二十 嘘と約束
「だいじょうぶ? 気持ち悪くなった?」
声をかけられて顔を上げる。
「無理して話さなくていいよ」
「そだね。まず飯食ったら」
「ごめんなさいね。少し踏み込みすぎたみたい」
澪木が言う。
「いえ、話の途中なのに考えごとをしてしまって、すみません」
「いいえ。わたしたちはこの国に来たばかりだから知らないのだけれど、いろいろとあったみたいね」
澪木が肩をすくめる。皓夜は返事ができなかった。
「来たばっかりなのに圓は、あのおっさんに気に入られまくってるけどな」
茶化した颯は、圓に頬をはられた。
「皓夜」
急に呼ばれて、はっとして澪木を見る。澪木は言った。
「きみ、見たところだと、いろいろ事情があって帰るところがないのね」
帰るところ。ないわけではないのかもしれないが。
「陛下は圓のおねだりで、圓にきみをくださったわ。きみはいま、圓のものということになっているの」
圓が、なんかひと聞きが悪いなあと渋い顔をしている。どうもあの魔性ぶりは、演技だったらしい。
澪木はさらっとした笑みを浮かべた。
「このまま圓のものでいれば、もう陛下は手出しができないと思うの。わたしたちも、かわいい座長さまのものならみんな歓迎するしね。今日の処刑の盛り上げ役が、
皓夜は澪木を見つめた。
もしこのまま屋敷に戻って
「圓のものというのは言葉遊びみたいなものだけれど。わたしたちと、一緒に来ないかしら? 入らないかしら、
羽衣座。
その名前は、聞いたことがあった。行く先々でひとびとを魅了してやまない旅芸人の一座。いまや
「なかなかおもしろいわよ。旅をして、芸を見せて、稼いでね。たまに妙なやつに出くわすけれど。どこぞの王さまみたいなね」
澪木の言葉に、鹿倉がふきだした。
「いいじゃん」
颯が皓夜の肩を叩いた。
「おれ弟いたからさ。懐かしいよ」
「えっ何言ってるの颯。皓夜はどう見てもあんたより年上でしょ」
圓が両手で口を覆っている。颯が目をむいた。
「えっ何? 皓夜おまえいくつ?」
「十四です」
「同い年っ!」
颯が地面を殴った。圓がけらけらと笑う。
「同い年なのも信じられない! 皓夜のほうが比べられないくらい落ち着いてて男前!」
「黙れ絶世の美女!」
「ありがと平凡!」
「平凡がいちばんなの知ってる?」
仲がいいな、と思った。なんだかんだとやり合う颯と圓を、鹿倉と澪木があきれたように見守っている。いいな、と思った。ささくれていた心が癒される気がした。
「でもわたしは、芸事はさっぱりです」
そんな言葉がこぼれ落ちて、驚いてしまった。取り消したくなった。まるで仲間にしてもらうことが前提みたいな言い草だ。
圓が言った。
「だいじょうぶだよ、芸事さっぱりでも、みっちり仕込むから! 颯だって最初は、なんにもできなかったんだよ!」
「それがいまや羽衣座に欠かせない太鼓奏者となっている!」
颯が胸を張る。それに関して圓はつっこまなかったし、鹿倉はうれしそうにうなずいていた。そうなれたらいいのにと淡く願った。でも。
「でも、芸事だけではなくて、わたしは本当になんの役にも立ちません」
皓夜は口走っていた。己の言葉にはっとする。そうだ。なんの役にも、立たない。逃げ出して、生き延びたとしても。本当はそこに意味など、ない。
「嘘言わないで」
急に圓に手を取られる。
「なんの役にも立たないなんてのは嘘。だってわたしもそう思ってたから。でもそうじゃなかったんだ」
圓は皓夜の手を両手でぎゅっと握って、小さな子供のように無垢な笑顔で言った。
「皓夜はもうわたしのものだよ。だからあのね、これは命令だよ。羽衣座の、皓夜になって!」
「あとおれの弟になって!」
