朽ちない愛の世界

 僕が務める製薬会社の倉庫。僕にとってなによりも大事な空間。目の前には、後ろ手に拘束させられ、椅子に座ったままぐったりとしている先輩がいる。


 僕がやった。嗅覚実験に協力してと嘘をついて目隠しさせて、その隙に麻酔で眠らせた。


 無防備で愛らしい先輩を前にして、僕は顔が紅潮するのを感じた。


「ぐ…? 何だ…これは…?」


「気が付きましたか?」


 ふっと目が覚めて、ぐらつく頭をふりながら周囲を見渡し、僕に気付いた先輩は、ふぅとため息をつく。


「…ほどけ」


 椅子に拘束されている明らかな異常事態に、動じる様子もない。さすが僕が憧れる人。僕は無邪気に笑っていたかもしれない。


「ねぇ先輩? 何でこんなことしたか、聞かないんですか?」


「鬼才と言われるお前のことだ、何かまた思いついたんだろう? やりたくなったらやるのがお前だからな」


 僕は嬉しさを隠せなかった。


「ああ… 先輩… 僕を理解してくれる先輩…」


「わかったわかった。聞いてやるから、早くほどけ」


 薄く微笑んで、真っ直ぐに僕を見る先輩。解放される為の嘘とは思えない。


 こんな状況でも、胸が痛くて熱い。


「好きです、好きなんです…! 先輩を愛してます!」


「どうしたんだ」


 先輩に掛けている縄を解こうともせず、僕は張り切って説明しようとした。


「思いませんか? この世の中おかしいって」


「なにが? それとこの状況、どう関係あるんだ?」


「同性を好きというだけで、未だに白い目で見られる事もあるんです」


「ああ… そうだな」


 同情するように、表情を曇らせる先輩。前にも酒に酔って話をした、あの時と同じ顔をしている。


「数年前よりはマシになりました。それでも… 愛していても婚姻関係なんて成り立たない、制度もない、差別すらまだ根強いんです」


「ああ」


「なら、僕はいつまで我慢すればいいのですか?」


「…そうか、思い詰めたんだな、おまえ」


 先輩の問いかけをも無視して、僕は更に語り続ける。


「何十年もかけて訴え続けてようやく、意識も制度も変わるんですか?」


「だろうな」


「僕はね、そんなに気が長くない。待っていられません。それならいっそ、こんな世の中は壊れればいい」


 僕を見る先輩の眉間に、ぐっと皺が寄った。


「…何を言っている?」


「先輩は言いましたよね。可愛い僕を好きだって」


「ああ、言った」


「僕が歳を取って、可愛くなくなったら? 好きでいてくれなくなりますよね? 何十年も待てるわけが無いじゃないですか!」


「そういう意味じゃない。可愛さなんてそれだけじゃない。おまえ自体を…」


 真剣に答える先輩に、僕は表情を緩めた。


「そう言うと思いました。でもね僕、思ったんです」


「なんだ?」


「未来なんて分からないなら、確実に愛していられる、今のままを止めちゃえばいいんだって」


「なに…? 何を言っている?」


「僕はね、もう決めたんです」


 僕は、無造作に置いてある机の引き出しから、隠して用意していたケースと注射器を出してきた。ふたをあけ、3本並べたアンプルの1本を取り出し、注射器の針を刺しこんで、中の液体を吸い上げた。


