第12話 怪談その4、最恐

 時は少し前に遡る。陽子とカレンは侑李に言われた通り、廊下で待っていた。


「何だろう……渡したいものって……」


「……なんでしょうねー」


「……カレンちゃん? なんか怒ってる?」


「べっつにー怒ってませんよー」


 なぜだか理由は分からないが、面白くないカレンはそっぽを向いて口を尖らせる。


「……カレンちゃんって、芦屋くんのこと好きなの?」


「ふぁ!? い、いきなり何を言い出すんですか!? ス、スキャンダル! スキャンダルはご法度ですよ!?」


「いやぁ、いつも一緒にいるんだし、そういう感情も芽生えてくるのかなって」


「……な、ないですっ。確かに、芦屋くんには感謝はしてますけど……」


「けど?」


「……とにかく、ないですから。あったらダメなんですから」


 活動休止中とはいえアイドル。色恋沙汰に構っている余裕はないと自分に言い聞かせた。


「……あれ」


「どうしたの?」


「今、そこに女の子がいたような……」


 確かにカレンは見た。赤い靴を履いた女の子が廊下を走り去って行くのを。


「私、ちょっと見てくるね」


「ちょ、ちょっとカレンちゃん!?」


 子供が迷い込んだら大変だと思い、カレンは後を追った。少女は曲がり角を曲がって行った。その後をついていく。


 カレンも同じように曲がり角を曲がる。しかし、そこには誰もいなかった。


「あれ……」


 どこにもいない。突き当たりの廊下。他に逃げ込んだとすれば、その場所はトイレだった。


「……」


 いつもなら、恐怖で足がすくむところだが、恐怖心が全く無い。誘われるように、トイレへと入る。


 誰もいないはずのトイレ。しかし、一番奥、少しだけ扉が開いている。


『お姉ちゃん、あそぼ。あそぼ。ノックして。ノックしたら、合図だよ』


 ゆっくり、ゆっくりと扉へ近づく。そして、ノックを──。


「カレンちゃんっ!」


「えっ……」


「よかった、気がついたんだね」


「あれ……私、なんで……」


 陽子に話しかけられて、カレンは我に返った。


「カレンちゃん、話しかけてもボーッとしてて……急に走り出したと思ったらトイレに入ってるんだもん。びっくりしちゃったよ」


「ご、ごめんなさい」


『ジャマした……! ジャマした……! いーけないんだ……! いけないんだっ!!!』


 声が聞こえる。頭に直接語りかけられているかのようだ。


「何、この声……」


「カレンちゃんも聞こえるの……?」


「う、うん。かなりハッキリと」


 霊感のないカレンがここまで鮮明に聞こえる。それはつまり、悪霊が強力なことを意味していた。


『ねぇ、お姉ちゃんもあそぼ? 遊んでくれるよね? あそぼうよ!』


「っ! カレンちゃん! 離れて!」


 トイレの扉が弾け飛ぶ。中から黒い手が2本、陽子を捕まえようとしていた。


「コマちゃん!」


『ワンッ!』


 護符からコマちゃんが出現する。コマちゃんは片方の手に噛みちぎった。もう片方の手は陽子の方へと向かっていく。


「まだまだっ!」


 陽子は懐から取り出したお祓い棒を取り出し、襲いかかる手をはたき落とす。


「ふふん、コマちゃんだけに頼ってるわけじゃないからねっ!」


「陽子っ!」


「大丈夫っ! カレンちゃんは離れて──」


「違うっ! 下から来てるっ!」


「え──」


 気づいた時には既に遅かった。トイレの床から新たな手が出現し、陽子の足元を掴み、陽子を吊し上げた。


「うわぁ!?」


『わんっ!』


「こ、コマちゃん!」


 コマちゃんも主人を助けようと手を噛みちぎろうとするが、それは許されなかった。


『ジャマだよ? ワンちゃんはお座り、してなきゃね』


『キャンッ!?』


 次々と手が現れ、コマちゃんまでも絡みとっていく。完全に身動きが取れなくなっていた。


『うふふ……捕まえた。さぁ、悪い子にはお仕置きしなきゃ……』


 黒い手は陽子の身体中を弄り、正気を吸い取っていく。


「う……ぁ……力が……」


 陽子の手からお祓い棒が零れ落ちる。


「陽子……!」


『カ、レン、ちゃん。待ってて……あなたもすぐ、こっちに……』


「ひっ……」


 カレンは恐怖で足がすくみ、その場でへたり込んでしまう。


「逃げ……て……」


『だぁめ、逃がさないから、ね……』


「う……」


 陽子の意識が途切れる。その瞬間だった。


『ひぎぃっ……!?』


「え……」


 手で締め付けられていた体が楽になる。手から離れた体は宙に浮かび、地面に激突すると思っていたが、誰かに受け止められた。


「あ……」


「ごめん、待たせた」


 その面影には見覚えがあった。その言葉は聞き覚えがあった。そしてすぐに分かった。私はまた、助けられたのだと。


「ごめんじゃないよ……芦屋くん」


「いや……ホント色々とごめん」


 侑李はドギマギしていた。


 家族以外の女子とのここまでの接触などいつ以来だろうか。


 助けるためとはいえ、不本意ながらお姫様抱っこをしてしまった。


 それに、女子トイレにだって入ってしまっている。


 なので色々とゴメンなのだ。


「取り敢えず外に出るっ! 遠山さんもこっちに!」


「う、うん……!」


 カレンも侑李が現れて恐怖心が紛れたのか、立ち上がれるようになっていた。トイレの出口まではすぐそこだ。先にカレンが脱出に成功する。


『返して……返せっ……!』


「芦屋くんっ! 危ないっ!」


 逃すまいと黒い手が襲いかかる。


「やべっ……」


 陽子だけでも守らなくては、と身を屈めた。しかし、手は一向に襲ってこない。


「……?」


 黒い手がピタリと止まっている。トイレのドアから顔だけ出している花子さん。その視線は侑李でも、陽子でも無い。注がれている視線は、侑李の背中、マサムネだった。


『あ……あ……』


『痴れ者が、こいつはワシの獲物だ。触れるな』


『ひっ……!』


 黒い手は震えながら、引っ込んだ。


「よし、今のうちに……!」


 トイレから脱出することに成功した。トイレの中に蔓延っていた禍々しい雰囲気から解放され、一息ついた。


「た、助かったぁ……」


「よ、良かった! 大丈夫だったんですね……!」


 外に出るとカレンが心配そうな顔で待ってくれていた。


「うん、何とか大丈夫……あ」


 自分がお姫様抱っこをしていることに急に恥ずかしくなってきた。サッとなるだけ優しく地面へと陽子を下ろす。


「し、失礼。怪我はござらぬか……?」


「ぶ、武士……?」


 もはや自分が何を言っているか分からないが、意識をトイレに向ける。


「二人とも、少し離れていて」


「えっ……」


 ぺた……ぺた……と足音がする。裸足で床を踏んでいる音だ。


『返して……』


 トイレからとてつもない霊力を感じる。ひょっこりと、壁から顔が見えた。見た目は普通のおかっぱの女の子だが、不気味さが尋常ではない。悪霊の上位互換、人の恨みが幾重にも連なったモノ、怨霊だ。


