第2話 推し、襲来
「──はっ!?」
目を開けたら知らない天井、なんてことはなく、いつも朝起きた時に目に入るお馴染み我が家の天井だった。
「あれ……」
記憶が曖昧だ。何とか意識を失う前の記憶を思い出す。
「あ……そっか」
すぐに思い出した。思い出してすぐに後悔した。
「……あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
人生で一番大きなため息が出る。
活動休止。芸能界引退ではないにせよ、遠山カレンを再び見ることができるのはいつなのか、分からないのだ。
「……何か嫌なことでもあったのかな」
残念な気持ちの次に浮かび上がるのは疑問だった。
なぜこのタイミングで活動休止なのか。
『アイ☆テル』は最近ようやくテレビなどにも取り上げられるようになってきた。以前は知る人ぞ知るような知名度だったが、この間の新曲がバズり、瞬く間に人気になっていった。今では知らない人の方が時代遅れと言われるぐらいに波に乗っている。
これからもっと人気になる、そんなタイミングで活動休止だ。何か理由があったに違いない。
「なんだ、元気そうじゃん」
「うわっ!? ……ってなんだ、咲希か」
「むっ……ふん、可愛げのない妹で悪ぅございました」
「別にそんなこと言ってないだろ」
「はいはい」
そう言って部屋の隅で漫画を読み出した。咲希はこうして侑李の部屋で漫画を読み耽るのだが、今日はチラチラとこちらを見てくる。何だか機嫌がよろしくないように見える。
「……もしかして、結構大事になってた……?」
バタン! と読んでいた漫画を閉じた。その音にビクッと侑李の肩が跳ね上がる。
「急に倒れて、大事にならないと思う?」
「……すみません」
「……はぁ、お姉ちゃんなんか、人工呼吸と心臓マッサージと人工呼吸しようとしてたんだから」
「どんだけ人工呼吸したいんだよ」
混乱に乗じて襲おうという姉の姿が容易に浮かぶ。
「後でお礼言っておくよ。咲希も、ありがとうな」
「ん」
「ん?」
「ん!」
急に頭を差し出してきた。これで合っているのか、恐る恐る頭を撫でる。
「……」
どうやら正解だったらしい。その後咲希がヨシと言うまでナデナデした。
「ゆううううううううううううくぅぅぅぅぅぅんんん! よかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うぐぐ……死ぬ……死ぬから……」
リビングに降りると凛がとてつもない力で抱きついてきた。凛は職業が警察官なだけあって力が強い。一般人なら一撃で沈められるんじゃないかと思う。
「全く……一時はどうなることかと思ったわい」
「ほんと、驚いたわ。じいさまより先に逝ってしまうかと……」
「なにおう、ワシは侑李がジジイになった時でも生きとるわい」
「それは無理でしょう……」
「ゲホっ……ゲホっ……ご、ご心配おかけしました」
とりあえず家族に謝ることで一件落着となった。ショックで失神した原因は解決していないけれども。
「うむ、仕事の後は飯が美味いわい」
「最近お仕事増えてきてますねぇ」
「うーむ、この時期にしては珍しい。ま、稼ぎが増えとるわけじゃしヨシとしよう」
夕食時にはいつも通りの会話が広がっている。まるで今朝の事が夢だったようで、少し安心している自分がいた。
「さぁて! 今日のゲストは『アイ☆テル』のみなさんでぇすっ!」
テレビからテンションの高い司会の声が響き渡る。
「あ」
その瞬間、茶の間が凍りついた。
「……」
「お、おにぃ……?」
「ゆーくん……」
