十一  兄ちゃんと姉ちゃん

 持ってきてくれたついたては、菖蒲あやめが描かれた屏風だった。

 とりあえずは部屋の隅に置いて、三人で円を作って座っている。

 真ん中には熱いお茶とおしぼりと、握り飯ののった盆が三つ置いてある。さっき屏風と一緒に持ってきてくれたのだ。

 小さめの俵型の握り飯は、ひとりぶんずつ四角い漆塗りの箱に入れられていた。

 品があって、つい手を伸ばすのをためらってしまう。

 いちばんに手に取ってぱくりと食べたのは由良ゆらだった。おいしい、と笑う由良に続いて、一鷹いちたかが握り飯を口に放り込む。

 「ほんとだあ、中になんか入ってるよ」

 皓夜こうやも食べてみた。

 「山菜の佃煮だな」 

 「へええ」

 滋味深くて、味わって食べたくなる。

 「豆のお菓子も開けましょう」

 由良が袋を引っ張り出してきた。

 紙の袋の中に、包みが三つ入っている。

 「味噌味と、醤油味と、塩味」

 由良が包みを開いていく。食欲をそそる匂いがした。

 一鷹が味噌味をつまむ。

 「あっ、おいしいよ! つぎはこっち食べよう」

 「これもおいしいですよ! お茶に合いますね」

 かりっとして、香ばしくて、それぞれの味がきいていて、食べる手が止まらなくなる。三人でしばらく豆をあさった。そのうちひとつずつではもどかしくなり、一気にたくさん口に入れるようになった。

 「ねえ、明日からはどうするの?」

 一鷹が豆をぼりぼりやりながら聞く。

 「うん」

 皓夜はおしぼりで手を拭いてから、行李の中にある紙と矢立てを取り出した。

 簡単に臥竜列島がりょうれっとうの地図を描く。一鷹は連波つらなみを知らないようだったので、説明しようと思ったのだ。

 「今はこのあたりにいる」

 古扇ふるおうぎ飛迎ひむかえの境目あたりをゆびさす。

 「で、どこに行くんだっけ」

 「ここだ。連波っていう国」

 皓夜は北のほうに描いた国を示した。古扇のすぐ北の国、美萩野みはぎののさらに北だ。

 「遠いねえ」

 「うん。明日からは、古扇をひたすら北に行く。一鷹、歩けるか?」

 「だいじょうぶだよ! 身体は丈夫なんだ」

 一鷹の頼もしい返事を聞いて、皓夜は由良を見た。

 「由良さんは? 疲れていませんか」

 由良はにこりと笑ってうなずく。

 「だいじょうぶです。わたしも身体は丈夫なので」

 皓夜は小さく笑い返した。

 由良は早く連波にたどり着きたいと言っていたので毎日進むけれど、あまり無理をしないつもりだ。今日になってから少し気になっていたのだが、由良の顔には、ときどきひっそりと影が落ちていた。だいじょうぶとは言っているけれど、疲れているのかもしれない。