『まだ懲りてなかったか』


『うるさい……! 返せ……!』


『ふん。ダメじゃダメじゃ。怨霊としてはお前なぞ下の下。大人しく引き下がれ』


『おまええええ……!』


 マサムネと花子さんが会話をしている。何だか子供同士の喧嘩を見ているようだ。


『おい小僧、ワシを引き抜け。そうすればあんな童など一撃で屠れるぞ』


「えー……」


『くっくっく……いいのか? ワシを使わねば、後ろの二人もタダでは済まんぞ』


「でも、そういうのって使ったら代償が大きいのがセオリーじゃないか? 霊力を吸い取ったりとか」


『……ヒューヒュー。何のこと我には分からんなー』


 鳴らせていない口笛に妙に腹が立つ。


『返せ……! どろぼうっ……!』


 花子さんがまた攻撃が仕掛けてきた。地面から生えた黒い手が侑李に襲いかかる。


「芦屋くんっ! 危ないっ!」


 陽子の声が響き渡る。


『くっくっく……貧弱な人間が生身で悪霊に敵うわけがない……。ワシを引き抜くのは避けられんぞ……!』


「ふんっ!」


 侑李は黒い手をガッツリと掴んだ。指と指を絡め、まるで恋人繋ぎのように手を掴んでいた。


『……え?』


『……は?』


「え……えぇーーーーーー!?」


 カレン以外のその場にいた者が驚きを隠せない。それもそのはずだ。生身で霊に触れ、攻撃を受け止められる人間など、見たことが無いからだ。


『こ、この小僧……! なんて霊力だ……! これではまるで……ワシを封じ込めたと同じではないか……!』


『ぐ、ぐぅ……! は、なせ……!』


「大人しく引いて成仏してくれるんだったら、離してやる」


『ふざ、けるな……!』


 別の黒い手が侑李に襲い掛かる。


「ふっ!」


 侑李は肩から刀を取り出し、攻撃を受け止める。護符を剥がしていないため、切れ味皆無なのだが、霊力を込めて相手にぶつけるには十分だった。


『いててててて! うぉいっ! 抜刀せんかたわけぇっ!』


「あ、すまん。そんな暇なかったから」


『くそ……! ふざけやがってぇ……!』


 柄を握っているだけでも力が湧いてくる。かつて人を脅かした妖刀というのはあながち間違っていないようだ。


「このまま近づくっ!」


 侑李は一気に距離を詰める。


『ひっ……来ないでっ!』


 黒い手が襲ってくるが、関係無い。マサムネで払い除けながら突き進む。


 いつもより体が軽い。これならいける。そう思っていたが、花子さんの口元がニンマリと歪んだ。


『ひひっ……!』


「っ!?」


 侑李の足元から黒い手が忍び寄っていた。


「しまっ──」


 掴まれる、そう思った次の瞬間──。


「させないっ!」


 お祓い棒を陽子が投げて、黒い手に的中した。黒い手は霧散し、拒むものは全て無くなった。


「芦屋くんっ! 今だよっ!」


「ありがとう! 犬飼さん!」


 花子さんの元へ駆け抜ける。


『やめろ……くるな……!』


「ごめん。すぐに楽にしてやるから」


 マサムネを振りかざし、渾身の力で振り下ろした。


『あ……』


 花子さんはフラフラと、後ろに倒れ込んだ。侑李はその倒れそうな体を受け止めた。


『どう……して……おにいちゃん、悲しそう……?』


「キミのしたことは許されないけど……多分、何かやるせない理由があって成仏できなかったんだよな。身勝手だとは思うけど、その……あまり無下にはしたくない……」


『……ふふっ、ばかなおにいちゃん』


『私、小さい頃から体が弱くて……学校に来ても、すぐに気分が悪くなって、すぐにトイレに行くことが多かったの……それで、クラスのみんなから、花子さん、花子さん、って、バカにされて……』


「……」


 それから程なくして、花子さんは病気で亡くなったらしい。学校に五体満足の状態で通いたかったことや、みんなともっと遊びたかったという思い、自分を花子さんと呼んだ連中を許せないという恨みから、死ぬに死にきれなかったようだ。


