九 露芝と蝶
教えてもらった古着屋の入り口には、端切れを縫い合わせた暖簾がかかっていた。亀甲に麻の葉に市松に千鳥に、いろいろな模様の大小さまざまな布が組み合わせられていて、遊び心を感じる。
「いらっしゃい」
奥からしわがれた声がした。
入り口から続く土間から上がったところに、板の間がある。その真ん中には、大きな長持が陣取っていた。その中には色も柄もそれぞれ違う、たくさんの古着が無造作に積み上げられていた。湯船からあふれる湯のように、はみ出しているものも多くある。その陳列の仕方はなかなか迫力があり、三人でしばらく突っ立ったまま眺めた。
「何をお探しだい?」
現れたのは、思わず二度見てしまうようなかっこうをした年配の女の人だった。
どんな衣なのかよくわからないが、とにかく布を身体に巻いている、という感じだ。布は艶やかな紫色で、その下には緋色に蜘蛛の巣のような模様の小袖を着ているらしい。白髪の混じった髪は高いところで丸くまとめられていて、金色に光る長いかんざしが挿してあった。そのかっこうは奇抜だけれど、店主によく似合っている。店主は長持の横に胡坐をかいて座った。
「このふたりの着るものを探してます」
「すてきなお召しものです」
不意に由良が、例によって暴力的な素直さで感想を漏らした。
「すてきなのはお召しものだけかい?」
いたずらっぽくたずねるこの店主は、ただものではないと思う。
「いえ、店主さんにとても合っていて、すてきなのです」
「お目が高いね」
店主は楽しそうに笑った。
「この布はなんか知らないけど、異国の衣なんだよ。このかんざしもそう。小袖だけ
「へええ」
いちたかが感心している。
臥竜列島の外にも島国や大陸はあって、臥竜の中にはそれらの国と交流を持っているところもあるのだ。
「そこにも入ってると思うよ。探してみて」
店主は輪をはめた指で長持を示した。
「楽しそうですね」
由良が声を弾ませる。
三人で板の間に上がり、長持の中を覗き込んだ。
いろいろな古着がたたまれずに入っている。奔放な人の宝箱みたいだ。
長持に手を突っ込み、大胆に掘り返したいちたかがあっと声をあげた。
「これ?」
掴んでいるのは見慣れない模様の大きな布だった。夏の空のような鮮やかな青色をしている。
「ああ、それだよ。わたしが着てるのと同じようなもんだ」
店主が教えてくれた。
「なんかわからないけど、異国の衣……!」
いちたかがひきこまれるように見つめている。
「そう、なんだか知らないけど異国の衣」
店主は愉快そうに言った。
「ちょっと着てみて!」
いちたかが由良に布をかぶせた。
「えっ? どうやって着ればよいのですか?」
背中に青を羽織った由良は戸惑っている。店主がからからと笑い声をあげた。
「知らないよ。適当だよ適当」
そう言いながらも由良を手招きし、身体に手早く布を巻いていく。
「ほら、できた」
常盤色の小袖の上に青空の色をまとった由良は、自分のしっぽを追いかける子犬みたいにくるくる回っている。
「こんな着方は初めてです!」
「いい感じだよ? わたしほどじゃないけどね」
「似合ってるよ!」
店主といちたかが褒めた。珍しい着こなしだし、着るものが似合うとか似合わないとか皓夜はよくわかっていない。でも清涼な雰囲気が由良に合っているとは思った。
「これは何?」
つぎにいちたかが引っ張り出したのは、銀の房飾りが付いた黒い筒袖だった。やたらと形がしっかりしていてかたそうだし、肩の部分にも房飾りが垂れ下がっていた。
「知らんよ。なんか異国の衣」
「へえええ!」
「これは何?」
「それは足袋だよ、見てわかるだろ」
「あっほんとだ」
いちたかは珍しいものを見つけては「知らないけど異国の衣」と教えてもらって感嘆の声を漏らしていた。
皓夜はそれを微笑ましく思いながら、少しあきれながら、長持の中を探った。
奇抜な衣を着るのもいいけれど、やっぱり着慣れたものも必要だろう。
「おまえさんたち、旅の人だろう?」
店主が長持から衣をいろいろと引っ張り出しながら聞いてくる。年頃の女の人とか、十歳くらいの男の子が着そうなごく普通のものを出してくれていた。
「はい」
皓夜も長持をあさりながらこたえた。
「どこに行くんだい?」
「
店主がほほうと顎に手を添える。金の指輪がきらりとした。
「連波といえば」
皓夜は動きを止めた。
「賢い国だよねえ」
店主は手ごろな衣を並べながら言う。
「賢いの?」
いちたかが床に両手をついて店主の顔をのぞいた。店主はいちたかの頭を撫でた。
「そうだよ。あの国は賢いんだ。自分を守った」
「守った?」
「うん。
「えっと、なんかみんな言ってたな……」
「そうかい。桜雲と飛迎はつい最近戦をして、桜雲が勝ったんだ。でもね、連波と飛迎とは、昔から仲良くしてたんだよ」