「いや、大丈夫だよ。今度は本当に」
ホッ、とみんな胸を撫で下ろしていた。
(まだ活動休止にも実感は湧いてないけど……それでも、活動休止はしたんだ。だったら、俺は待つ。それが、俺にできる唯一の事だから)
自分の中で吹っ切ることができた。推しが休止と言ったらそれはもう休止なのだ。
だったら待ってやるのがファンだろう。そう自分に言い聞かせるのだった。
次の日。いつも通りの朝だった。朝食を食べ、学校に向かい席に着く。
一日休みだったが、侑李が休んでも特に影響は無かったようだ。現に今心配の声を貰うことは無かった。と思っていたが。
「侑李氏……! 無事だったか……!」
「はは……何とかね」
「昨日のニュース、ショッキングだったな……侑李氏が休むのも無理ない……」
「……確かにショックだった。でも、もう大丈夫。活動休止ってだけだから。信じて待つことにしたよ」
「お、おぉ……! これぞファンの鑑……! か、感動したっ!」
金山くんは大げさにも慰めてくれた。
そうだ、みんな受け入れているんだ。受け止めた上で、信じて待っているんだ。みんなと同じ気持ちになれたんだと思うと、少しだけ気が楽になった。
それからというもの、カレンが出演していたテレビや動画、雑誌など見るのを控えるようにした。カレンの姿を見ると、活動休止は嘘なんじゃないかと現実から目を背けてしまいそうだったからだ。
「侑李……お前、急に死んだりせんよな?」
「縁起でも無いこと言わないでくれ」
宗一にとてつもなく心配されたが、これも現実を受け入れる為だ。そう、これは修行のようなものである。
推しの供給断ちを続けてはや数週間が経った。
「……よしっ! こうなったら俺も侑李氏の為に尽力するぞっ!」
「じ、尽力……?」
推しを断つという苦渋の決断をした侑李を見兼ねてか、金山くんは立ち上がりメガネをクイクイ上げ下げしだした。
「うむ、実は侑李氏には新たな推しが必要なのかと思ってな」
「でも、俺はレンレンを……」
「ええい皆まで言うなぁ!」
何だこのテンションは……。と若干引いている侑李だが、自分の為と言われると断り辛い。取り敢えず話を聞くことにする。
「確かに侑李氏の言いたいことも十分理解している。だが、推しの供給がない状態と言うのは辛いもの。そこで、新しい推しが必要となる」
「なるほど……?」
「まだ気づかないか侑李氏。新たな推しを見つけることで! 新しい道が拓けるのと同時に! 推しの良さが再認識できるという訳だ!」
「おぉ……!」
金山くんの言いたいことが何となく分かってきた。要はレンレンの良さを改めて知る為には、比較対象のようなものが必要ということだ。多分。
「手始めに、そうだな……」
キョロキョロと金山くんが教室内を見渡す。
「あそこにいる佐藤さんと栗木さんを見てみろ」
金山くんの見ている方向を見ると、佐藤さんと栗木さんがいた。二人はいつも教室で話しているので、かなり仲は良いのだろう。今も楽しそうに話している。
「ねぇ、私ってちょっと太ったかなぁ」
「えぇ? 全然変わってないじゃん」
「そうかなぁ」
「私は今ぐらいの体型が一番好きだなー。ほら、抱き心地もいいし」
「きゃ、やだちょっと。も〜、何それ〜」
メチャクチャほのぼのとした会話を繰り広げていた。多分あそこだけ空間が違っている気がする。
「……どう、良くない? サトクリ」
「か、金山くん……クラスメイトでカップリング妄想をするのはちょっと……」
「な、何だその目は! 実際よかっただろぉ!?」
確かに、そう言われると見ているこっちまでほのぼのとするようなやり取りだった。良いか悪いかで聞かれたらそりゃいいに決まっている。
