八 においとおねだり
出汁のきいたとろろ汁の味が麦飯によく合っていたし、添えられた漬物も塩辛すぎず、箸が進んだ。同じくらいに食べ終わった由良と一緒に見守っていると、いちたかも大盛りを平らげてしまった。空腹でもあったのだろう。
「ああうまかったあ」
いちたかはすっかり満足そうな笑顔になっている。
「おいしかったですね」
由良もしあわせそうに言った。ふたりの様子を見てなんだかほっこりしていると、突然横から話しかけられた。
「おまえさんたち、さっき橋の前にいたか?」
「そうだよね」
「笛吹いて歌ってた」
気がつくと、皓夜のそばにはひとが集まっていた。五人ほどが迫ってきていて、店の中にいるほかのひとたちも、何事かと様子をうかがっている。
「あ、たぶん、そうです」
皓夜はこたえた。するとひとりが言った。
「聞かせてくれないかい。すごかったって、聞いたんだよ」
もう、うわさになっているのか。由良を見ると、由良は大きくうなずいた。
「わかりました。やらせてもらいます」
皓夜が向き直ってこたえると、ひとびとは手を叩いてくれた。
***
店を出ようとしたら、話を聞きつけた少女が飛んできて、店の中でやればいいと言ってくれた。お言葉にあまえてその通りにしたら、演奏のあと店の中はお祭り騒ぎのようになった。外は見物人で、行列ができていた。
また来てほしいと、言ってもらえた。奥の厨房からも、野太い声が聞こえた。何を言っているのかわからなかったが、なんとなく褒めてくれているような気がした。
店の少女に古着の店があると教えてもらったので、いま向かっているところだ。そこで着るものを揃える。
「ふたりは、旅芸人だったんですね」
三人並んで町を歩きながら、由良とのあいだにはさんだいちたかが言った。いちたかは、突然ひとに囲まれた皓夜を見て、やっぱりこいつはまずいやつかと思ったらしい。でも演奏を聞いたあとは、うさぎみたいにぴょんぴょん跳ねて喜んでくれていた。
「そんなところかな」
皓夜がのんびりとこたえると、いちたかはうつむいた。
「……おれ、大事な笛、とっちゃうところだった」
下を向いたままつぶやく。皓夜はその肩をぽんとたたいた。
「返してくれたからだいじょうぶだ。返してくれなくてもずっと追いかけたし」
「へえ?」
「ものすごく執心するたちなんだ。とくに食べもの」
皓夜はまじめくさって言った。いちたかにいつまでも、申し訳ない思いをさせたくない。由良といちたかが、顔を見合わせて笑った。いちたかは、とりあえず元気を取り戻したようだった。伸び上がりながら言う。
「あのね、笛と歌、すごくきれいでした! 息ぴったりですね!」
そう言ってもらえるのは、うれしいことだ。
「やっぱりふたりはめおとなんですか?」
皓夜は足を止めた。いちたかがなんで止まるんだというように、ふしぎそうに見上げてくる。
「めおとじゃないんですか?」
皓夜は笑った。
「違うよ。
いちたかが首を傾げて由良を見る。由良は微笑んで言った。
「わたしが飛迎で、皓夜さんに助けていただいたんですよ。荷物をとられてしまって、道に迷っていたのですけれど。困っていたら、そこに皓夜さんが現れたんです」
そこに現れたんですって、そんな英雄のような言い方をされても。
「かっこいいですね!」
「そうですね。やさしいかたです」
「まあね、よく言われる」
皓夜は投げやりにそう言ってやり過ごすことにした。ふたりとも、もの言いが清純すぎて対応に困る。からかいとかお世辞とかの気配を微塵も感じない。困る。
「でもじゃあ、いまだけなんですか?」
いちたかがなんだか寂しそうに聞いてくる。
「ん?」
「いまは一緒にいるけど、道に迷ってるのが解決したら、べつべつになるんですか?」
皓夜は思わず由良のほうを見る。由良はいちたかを見て、目をしばたいていた。少しのあいだそうやっていた由良は、恥ずかしそうに言った。
「えっと、そんなにすぐには解決しないのです」
いちたかがきょとんと目を丸める。
「えっと、わたしは
「じゃあ、なみなんとかってところに着いたらお別れなのかあ」
いちたかが言って、口をとがらせた。
「ずっと一緒にいればいいのに」
皓夜は薄く笑った。由良は、「なみなんとかってところ」と言ったいちたかに「連波」だと教えて、うれしそうに微笑んだ。
「わたしたちの演奏、そんなに気に入ってくれましたか」
いちたかは、ぶんぶんと首を激しく動かしてうなずいた。
「みんな気に入ってたと思います!」
「ありがとう」
