十六  薬と刃

 道の両側で、淡黄の旗のように芒が揺れる。その足元には、青みを帯びた紫の花が凛とたたずむ。風が少し強く吹くたび、芒の穂が触れ合ってさわさわと鳴った。それはまるで、小川のせせらぎや潮騒のように聞こえる。潤んだ緑の香りを運んでくる。

 皓夜の少し前を、いちたかと由良ゆらが並んで歩いている。ふたりは何か話をして、くすくすと笑い合っていた。皓夜はそれを見て、ふっと目を細めた。

 玉村たまむらを出て、五日が経っていた。もうずいぶんと離れている。もうすぐ、美萩野みはぎのに入るころだ。

 村を出るときは、えんとこすずだけでなく、たくさんのひとが見送ってくれた。その中には、もちろんしょうもいた。えんにお礼の金子を渡そうとすると、そんなことしたらもううちにいれないよ、とぴしゃりと断られた。それは寂しい言葉だったから、つい手を引っ込めてしまった。

 由良とこすずは抱き合って別れを惜しんでいた。そんなこすずに、いちたかが手招きした。怪訝そうな顔をしながらも目の前に来てくれたこすずをまっすぐ見て、いちたかは言った。

『おれ、きみのことがすきだ』

 その言葉に、その場にいたひとたちは静まり返った。でもいちたかは、ひるまなかった。

『すきなんだ、かわいくてかっこよくて、気が強くて、やさしいから。おれ、いまはおちびさんだけど、かっこいいひとになったらまた会いに来るから、待っててくれる?』

 村のひとたちは、口を覆ってお互いをぺしぺしとたたき合い始めた。皓夜も驚いていた。でも、己の思いを伝えたいちたかは凛々しく見えて、なんだか誇らしくもあった。

 こすずは目をみひらいて、いちたかを見ていた。恥ずかしがってきょろきょろすることもなく、まっすぐいちたかを見つめ返していた。かっこいい子だなと、皓夜も思った。

『待たないよ』

 こすずはきっぱりとこたえた。周囲が衝撃を受けながらも見守る中、こすずは続けた。

『わたしも負けたくないから』

 いちたかくんに、と付け加えたこすずの頬にはほんのり赤みがさしていて、また村のひとたちがお互いをべしべしとやりだした。とりあえず、悪い返事ではなさそうだったので皓夜はほっとした。

 そのあと、また来いよ、待ってるよと言われて発った。とてもあたたかい、村だった。

 ふいに、額にこつんと何かがぶつかる。蝿が慌てたように目の前を横切っていった。間違えて突進してきたようだ。前を向くと、由良といちたかのそばに誰かがいるのが見えた。ふたりの男性だ。木箱を背負った旅姿をしている。ひとりは身体が大きく、もうひとりは小柄だ。

 いままで、まわりにひとはいなかった。ぼんやりしているうちに、いつの間にか追い抜かれていたのかもしれない。男性ふたりを含め、四人で何か、楽しそうにお喋りしている。

「おふたりは、薬師さんなのですね」

「そうです、臥竜がりょうじゅう旅しているんですよ」

「そうなのですね!」

「もう何周もしているんです」

「えっうそっ? すごいね!」 

 皓夜は四人をうしろから眺めていた。

「ところであなたたちは、どこから来たのですか? これからどちらへ?」

「少し前に、古扇ふるおうぎの玉村というところを出てきました。いま向かっているのは美萩野みはぎのです」

「おふたりで?」

「違うよ」

 いちたかがすぐに首を振った。くるりと振り返る。

「兄ちゃんが一緒だよ」

 いちたかは皓夜をゆびさして言った。薬師らしいふたりも振り向き、大柄のひとが笑った。

「ああ、やっぱりお連れさんだったんですか」

「お連れさんだよ」

 いちたかがこたえる。皓夜は薬師たちに頭を下げた。するとすぐに、笑顔で返してくれた。

「兄ちゃんも、こっち来なよ」

 小柄なひとが言った。いちたかも手招きしている。皓夜は小走りに四人に追いついた。

 大柄なひとは朔郎さくろう、小柄なひとは八尋やひろと名乗った。いちたかと由良がすぐに打ち解けていたように、皓夜も肩肘張らずに接することができた。ふたりにはそんな、やわらかな空気を感じる。

