だ。

 「そろそろ行くかあ」

 鹿倉が木の陰から立ち上がる。

 皓夜も、買ってもらった行李を背負って立ち上がった。


 皓夜が羽衣座に入ってからひと月が経ち、もうすでに出穂からは離れていた。今は隣国美萩野みはぎのの都、於慈佳おじかを目指している。

 出穂を出られてせいせいしたと、みんな言っていた。

 出穂の都の豊乃原とよのはらで舞台をやっていたら圓が、王が好みそうだと側近に見初められて王宮に呼び出されたらしい。それで一応、羽衣座全員で行ったら、ひとめで気に入られてしまったという。圓が。お抱えの楽団にならないかと誘われたのを断って、さっさと退散しようとしていた矢先、処刑のお囃子の仕事が来たそうだ。

 冗談じゃないと断ろうとしたが、そんな馬鹿にしたことを頼んでくる王をぎゃふんと言わせようと決め、わざと引き受けたという。圓が鼻息荒く話してくれた。


 皓夜は今、笛の練習をしている。

 鹿倉がどうしても笛の仲間が欲しいと言い張り、三人が少し驚いた様子で引き下がったので、皓夜は笛を教えてもらうことになったのだ。鹿倉が何かを言い出して聞かないというのは、珍しいことだったらしい。

 笛など吹いたことがなかったが、鹿倉の予備の笛で挑戦させてもらった。初めて音を出してみた瞬間、鹿倉がいきなり地面に突っ伏した。

 ぎょっとしてどうしたのかと駆け寄ると、もう教えることありません。と言われた。

 それは軽い冗談だったが、筋がいいらしい。

 もう音が全部出せるようになった。しかしまだ演奏には参加できないので、準備や片づけを手伝っている。


 「ねえ、於慈佳には、広い萩畑があるって聞いた! 見てみたい!」

 圓が声を弾ませる。

 「そうね。でも美萩野は広いしゆっくり回るからね。於慈佳まではまだまだかかるわよ」

 澪木が布で包んだ琵琶を抱えながら言う。

 圓が頬を膨らませた。

 「じゃあ萩畑見られないの?」

 「萩ならその辺に咲いてるじゃん、見ろよそこ」

 太鼓を背負った颯に言われ、圓は膨らんだ頬をつぶして首を振る。

 「知ってるよ。でもそんなのほかのところにもあるもん。いっぱいの花が見たいの」

 ふうん、と颯は肩をすくめる。

 「じゃあ今年は無理だけど、来年のを見ればいいんじゃねえの」

 それを聞いた途端、圓が満開の笑顔になった。

 「そうか、そうだね! 楽しみだね!」

 颯は仕方ないなとあきれるような、でもいとおしそうな笑みを浮かべていた。颯は意外とときどき、こういう顔をする。

 それを見るたびに、皓夜は兄を思い出した。

 「じゃあちょうど次の秋に於慈佳に着くように、もっとゆっくり回るか? 皓夜の修業もしないといけないし」

 鹿倉が言った。皓夜は背筋を伸ばした。

 「そうね。於慈佳では、五人になったこの上なくやんごとない羽衣座を披露できるようにしましょうか」

 澪木が言う。皓夜は口を引き結んでうなずいた。鹿倉が眉を下げて笑って、颯が背中を叩いてくれて、圓は目を輝かせていた。みんなで歩き出す。

 茂みの中に、赤みを帯びた紫の可憐な萩の花が咲いている。

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