 だから一鷹ではないけれど、ひとりでゆっくりしたほうがいいのではないかと思ったのだが。まあついたてがあるので、少しはましかもしれない。

 「北に行きながら、歌って踊って、するんでしょ」

 一鷹が相変わらずもぐもぐ口を動かしながら言った。

 「うん。踊りはしないけど。あ、一鷹が踊りたかったら踊ってくれてもいいけどな」

 「いいですね、それ!」

 「待っておれ踊らないよ?」

 一鷹が慌てるので、笑えた。由良もくすりと笑い声を漏らす。

 口をとがらせた一鷹が、地図をつついた。関係ない話を始めようとする。

 「ここは? このいちばん北の国は何?」

 「不香ふきょうですよ。雪が降るそうです」

 由良がこたえた。

 「ゆき?」

 一鷹が不思議そうに繰り返す。

 「そう。雪です。寒いところでは白い羽みたいな、綿みたいなものが空から降るのです。わたしも見たことがないですが、冷たいけれど真っ白で、とてもきれいだそうですよ」

 「へえ……!」

 皓夜は自分が描いた不香を見つめた。いつかは、そこにたどり着きたい。みんなの故郷に。

 「ゆきは、こう書くのです」

 由良が紙にさらさらと字を書く。由良が書いたゆきという字は、しなやかな線で形作られていた。

 「ゆき」

 一鷹が由良の字をなぞる。

 「そう、いちたかはこう」

 「じゃあ、ゆら、は?」

 「こうですね」

 「ゆ、だからゆきのゆと一緒。じゃあ、こうやは?」

 由良が微笑んで、筆を渡してくる。 

 「教えてください皓夜さん」

 皓夜は筆を受け取り、こうやと自分の名前を書いた。ついでにさいの字も書く。

 「由良さんが書いたのは臥竜の人が作った字だ。このちょっと難しいやつは、異国の字。臥竜でもずっと使ってる。今の臥竜には、文字がふたつあるんだ。まぜて使ってる」

 「へえ、そうなのか……」

 一鷹は紙を手に取って見つめている。

 「臥竜の文字を全部書いてみましょうか?」

 由良が言った。一鷹が驚いている。

 「えっ全部? 全部知ってるの? 見たい!」

 「臥竜の文字は少ないですからね」

 皓夜は新しい紙を由良に渡した。由良は皓夜の目を見てお礼を言ってくれた。紙を出しただけなんだけどな。

 由良が字を書き始める。

 一鷹がそれを真剣に見ている。皓夜はその様子を見守りながら、静かに熱いお茶を飲んだ。




***




 屏風を部屋の真ん中に置いたら由良が怒り出し、自分のほうを狭くするべきだと言って聞かなかったのでそうした。

 広いほうには布団を二組敷いている。皓夜と一鷹が寝るところだ。

由良と一鷹は新しい小袖を着ていた。由良は自分で選んだ萌黄色、一鷹は店主に見立ててもらった橙色のものだ。皓夜も着替えていた。

 「じゃあ明日に備えて、もう寝ましょうか」

 皓夜は言った。

 「うううん」

 寝るのが惜しいのか、一鷹が曖昧な返事をする。

 「では、横になりましょうか、それでもお話はできますよ」

 由良の提案に乗ることにした。。

 並んで敷かれた布団に、一鷹と隣り合って横になる。誰かが隣にいるなんて、とてもひさしぶりだ。皓夜も寝るのが惜しい気がした。でもこれからはしばらく一緒なのだと思ったら、心があたたかくなる。

 一鷹はたぶん、どこか一鷹を受け入れてくれるところに預けるのがいいのかなと、思う。旅をしていたらそんな人も見つかるだろう。でも今は。

 少し心を開いてくれて、今までいろいろな苦難をひとりで乗り越えてきたはずのこの少年を、いっぱい甘やかしてやりたいと思ってしまう。勝手、だけれど。

 「ねえねえ」

 一鷹が布団の中でもぞもぞと動きながら言った。

 「どうした?」

 皓夜が顔を見ると、一鷹はなぜか恥ずかしそうに布団を顔まで引き上げた。

 「あのね、ちょっとね」

 「ん?」

 「皓夜兄ちゃん、由良姉ちゃんって、呼んでもいい?」

 一鷹が天井を見ながら、思い切ったように言った。

 皓夜はきゅっと心臓を掴まれた気がした。

 かわいいやつである。

 「もちろんです」

 屏風の向こうから由良が言った。少し声が高い。由良も同じ気持ちなのかもしれないと思った。

 一鷹が見つめてくる。

 「いいよ、そう呼んでくれ」

 皓夜もこたえた。

 自分が、兄ちゃんと呼ばれる日が来るなんて考えたことがなかった。

 「やったあ」

 一鷹が笑う。皓夜はその頭を撫でた。

 「おれね、兄ちゃんとか姉ちゃんとかいないの。でもいる子が、ちょっとうらやましかったんだ」

 「そうか」

 「……父ちゃんがね、春が来る前に死んじゃったの」

 「……そうか」

 「お母さんは覚えてないの。それでおれひとりになって、もう家に住んだらだめって言われて、どうしたらいいのかなって思って」

 「うん」

 何も言わないでおこう。ただ、聞くだけ。

 一鷹はきっと、櫛笥くしげの町の長屋に住んでいたのだろう。お金を払えなくなって、追い出されてしまったのかもしれない。長屋に住んでいる人たちはみんな余裕がなくて、一鷹にかまえなかったというところか。

 「それでね、盗んだんだ」

 一鷹は天井を見つめて、薄く笑みを浮かべていた。

 「何回も盗んだよ。それで暮らしてたの。悪いことだってわかってたけど、仕方ないと思ってたの。でもね、皓夜兄ちゃんが捕まえてくれたときにね、やっぱりだめだって思ったんだ」

 「うん」

 「ひとりで暮らせるって思ってたけど、やっぱり無理だなって思ったの」

 一鷹の大きな目に涙がたまって、今にも零れそうに震えている。皓夜はそっとそのまぶたを閉じさせた。ぽろりと、涙が流れて落ちる。

 「皓夜兄ちゃんと、由良姉ちゃんに、ついていってもいいかなあ」

 涙をぬぐっている一鷹の額に手を当てて、伝われと願いを込めて言う。

 「ついてきてほしいよ」

 物音がしたので見ると、由良が屏風のこちら側に来ていた。

 「わたしもです」

 由良は一鷹の頬を手で包んで微笑んだ。

 「一緒に行きましょう」

 「うん」

 一鷹が皓夜と由良の手を取った。

 「ありがとう」

 小さくて熱い手だった。

 一鷹は目を閉じたまま言う。

 「父ちゃんはね、強くて優しい人だったんだ。おれのことがんばって、守ってくれてたんだ」

 「うん」

 「ずっとね、ずっとがんばってたんだよ」

 「うん」

 「おれね、父ちゃんみたいになりたい……」

 一鷹の声が小さくなっていく。一鷹が今から吸い込まれていくのが、優しい世界であればいいなと、思う。

 由良の手が一鷹の日に焼けた頬を優しくなぞる。皓夜の手に、指先が触れた。

 冷たかった。

 「寝てしまいましたね」

 由良がささやくように言う。

 皓夜はうなずいた。由良が皓夜を見て、柔らかく目を細める。

 「あなたも、お疲れでしょう。もう休みましょうか」

 「そうですね」

 「おやすみなさい」

 由良は一鷹に布団をかけなおして、屏風の向こうへ行ってしまった。

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