僕の彼女は二〇二四年八月三一日に首吊り自殺したらしい
七四六明
八月三一日
八月三一日。
僕はとある山奥の山荘に入った。
それこそ、火曜サスペンス劇場。土曜ワイド劇場。そんな二時間尺の特番に出て来る殺人事件が起きそうな山荘には、僕しかいなかった。
いつから人がいないのか。人の住んでいた痕跡はあるけれど、人の気配は感じられない。
僕は部屋の一つに入り、若干湿ったベッドで横になった。
時間は、朝の九時。
僕はそこで、持ってきたわずかな荷物の中から、ここに来るきっかけとなった物を取った。
日記だ。
僕はこれを見つけ、ここに来るに至った。ただし筆者は、僕ではない。僕はこの日記を書いた人を知らない。
僕はこの日記を書いた人に会うため、山荘にやって来た。
あれは今年の春、四月初旬。田舎から上京して来た僕は、自分の荷物の中に見覚えのない日記を見つけた。
特別興味があった訳じゃないけれど、何気なく中身を見て見ると、見覚えのないノートの中身もまた、見覚えのない丸みを帯びた文字列。内容も、やっぱり覚えがない。
けれど僕は本を読むように内容に読み入り、読みふけり、何度も何度も読んで内容を把握。僕は意を決して、
日記の日付は、僕が上京して来た四月初旬から始まっていた。
四月一六日。
今日から日記を付けようと思う。不意に思い付いたから、もしかしたら三日で終わるかもしれないけれど、続く限りは書き続けようと思う。
そうしなければいけないと、何だか思ったから。
五月三日。
日記はまだ続いてる。けれど、仕事はもう辞めようと思ってる。
せっかく入った第一希望の会社だったけれど、対人関係に困り果てた。
同僚の中に嫌な人がいて、そう言った人が徒党を組んで孤立した人を虐めている状況。上司に相談したけれど、面倒だからなのか、まったく取り合ってくれない。
辞めた方がいいんだろうか。
けれど、ずっと憧れて来た仕事。憧れた会社。そう簡単に辞めたくはなかった。
六月一五日。
もう日記を書く事が、私の心を維持する方法になりつつある。
今日も今日とで虐められた。片付けられるはずのない厖大なタスク。何とか終わらせても、次から次へと別の仕事を持って来られて、押し付けられて、帰るのは警備員が来てから。
そうして終わらせた仕事も、同僚や上司の成果として終わる。
もう嫌だ。終わりにしたい。誰か、誰か助けて。
六月二四日。
仕事を辞めた。
もう彼らのために仕事をするのは嫌だった。
結局どれだけ頑張っても手柄を横取りされるなら、何もしない方が楽だった。私は結局、良いように利用されるだけされたままだった。
上司にも訴えたけど、最後まで取り入ってくれる事はなかった。
絶望した。私、何のために今まで頑張って来たんだろう。
七月七日。
七夕だ。
運命の人同士が出会うロマンチックな日だけれど、私にそんな素敵な人はいない。
友達は結婚していたり、彼氏がいたり。とても良い人がいるみたいだけれど、私みたいな社会不適合者にはそんな人はいなかった。
前職の事もそうだけど、私にも隣に誰かいてくれたら、もっと頑張れたんだろうか。前向きに生きる事が出来たのだろうか。
ただの友達だったみんなが、今はただただ羨ましい。今はただただ妬ましい。こんな事を考えちゃいけないと思いつつ、考えられずにはいられなかった。
七月一九日。
もう、日記を付けるくらいしかやる事がない。
仕事も探した。面接も受けた。
けれど今までの事が嘘だったように何もかも上手く行かなくなって、何処も私の事を雇ってくれなかった。
顔色が悪い。やる気が見られない。鬱なのでは?