「……要は今みたいに新しい推しを見つけよう、ってことかな」
「その通り。推しは案外身近に潜んでいたりするものなのだよ」
「でも、クラスメイトではちょっと……」
「何の話?」
ヒソヒソと話しているところに、陽子が話しかけてきた。
「「うおぁ!?」」
「わっ! ごめんね、驚かせちゃったかな?」
「べべべべ、別に、どうということはなきにしもあらず……!」
金山くんがテンパりすぎて変な口調になってしまっている。
「ど、どうかした?」
「昨日芦屋くん休んだでしょ? 私が変な話しちゃったせいかなって思って。昨日の授業の内容、まとめたからもし良かったら使って!」
そう言って犬飼さんは鮮やかな緑色のノートを差し出してきた。表紙に四つ葉のクローバーが描かれており、男は絶対選ばないような可愛らしいノートだった。
「い、いやいや! 犬飼さんは全然悪くないよ! こんなの逆に申し訳ないって……」
「いいのいいの!」
「いやでも……!」
キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴ってしまった。
「返すのはいつでもいいから! それじゃあねー!」
「ちょ、ちょっとぉ!?」
嵐のように過ぎ去ってしまった。
「犬飼さん……あれがトップオブ陽キャ……」
「凄まじいな……」
二人でびっくりしていると、程なくして先生が来た。頭の中はノートをいつ返そうかという悩みでいっぱいだった。
チャイムが鳴り、授業全てが終わり、学生が解放される時間がやってきた。
「じゃあな〜侑李氏〜」
「うん、また明日」
金山くんに別れを告げる。さて、ここからが本番だ。
(よし……! 話かけるなら今!)
目標は数メートル先にいる犬飼さん。現在帰る支度中。ノートを返すタイミングとしてはここしかない。既にノートの内容は書写し済み。後は返すのみ……!
椅子から立ち上がり、陽子の元へと向かう。距離が段々縮まる。この距離なら……!
「いぬか──」
「ねー陽子! 今日ヒマ!?」
くるり。侑李はその場で180度回転し、非常にスムーズな動きで自分の席へと舞い戻った。まるで何事も無かったかのように。
「ごめん! 今日ちょっと用事があるから行けないや! また誘って!」
「そっかぁ、おけおけ!」
陽子は椅子から立ち上がり、すぐさま教室を出て行ってしまった。
(えぇー!? 颯爽と出て行きおった!)
いつもなら仲の良い人達と話しているのに、今日に限ってめちゃくちゃ早かった。
(そうだ、走れば追いつけるかも……!)
そう思い侑李もカバンを持って、席を立ち教室を出た。
「って早っ!?」
既に陽子の姿は無かった。おそらく廊下を全速力で走っていったのだろう。
(く……! ちきしょお……! 立派な校則違反……! 反則だろうが……!)
顔がぐにゃあ……と歪む。見事に計画は失敗し、とぼとぼと帰路に着く侑李であった。
「うーむ、どうするか……」
夕食後、自分の部屋で陽子が貸してくれたノートと睨めっこする。
それにしても、犬飼さんはなんて良い人だろうと感動していた。侑李が休んだのは自分のせいかも、と責任を負っているとはいえ、普通はここまでしないだろう。
『推しは案外身近に潜んでいる』
金山くんが言っていた言葉を思い出した。確かに、犬飼さんとはクラスの女子で一番話している。というか犬飼さんぐらいしか話したことがないのだが。
もしかして犬飼さんが自分の推し……?
そもそも推しとは何だ。クラスメイトを推すって訳が分からなくないか?