「なにをしている? それは、なんだ?」


「世の中を壊すのと、僕も先輩も、そのまま存在できる方法」


「え?」


「ね、先輩、アンデッドになりましょうよ」


「…は?」


 紫色の液体が入った注射器を楽しそうに眺める僕に、先輩は眉間に皺を寄せたまま、素っ頓狂な声を漏らした。


「生きても死んでもいない、今、そのままを… そしてそれを普通にするんだ。僕達で世の中をぶっ壊して、また作ればいい」


「なにを…言っている?」


「その為に、ずっと隠れて研究してたんですよ… ねえ、ずっとずっとずっとずっと。長かったなぁ…」


「正気か…?」


「先輩を愛し続ける為に」


 僕は持っていた注射器を先輩の目の前に出した。子供が頑張って作ったものを親に見せるときのように、純粋に。


「やっと開発したんです。全身の血液、脳に送る酸素までもを瞬時に凝固させてね、筋肉機能に寄生して、むしろ維持と強化をする新型感染ウィルス」


「な…に…?」


「これの感染経路はね、傷口からの体液です。よく映画であるでしょう? アンデッドに噛まれたらアンデッドになってしまうやつ、あれの再現です。実験に使ったそこらへんのドブネズミ達は、ケージの中で、こぞって噛みつき合ってましたよ」


「なんでそんな事を… 狂った…のか?」


「そうですね… ああ、僕、先輩を愛しすぎて狂ったみたいです! ねえ、気持ち悪いですか? 嫌いになりました? あはははは』


 僕は、先輩の顔を見ることができないまま笑った。絶対に嫌悪されてると思ったから。先輩からの軽蔑の視線なんて、怖くて受け止められない。


 ああ、僕はいま、とても醜い。


 先輩が座っている椅子がガタガタと暴れる音が聞こえてくる。そりゃそうだ、このままでは、気味の悪い注射を打たれてアンデッドにされてしまうんだから。


 不意に、椅子の暴れる音が止み、先輩が大きく息を吸い込む音が聞こえた。


「嫌いになるわけないさ」


「え?」


 先輩の凛とした意外な台詞に、僕は笑いを止めて振り返った。優しい笑顔をしている先輩は、拘束されているのに、ふんぞり返っているようにも見える。


「それほど、俺を好きなんだろう?」


「…はい」


「俺だってな、お前を愛してる。その位は、いつも伝えてるつもりだったんだがなぁ…」


「先輩…?」


 先輩は、今までにないとても穏やかで優しい顔で、僕を眺めている。なぜそんな顔をできるのだろうか。これからアンデッドになってしまうというのに。


 困惑している僕に、先輩は静かに語りかけてくる。


「お前のことだ。感情が行き過ぎたんだよなぁ… もう止められないのは分かってるよ」


「どうして…?」


「やれよ。どんな風になっても、お前を愛してる。これから証明してやるから」


「どうして、どうして、止めないんですか?」


「俺はな、お前の監視役だ。お前の才能を見抜いていた上層部はな、その才能は欲しいが、思想を危険視したんだ。その為に同じ部署に配属され、緊急時は身体を張ってでも止めろと言われていた」


「…勘づいてはいました」


「なんで選ばれたか分かるか?」


「いいえ」


「俺も同性愛者だからだよ。隠していたつもりだったのに、いつの間にか上層部にはバレていてな。《お前なら相手もできるだろう? 鬼才とはいえ、身体の弱そうなゲイのお坊ちゃんなんだからな》ってな」


