十六  偽物と「本物」

 なだらかな山道を、歩いていく。空は良く晴れていて、風もさわやかで心地よい。今朝、玉村たまむらを出てきた。もうずいぶんと離れている。村を出るときは、えん小鈴こすずだけでなく、たくさんの人が見送ってくれた。その中には、もちろんしょうもいた。

 燕にお礼の金子を渡そうとすると、そんなことしたらもううちにいれないよ、とぴしゃりと断られた。それは寂しい言葉だったから、つい手を引っ込めてしまった。

 由良ゆらと小鈴は抱き合って別れを惜しんでいた。そんな小鈴に、一鷹いちたかが手招きした。

 怪訝そうな顔をしながらも目の前に来てくれた小鈴をまっすぐ見て、一鷹は言った。

 『おれ、きみのことが好きだ。かわいくて気が強くて、優しいから。おれ、今はおちびさんだけど、かっこいい人になったらまた会いに来るから、待っててくれる?』

 その言葉に村の人々は静まり返り、口を覆ってお互いをぺしぺしと叩き合い始めた。皓夜こうやも驚いた。でも、自分の思いを伝えた一鷹は凛々しく見えて、なんだか誇らしくもあった。

 小鈴は目を見開いて一鷹を見ていた。

 恥ずかしがってきょろきょろすることもなく、まっすぐ一鷹を見つめ返していた。かっこいい子だなと、皓夜も思った。

 『待たないよ』

 小鈴はきっぱりとこたえた。周囲が衝撃を受けながらも見守る中、小鈴は続けた。

 『わたしも負けたくないから』

 一鷹くんに、と付け加えた小鈴の頬にはほんのり赤みがさしていて、また村の人たちがお互いをべしべしとやりだした。とりあえず、悪い返事ではなさそうだったので皓夜はほっとした。

 皓夜は笙に手招きされた。

 『おれは愛の告白じゃないよ』

 前置きしてから、笙は言った。

 『皓夜も、後悔しないようにな。きみはどうしようもない感じだけど、たぶんやるときはやれるだろ』

 思わず、ん、と聞き返すと、笙は皓夜の肩をつついた。

 『一鷹にも言おうと思ったけど、あの子は必要なかったみたいだからさ』

 笙はくしゃりと、笑った。それは、顔を歪めているみたいにも見えて。


 離したくなかったら、離したらだめなんだからな。


 おどけたような顔で言われた言葉が、玉村を出てからも頭の中をぐるぐる回っている。

 「皓夜兄ちゃん!」

 声がして、はっと我に返る。

 顔をあげると、前を歩く一鷹と由良の行く手を阻む何かがいた。

 それは身体の大きな男の人だった。袖の破れた、鮮やかな赤の着物を着て、荒縄を帯にしている。黒いひげに覆われた顔をして、眼光鋭い人だった。

 その人は、由良の手を掴んでいた。

 なんだ、あれ。

 皓夜は考える前に駆け寄った。

 「なんだあ?」

 男は皓夜をぎろりとにらみつけてくる。男に手を掴まれた由良は、唇をかみしめてうつむいていた。

 「おまえの連れか?」

 こちらを委縮させようとするような声の出し方だ。皓夜は一鷹と男のあいだに進み出た。

 「はい、おれの連れです」

 男を見据えて、こたえる。手で下がるように合図すると、一鷹があとずさる音が聞こえた。

 「ここを通るには、通行料がいるんだ」

 男は言った。

 「だから払え」

 皓夜は眉をひそめた。ここは関所ではない。通行料など払ういわれはないはずだ。でも、そうやって金儲けをしている者はいる。今までも何度か出会った。面倒なことにならないように、さっさと金を出して退散するのがよい。

 「いくらですか」

 皓夜は聞いた。男の目をじっと見つめる。

 「払いますので、その人を離してください」

 すると男は由良の手を軽くひねった。

 「この娘だ」

 皓夜は男をにらみつけていた。

 「なぜですか。金でじゅうぶんではないですか」

 男が眉を跳ね上げる。

 「生意気言うんじゃねえよ。この娘だって言ってるんだよ」

 男の声がさらに荒くなる。怖くはなかった。度胸はあるほうだと自負しているし、それに皓夜は怒っていた。通行料として人を渡せなど、冗談ではない。本当に、馬鹿は休み休み言ってほしい。両手を握りこみ、落ち着こうと努めながら皓夜はもう一度たずねた。