 ふたりは、常邑とこむらの出身だと言った。常邑は三の島にあり、かつて臥竜がひとつの国だったときに都だった場所だ。昔は臥竜の中心として栄えていたが、いまは、数ある国のひとつになっている。どちらかというと小国という扱いだった。それでも、いにしえの都にあこがれるひとが多いのは間違いない。

「常邑、一度も行ったことがないのです。うつくしい宮殿があると聞いていますけれど、どんなふうなのですか?」

 由良が目を輝かせ、声を華やがせてたずねる。朔郎がすぐさまこたえた。

「本当にすばらしいですよ。それに宮殿だけではありません。昔の都がまだ、そのまま残っていますから。まず門がすごい」

 朔郎が言うと、由良は口を覆う。

「そうなのですね?」

「そうです。たいそう立派な門があります。屋根は二層でまるで城のよう、柱は真紅に塗られてつやつやで、開け放つと、そこから宮殿までどぉんとまっすぐ、大通りが続いています」

「すごいですね!」

「都は、東西南北にいくつも走る通りで、細かく区切られています、ご存じです? その中でも、もっとも太い道がその大通りです。牛車が十台は、並んで通れますね。端から端まで走れば、じゅうぶん鬱憤晴らしになりますよ」

「えぇっ?」

「広すぎない?」

「それだけ広いのは一本だよ」

「へえ……」

「やっぱり常邑は違うのですね……」

 由良がため息をこぼすようにつぶやく。いちたかはかつての都を想像しているのか、ぎゅっと眉を寄せて腕を組んでいた。

「四角い区画の中には、それぞれうつくしい邸宅が建っていますよ。市もあります。そして大通りの先の宮殿ですが、これがまたすばらしくて……」

 皓夜は黙って聞いていた。由良といちたかが楽しそうなので、口を挟んでいいのか迷ってしまう。でも、朔郎の言う常邑は、実際とは違った。

 朔郎は、まったくの嘘を言っているわけではない。でもずいぶんおおげさというか、すごく昔の話というか。

 皓夜は数年前に、兄と常邑に行ったことがある。常邑は、以前のような力はないが古い書物などがそろっているため、勉強しに行ってこいと父が言ったのだ。

 広場のような大通りと、檜皮葺の屋根の宮殿があった。町には屋敷が立ち並び、市も立ってにぎやかだった。でも、その壮麗なはずの真紅の門は、もう色が剥げていた。通りには、咎人のものと言われる生首など平気で並んでいた。

「わたしは一介の薬師ですから、宮殿に入ったことはないのですよ。でも」

 朔郎が言いかけたとき、おい、と八尋が遮った。少しあきれたように笑っている。

「冗談はそのへんにしとけよ」

 八尋はそう言って、ちらりと皓夜を見る。皓夜ははっとして八尋を見返した。すぐに目をそらされてしまった。

「え? 冗談なの?」

 いちたかが朔郎の袖を引っ張って問う。無垢な大きな瞳に見つめられた朔郎は、気持ち肩を落とした。

「……すみません。おふたりが聞き上手なので、つい」

「えぇ?」

 いちたかが裏返った声を上げ、由良がくすりと笑う。

「朔郎さん、からかったのですか?」

「すみません……」

 うなだれている朔郎を見て、八尋はため息をついた。由良に向かって言う。

「悪かったな、こいつ話をすぐ盛るんだよ」

 由良は笑顔のまま首を横に振った。

「いいえ、常邑も、大変だったと聞きます。そんなに立派な状態でなくても、しかたありません」

 朔郎は、恐縮したようにぺこりと頭を下げている。

 五十年ほど前に、都だった常邑で戦が起こり、臥竜じゅうが混乱に陥ったのだ。国がいくつもに分かれて、諍いをするようになった。そしていまに至る。常邑にはまだその戦の名残があり、いまは周辺の国と争っているのだ。