考えれば考えるほど分からなくなってきた。これ以上考えると頭がおかしくなりそうなので、今は目の前の問題に集中する。
「やっぱ朝かなぁ。うん、そうだ、朝にしよう」
「わ、可愛いノートじゃん」
「そうだろう? 俺が使うには可愛すぎってどぅわぁ!?」
いつの間にか咲希が後ろから顔を覗かせていた。
「俺の背後に立つな……!」
「ヒットマンみたいな事言ってる……。ノックしても返事しないからじゃん。それ、誰の? 素直に謝って返した方がいいと思う」
「待て待て、お兄ちゃんは盗みなんてしないぞ」
「そんな度胸おにぃに無いのは分かってるってば。大方、昨日休んだからノート貸してもらったは良いけど、返しそびれたってところでしょ」
「こわ〜。ここまで当たってると怖いわ〜」
「何年妹やってると思ってんの」
もう咲希に隠し事はできないだろう。それほどまでに咲希は気にかけてくれている、のかもしれない。
また金山くんの言葉を思い出す。身近にいる推し。
「咲希が俺の推し……?」
「……おにぃ、病院行ってきた方が良いんじゃない?」
「うん、それはないな、ないない」
改めて、推すことについて考えようと決意した瞬間だった。
次の日、結局推しについて分からなくなった侑李は金山くんに相談することにした。ちなみに陽子はノートを返そうとした今日に限ってまだ来ていない。
「なるほど。推しとはそもそも何か、か。それは論文を持ってくる必要があるなぁ」
「やっぱりそんなに難しいんだ」
「なんて、そんな訳無かろう」
「え?」
金山くんはふぅ、と一呼吸入れてメガネをクイっとあげた。
「いいか? この人は自分の生きる糧になると感じたなら、その人はもう推しだ!」
「お、おぉ……」
割と単純な答えが返ってきた。そう言われるとレンレンは確かに自分の生きる糧となっていた。実際活動休止と聞いて死にかけた(意識が飛んだ)ことだし。
「だから、侑李氏もぜひサトクリを推すべきだと思うんだ」
「いや、やっぱりクラスメイトは──」
「おっはよ〜!」
と、大きな声で陽子が教室に入ってきた。すれ違うクラスメイト全員が挨拶を返す。
こうして改めてアイドルみたいだと思った。何か既視感があると思ったが、ライブでアイドルが手を振った時、みんなが手を振り返す様子にそっくりだ。
「……犬飼さんを推しに……」
「ふぁっ!? ゆ、侑李氏……中々チャレンジャーだな……。彼女に好意を持つ輩、つまり同担は多いというのに……」
「い、いやっ!? 今のは言葉の綾というか……というか同担って」
本当にアイドルに見えてきた。自分より高位な存在だと認識してしまうと、ますますノートを返しづらくなってしまった。
「おーい、席に座れー」
ホームルームのチャイムが鳴る10分前ぐらいに先生がやってきた。
「あれ〜、先生今日早くない?」
「はいはい、いいから席に座れ。ビックニュースがあるから。きっとお前たちが騒ぐ時間が必要だなーと思ってな」
ビックニュース? 何のことだろうとみんな揃って首を傾げる。誰もその内容を知っていないようだ。ざわざわとクラスが騒ついている。
「えー、突然だが、このクラスに1人新しいクラスメイトが増えることになった。みんな仲良くは……まぁきっとできると思う。じゃあ入ってきてくれ」
廊下から1人の女の子が教室へと足を踏み入れた。背中まで届きそうな長い黒髪。スラリとスカートから綺麗な脚。モデルのような体型。その少女は軽やかな足取りで教壇へとあがる。人前に立つことが、衆目に晒されるのが必然だと言わんばかりに堂々とした佇まいだった。
「初めまして。遠山カレンと言います。えーと、色々な事情があってこの学校に転校してきました。みなさん、仲良くしていただけると嬉しいですっ」
クラスがしん、と静まり返る。そして、1秒後には悲鳴にも似たような驚きや歓喜の声が教室に響き渡った。先生はやはりこうなったか、と言わんばかりにこめかみを揉みほぐしている。
勿論、驚いたのは侑李とて例外ではない。開いた口が塞がらず、ただただ目の前が夢か現実か判断をしようと必死になっていた。
「お、おい……! 侑李氏、これやばくね!? ウチのクラスにレンレンが……って侑李氏?」
「あ……あ……」
「ゆ、侑李氏?」
そして侑李はデジャブを感じた。あ、これ倒れる。そう思った時には視界には教室の床が映っていた。
「ゆ、侑李氏ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
金山くんの叫び声やらクラスメイトの心配する声が聞こえたのと同時に、再び侑李の意識は闇の中へと沈んでいくのだった。
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