「…バカにしてる…」


「それでもな、おまえと過ごしているうちにな… 可愛くて、愛おしくて、俺のものにしたくなった」


「あ…あ…」


「鬼才だろうが危険分子だろうが、そんなもんは知らん。おまえは、おれの可愛いおまえだ」


「せん…ぱい…」


 僕は、座っている先輩の膝に崩れ落ちるように抱きついて泣いてしまった。嬉しかった、嬉しすぎた。


 もし先輩が縛られていなければ、僕の頭を撫でていただろう。


「俺もな、こんなクソみたいな世の中にな、居たかねぇんだ。お前と過ごしていきたいんだよ」


「あ…ぼく…こんなにうれしくて…どうしたら…」


「どうもこうもないだろ? お前と一緒に、死んでも生きてやる」


「ああ…好きです…愛してます…」


 先輩に抱きついたまま泣く僕に、いつもの勝気な顔に戻った先輩が高らかに言った。


「そうだ、煙草吸わせてくれよ。胸ポケットに入ってるから、火ぃつけてくれ」


 僕は涙をふきながら、先輩のシャツの胸ポケットを探り、潰れかけた箱から煙草を1本取り出した。先輩にくわえさせて、ライターで火をつける。


「はは、やっぱり、味覚も感覚も無くなるのか? これが吸い収めかなぁ」


「どうでしょう… 人間には試したことないですし」


「まあ、破壊目的なんだから、安全性なんて試さねぇよな」


 笑いながら器用に煙草を吸っては吐く先輩に、やはり好きだなと、温かい気持ちが胸に広がった。


 煙草の灰が根元で崩れ、先輩はフィルターをぷっと吐き出すと、僕を向いて真っ直ぐに見つめて、頷いた。僕も頷いて、注射器を持ち直した。


「いきましょう。そして、動けるようになったら僕を噛んでください。先輩に一番に感染させられたいんです」


「ああ、いいよ」


 僕は、満足気にしてる先輩の首に注射器を突き立てた。これもキスのひとつとばかりに。


 紫の液体が、先輩の脈拍に合わせてドクドクと吸い込まれていく。


 しばらく目をつむっていた先輩は、少しずつ表情が険しくなっていった。


「…ふ…あ…が…ガァァァァ!!!!!!!」


 血液の凝固が始まり、体内の酸素が留まり、苦しそうにもがく先輩を、僕は必死に押さえつけた。


「ごめんなさい…苦しいのは今だけだから…乗り越えて…」


「グァァァァ…熱いあついアツイアヅイ アヅイアヅイア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!!」


「大丈夫… 今だけ…」


 僕は自分に言い訳するように、吠え続ける先輩に向かって呟いた。


 どのくらい時間が経ったのだろうか。


 肌色から赤黒く変化する先輩の肌。血管が浮き出して、筋肉がメキメキと強ばっていく。凝固が追いつかず、行き場を失った血液が至るところから吹き出し、先輩の白衣に、鮮血の花を咲かせた。


 それすらも、美しい。僕は本当に狂ったのだろうか。それを見て美しいと感じてしまった。


「ふぐううぅ…」


 大人しくなってきた先輩の全身の肌が、赤黒い色から、土気色に変わる。


「あ…ふ…」


 血液の凝固が完了し、ウィルスが定着したのか、浮き出た血管は赤く太いままで、透き通るような青白い肌に変化した。それなのに目は血走り、隆々とした身体。


 なんて…なんて神々しい…!



 新しい世界の始まり。


 そして、


 始祖の誕生だ。




「先輩…」



 落ち着き、頭を上げて僕を見据えている先輩に声をかけ、僕は拘束を解いた。


 ダラリと両手を下げ、少しずつ動きを試していている先輩の正面に立ち、抱擁を求めるように手を広げた。


「初めてを、ください」


「……アイシテル」


 先輩は、愛の言葉と共に僕の首筋に噛み付いた。


 激しい痛覚と圧迫感。首から身体中に、熱いなにかが急激に流れてくる。


『ああああああああああああーーーーー!』


 熱い熱いあついあついあつい!


 息ができない、頭に熱い痛みがつきぬける、身体が沸く。僕は思わず目の前の先輩にしがみついた。僕を支えるように、先輩は強く抱きしめかえしてくる。


 これが…この激痛も甘さも、先輩の愛情…!


 四肢の皮膚の下に這いずる、己の意思とは関係なく蠢く筋肉。血管が太くなるのがわかる。呼吸ができないのに、視界がクリアになっていく。


 ああ、先輩とおなじく、僕も人間じゃなくなったんだ。


 落ち着いてきた僕を見て、ゆっくりと離した先輩は、倉庫の入口を指さした。


 そうですね、僕たちに仇なす世界を壊しにいきましょう。そして、朽ちない愛を育てられる世界をつくりましょう。


 先輩と一緒なら、何処ででも死んで、何処ででも生きるから。


 愛しています。

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