「……もしさ」


『……?』


「もし、生まれ変わりがあって……生まれ変わったら、今度はちゃんと通えるといいな、学校」


『……うんっ』


 可愛らしい素顔を見せて、女の子は天に昇って行った。キラキラとした光の粒を輝かせながら。幸先の良い旅立ちであることを、侑李は祈った。


「芦屋くんっ」


「大丈夫ですか!?」


 カレンと陽子が駆け寄ってくる。


「うん、何とか」


『うぉい! 小僧っ!』


「うるさっ! 何だよ」


『キサマぁ……我を散々こき使いおって……!』


 マサムネが不満そうな声を漏らす。


「マサムネも、ありがとう。助かったよ」


『あ……? ありがとう、だぁ……?』


「あぁ、助けてもらったのは事実だし」


『……くっくっく。その様子だと気づいていないみたいだが、まぁいい。礼など不要。貰えるものは、キッチリ貰っておるからな』


「……?」


 マサムネが何を言っているのか理解できないが、今は陽子とカレンの無事を確認しなくては。


「二人とも、怪我は無かった?」


「それはこっちのセリフだよっ! あんなに無茶苦茶な……」


「そうですよっ! 何が起こってたのかぼんやりとしか分からなかったですけど……とにかく無茶苦茶です!」


「あはは……申し訳ない」


 二人にすごい剣幕で捲し立てられたので、思わず謝ってしまった。


「とにかく、校舎から出よう。だいぶ時間も経っちゃったし、姉さんたちも心配して──」


「そこに誰かいるんですかっ!?」


「「「!?」」」


 急にライトを当てられてビックリする。どうやら教師の見回りに遭遇してしまったらしい。


「や、やばいっ! 逃げなきゃ!」


 ここで見つかれば厄介なことになるのは目に見えている。早く逃げ出そうとした時だった。


「あれ……?」


 視界が急にぼやける。侑李は走り出すことができずに、力が抜けてその場にへたり込んでしまった。


「芦屋くんっ!?」


「ご、ごめん。何だか、力出なくて……」


「もしかして……霊力の使いすぎで……!? ど、どうしよう!?」


 マサムネが貰った、と言っていたのは霊力の事だろう。どうやらマサムネはかなりの大食いらしい。


「……私が、私が何とかします! 二人は教室に隠れて!」


 陽子に肩を貸してもらい、近くの教室に身を隠す。


「えっと、どこか隠れる場所は……!」


 陽子がキョロキョロと隠れられそうな場所を探す。その間にも教師はどんどんと近づいてきているようだ。


「早く……!」


「わ、分かってるってばぁ……! 芦屋くんっ、ここに……!」


「う、うん……」


 迷った末に選んだ隠れ場所は、教壇の中だった。二人隠れるにはかなり狭いスペースだが、何とか身を隠すことができた。それを確認できたカレンは行動に移した。


「誰ですか! こんな時間に!」


 見回りをしていたのは化学の授業を担当している佐山先生だった。かなり厳しい女性の先生で、授業中によそ見をしただけでも怒られる。授業中の問題やテストも難しくいやらしい問題を出してくるなど、生徒から恐れられ、疎まれていた教師だった。


「せ、先生……」


「……遠山さん、ですか……? 何をしてるんですかこんなところで──」


「先生っ! 怖かったですっ!」


「おふぉっ!?」


 カレンは佐山先生に飛び込むように抱きついた。


「とととと、遠山さぁんっ!? あなた何をっ!?」


「怖かったです、先生。佐山先生が来てくれて、本当に良かったです……」


 きゅんっ! 佐山先生のハートに矢がぶっ刺さる。しかし、自分は教師だと言い聞かせていた。


(私は教師……! 私は教師……! この教職の道を歩んではや15年……! 生徒に教えることを生きがいとして生きてきた……! ここは教師として、生徒の悪行を叱らなくては……!)


「佐山先生……」


「うぅっ!」


 カレンから潤んだ瞳で見られて、ドキドキさせられる。しかし、深呼吸をして状況の把握に専念した。


「レンレ──じゃなかった遠山さん? こんな時間に何をしていたのかしら? 場合によっては、親御さんを呼んででも事情を説明してもらう事になるけど……」


「ごめんなさい、先生。私、化学のノートを忘れてしまって……佐山先生から教えてもらったことを、忘れたくなくて……」


「わ、私の……」


 初めて言われた。自分の授業を忘れたくないなどと。生徒たちからは厳しい、余裕がない、面白くないなどと言われていた自分を、こんなに慕ってくれていたとは。


「はい……。だから、いてもたってもいられなくて、こうして学校に来てしまったんです。あはは、バカですよね、私」


 目尻に溜まっていた涙を指で掬う。


「……えぇ、本当にバカね貴方は」


「……」


「バカなくらい、可愛い生徒だわ……」


「……! 先生……!」


「き、今日の事は見なかったことにしてあげます。これは私情ではなく、状況的証拠と言論から判断したまでで──」


「ありがとうございますっ。先生っ!」


「おほっ……」


 ひしっ、とカレンが腕に抱きつく。思わず気持ち悪い声が出てしまっている佐山先生。


「じゃ、じゃあ夜も遅いからもう帰りなさい。昇降口まで送るわ」


「ありがとうございますっ」


「あ、足元気をつけなさい。寒くない? 私の上着貸しましょうか?」


 カレンの名演技により、なんとか危機を脱することができた。



「……」


「……」


 外でカレンが活躍している間、教壇の中はとんでもない空気になっていた。


(ええええええええええええ!? 何これ!? どういう状況!?)