私の顔を見て、一挙手一投足を見て、私が何年も引き篭もりしていてようやく外に出た人だと思った会社は、私を厄介者扱いして雇おうとしてくれなかった。
もう、やる事がなかった。
八月一日。
何処も私を雇ってくれない。
誰も私を必要としてくれない。
両親にも連絡したけれど、自分で何とかしろと一蹴された。
誰も助けてくれない。助けて欲しい。でも、誰が私を助けてくれる? 誰が私に手を差し伸べてくれる? わからない。もう、わからない。
誰か。誰か助けて。
八月二九日。
もう、貯金も尽きた。
誰も私を必要としてくれないのなら、もう、いなくなっても良いだろう。
誰もいない場所で、誰にも知られずひっそりと死んで逝く。それが私に相応しい末路。
何となく探していたら、良さそうな場所も見つけた。今日から、そこを目指す。さようなら、私。終わりにしよう、私の人生。
八月三一日。
もう限界です。ごめんなさい。さようなら。
その一言で終わっていた日記の字は、震えに震えている。
日記を書いた私さんが何をどうやって終わらせるつもりか、それは最後のページが語っていた。この日記を見た以上、僕には止める義務と権利があった。
「来た」
「あなた……誰?」
「さぁ。ただ、これを見つけてしまった者です」
「へ? それ、私の日記……なんで……」
「さぁ。それは俺が訊きたいです。だから来ました。何で今年に入ってから今日までのあなたの日記があるのか。何で今日までの出来事が、まるで本当に過ごして来たみたいに書かれているのか。そしてこの最後のページ……何故、あなたが首を吊る姿が描かれているのか。誰が描いたのか」
「そんな事、私に言われても……」
「まぁ、普通に考えれば、怪しいのは俺の方だよな……ただ、これだけ不幸アピールされて、胸の内を暴露されて、放っておけなかった。良かったら、色々話さないか。俺はもう、あんたが他人の気がしないんだ」
その後、僕は私さん――彼女と話した。
上京して、第一志望の広告関連会社に就職したものの、周囲に利用されるだけされて見捨てられる形で挫折。
その後様々な会社に面接に行き、パート、アルバイトの面接も受けたが全て失敗。
鬱病を発症し、何もかもがイヤになって、この山荘を見つけて人生諦めに来た事。
日記の通りだったけど、でも本人から聞くとより現実味を帯びて、何とかしなければいけないと、話し続けていくうち涙に溢れて、最後には話せなくなってしまった彼女へと、僕はハンカチを渡しながら思った。
だから、僕は動いた。
まずは彼女を僕の家に招き、泊める事にした。
そして弁護士になった友人の下を訪ね、どうにかならないかと相談したところ、彼女の日記が証拠となって会社に内部調査させる事が出来、結果、彼女を利用していた社員らが処分された。
そして僕は広告代理店を立ち上げた友人の下を訪ね、彼女を雇用出来ないか相談した。
過去の経歴。仕事での成績。同僚、上司に奪われた本来の彼女の実績等を加味した結果、鬱病の治療もしながら、まずはアルバイトとして採用する事が決まった。
近くに心療内科があったので、最初の一度だけ彼女と一緒に僕も行き、定期的診察を予約する事が出来た。
「ゆっくり慣らしていけばいい」
「何で……何でここまで」
「さぁ。本来なら、こんな日記は捨てるべきだったのだろうけど、読んでいくうちに、本当にこんな目に遭ってる人がいるのなら、何とかしなきゃと思ったんだ。そしたら本当に君が来たから、もう信じるしかなくて……ただ、それだけだ」
そうして、僕はいつしか彼女と交際する中になった。
結婚は考えているけれど、まだするかわからない。でも、いつか出来たらと思ってる。
二〇二四年八月三一日。
僕の交際相手となる彼女が首吊り自殺をするはずだったあの日、彼女を助ける事が出来た事を嬉しく思いながら、彼女の日記がどうして未来を綴り、そして自分の荷物に紛れていたのかを不思議に感じて、でも詮索はしなかった。
今の幸せがあれば、理由なんて何でもいい。
僕は彼女を助ける事が出来、彼女の存在が僕にとって特別になった。それ以上の事は、もう要らない。
僕の彼女は二〇二四年八月三一日に首吊り自殺したらしい 七四六明 @mumei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます