姉さんと坊ちゃんと死神さん

 僕の目の前に、死のうとする女の人がいた。柵の向こう側にいて、世界をながめていたんだ。


 僕はあわてて、電話をした。そうしたら間違えて、死神さんにつながった。


「もしもし警察ですか」


「いや、死神だけど」


「あ、間違えました」


「なんやねん、おまえ」


「目の前で、自ら死のうとする人がいて」


「なんやて」


「警察に電話したのになぁ」


「どうやったら間違えんねん」


「この際、死神でもいいか」


「失礼な奴やな」


「申し訳ないです」


「あー、とりあえずそっち行くで?」


「あ、お手数かけます」


 何も無いところから穴があいて、そこからだるそうにやって来た死神は、黒いローブをひっかけていて、ドクロのお面を忘れたのかすっぴんの寝ぼけ眼だ。


 僕に軽く手を上げると、女の人を指さして〈あれか?〉と口パクした。


 僕がうなずくと、OKのサインをだして、軽い調子で女の人に話しかけた。


「あー、そこの危ないとこにおる姉さん」


「なんでしょう?」


「死ぬ気かいな?」


「まあ、見ての通りですね」


「ちょっと、やめてくれへん?」


「あら、死神さんとお見受けしますが。命を奪いにきたのでは?」


「自殺は複雑な処理があってなぁ」


「処理?」


「寿命の前の絶命だと、生存期間消滅処理が大変なんや」


「あらまぁ… お役所勤めかなにか?」


「ってゆうか経理やな。寿命貸借対照表な、ワシ、めっちゃ嫌いやねん。自殺だともう、ようわからん」


「世知辛いお仕事で」


「それが、自殺した人間に、一番最初に立ち会った死神の仕事になるんよ」


「ん? 死神って複数居るんですか?」


「そらそうや。全世界に何人死者がおると思ってんねん」


「担当者も大勢必要ですわね…」


「さっきも、ようやっと仕事終わったらよう」


「はい」


「間違い電話で、あの坊主に呼ばれてな」


 そう言うと、死神さんは僕を指さした。


 死神さんの予定外の仕事を舞い込ませてしまった僕は、萎縮しちゃって深々と頭を下げた。


「まあ、っつーわけでな、姉さん。俺の仕事、増やさんとってや」


「そういわれましても」


「そも、なんで死のうとしてん?」


「疲れてしまいまして」


「おん?」


「生きる為に病気と闘うのが」


 僕はびっくりした。


 生きるのに疲れるとか、そんな概念が無かったから。だって僕は、まだ生まれてもないから、そういうのがわかんなくって。


 なので、お姉さんに聞いてみた。


「あの、生きるってなんですか?」


「あら、なんだか透けている坊ちゃん。もしかして幽霊かしら?」


「うーん、というか産まれる前に、さっきこの病院の手術室で死んでしまいました」


「それはそれは。聞いてごめんなさいね」


「いえいえ。それより、生きるってなんですか?」


「そうね、理不尽の荒波に飲まれることかしら」


「うわぁ、大変ですね」


「そうなるとね、疲れてくるの」


「えー… それは嫌だなぁ」


「まだ経験してもないのに、そういう事を言うものでは無いわ」


 僕と姉さんが生きる事を話し込んでいると、死神さんが横から話してきた。


「せや、そうやったらさ」


「はい?」


「姉さん、子供を産んだことはあるんか?」


「病気の身体では、ございませんよ」


「ほーん。ほんで、そーゆー相手は?」


「居ると言えばいますけども」


「よっしゃ、それなら話が早い。そこの坊主」


 死神さんが手をパンと叩いて、僕を指さした。


「坊主な。見たところ、産まれてないから、魂お迎えリストから取りこぼされてるわ」


「そんな雑なんですか?」


「データ上の管理なんて、現場無視して、机上だけでやっとるからな」


「おおざっぱ…」


「んで、魂のままフラフラしてんやったらさ」


「あ、はい」


「この際、そこの姉さんのところで産まれろや」


「なんと?」


「まあ、あんたらのタイミングでええねんけど」


「びっくりする提案ですね」


 僕は柵の向こうのお姉さんにむかって、とりあえず話しかけた。


「あ、お姉さん、すいません」


「なんでしょう?坊ちゃん」


「子供を産むって目標ができたら、病気と闘う理由ができて、疲れもふっとぶかもです」


「たしかに、言う通りね。私もまだ経験したこと無いことだから」


「子供って予想がつかないですから」


「坊ちゃん、よく知ってるわね」


「産まれてないですけど、予備知識くらいは」


「なるほどね」


「僕を産んで、育ててみませんか」


「そうね。私を助けてくれようとした坊ちゃんなら、良いかもしれない」


 それを聞いていた死神が大袈裟に頷きながら、僕達の方を向いて喋りかけた。


「よっしゃ、話まとまったようやな」


「そうですわね」


「そうですね」


「ほんだら、姉さんは、柵から内側来てな~」


「そういたしましょう」


 姉さんは柵からこっちにゆっくり降りてきた。死神さんはそれを見届けると、僕の方を振り返った。


「坊主は、ワシから出生担当者に連絡しといたるわ」


「重ね重ね、お手数かけます」


「ほい、これで一件落着な~」


 死神さんは、頭をボリボリかきながら、どこかに電話をかけた。少し会話したあと、すぐに電話を切った。


「出生担当者に繋ぎ取れたで。これで丸くおさまるわ。これで、姉さんも生きる希望ができたやろ? 坊主も生き場所ができたわけや」


「ありがとうございます」


「僕は担当者さん待ってればいいですか?」


「せやな。あ、とりあえずなんやけど」


「はい?」


「ん?」


「姉さんについては、今の記憶、消させてもらうわ」


 そう言うと、宙から出てきた鎌を振り上げて、姉さんの頭上に振った。


「あ…」


 姉さんは額に手を当てて、フラフラとよろけた。壁に手をついて立て直ったと思ったら、不思議そうな顔をして、病室に戻って行った。


「こうしとかんと忖度や言われるからな、証拠隠滅や」


 死神さんはクックッと喉で笑って、腕組みをした。


「坊主は、そろそろ担当者が迎えにくるわ。転生手続きするはずや。その時に、今の記憶もろとも全部リセットやな」


「わかりました」


「淡々としてるなぁ、坊主」


「身勝手に僕を作っておいて、やっぱ要らないって軽い気持ちで僕を流した人より、あの生きる姉さんの元で幸せになると思いますから。記憶なんて要りません」


「そらそうか。あ、担当者来たみたいやで~」


 空にあった雲が割れて、僕の方に光が伝ってきた。白い羽を生やした人が現れて、僕に手を差し出した。


「ほな、気張りや」


「ありがとう、死神さん」


 こうして僕は、転生手続きをしに、お空に昇って行った。


「あーあ、担当外の仕事してもたわ~。死ぬこと以外の仕事させんなや、ほんまに。まあ、悪い気ぃはせぇへんけど。この時間外手当、どこに申請したろかな~」


 死神さんが腰に手をあてて背伸びをしながら、ブツブツと独り言を言ってるのが、まだ僕には聞こえていて、少しだけ笑った。

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