笑みを深める由良に、いちたかはこくんとうなずいている。そのあと急に、由良にたずねた。
「でもお姉さん、行き方もわからないのにどうしようと思ってたんですか?」
皓夜はどきりとした。突然の容赦ない問いだ。それは皓夜も聞こうと思っていて、聞けていなかったことだった。そっとうかがうと、由良は目を泳がせていた。
「あ、えっと……。それは……、その」
すぐにこたえることはなく、口ごもっている。やはり何か、言いたくないようなことがあるのだろうか。それを知らなくて、いいのだろうか。かといって無理やり聞くべきだとも思えない。
皓夜は早々に目をそらしたが、いちたかはしばらく由良に無邪気な好奇心を向けているようだった。でもやがて、何かを悟ったように言いだした。
「……いろいろあるんですね」
「そっ……そうなんです!」
「うん、わかります。ひとに言えないことって誰にでもあるものだって」
妙に大人びた口調で、いちたかは理解を示した。
「そうなのです、あ、言えないというか、なんというか、……ねえ?」
「はい、だいじょうぶです。全部さらけ出しているひとなんていないんです」
皓夜は笑いをかみ殺した。すぐ死んだ。いちたかの考え方はその年齢や見た目には似合わないが、ひとの考えていることを笑うなんて失礼だし、傲慢だと思う。
「いちたかさんは大人なのですね」
由良はすっかり感心して、師匠とでも言いだしそうな調子で言った。
「そんなことはないですよ」
いちたかはやや低めの声でこたえていた。いちたかは、年相応のところはちゃんとあるが、早熟な部分も持っているらしい。十歳にならないくらいの年でひとりでは、そうならざるを得ないのかもしれない。でも。
「大人みたいだけど、ちびすけだよ」
皓夜は言った。
「いちたかはまだただのちびだよ」
いちたかが心外という顔で皓夜を見上げて、何か言おうとする。皓夜はわざと邪魔をした。
「ちびすけだから」
いちたかが大きな目をさらにみひらく。
「ほらいちたか、おいで」
皓夜はいちたかに手を差し伸べた。いちたかはむすりとして、手を背中のうしろに隠した。
「どういうことですか?」
「きみ、おれたちと来る気はあるのか」
由良がえっと声を上げていちたかの肩に手を置いた。
「もう一緒に行く気ですよわたしは!」
いちたかは黙っている。
「来るかって言ったけど、返事もらってないし。喋り方も、距離を置いてるし。来る気ないんだろうなっていう、においがする」
「におい?」
いちたかは怪訝そうに眉をひそめた。ものの例えだが。なんとなくそんな感じがするのだ。
「そう、におい。でも、いいんだよ。いちたかはちびなんだから、あまえてもいいって思う」
皓夜はかがんでいちたかと視線を合わせた。
「死ぬほどいやじゃなければ、一緒に行こう。いちたかに、ひとりでいてほしくないんだ。おれがいやだから」
ひとりきりで生きようとしないでほしい。皓夜のひとりよがりな気持ちだし、それがいいのかはわからない。でも、連れ出したかった。
「死ぬほどいやじゃ、ないです」
いちたかがつぶやいた。
「でもおれ、何も役に立たない」
皓夜はにっと笑った。
「それはない」
「でも」
でもではない。皓夜はひとさし指を立てていちたかを黙らせた。
「だいじょうぶ、おれもそう思ってた」
「え?」
「とりあえず一緒に来るだけでいい」
それでもだめならと、皓夜は首を傾げて、上目遣いにいちたかを見た。あまえておねだりするように、言ってみる。
「……お願いっ、だめか?」
由良が豪快にふいてそっぽを向いた。失敬なひとである。
「……えっと」
しばらくして、いちたかが言いにくそうに口をひらいた。
「あのね、その顔と言い方は、もうやめたほうがいいと思うよ……?」
皓夜はすぐさま顔を平素のように戻した。そんなに言いづらそうに忠告されては、少しかなしい。由良は、よそを向いたまま肩を震わせている。まことに失敬なひとである。皓夜はまともな顔でいちたかを見た。するといちたかが、はっとしたように目を伏せる。そしてひとりごとのように、つぶやいた。
「置いてかないで……」
「え……?」
思わず聞き返すと、いちたかは唇にゆるい笑みをにじませて言った。
「じゃあ、おれのこと、置いてかないで」
皓夜は両手を握り込んだ。
「……置いていかない」
皓夜が言うと、いちたかはこくりとうなずいた。
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