「ほんとのところはどうなの?」

 いちたかにたずねられた八尋が、突然あっと声を上げた。

「坊主、それどうしたんだ?」

「何?」

 八尋がいちたかの腕をとらえる。袖をまくり上げると、数日前に見つけた痣があらわになった。由良が息を飲むのがわかった。八尋は、身体をかたくしている由良に向かって言った。

「これ、痣だよな。治りかけてるけど、ひどい、薬付けたほうがいいぞ」

「そう、ですね」

「おれだいじょうぶだよ?」

 いちたかはのんきな声を出す。由良が苦しそうな表情で首を振った。

「それは、きちんと治るように薬をいただいておきましょう。とても、痛そうです」

「いまは痛くないよ?」

「ほら坊主、こっち。ちょっと避けよう」

 八尋がいちたかの腕を引き、道を逸れて芒の中へ踏み込んでいく。由良がそれに続き、そのうしろに朔郎がついた。皓夜はあとを追いかけた。足元に紫が散る。花を蹴飛ばしていた。

 背の高い芒の中に入ると、歩いていた道が見えなくなる。八尋は地面にしゃがみ込み、背負っていた木箱をおろして地面に置いた。側面に付いた扉をひらくと、いくつもの引き出しが見える。

「だいじょうぶだよ?」

 口をとがらせたいちたかが、皓夜のほうを見る。もの言いたげなまなざしが、朔郎の大きな背中にさえぎられた。八尋は引き出しをいくつか開けて、何か吟味している様子だ。

「これかな。あと、これもやるよ。疲れてるだろ」

 いちたかに、箱から取り出した小さな紙包みを手渡す。

「あまいぞ。疲れも取れる」

「どうぞ、お嬢さんも」

 両手を組み合わせて立っている由良にすすめた朔郎が、皓夜を振り返る。

「お兄さんも、よろしければ」

「いいえ」

 皓夜は朔郎を見据えてこたえた。面食らった表情の朔郎に、重ねて言う。

「結構です」

 朔郎は、おや、とのどかな声を出した。

「あまいものは、おすきではありませんか?」

「嫌いです」

「皓夜さん……」

 由良がぽつりとつぶやいた。皓夜の不愛想さに、戸惑っているのがわかる。皓夜はかまわず、いちたかの手を取って引き寄せた。由良に強い視線を送って合図する。朔郎と八尋に向かって言った。

「少し、急ぐので。薬も持っているので。失礼します。道中お気をつけて」

「えっ、皓夜さん」

 うろたえる由良の手首を掴み、皓夜は芒の中を出る。狐の尾のような穂が顔を撫でる。

「おい、ちょっと」

「お待ちを」

 うしろからふたりが呼びとめる。何が少し、違う。肌が粟立つのを感じ、皓夜はふたりの背中を押した。

「走れ」

「えっ?」

 振り返った由良の顔が引きつった。

「あ……!」

 背後に、冷えた鋭い気配。もっと早く気づくべきだった。肩を掴まれ、首筋に突き付けられる。刃物だ。

「あなた、わたしたちと来なさい」

 頭上で、やわらかな声がした。いちたかを背中にかばい、その場を動かない由良の目が、大きくみひらかれる。そういうことかと、わかった。

「痣だらけの子供と愛想の悪い男はともかく、あなたは重宝されるでしょう」

「重宝……?」

 由良がいぶかしげにつぶやく。八尋が立ち上がり、うしろから近づいてくる気配がする。

「そうだよ。おまえさんは見目がいいし、何より声がいいからなあ」

 ふたりの声音はさきほどまでと変わらず、おだやかなままだ。けれども絡めとられるような、気味の悪さを感じる。

「おとなしくついてきな」

 皓夜は、刃物の切っ先を首元に感じながらじっとしていた。突き立てられることはない。このふたりがほしいのは、由良なのだ。いちたかと皓夜などはべつにどちらでもよいのだ。

 連れに刃を向けているのは、力を見せつけるため。逆らうことはできないと、思わせるためだ。

 由良が逃げ出せば、きっとふたりはすぐに追いかけてつかまえる。抵抗すれば押さえつけるだろう。そんなふうに、さっそく手荒な真似をしなくて済むよう、己を使ったのだと皓夜は思った。

