十一  兄ちゃんと姉ちゃん

 屏風を部屋の真ん中に置いたら由良ゆらが怒り出し、己のほうを狭くするべきだと言って聞かなかったのでそうした。広いほうには、貸し出された敷布が二組敷いてある。皓夜こうやといちたかの寝るところだ。

 由良といちたかは古着屋の店主に見立ててもらった新しい小袖を着ていた。由良は萌黄色、いちたかは橙色のものだ。由良の、泥がついた小袖は、宿の女将が洗っておいてやると受け取ってくれている。

「じゃあ明日に備えて、もう寝ようか」

 皓夜が言うと、いちたかが妙な声を出した。

「うぅぅん……?」

 寝るのが惜しいのかもしれない。皓夜は笑ってしまった。由良がいちたかに言う。

「では、横になりましょうか。それでもお話はできますよ」

「うん、そうする!」

 いちたかがうれしそうに賛成して、皓夜も由良の提案に乗ることにした。いちたかと隣り合って、敷布の上に横になる。誰かが隣にいるなんて、とてもひさしぶりだ。

 少し目を閉じて、考える。いちたかはたぶん、どこかいちたかを受け入れてくれるところに預けるのがいいのだろうと思う。この町で本腰を入れて探せば、見つかるかもしれない。でも、置いていくなと、いちたかは言った。そのときのいちたかは、ひどく心細そうで、頼りなく見えた。

 だからいまは、これまでいろいろな苦難をひとりで乗り越えてきたはずのこの少年を、いっぱいあまやかしてやりたいと思ってしまう。引き取り手を探すのは、もう少ししてからでも、いいだろう。

「ねえねえ」

ふいにいちたかが、掛布代わりにした小袖の中で、もぞもぞと動きながら言った。

「どうした?」

 皓夜が顔を見ると、いちたかはなぜか恥ずかしそうに小袖を顔まで引き上げた。

「あのね、ちょっとね」

「ん?」

「皓夜兄ちゃん、由良姉ちゃんって、呼んでもいい?」

 いちたかが天井を見ながら、思い切ったように言った。皓夜はきゅっと心臓を掴まれたような気がした。かわいいやつである。

「もちろんです」

 屏風の向こうから由良が言った。少し声が高い。由良も同じ気持ちなのかもしれないと思った。横から、いちたかが見つめてくる。

「いいよ、そう呼んでくれ」

 皓夜もこたえた。己が、兄ちゃんと呼ばれる日が来るなんて考えたことがなかった。もっぱら呼ぶほうだったから。

「やったあ」

 いちたかが日の光がはじけるように笑う。皓夜はその頭を撫でた。いちたかは笑ったまま目を閉じる。

「おれね、兄ちゃんとか姉ちゃんとかいないの。でもいる子が、ちょっとうらやましかったんだ」

「そうか」

「……父ちゃんがね、春が来る前に死んじゃったの」

「……そうか」

「お母さんは覚えてないの。それで……、いろいろあって、どうしたらいいのかなって思って」

「うん」

「それでね、盗んだんだ」

 いちたかは静かにまぶたを上げた。天井を見つめて、薄く笑みを浮かべている。

「何回もやったよ。それで暮らしてたの。いいことじゃないってわかってたけど、しかたないでしょ。でもね、皓夜兄ちゃんがつかまえてくれたときにね、やっぱりいやだって思ったんだ」

「うん」

「ひとりで暮らせるって思ってたけど、やっぱり無理だなって思ったの」

 いちたかの大きな目に涙がたまって、いまにもこぼれそうに震えている。皓夜はそっとそのまぶたを閉じさせた。ぽろりと、涙が流れて落ちる。

「皓夜兄ちゃんと、由良姉ちゃんに、ついていってもいいかなあ」

 涙を拭っているいちたかの額に手を当てて、伝われと願いを込めて言う。

「ついてきてほしいよ」

 物音がして見ると、由良が屏風のこちら側に来ていた。

「わたしもです」

 由良はいちたかの頬を手で包んで微笑んだ。

「一緒に行きましょう」

「うん」

 いちたかが由良と皓夜の手を取った。

「ありがとう」

 小さくて熱い手だった。いちたかは目を閉じたまま言う。

「父ちゃんはね、強くてやさしいひとだったんだ。おれのことがんばって、守ってくれてたんだ」

「うん」

「ずっとね、ずっとがんばってたんだよ」

「うん」

「おれね、父ちゃんみたいになりたい」

 由良の手が、いちたかの日に焼けた頬をやさしくなぞる。皓夜の手に、指先が触れた。冷たかった。

 由良はおだやかな笑みをたたえて、いちたかを見つめていた。そして、いちたかの肩をそっとさすりながら、歌い始める。小さな声で、包み込むように歌う。子守歌だった。

 皓夜は起き上がった。あたたかな春風のような歌で、己まで寝かしつけられている気になったのだ。それは、なんだか気恥ずかしい。

 由良は微笑みを浮かべて、子守歌を紡いでいた。聞かせたいひとがいるためなのか、川のそばで歌っていたときよりもやさしく、おおらかに聞こえる。

 いちたかの目じりから、涙がこぼれ落ちた。いちたかは、由良の手と、皓夜の手を握ったまま眠ってしまった。

 枕元には、小刀が放り出してあった。いちたかは、それを持ち歩いていたようだ。皓夜の笛の袋を切ったときにも、きっと使ったはずだ。いままでも、そうやって使ってきたのだろう。

「寝てしまいましたね」

 ささやくように言う由良に、皓夜はうなずいた。由良は皓夜を見て、やわらかく目を細める。

「あなたも、お疲れでしょう。もう休みましょうか」

「そうですね」

「おやすみなさい」

 由良はいちたかに小袖をかけなおして、屏風の向こうへ行ってしまった。皓夜はしばらく、菖蒲の屏風を眺めてしまった。何をしているのだろうと思った。

 勝手にぼんやりし、勝手に我に返った皓夜は、いちたかのそばにあった小刀を少し遠ざけた。誰でも多少は武器のようなものを持つ。だから取り上げるようなことはしないが、あんまり近くて危ない気がしたのだ。そのあと、いちたかが切ってしまった袋の紐を縫い付けなおしておいた。

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