 「なぜですか」

 「見目がいいからだよ」

 男はにいと笑った。

 「声もいい。歌わせたらさぞ甘美なものだろうなあ」

 「……そうですか」

 「ああ。話がわかるじゃねえか。じゃあもらうよ。羽衣座はごろもざの稼ぎ頭にしてやる」

 それを聞いた途端、皓夜の感情は不思議なくらいすっと凪いだ。行李を背中からおろす。顔をあげるのと同時に、低い声が漏れた。

 「黙れ下衆が」

 男の笑った顔から、温度がさっとなくなる。

 皓夜は男を見上げて、片頬で笑った。

 自分の目が冷めきっていることが、よくわかる。冷たいものが身体の内で渦巻いている。思考はひどく冷静だった。

 おそらく、この男は羽衣座を名乗る一座に雇われた者だろう。通行料をとってその一座の資金にするか、見目だの声だのがいい人がいたら連れてくるように言われているのだ。

 この男に、羽衣座を、語られたくなかった。 

 皓夜は男に一歩、にじり寄った。男の目も、氷のように冷えている。でもそんなことも、どうでもいい。

 「皓夜さん!」

 由良が悲鳴を上げる。その瞬間、男が由良を抱えあげて皓夜に背を向けた。

 横の木々の間から、影が飛び出してくる。

 男が三人。新手らしい。どの男もがたいがいい。

 由良を抱えた男が離れていく。三人が、皓夜の前に立った。一鷹が叫ぶ。

 「由良姉ちゃん……!」

 「一鷹、木にのぼれ」

 有無を言わせぬよう低く命じると、一鷹がすぐにそばの木にとびついた。

 賢い子だ。

 皓夜は三人の男を見た。刀を持っている。

 男たちがそれを抜く前に、皓夜は始めた。

 一歩のうちに中央の男と距離を詰め、みぞおちに拳を入れる。

 男が空気の塊を吐いてあとずさり、刀を取り落とす。

 飛びすさるついでに落ちる刀を足ですくいあげ、手の内に納めた。

 男はしゃがみこんでいる。しばらく動けないだろう。

 「この餓鬼……!」

 刀を抜く音が聞こえ、両側から斬りかかられる。

 柳の葉が揺れるようにかわした皓夜は、右の男の顎を鐺で突き上げた。

 ひっくり返る。

 左に視線を走らせると、左の男は一瞬ひるんだ。その隙に、踏み込む。

 刀を振り下ろそうとする右手を掴み、がら空きの喉に柄の頭を叩きこむ。

 崩れ落ちた男は、喉を押さえてうずくまる。

 後ろから、顎を強打した男が斬りかかってくるので、振り返りざまに首筋を鞘で打った。

 いっときのあいだ静止し、ふらふらとよろけて転んだ。

 ひと呼吸もしないうちに済んだ。

 皓夜は駆けだす。

 助走。

 林の中に入ろうとする男の赤い背中を追って。

 勢いそのまま。

 背のど真ん中に蹴りを見舞った。

 由良を抱えたままつんのめる男。倒れない。

 男が振り返る。

 その背中が沈み込む。

 回し蹴り。

 来る。

 皓夜は身体を傾け、男の軸足に蹴りこんだ。

 つり合いを崩した男が倒れる。

 その肩から由良が落ちる。

 男の無防備な背中に踵を落とし、地面に沈んだその首筋に抜き放った白刃を突き付けた。

 「いけません!」

 由良が叫んだ。

 「おい」

 皓夜は、獣のような目でにらみつけてくる男を、見下ろした。

 「ふざけた真似はもうやめろ」

 「てめえこのやろ……」

 「殺すぞ」

 つぶやく。男が口をつぐんだ。

 「皓夜さん」

 立ち上がった由良が手繰り寄せるように皓夜の手を掴んだ。

 ひやりとした手は、小刻みに震えていた。

 「いけません。殺しては」

 わかっている。

 わかっている。

 脅しただけだ。

 皓夜が由良のほうを見た瞬間、男の足が動いた。皓夜の足をからめとろうとする。それを飛び越え、背中をまたぐ。刀を投げ捨て、腕を掴んでひねりあげた。

 男が痛みに声をあげる。

 由良は言葉を失っていた。

 「動くな。折るぞ、この腕」

 皓夜は言った。

 「おれたちは関係ねえよ! 羽衣座に頼まれただけだ!」

 男がわめく。

 「文句なら羽衣座に言え!」

 羽衣座。

 「わかった。じゃあそいつらに伝えろ」

 男を押さえつける手がしびれる。

 「羽衣座の名を穢すな」

 「わかんねえこと言うんじゃねえ糞餓鬼が!」