颯が割り込んでくる。
「笛の仲間がほしいなあ」
鹿倉が控えめに言ってくれる。
「一緒に行こうか、皓夜」
さらりと言う澪木はかなり男前だった。
なぜか前触れもなく涙がこぼれてきて、圓と颯が大慌てして、返事はうやむやになった。だから皓夜はいつの間にか、羽衣座の皓夜になっていた。
***
羽衣座に入って驚いたことはいろいろあった。諸国をめぐっていると間諜のような仕事を頼まれることがあるらしいが、面倒なので、何を積まれても断っているようなのだ。しかし稼ぐと、心配になるくらい豪遊することがある。
あと、圓は年上だった。十七らしい。見た目は整いきって大人びて見えるが、話し方や行動が幼い印象なので同じくらいか年下だと思っていたのだが。
二十八だった鹿倉と、十四の同い年だった颯は予想通りで、年齢不詳だった澪木はあっさりと三十五だと教えてくれた。年を聞いてもそうは見えず、あえて言うなら三百歳とか千歳に見えるひとだ。
「そろそろ行くかあ」
鹿倉が木の陰から立ち上がる。皓夜も、買ってもらった行李を背負って立ち上がった。
皓夜が羽衣座に入ってからひと月が経ち、もうすでに出穂からは離れていた。いまは隣国
出穂を出られてせいせいしたと、みんな言っていた。出穂の都の
冗談じゃないと断ろうとしたが、そんな馬鹿にしたことを頼んでくる王をぎゃふんと言わせようと決め、わざと引き受けたという。圓が鼻息荒く話してくれた。
皓夜はいま、笛の練習をしている。鹿倉がどうしても笛の仲間が欲しいと言い張り、三人が少し驚いた様子で引き下がったので、皓夜は笛を教えてもらうことになったのだ。鹿倉が何かを言い出して聞かないというのは、珍しいことだったらしい。
笛など吹いたことはなかったが、鹿倉の予備の笛で挑戦させてもらった。はじめて音を出してみた瞬間、鹿倉がいきなり地面に突っ伏した。ぎょっとしてどうしたのかと駆け寄ると、もう教えることありません。と言われた。
それは軽い冗談だったが、筋がいいらしい。もう音が全部出せるようになった。しかしまだ演奏には参加できないので、準備や片づけを手伝っている。
「ねえ、於慈佳には、広い萩畑があるって聞いた! 見てみたい!」
圓が声を弾ませる。
「そうね。でも美萩野は広いしゆっくり回るからね。於慈佳まではまだまだかかるわよ」
澪木が布で包んだ琵琶を抱えながら言う。圓が頬を膨らませた。
「じゃあ萩畑見られないの?」
「萩ならそのへんに咲いてるじゃん、見ろよそこ」
太鼓を背負った颯に言われ、圓は膨らんだ頬をつぶして首を振る。
「知ってるよ。でもそんなのほかのところにもあるもん。いっぱいの花が見たいの」
ふうん、と颯は肩をすくめる。
「じゃあ今年は無理だけど、来年のを見ればいいんじゃねえの」
それを聞いたとたん、圓が満開の笑顔になった。
「そうか、そうだね! 楽しみだね!」
颯はしかたないなとあきれるような、でもいとおしそうな笑みを浮かべていた。颯は意外とときどき、こういう顔をする。それを見るたびに、皓夜は兄を思い出した。
「じゃあちょうどつぎの秋に於慈佳に着くように、もっとゆっくり回るか? 皓夜の修業もしないといけないし」
鹿倉が言った。皓夜は背筋を伸ばした。
「そうね。於慈佳では、五人になったこの上なくやんごとない羽衣座を披露できるようにしましょうか」
澪木が言う。皓夜は口を引き結んでうなずいた。鹿倉が眉を下げて笑って、颯が背中を叩いてくれて、圓は目を輝かせていた。みんなで歩き出す。
茂みの中に、赤みを帯びた紫の、可憐な萩の花が咲いている。
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