 都の話などして気を引き、警戒心を薄れさせようとしていたのだろう。そのままなし崩しに、どこかへ連れて行こうとしていたのだ。しかし、皓夜が妙な顔をして話を聞いていることに気づいたのかもしれない。そこでひとめにつかないところに連れ込み、何かを食べさせようとした。あまいと言っていたが、それだけでは、ないはずだ。

 立ち尽くしていた由良が、一歩、前に出る。いちたかが腕を引くのをそっとなだめる。皓夜を拘束する朔郎を、まっすぐに見上げて問うた。

「ついていくと言えばそのひとを離しますか」

 その声は凛然と響いた。黒い真珠のような瞳は、ひたりと朔郎を見据えて動かない。まばたきもしない。

「そのつもりですよ」

 朔郎があっさりとこたえた。さらさらと続ける。

「べつに、あなたがたを害そうとか考えているわけではありませんから。ついてくるなら、悪いように扱ったりはしません。興味ないですが、この男とその子供も役に立たないことはないでしょうし、どこぞで下働きでも。ついてきますか?」

 皓夜は由良を睨みつけた。由良は皓夜を見ない。すっと息を吸って、口をひらく。

「……どこへ行くのですか」

 由良はそうたずねた。ふふっと笑みをこぼしてから、朔郎がこたえる。

「まずはお仲間のところへ。それから桜雲おううんの、恵春えはるですよ」

 八尋がうなずいた。

「そうだよ。まだいろいろお友達がいる。それに恵春にはな、お得意さんがいっぱいいるんだ」

「……おともだち」

「そうですね。短い旅ですが、すぐ仲良くなれますよ」

「……あなたたちは、どういうかたがたなのですか」

「薬師だよ」

 八尋はへらりと笑った。それは、嘘だとわかる。見え透いていることを知っていて、わざとそう言うのだ。このふたりはひと買いだ。頼りなさそうな三人の旅だから、その中にうるわしい少女がいたから、目を付けられたのだろう。

「きれいなもんは高く買ってもらえる、なんでもそうだろ」

「そうです、あなたのような上物にはなかなか出くわしませんから、よかったです。あなたならきっと、羽衣座はごろもざに買ってもらえますよ」

 羽衣座。

 皓夜はするりと、背中から行李を落とした。

「そうだな間違いない」

「いい声ですものね」

 ね、お連れさんもそう思われますでしょ。朔郎が皓夜に問う。隔てる行李がなくなり、皓夜の背中は朔郎の腹とほとんど密着していた。

 心の内はふしぎなほど凪いで、そしてひどく、冷たい。皓夜は少し、上を見た。空はめまいがするほどに、晴れている。

「黙れ下衆が」

 喉の奥から、低い声が漏れた。由良が目を見張る。いちたかがその腕にしがみついている。少しの間のあと、朔郎の太い腕に力がこめられる。襟を引っ張られ、首が絞まった。それはおそらく、おびえだった。そんな気配を感じる。でも有利なのは、まだ相手のほうだ。

 刃の切っ先が、首筋に触れる。かすかなその感触に、くらりと誘い込まれそうになる。

「やめてください!」

 玻璃が砕け散るように、由良の声が響き渡る。その瞬間、皓夜は動いた。うしろから抱え込む朔郎の腕を掴み、その身体をさらに背に引き寄せる。そのまま、真下に沈みこんで投げ飛ばした。朔郎が地面に背中を打ち付けて転がる。皓夜は彼が取り落とした短刀を拾い、片手でもてあそびながら立ち上がった。目の前には、八尋がいた。皓夜は八尋の目を見やった。

「すみませんが」

 八尋が少し、ひるんだように頬を引きつらせる。一歩、距離を詰める。短刀を握った手はだらりとさげたまま、もう一歩、にじり寄る。うしろで起き上がった朔郎は、それ以上動こうとしないようだ。皓夜は八尋を見つめたまま言った。

「もう、失礼します。二度と、その面さらさないでください」

 ひび割れるように、片頬で笑う。

「あなたがたを、殺したくありませんので」

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