 自分はどんな不名誉な呼び方をされたってかまわない。

 でも。

 「羽衣座の名を穢すな」

 その名は、人さらい紛いのことをさせる者たちが名乗っていいものではない。

 あの誇り高い人たちの、名だ。

 「うるせえ。だからおれたちは関係ねえんだよ。なんだよてめえも羽衣座なのか? どうせ偽物だろ。てめえもあいつらと一緒だよ」

 男は言う。

 そうだ。

 もう「本物」は、この世のどこにもいないから。もう二度と、あんな一座は生まれないから。

 「そうだな」

 皓夜は手を緩めた。男は動こうとしなかった。

 男の背から立ち上がり、放り出した刀を拾って鞘に納める。

 男は寝そべったままだった。

 振り返ると、木の上で一鷹がこちらを見ていた。

 木の根元では、三人の男が座り込んでいる。ほかのことにかまう余裕はなさそうだ。

 「一鷹、おりていいぞ」

 一鷹は呆然とした様子でこくりとうなずく。

 皓夜は由良を見た。

 「だいじょうぶですか」

 由良もうなずいた。でも、手がまだ震えていた。

 一鷹が駆け寄ってくる。背中にすがりつかれると思った。でも一鷹は、その直前でぴたりと足を止めた。

 「あの人たち、死んじゃう……?」

 不安げに問うてくる。皓夜は首を振った。

 「死なない。ちょっと殴っただけだから」

 加減はしたし。

 すると一鷹は唇を結び、黙って皓夜に抱きついてきた。いっぱいに広げた腕に、ぎゅっと力が入る。頼られているというよりは抱きしめてくれているような気がして、不思議な気持ちになった。

 由良が男に声をかける。

 「だいじょうぶですか? 気分が悪くはありませんか?」

 男は目を白黒させながらうなずいていた。

 それを見た由良は、今度は三人のほうへ行く。

 「だいじょうぶですか?」

 男たちは顔をあげ、不思議な生き物を見るように由良を眺めている。由良をどうこうしようという気配はもうなかった。

 さらおうとした娘が心から心配そうにしてきたら、何も言えなくなるだろう。殴り飛ばされて懲りているというのもあるかもしれない。

 「あなたたちのしようとしたことは人を馬鹿にしていますが、仕方がなかったのでしょう」

 由良の言葉に、皓夜が喉をやった男がしわがれた声でこたえた。

 「そうだよ。おれたちみたいなならず者はこうやって稼ぐしかねえんだよ。あいつらは、稼ぎ頭になりそうなのを連れて行くと大金積んでくれるからな」

 皓夜はいつ男たちがまた暴れ出してもいいように身構えている。一鷹も皓夜の袖を掴んで、神妙な面持ちで見守っていた。

 それに気づいているのかいないのか、由良は首をかしげる。

 「そうですか。でもあなたたち、腕っぷしが強そうではないですか」

 「そこの細っこい餓鬼に一発入れられておしまいだよ」

 皓夜が最初に殴った男が、地面を見つめながら言う。

 「でも身体が大きくて立派ではないですか。どこかで雇ってもらえるのではないですか。それに、体格だけではないはずです。何か得意なことがあるのでは?」

 「おれたち牢屋からでてきたようなやつらなんだよ」

 顎を突き上げた男がつぶやいた。すると由良が、にこりと微笑んで言った。

 「わたしも同じようなものですよ」

 いつものような素直な笑みだった。

 「でもこれからのことは、これから自分で決められると思います」

 透明な湧き水のような声で紡がれる言葉はまっすぐだった。男たちが黙り込む。

 「きれいごと抜かしやがってよ」

 吐き捨てたのは、それまで倒れていた赤い衣の男だった。

 「おまえさんには関係ねえだろ。おい、行くぞ」

 三人に声をかけ、歩いていく。

 三人は立ち上がり、そのあとを追った。

 由良は黙ってその背中を見送っていた。

 不意に赤い男が振り返る。目が合った。

 「おい、餓鬼」

 男は皓夜をねめつけて言った。

 「あいつらに言いてえことあるんなら、てめえで言えや」

 あいつらというのは、いったいどのくらいいるのだろうか。あの人たちを穢す真似をするような輩は、この臥竜がりょうにどれだけ。

 皓夜はぎゅっとこぶしを握り締めた。

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