店主はゆっくりと、おとぎ話のような調子で話した。
「だから飛迎は、桜雲と戦をしても連波が助けてくれると思っていたんだよ。でも、連波は助けなかったんだ。それで王さまも王妃さまも王太子さまもなくなったらしいね。逃げてた王女さまも山の中で見つかってね」
「ええっ……なんで、助けてあげなかったの? 仲良くしてたんでしょ?」
いちたかが悲鳴を上げる。
「桜雲は強い国だからね。戦っても勝てないと思ったんだろうね。だから関わらないことにしたんだろうよ」
店主のこたえに、いちたかは持っていた異国の衣をきゅっと握りしめる。
「でも……そんなのひどいよ」
「ひどいことはありません」
澄み切った声が言った。
由良は、淡い笑みを浮かべていた。透き通るような、色のない笑みだった。
「連波の人々は、己の暮らしと命を守らなければなりません。それがいちばん大切なことです」
「でも、負けた人たちかわいそう」
いちたかの言葉に、由良は静かに首を振った。
「飛迎の人々も、きっとわかっていたでしょう。誇りを持って戦ったのです。かわいそうではありませんよ」
美しい声にはあまり感情がこもっていないように聞こえた。
「そうなんだ? そういうものなのかな……?」
いちたかが首をひねりながらつぶやく。店主がうなった。
「そうかねえお嬢」
由良が店主を見て迷いなくうなずく。
「はい。飛迎の人々はきっと、逃げなかったのだと思います」
「そうかい。逃げればよかったのにね」
店主はゆったりと言いながら、由良が手にしていた小袖を取り上げた。紺の地に露をのせた芝の模様の、はかなげな小袖だ。
由良は店主を見つめている。その横顔を見て、皓夜はなぜだか焦った。綱渡りをしている人を、下から見ているような気になった。
「うん、あんたにはこれ似合わないよ、お嬢」
店主は露芝の小袖を放り出すと、ほかのひとつを手に取った。紅色に白い蝶が飛ぶ小袖だった。店主はそれを由良の腕に当てて、満足げにうなずく。
「これがいいよ。これにしな」
「あ、かわいいと思う! ね!」
いちたかに同意を求められ、皓夜は慌ててうなずいた。ふたりが言うので、きっと似合うのだと思う。それにまあ、露芝よりはいいんじゃないかと思った。
「そうでしょうか……?」
由良がはにかんだように笑う。その笑顔には、ちゃんと柔らかな色があった。皓夜は少しほっとした。
「おれも見立ててください! 似合うやつ!」
いちたかが手をあげる。店主がゆっくり座りなおしていちたかのほうを向いた。
「いいよ、見てあげようね」
「やった!」
いちたかが皓夜を見てうれしそうに笑うので、ふわりと心が和む。
「よかったな」
皓夜が言うと、いちたかは大きくうなずいた。
由良を見る。由良は紅色の小袖の、蝶の模様を撫でていた。
***
由良といちたかに二着ずつの着替えと、足袋を二足ずつ買うと、店主は由良が着せてもらった異国の青い布をおまけしてくれた。その布は買った小袖を包んで、いちたかが抱えている。
「いちたかさん、わたしが持ちます。あなたはまだ」
「またおれのことちびって言うの? ひどいでしょ、そんなの」
「わたしはそんなこと言っていないではありませんか。言ったのは皓夜さんです」
「でも今絶対言おうとした」
「いいえ、まだ幼いと言おうとしただけです」
「それ意味一緒だからね!」
このように、ふたりはさっきから荷物の取り合いをしている。
「そんなに重くないし、女人は男に持たせておけばいいんだよ」
「男とか女とかまったく関係ありません。わたしが持ちたいのです」
「嫌だもん。おれも持ちたいもん」
皓夜は黙って見守っていた。なんだかほのぼのする。平和な争いだ。でもいちたかは、これくらいしないといけないと気を遣ってはいないのだろうか。自分は何も役に立たないと言っていたから。でもそれを聞くのも、なんだかおかしい気がする。
空はいつのまにか朱鷺色に染まっていた。懐かしい色だった。
古着屋の店主が教えてくれたことには、
「皓夜さん、なんとか言ってください」
「ねえっ、またちびって言われた!」
ふたりに同時に訴えられたが、皓夜はのほほんとこたえた。
「もう打ち解けたんだな。きょうだいみたいだ」
ふたり揃って、頼りにならないなこいつは、という顔をされた。
宿に着いたら、どうしようか。由良のことも、いちたかの事情も、まだ何も知らない。
お代を払うとき、由良といちたかが長持を覗き込んでいるあいだに店主に言われたことを思い出す。
あの妙に危なっかしいお嬢のこと、おまえさんがちゃんとつかまえとかなきゃいけないよ。
聞き返しても、はぐらかされてしまったのだけれど。
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