 意識が朧げな侑李だったが、陽子に肩を貸してもらったぐらいから記憶が曖昧だった。


 少ししてから意識が鮮明になった途端、超至近距離に陽子の顔がある。薄暗くても陽子の大きな目と柔らかそうな桜色の唇がはっきりと見える。


「……えへへ、狭いね」


 にへら、と陽子が笑う。


「ソ、ソウデスネ」


 カタコトで返す侑李。


「……」


「……」


 非常に気まずい。外ではまだカレンが応戦しているようで、教壇から出ることはできそうにない。


「芦屋くん、もう平気?」


 小声なら大丈夫だろうと思ったのだろう、陽子が囁くように話しかけてくる。まるでASMRのようで、拍車をかけるように頭がおかしくなりそうだが、グッと下唇を噛み締めて平静を装う。


「あぁ、うん。大丈夫だと思う」


「く、口から血が出てない?」


「これは自己防衛反応的なヤツだから……ヘーキヘーキ」


「そ、そう……無理はしないでね?」


 変な気分になって襲いそうになってしまうから下唇を噛み締めている、なんて口が裂けても言えない。


「そ、そういえば。私に何か渡したいものって、何だったの?」


「あ、あー」


 すっかりと忘れていた。今この場にノートはないので口で説明しなくてはいけないのだが、これがかなり恥ずかしい。


 もし陽子が貸したことすら忘れていたら? ずっと持っていたことを気持ち悪く思われないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。


「芦屋くん?」


 いや、この場で言わなければ一生返すことはできないだろう。意を決して侑李は言った。


「……ノート」


「え?」


「覚えてないかもしれないけど、犬飼さん、俺が休んだ時にノート貸してくれた、と思うんだけど。それを返そうと」


「……」


 やっぱり覚えてないだろうか、と不安に思っていたが、陽子はニッコリと笑った。


「返そうとしてくれてたんだ?」


「そ、そりゃもちろん」


「えへへ。貸したことはもちろん覚えてるけど、そのまま使ってるんだと思ってた。私もそれでいいかなって思ってたし」


「いや、流石にそんなことは」


「ありがとう、芦屋くん」


「な、なぜお礼?」


「さっきのことも合わせて、お礼」


「そ、そっか」


 少しの沈黙。カレンの声が遠ざかっていく。どうやらカレンの作戦が成功したみたいだ。


「もう、大丈夫かな」


「うん。多分」


「よい、っしょ」


 陽子が先に教壇から出てくれる。そして、こちらに手を差し伸べる。


「ほら、芦屋くん」


「あ、ありがとう」


 手を引かれ、立ち上がる。


「本当に大丈夫? もうフラフラしない?」


「うん。何ともない」


「そっか、良かったっ」


 ニッコリと笑う陽子の笑顔。どこかで見たことがあるような、初めてではないような、そんな気がした。


「芦屋くん」


「な、何?」


「助けに来た時に、『ごめん』なんて言っちゃ嫌だよ?」


「え? あー。いや、あの時は……」


「とにかく、ダメ」


「は、はい」


 一方的に言いくるめられてしまった。そして、ビシッと人差し指を向けられる。


「今日は助けられちゃったけどっ、次は私が芦屋くんを助ける番だからっ!」


 堂々と、そう宣言した。


「……どうして」


「え?」


「あ、いや。どうして、そんなに堂々と言えるのかなって」


「うん? うーん?」


 陽子はうんうん唸りながら首を傾げる。質問の意図が伝わっていないようだったので、たどたどしくも侑李は思っていることを次々と口にした。


「えっと……俺たちの力って、かなり特殊なものだと思うんだけど……普通の人には見えないものが見えることってさ。人から気持ち悪がられたりとかして……さ。どうしてそんな、堂々としてられるのかなって……」


 我ながら卑屈すぎるとは思うが、過去のトラウマがどうしても消えない。陽子も、同じではないのかと思ってしまう。


「そんなの決まってるじゃん!」


 陽子はニッコリと笑った。


「私が助けたかったからだよっ! そして、助けた私はかっこいい! それ以外、無いっ!」


 今度もはっきりと、そう言った。


 そう言われた瞬間、何て眩しい存在なんだろうと思った。気持ち悪がられることなど恐れもせず、自分の力を誰かのために振るおうとするその姿は、まさしく正義の味方に見えた。


「……尊い」


「え?」


「……はっ!? い、いやっ! 何でもない!」


 ビックリした。思わず口に出ていた。カレンのライブを見ている時にはよく自然と発していた言葉だが、まさかクラスメイトに言うなどとどうかしていたと侑李は思う。


「さ、さぁ早く帰ろう!」


「えー!? ねぇ何て言ったのー?」


「何でもないからっ! ホントに何でもないからっ!」


 その後しつこく陽子に絡まれながら、無事に帰ることができたのだった。


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